季節はずれの桜
――あの日々の道を歩いた
ここから違った道
過去を逆さに戻って
ぼんやりとヒカル街灯がただ、思い出にぽつりと点っていた。
――儚く散りゆく桜。
夕暮れの空気に、冷たい冬の匂いが混じる。
季節はずれの幻想は、アスファルトを一歩一歩、踏みしめる度に強く、眩暈のように目の前にちらついた。
――浅田桜子は、疲労を隠そうともせず、もともと猫背の背中をさらに丸めて、ふらふらしながら歩いていた。――人通りのない、平凡な田舎の細い道。
既にあたりは薄暗く、目の悪い彼女は、先十メートルも見渡せない。
――崩れて、ぺしゃんこになってしまいそうな危うさを抱えながら、唯一つ、街灯の灯る下、彼女は倒れるような勢いで座り込んだ。
――紺色のブレザーから、煙草と、鮮やかな蛍光黄色のライターを取り出し、…火をつけようとして、止めた。 彼女は薄ら笑いを浮かべ、街灯の、冷えた柱にその背を預けた。 「…月が見える」
誰にともなく桜子は呟く。
――戻ってきた。戻って…
―空虚な眼球の隅に、ぐるりと浮かんだ水たまり。
…嗚呼、疲れた。
――その頬を、涙が伝った。
「――パンツ見えるよ。」
急に、場違いな台詞が暗闇から聞こえた。
「…スパッツ、履いてるから。」
――なんて静かな空。
「泣いてんの。」
「…泣いてる。」
桜子は、ブレザーのポケットに手を入れるフリをして、ライターと煙草を仕舞った。
「この道、帰り道…」
桜子がぽつりと言った。
「…うん。」
――自転車ひきながら、よく歩いたよね、四人で。
街灯の明かりで照らされた、千香の表情がちらりと映った。
「あたし千香のそういうとこ、嫌いだった。ううん。今の方が余計憎たらしい。」
膝に顔をうずめて、桜子は吐き捨てた。
――淡白な千香。無関心な千香。
「…」
千香は冷たく無表情に黙り込んでいた。
やがて言った。
「…こんなとこ、来ないし。」 はっきりとした声だった。
千香は何拍も沈黙をおいて、続けた。
「…そりゃあ、心配ぐらい、するし。」
「あの時さ、誰がどうなろうと構わないって、いったじゃん。」
間髪入れずに桜子が叫んだ。
…――正直、その言葉を聞いたときは、大人ぶって、そうだよね、などと言ったものの、心中はショックと絶望で、凍り付いていた。
そして――、離れ離れになってから、まるで過去など存在していなかったかのような日々が続いていた。
――無音の映像が、繰り返し繰り返し。やがて色褪せて、ノイズが混じり、ふつりと消えてゆく…。
「あんたなんか、友達じゃない」
唐突にでた言葉が、トゲトゲしく響いた。
「…そう。」
千香は表情を崩さない。
「どうしてそんなに無関心なの?そうよ、あんたなんか嫌いよ。」
「…ねえ、千香子、戻らないの?もう、二度と…」
儚く散りゆく桜。
季節はずれの幻想は、懐かしい帰り道の上にぱらぱらと降り注ぐ。
「不由美…」
千香子がぼそりと呟いた。
千香はやるせなさを遠い目に映して、一瞬だけ表情を歪ませた。
両膝に顔を埋めていた、桜子がびくりと揺れた。
ため息が漏れる。
――もう少しだったのよ。
もう少しで、私たち、大人になれた…
「私は……、そう、いじっぱりで頑固で負けず嫌い。
あんたみたいに淡白で無関心なのが大人だと思ってた。」
黄色い街灯が、桜子の黒髪を、艶やかに浮き立たせていた。
「つまらないことで、揺れ動く私は、情けなくてガキだと思っていたのよ。だから、傷ついても、追いかけたくても、もっと一緒にいたいと思っても、無表情に唇を結んで黙っていたの。」
壊れたように桜子はまくしたてた。
沈黙ばかりが空気を包む。
――それきり桜子は黙ってしまった。
時々、掠れるような嗚咽が聞こえる。
千香はじっと、街灯の外の暗闇を見つめている。
――もしかして、と千香は思う。もしかして、自分のせいではなかろうか。全てが。
最初から、最後まで。
あの日、桜子と、由梨と、そして不由美に出会った時から。
――桜子は、何時も無理をしているように見えた。
無理して取り繕って、どうでもいいような振りをして。
分かっていた。
桜子が、もっと一緒にいたいと思っている事。
私達を、限りなく大切に思っているということ。
なにせ、桜子は直ぐ顔や態度に出る。無理をしていると、それが余計、ありありと分かる。
それでも私は無視をした。
桜子のそんな気持ちですら、信じられなかったのだ。
――小学生の時、両親が離婚した。
毎日、喧嘩する両親を、互いに罵り、傷つけあう両親を見ていた。
――少ない小銭を握りしめ、姉さんに手を引かれて……
二人きりで、コンビニ弁当を食べていた日々。
いつのまにか出来上がっていた無表情。
いつの間にか、感じることがなくなっていた心。
誰も信じまいと決めた。
この小さな山だらけの田舎町に越してきて、小さな中学校に転校して、適当に友達をつくって安らかな日常が再び始まっても…。
それは、変わらなかった。