ナターシャの天敵
玄関ホールには来訪者と思われる数人とその対応に追われる公爵家の使用人達で、慌ただしい様子だった。
兄フェリクスが戻ってきたのだと思っていたが、想定外の帰省に加え客人もいるようだ。
玄関ホールの中でもすらりとした長身の兄フェリクスはとても目立つ。ナターシャと同じ漆黒の髪に青い瞳は、ナターシャの通う学園の女性の中にもファンがいるほどである。
わたしもこの容姿なら男に生まれたかった。男性に生まれていれば兄のようにちやほやされて生きて行けたかもしれない。
女性にしては高い身長とつり目の目を何度呪ったかしれない。
目立つ容姿の兄であるが、それ以上に人々を引きつける存在が玄関ホールにいることに気づいたナターシャは、人知れず庭にひっそり戻ろうと思った。
しかし、そんなナターシャに気づいたその存在によって、それは阻まれてしまう。
「ナターシャじゃないか!」
今は放っておいてほしい。
「久しぶりだな。元気にしてたか?」
その人物は人混みをかき分け、ナターシャに駆け寄ってくる。
「あ、元気なわけないか。とうとう弟に婚約破棄されたんだって?」
最低。嫌い。
眩いばかりの笑顔で周囲の人々を魅了しながら近づいてきた人物は、この国の王太子ユーリだった。
この国の王族はスラッとした体躯の持ち主が多く、ユーリ王太子もマラン王子同様長身の持ち主だった。
眩い金髪にエメラルドグリーンの瞳。造形も華やかだが、纏うオーラが彼をさらに王太子たらしめていた。
顔や雰囲気はマラン王子と違えど、どことなくマラン王子を思い出させる王太子に今は会いたくなかった。
「ユーリ王太子殿下お久しぶりです」
曲がりなりにもこの国の王太子に粗相があってはと思い、きちんとした礼を尽くす。
マラン王子の婚約者として、マラン王子の足を引っ張ることだけはすまいと日々鍛えてきた技能が役立つのはこういう時である。
「ま、そんな気を落とすな。
男はマナンだけじゃないからな。なんなら俺がなぐさめてやろうか」
うるさい。馬鹿。挨拶くらい普通に返しなさいよ。
今思っていることがばれたら、不敬罪かしら…
「まあ、ユーリ王太子。そんな恐れ多いことですわ」
遊び人と言われている王太子とは関わらないに限る。
「遠慮するな」
全力で遠慮させてもらうわよ。
「わたくし気分がすぐれないので失礼させて頂きますわ」
さっと王太子をかわし、2階の自室に上がろうとナターシャは踵を返した。
「よし。俺が自室まで送っていこう」
ナターシャの行動を予測していたようにユーリ王太子は広い歩幅で彼女に近づくと、彼女の肩を抱いて2階に連れて行こうとする。
昔公爵領でよく遊んだことのあるユーリ王太子にとっては、勝手知ったる我が家のようなものである。
ナターシャといえば、さっきの威勢はなりを潜め、王太子に肩を抱かれたまま固まっている。
実はナターシャは昨今では珍しいほど男性に免疫がない。長年婚約者がいたというのに、異性とのスキンシップといえばダンスでマラン王子と踊るくらいであった。
「はは、相変わらずだね、ナターシャは」
自身の腕の中でカチンコチンにフリーズしているナターシャを見下ろしながらユーリ王太子は楽しそうに笑って、ふっとナターシャの耳元に息を吹きかけた。
ぎゃー!!と声にならない叫び声をあげてナターシャは、両手で王太子の顔を押しのける。
あ、淑女にあるまじき行いをしてしまった・・・
はっと我に返りつつも、王太子から解放されたナターシャは息を荒げながら、顔を茹で蛸のように真っ赤にしている。涙目のまま、キッと上目遣いに王太子を睨みつける。
一方の王太子はそんなナターシャの様子をにやにやと眺め、にらまれたことに対するダメージが感じてないようだ。
昔からユーリ王太子は生真面目なナターシャをからかって楽しんでいた。
何でも器用にこなす王太子からすれば、不器用なナターシャは格好なおもちゃであっただろう。
「あんま、うちの妹をいじめないでやってくださいよ」