幼い頃とこれからと
「待って!!マラン様!」
8歳くらいだろうか。マラン王子の背中が遠ざかっていく。
マラン王子の後ろを追いかけていたナターシャは躓いて転んでしまった。1番強く打った膝はじんじん痛んで、立ち上がれない。
マラン王子はひとつのことに夢中になると周りのことなどお構いなしで、目的に向かっていくのは昔から変わらず、転んでしまったナターシャには気づかない。
「待って!置いてかないで!」
と叫んでみても、マラン王子の背中は遠ざかっていく。
転んだ拍子に強打した全身が痛くて、自分の力では立ち上がることは出来そうもない。
「待って!お願い・・・行かないで!」
涙で霞む視界の背中はそれでも止まることはなく遠ざかっていった。
「お願い!」
はっとナターシャは目を覚ました。
ここはどこだろう?
婚約破棄を宣告されたことを両親に報告しに公爵領に戻ってきて、そのまま昔から愛用してきた自身の天蓋付きベッドで眠ったことを思い出す。
すごい昔の夢を見た。今置かれている自分の状況と重なるものがあって、切なくてちょっと笑ってしまう。
あの後、8歳はナターシャはどうなったのだっけ?まったく思い出せない。
ナターシャが目覚めたことに気づいた侍女のアレットがなんやかんや世話を焼いてくれる。
ぼんやり天気の良い外を眺めながら、久々に庭の散歩をしたくなった。
勝手知ったる公爵領の庭であるため、侍女もつけずぼんやり散歩をする。邸の人々は腫れ物に触るように極力ナターシャには近づいてこなかった。
バラ園は直視できなくて目をそらした先に広葉樹の大きな木が見える。
マラン王子、王太子が訪れた際によく登った木だ。どこを向いても、ここは昔の思い出だらけだと思う。
マラン王子、王太子、兄フェリクスがすいすい登っていくのをみてナターシャも登ろうとするが、上手く登れない。そんなナターシャに気がついた王太子が引っ張り上げてくれる。
ユーリ王太子は昔から訓練されているせいか、周囲に気配りの出来るできた少年だった。
マラン王子は自身の木登りに夢中でどんどん上に登っていく。そんな彼に追いつけなくてナターシャはやきもきしたものだった。
王子達が遊びに来ない日も、次に来たときに遅れを取らないため、青ざめて必死に止めようとする侍女達を横目にナターシャは木登りの練習を日課とした。
ナターシャが一人で木登り出来るようになった頃には、王子達はナターシャを木登りには誘ってくれなくなる歳になってしまってのだが。
ほんとうにわたしってば昔から間が悪いんだから。
ナターシャは懐かしい木の根元に座り込んだ。
これからどうやって生きていこうか。木漏れ日の中、風を感じながら考える。
まさか今更マラン王子のいない将来を模索するなんて考えもしなかった。
よく物語などでは、王子と婚約破棄された令嬢が修道院に行くなどという話があるが、これは現実的ではないと思う。
修道院の生活なんて自分は耐えられそうもないし、まだ18歳なのだから誰かの妻になるという夢は捨てたくない。
欲を言えば自分より家柄のいい人をと思うが、うっかり4大公爵の家に生まれたため、自身の家柄以上となると4大公爵家が王族しかおらず、選択肢が少ないことこの上ない。
その上年齢も近しい人間となれば、さらに選択肢が絞られる。めぼしい人間はほぼ婚約中である。
多少家柄が落つるとも貴族がいいとナターシャは思う。ナターシャの考え方はコンサバなので、基本的な昔ながらの方針に従いたいのである。
妹セレナは貴族以外の男性と婚約しているが、なかなかその世界に飛び込む自信がない。
自分に自信がないからこそ、貴族であるという矜持にしがみつきたいのである。
めぼしい独身貴族はいないものかと考えながら、邸に戻ろうとしたナターシャの目に玄関ホールのざわめきが見える。
どうやらめずらしく、兄フェリクスが邸にもどっているようである。