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バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
深山那月編
9/64

二章 月天(1)

 地獄の夕食とあいなった。

 皆が、楽しく美味しくカレーに舌鼓を打っている中、俺は青カレーの池の中にスプーンを泳がせるだけ。

 隣の芝生は青い、という諺があるけど、ある意味俺のカレーだけが青であると言えよう。

 異様なのはその色だけなのだ。味は至って普通。なのに色一つ変わるだけで、ここまで苦戦するものなのだな。無理して食べようものなら、途中リバースして更なる地獄と化すことが目に見えている。

 ……ん? 目に、見えている……?

 と、そこで妙案を思いついた。


「流星くん」


 唯一の味方である彼をここに召集。自らの食事を中断して、流星が傍に控える。


「例の物を」


 と、俺が耳打ちして指示をおくると、流星はうむと即妙に頷き、さながら忍の如く部屋を出ていった。

 待つその間、俺は目を伏せて待つことにする。

 なるべくスタイリッシュに挙動を決めたつもりだが、実際のところ、ブルー・カレーをこれ以上見たくないという一念からに他ならない。

 そう。この嫌悪感が、その色によって立つものであるならば、そもそも見なければ良いのだ。こんな単純なカラクリにも気づかなかったとは、俺もまだまだ未熟だ。

 などと公算を立てる俺を見て、一同がひさめきだした。


「あら〜、ラブラブね〜、夫婦みたい」


 黒先院長が自らの身体を抱きながら悶えた。あんたは早く嫁のもらい手を探せ。今年いくつだ。


「相変わらず男にはモテるのね」


 と、もはや当たり前のように呟く陽菜。何気にいちばん胸に刺さるんですけど。


「おれもなっちゃんとけっこんするー」「そーするー」


 この二人に関しては、何も言うまい。ちゃんとした立派な大人になることを願うばかりだ。

 ほどなくして流星が戻ってきた。流星の手には言いつけ通り、黒いバンダナが握られている。

「ほら、那月」と、ぶっきらぼうにバンダナを手渡される。


「ありがとう、流ちゃん。ご褒美です」


 褒美にとブルーカレーを差し上げたが、流星ははなもひっかけずに自分の席に戻っていった。当然の反応だった。


「そんな物で何するのよ」


 陽菜が胡乱げに言った。俺はふん、と得意げに種明かしをしてやる。


「これで目隠しすれば目の前のカレーは、もはや普通のカレーだろ」

「だったら、目を瞑って食べればいいじゃない。ていうか、それだと罰はどうなるのよ?」


 超正論を言う陽菜。完全に言い負けた。


「……ふ、雰囲気だよ」


 と、ここへきて無駄な抵抗をする俺。罰云々については聞かなかったことにした。


「どんな雰囲気よ? 何、目隠しプレーをご所望? 小さい子の手前で、破廉恥だこと」


 どんどん立場が悪くなっていく俺。

 誤魔化すように、今一度俺は流星を呼びよせる。


「流星くん!」


 自席でこれからカレーを食そうとする流星の手の動きが、のっそりと止まった。手に持ったスプーンはあと少しでカレーに届くところだった。


「……なんだよ」


 流星の語気には、いくらか怒りが含まれる。ちと顎で使いすぎたか。

 俺は流星の機嫌をこれ以上損ねぬよう、低姿勢でお願いする。


「これで目隠しして食べるんだけど目隠しすると一人じゃ食べられないから、流星くんに手伝ってほしいんですけど。なーんて」


 手にしたバンダナを帯状に細工して、見せる。すると、


「嫌だ」

 けんもほろろに断られた!


「ど、どうして⁉︎」


 あまりのすげなさに驚いて、問うと流星は、当然かのように自らの皿に視線を落とす。


「だってカレー冷めちゃうし」


 食べかけのカレーが流星の帰りを待ちわびていた。


「ど、どうすれば手伝ってくれるかなー。なーんて」


 流星のカレーに対する執念がどれほどのものかは判りかねるが、一応訊ねてみる。

 流星はなぜか俺の全身を一望した後、瞑目して顎に手をやり、思案する仕草をとった。

 ……確証はないけど、ろくなこと考えてなさそうだな、あの所作は。

 すると、かっと目を見開き、口を開いたかと思えば——


「俺が食べさせてやった後今度は那月が俺にカレーを食べさせてくださいメイドさんコスで『はいあーん』のオプション付きでよろしくおねがいします‼︎」


 と口速にまくし立てた。

 一瀉千里が祟ったのか、あるいは超絶ハズカシイ性癖を晒してしまったことに対する今さらの羞恥なのか、流星の顔は異様に赤い。

 そしてその言の内容も、レッドカードの退場レベルだった。

 天使が通る、とはフランスの諺だったか。まさにその状況だった。流星にとっては、魔が差したのほうが正しい表現なのかもだが。


「あら〜、かわいい変態さん♪」


 と変態さんの筆頭、黒先院長が何か言っている。しかしながら、気まずい雰囲気を一掃してくれた彼の功績は大きい。

 陽菜は、まったく問題にしていないというか、興味なさそうというか、いつの間にか食後のジュースを飲んでいた。しかもそれ俺のミルクティー。

 星夜と星斗に関しては、急におとなしくなったと思ったら二人仲良く頭を突き合わせて寝息を立てていた。

 で俺だが、これは至極もっともな意見だと思うので、はばからずに発言する。


「えっと、なしてメイドさん?」


 すると、恥ずかしさに耐えかねたのか流星はがなり立てる。


「うるさい! 給仕っていったらメイドさんだろ! 違うかよ!」


 大声とほぼ同時に、グラスが倒れる音がした。見ると陽菜が舌を出している。

 そしてテーブル一面にはミルクティーが、悲惨に溢れていた。

 流星のがなりに、かなり驚いた陽菜が、ミルクティーなみなみのグラスを倒したという次第らしいが、そんな言い訳では片付けられないのが、ミルクティーを反故にするという行為。布巾で丁寧に拭き取る陽菜に俺は思う、そこは舐めて啜ってこそのミルクティーラバーだ。

 それにしても。耳をつんざくような騒音を耳にしてなおも動じない黒先院長と、目を覚まさないちびっ子ふたりには目を見張るものがある。

 と、黒先院長は立ち上がり、ちびっ子たちを両脇に抱えると静かに部屋を後にした。おそらく、布団に寝かしつけてくるのだろう。出がけにこちらにウインクを投げつけてきた。

 かくして、この場には当事者二人と傍観者一人だけが残された。不毛な議論が再開される。

 寝ている人のことを考慮して俺は、いささか小声で議論の口火を切った。


「確かに給仕といえば、真っ先に浮かんでくるのはメイドさんだけどさ、それって女性の場合じゃん? 俺の場合、それ違うじゃん? 俺女じゃないじゃん?」

 あまりに当を得た主張だったのでこれにて投了かと思ったのだが、それに対する回答をあらかじめ用意していたように、淀みなく流星は抗弁を返してきた。


「那月、どっちかというと女じゃん? 俺学校でよく『お前、姉ちゃんと結婚するんだろ、気持ち悪りぃ』って言われる。女の恰好すれば、いいんでないの?」


 人ごとのように言う流星。さりげなく自分が学校でいじめられているという話を織り交ぜることで、俺をほだそうという魂胆らしい。


「つまり俺に女装をしろと?」


 流星が力強く頷く。こいつ、正真正銘の変態だ。イジメられても何ら文句言えない変態だ。


「無理だよ! そもそもそんなの、やったことないし!」


 この変態は知らないのだ。俺が学校でどんな扱いをされているのか、どんな立場なのかを。

 反抗の弁を怒りに乗せて流星に投げつけてやろうとした矢先——

 女装の話を耳疾く聞きつけ、今まで沈黙を守っていた陽菜が、声高らかに名乗りを上げた。


「そういうことなら、あたしに任せなさい。那月を乙女にするその役、あたしが引き受けるわ!」


 宇佐美陽菜の威光に流星がぬかづく。それは、流星が陽菜の従僕と化す瞬間だった。この裏切り者め……!

 陽菜が、さきほどの罰の続きといったように、卑しい笑みをこちらに向けてくる。

 そして否応なく自室に連行されるのだった。


  ◇◆◇


 俺の部屋の一角で、俺と陽菜とが短い距離で向かい合っている。そして俺はあらゆる意味でドキドキしている。

 陽菜と会うのは、実に久しぶりのことだ。

 最後に会ったのが約五年前のことだから、ふたりきりになるのはさらに久しい。


「那月って、ホント女の子よね」


 俺の顔をまじまじ見つめると陽菜は呟いた。そういう陽菜は、まごうことなき女の子である。それも一般人ではとうてい及びもつかないような、圧倒的な容色を持って生まれた。


「次、それ言ったら俺は舌噛んで死ぬ」


 割と本気で俺は言ったつもりだったが陽菜には冗談程度にしか伝わっていないようだった。


「はいはい。わかったから、動かないで」


 と赤子のようになし、陽菜は俺の顔にメイクなるものを施していく。陽菜の指示通り、微動だにせずにいると無事に下地の処理が終わったようだ。

 せんだってらいのドキドキにはいくつか理由がある。

 一つは陽菜に抜き打ちで自室を見られる、という謎の焦り。一つは陽菜とこんな至近距離で顔を見合わせているという気恥ずかしさ。

 そして、俺はこれからどんな化生けしようの者になるのかという恐怖。

 そも陽菜に他人のコーディネートがきちんと務まるのだろうか?

 生き馬の目を抜くアイドル業界において他を排してのし上がってきた陽菜が、敵に塩を送るようなことをするとは考え難い。

 しかし、こうして見てみると、陽菜はそれほどファッションには気を遣っていないようだった。

 トップスは割とゆったりとしたプルオーバーのパーカー。ボトムとの色合いを意識してか、鈍色で取り合わせている。

 ゆったりとしたパーカーからは、これまたゆったりとした襞の黒いフレアスカートが顔を出しており、裾を短く詰めることで緊張感もしっかりと持ち合わせている。そして黒のタイツを着用することによって、実際よりも脚を長く見せるという意匠を示していた。スカートの中を、見せるつもりはないみたいだ。下着を見せるつもりはないようだ。

 アクセサリー類に関しても、黒を基調としたブレスレットが腕に充てがわれる程度で、全体的にすっきりとしたツートンカラーで纏め上げられている。傍らに置かれたミニショルダーバッグやメイクセットも、すべて黒で統一。どれだけ黒好きなんだ。喪服かよ。

 と、ファッションの定石はあらまし踏まえてはいるものの、かつての、アイドル的なアバンギャルドなセンスは影を潜めてしまったようだ。端的に言うと、アイドルのオーラが無くなった。

 まぁ陽菜は、元人気アイドルグループのメンバーだから、人目に触れるような服装は避けたかったのだろうか。


「まだ掛かるの? 俺もう、疲れちゃったよ」


 俺はとうとう痺れをきらして、陽菜にせっつく。実質、正座に慣れていない俺の足はすでに重度の麻痺状態になっていた。何もしてないのに疲れるのは、とてもつまらない。


「大丈夫、もうすぐ美少女になれるわ」


 とのことらしい。陽菜のその言葉を信じて良いものなのか、もはやよくわからない。美少女になるのが、大丈夫じゃないということだけは分かる。


「もともと良い素地だもの。ベースがしっかりしてれば、あとは薄めのメイクを入れるだけで、那月は立派なアイドルキラーになれるわ」


 陽菜といい流星といい、俺が女と言われるのを嫌っていることを、理解しているのだろうか。あまりにナチュラルに言及されるので、どうかすると聞き流してしまうのだが。

 男が、女みたいと言われて喜ぶわけがないだろう。

 触れて欲しくないことに触れる、という仕返しをもって俺は陽菜に訊ねる。


「陽菜ってさ、MONoSTARS、辞めたの?」


 つい数刻前に仕入れた情報に言及する。ちなみに『MONoSTARS』とは、意訳すると矛盾という意味になる。

 そのグループ名が話題に出ると、アイシャドウブラシを走らせる陽菜の手が一瞬止まった。すぐに動きは再開されたが、さきほどよりも動きがぎこちない。

 陽菜の機微が、手に持つブラシを通じて俺の皮膚感覚から伝わってくるのだ。誤魔化しようもない。


「辞めた……。けど、……アイドルは辞めてないつもりよ」

「そう、なんだ……」


 たまゆら、惑うような間はあったが、ほぼ即答だった。だが陽菜の表情は、俺が知っているそれではなく、強がりでもってとり繕っているような妙な悲壮が漂っていた。軽い気持ちで、この話題に触れてしまったのはマズかったか。

 自分から質問しておいて。それに対する答えをしっかりと受け取っておいて。

 俺は、返す言葉が見つからない。

 陽菜のウイークポイントを責めたつもりが、却って自らの傷を抉ってしまったような感じだ。

 俺は用意していた追及を一切飲み込んで、メイクされるに任せることにした。


「完成を楽しみにしておきなさい。今のところ上出来よ」


 陽菜も率先して話題を転ずる。考えてみれば当然か。何が楽しくて、自分を貶める話題を押し広げようとするものか。

 俺は散髪屋でそうするように視覚も聴覚も気にせず、一人考え事に耽る態勢をとった。


 MONoSTARSは、俺がまだ小学生の頃に結成された。

 陽菜を芸能界に放つ皮切りとして、プロデューサーが繕った烏合の衆だった。陽菜は俺と同い年だから、彼女は、小学生の頃から芸能活動をしていたことになる。

 リーダーの宇佐美陽菜、名前がすでにアイドルな叶流恋、アイドルに純真性が損なわれつつある現代にあって貴重な人材とも言える六連スバル。中でも最も人気だったのがやはり、リーダーの陽菜だった。

 事務所側の猛プッシュ、アイドルとしての立ち居振る舞い、そもそもの資質が、他二人とは比べ物にならなかった。

 ともあれ、結成三年目にして、投票総数一億からなるユニット内の人気ランキングでは陽菜がダントツの一位。フロントマンの座も、メディアの露出も、ギャラの分配も、優先的に陽菜の方へ集中した。

 多くのファンが喜んだ。我らが宇佐美陽菜の時代がやってきたのだ、と大多数が歓喜した。

 だが賛成があれば、反対があるのが世の常なのだ。

 熱狂的な叶流恋のファンや六連スバルのファンたちはそれを良しとしなかった。その少数は、やがて陽菜のアンチとして頭角をあらわしていった。

 グループ内にお気に入りの女の子ができれば、他のメンバーをライバル視する、なんてことはよくある話だ。ただ、好きなメンバーへの愛情と他のメンバーへのそれとで差をつけるといった理由であり、別に深い怨恨があるわけではない。

 しかしアンチは、ライバル視が高じて私怨となり、徹底的に陽菜を潰しにかかったのだ。

 でっち上げたスキャンダルによって。

 アイドルにとって、スキャンダルは死活問題だ。今日日とてアイドルのスキャンダルが、世間を騒がせている。

 陽菜は、恋愛事には関心がないタイプだ。故にほどなくして、

『人気アイドル宇佐美陽菜、プロデューサーやマネージャーとは枕で繋がった関係! 彼女の首は繋がるのか⁉︎』という見出しで号外が放たれたときには、ちゃんちゃらおかしくて、馬鹿馬鹿しくて、びりびりに破り捨てて火にべてやったのを覚えている。

 疑惑をすっぱ抜いたとされるその写真には、仕事終わりであろう陽菜と、陽菜のマネージャーである元この施設の住人、亀井拓人が写されていた。ラブホテルと思しき建物の前の通りでタクシーをピックアップしているところだった。

 折悪いところを撮られたとは思うが、タクシーがホテル周辺によく待機しているという性質上、ラブホテル前のタクシーを利用するなんてことはよくある話だと思う。

 なにより陽菜のマネージャー、この施設『希望の箱庭』の元住人であった亀井拓人には最愛の恋人がいる。陽菜との熱愛はそもそもあり得ない。

 が、しかし、内情を知らない大半のファンたちは、裏切られ、ずたずたに心を裂かれて、その心を捨てて、腹の底にある練炭にも似たどす黒い感情を、陽菜の大炎上に焼べた。

 可愛さ余って憎さ百倍、ということなのだろうか。ネットには誹謗中傷が目立つようになり、やがては常態化し、時には殺害予告が立つこともあった。

 それからユニットを脱退するまでの約一年の期間、陽菜はどんな思いで過ごしてきたことだろう……。

 それを容易に想像できながら、軽はずみな発言をしてしまった自分が、改めて嫌になった。


「よし、これで完成!」


 陽菜が満足げに言った。

 ひょいと陽菜から手鏡を手渡され、おそるおそる覗き込んで自分の顔を確認する。

 造作はさほど変わってはいない。

 だが、そのパーツの一つ一つが洗練されていて、印象はがらりと変わっていた。中でも吸い込まれそうな大きな瞳が印象的だった。

 あぁ、神様はどうして、こうも不公平なのか。このような相貌に憧れる女性は数知れないだろうに。求めてもいない俺に授けることの、なんと愚かしいことか。

 男のくせに女性らしさにまた一段と磨きがかかっていて、つまるところ、ゲンナリした。

 その心意はメイクでは隠すことはできない。


「なかなかのものでしょ!」


 と、陽菜の声には達成感が滲み出ている。

 そして、陽菜も同じだ。どんなに取り繕おうとも、内に秘めたる後悔や苦悩の念を、隠し通すことはできない。

 陽菜は今もなお、苦しんでいるのだろう。

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