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バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
深山那月編
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一章 ブルームーン(完)

 俺は制服のワイシャツのボタンを解きながら、追想というものに耽っていた。

 俺がこの『希望の箱庭』にやって来たのは八歳のころ、小学校二年の夏休みの最中のことだった。

 両親の交通事故による死が、そのきっかけだ。

 この頃から、既に対人関係に難があった俺は、『ふれあい合宿』という学校行事で半ば強制的に合宿に駆り出されて、二日間を知らない土地コミュニティで過ごし、ようやく家に帰ると、なぜか両親がいなかった。

 しばらくして、顔面蒼白の先生が家まで俺を迎えに来て、連れだって市内の大きな病院へ向かった。車内でだいたいの事情は聞かされたが、あまりピンとこなかったのを今でも覚えている。

 病院に着くとその独特の空気から、先ほどの話がとみに現実味を帯びてきて、言い知れぬ不安感に襲われた。心の準備をする猶予もなく霊安れいあん室の扉が開く。

 白い部屋に、白いベッドが二台。それ以外は何もない。まるで、この世とは別の空間を切り取ってきたような雰囲気が漂っていた。今思えば、この世とあの世との境が、あの場所だったのかもしれない。

 唯一、目を引くベッドには、いずれも人の影が横たえてあった。無論、両親だ。

 つま先から首元まで、無垢なシーツで覆われていて、ご丁寧に顔にまで白布が掛けられていた。顔に布が掛けられる理由、それを当時の俺はまだ理解していなかった。

 両親は自宅付近の横断歩道で、人を庇うようにしてトラックにはねられたのだという。

 そのようなことを口頭で淡々と説明されたところで、小学校低学年の童ごときに、理解できようはずもない。

 医者が沈痛な表情で面の布をはぐると、俺のよく知る顔がそこにあった。二日ぶりの対面だ。

 家族に優しかった母、子供に甘かった父。甘く優しく俺を育ててくれたのに、合宿直前になって途端に俺への接し方が厳しいものに変わった。

 人は逝く予兆として、人格の変化を示すことが稀にある。厳しかった人が、死ぬ直前に急に優しくなったり、というような感じだ。

 それを知っていたならば、俺は合宿などには行かなかった。ずっと、両親を見守っていたはずだ。

 だが、それは叶わない。まかる両親を、見守ることも、見送ることもできなかった。

 二人とも、とてもトラックにはねられたとは思えないほどに綺麗な表情だった。

 従容しようようとして死に就いたような、この世に後顧の憂いなど何も残していないような、そんな面差おもざし。

 俺を残しておきながら、なおもこの人たちは安らかに身罷みまかったのだ。

 それが、悲しかったのでなく、悔しかったのでなく。流れる涙のみなもとは——

 それでも両親のことが、大好きだった。


 記憶にも残らない空っぽな葬儀が終わると、俺を取り巻く環境は目まぐるしく変わって行った。るべのなかった俺は、数日と待たずに児童養護施設の入所が本決まりとなった。

 ここの院長、黒先白行をはじめて見た時、当然だが恐怖を抱いて、そして我が身を抱いた。


「きゃーっ! ちゃわいい坊や!」


 というオネエ口調と相まって、彼の存在はまさしくぬえだった。もっとも、その見てくれが嘘のように澄みきった心の持ち主だったのだが。

 当時の在籍者は俺を入れて四名。

 今はもう就職して、ここにはいない亀井拓人かめいたくと

 拓人の実弟で、俺の一つ上の、亀井拓篤かめいたくま

 そして、同い年の宇佐美陽菜。

 俺は最初こそはうらぶれていて、馴染めなかったが、陽菜や拓人、拓篤たちの心尽くしもあって、徐々にここでの生活に実りを見出していった。

 皆でバンドに打ち込んでいた頃は、たぶん俺たちの絶頂期だったのだと思う。

 辛いことや悲しいことは、すべて音楽にあって武器となる。という言葉を武器に、全力全霊をもって取り組んでいたんだ。間違いなく、最高の時間だった。

 でも、陽菜が上京して、拓人が就職を機にここを去ってからは、すべてが一変した。

 俺は状況に流されて、自分ひとりで生きていけるよう、他を排していった。

 今後、拓篤がいなくならないという保証はどこにもない。ならば早々に関係を絶ってしまったほうが、良いではないかと。

 そうして、強引にそれを絶つ際に出来た傷が、あの膝の痣というわけだ。痛かったが、それ以上に心が痛かった。

 翌年、ドラミンピックに参加すべく、というより拓篤から逃げるようにして俺は開催地のアメリカに行き、そこで惨敗して、日本に帰ってくる頃には院内からは会話すら消えていた。

 やがて流星、星夜と星斗が入所してきて、今に至るというわけだ。年少者たる彼らの影響もあってか、院内の雰囲気は徐々に明るさを取り戻していった。

 ——八年である。俺は今年で十七を迎えるわけだから、年齢の約半分、この施設で過ごしているということになる。そして、陽菜がいなくなってから五年の年月が経ってしまった。


 嫌な思い出を、制服と一緒に脱ぎ捨てて、手早く部屋着に着替える。

 キッチンの方から野菜を炒めたときの芳しい香りが漂ってきた。流星が先に調理を始めてくれているのだろう。実に出来たやつである。

 流星、星斗、星夜には名字がない。つまり、生まれながらにして孤児なのだ。

 そういった場合は、十五歳になると市長から名字をいただくのが通例とされている。

 だからそれまでは、親代である黒先の性を名乗っているのだ。

 また星夜や星斗とは違って、流星には歳の近い仲間がいない。施設も転々としてきたらしい。やれやれ、俺が面倒を見てやるしかないのだ。きっと。

 俺がキッチンに戻ると、野菜や牛すじが一緒くたに炒まった鍋に水が投入されるところだった。おぼつかないながらも懸命な手つきで水を注いでゆく流星。

 その脇で、俺は先ほど買ってきたミルクティーをグラス二つに注ぐ。片方を心持ち多めに入れておく。器の大きさは二つとも同じだが、流星の分をやや多めにしてやることで、俺の器の大きさを示すというナイスな意匠だ。


「はい、お疲れさま」


 流星が鍋に水を注ぎ終えたタイミングを見計らって、彼の頬にグラスを突きつけた。キンキンには冷えていなかったものの、突然のことに流星は多少なりとも驚いたようだった。


「遅いよ那月、もうほとんど終わっちゃったじゃん」

 流星がグラスを押し返さんとばかりに頬を膨らませる。そして、ぶっきらぼうにグラスを受け取った。


「ごめんごめん」


 と軽めに謝っておく。

 その際、てへぺろの仕草も忘れない。怒りを鎮める流星に、彼はてへぺろに弱いのだという確証を得る。これからもどんどん使っていくことにしよう。


「ほんとゴメンね? それでゆるして?」


 俺は下唇にグラスを宛てたまま、駄目押しにもう一度、媚びっ媚びに謝る。

 そして流星も飲めよとばかりに目配せをする。——口に触れたグラスがほんのり冷たい。これは、流星がびっくりするのも無理ないか。

 流星はため息をひとつ落としてから、グラスを口へ宛てようとする。

 そこで俺は気づいた。流星の分のミルクティーがやけに少ない。

 と、俺のグラスに目を落とすと、超なみなみとミルクティーが張っているではないか。……逆です! 求む配置換え!


「ちょい待ち‼︎」


 俺は大声をあげると、今まさに飲もうとしていた流星のグラスをひったくる。すると流星は素っ頓狂な声をあげた。


「君の分はこっちです!」


 呆然と固まっている流星の手に、もともと俺が持っていたグラスを握らせてやる。

 しばし微動だにしなかったが、次の瞬間には顔を真っ赤にしてそれを拒絶した。


「や、やだよ! これさっき那月、口付けたやつじゃん! えんがちょ‼︎」

「なにその言い方ー! 兄弟じゃんー! 君、それでも男かー!」

「女みたいな男だか、男みたいな女だかに言われたくないっての!」

「あー! それ言っちゃう!」


 ガス台の上で鍋がつくつくと煮えたぎっている。俺たちはそれよりも熱く、組んず解れつの肉弾戦にしばし興ずるのだった。まぁ、俺が負けるんだけど。


  ◇◆◇


 ルーの到着を待つだけとなったカレーは、密閉された鍋の中でひたすら茹だっていた。ときたま蒸気をあげてはルーの投入を急かす。

 鉄砲玉の使い、星夜と星斗は、一時間経った今もまだ帰ってきていない。

 家からコンビニまでは歩きで10分と掛からないはずだ。行き、商品を探し、選んで会計、帰りの時間を考慮しても、30分内外で済む用事だ。

 とうに日は落ち、外はすっかり暗くなっていた。

 流星は宿題があるらしく、自室に戻って精を出している。夕飯までには終わる程度の量らしい。

 確か星夜と星斗が出掛けた頃は、まだ日は落ちきっていなかったはずだ。

 そのとき、嫌な予感が頭をよぎる。

 ——もしや、事件事故に巻き込まれた?

 薄暗い夕方のことを、ときとそう呼ぶことがある。

 もしかすると、ふたりはそれに出遭であってしまって。

 黒に染まった空は、ふたりを飲み込んでしまった後なのではないかと、そう思わせる禍々しさがあの空にはあった。

 思考が憶測をまねき、憶測が焦燥にかわり、焦燥はようやく脳に立ち返り、伝達する。手遅れになる前にこの足を動かせ、と命令を下した。

 気つけば駆け足。不安と恐怖に浮き足立っている。

 キッチンから玄関までの廊下がひどく長ったらしい。まるで無限回廊を歩いているような錯覚があった。

 愛する兄弟ふたりが、得体も知れない何者かに残虐に切り刻まれるという幻想が浮かんでは、即座にもってその考えを打ち捨てる。それを何度か繰り返した、次の瞬間。


「もうすぐだー」「ぐだー」


 玄関扉の向こうから、子どもの声が響いてきた。それは二人分の声であると同時に耳慣れた声だった。俺の心に平安をもたらす剽軽な会話の合間に、もう一人分の声がある。


「あなたたち、まさかここに住んでるの?」


 若い女性の声だった。そして、これも聞き覚えのある声音だった。

 その声を聞いた途端、俺の心臓が早鐘のように騒ぎだした。

 俺が玄関にたどり着くと、俺がそうするまでもなく扉が開く——


「あ……」


 目の前の光景に、俺は間抜けな呟きを漏らしていた。

 とうに日は落ちたはずだった。

 さらに言うなら、俺の心はとうに晴れを失っている。五年前。

 太陽が、遠くなったあの日から。

 その、五年の時を経て、久々に対面する。この懐かしい顔と。


「ひさしぶりね、那月」


 小さな体躯にツインテール、といったあの頃とまったく変わらない背格好で。太陽のオーラを纏って、彼女は言った。


「……陽菜」


 宇佐美陽菜。

 かつてここの住人で、俺の元バンドメンバーで、元人気アイドルグループのリーダーを務めていた少女。当時と殆ど変わらず、変わったことと言えば服装が少し落ち着いたことくらいだろうか。

 その変わらない相好に、まったく変わらない笑顔に、まったく悪びれることない彼女に、腹が立った。

 ……今さら何しに来たんだよ。

 そんな辛辣な言葉が喉まで出掛かった。後ろに轟く野太い声がなければ、俺はそれを発していたことだろう。


「あらぁ〜、陽菜ちゃん! 久しぶりね〜!」


 黒先院長が地を揺らしながら陽菜のもとに駆け寄り、陽菜にハグをする。ただいま、の声が熊の抱擁の中から、くぐもって聞こえた。


「陽菜ちゃん、ご飯食べた? もうすぐワタシたち夕飯なの! そうよネ? ワタシもう、お腹と背中がくっついて超セクシーなクビレが出来ちゃう!」


 その問いかけに俺が頷くと、黒先院長は陽菜に一緒に夕飯を食べていかないかと提案した。

 あと言っておくと、セクシーなクビレ云々については断固首肯しかねる。


「なっちゃん!」「かってきたぞ! るー!」「やぶからすてぃっくに!」「そら、おおしばだ」


 藪から棒に星夜と星斗が、陽菜の影からひょこっと顔を出す。ふたりの手には、俺が帰宅しなに寄ったスーパーの袋の取っ手が分担して握られている。そう、コンビニではなくスーパーの袋に。


「星夜、星斗、そんな遠くまで行ってたの?」


 問うとふたりは元気よく頷いた。


「あたしが連れ出したのよ」

 陽菜が名乗り出た。


「かたじけねーだ」「なさけないかぎり」


 珍妙なかけ合いをする星夜と星斗の頭を、陽菜がなでなでする。

 とはいえ、話がぜんぜん見えてこない。


「え? つまり、どういうこと? 陽菜は星夜と星斗のこと、知らないだろ」

「ええ、知らないわ。ただあたしがコンビニに行ったら偶然、その子たちが店内で泣いてたってだけ。で、事情を聞いてみたら買うものを忘れちゃったって言うものだから」


 ……俺は、呆れまなこでふたりを見る。てへぺろ、と舌を出していた。

 ——殴りたい、本気で。ていうか「てへぺろ」って、こんなにも腹立たしいのか。

 こほん、と俺は咳払いをしてから、視線を戻し陽菜の話にふたたび耳を傾ける。


「それで、断片的なキーワードとかを頼りに、どうにかこうにかしてカレーまでたどり着いたわけね。それならスーパーのほうが安いから、もう時間も遅いとは思ったんだけど、あたしが一緒なら大丈夫かと思ってそっちに行ってたの」


 そういうやつなのだ、宇佐美陽菜という女は。困ってる人を放って置けないというか。お節介なまでに心優しいところも昔と変わっていない。


「陽菜。あの……その……ありがとう……」


 訥々と俺が礼を言うと、陽菜は少しうつむいた。その頬は、やや茜色を湛えていた。そして、おそらくは俺も。

 すると今度は、急に顔を上げ、照れ隠しなのか陽菜は、愉快に笑いだす。


「でも、意外だったわ。この子たちがここの住人だったなんて」


 確かにすごい偶然だと思う。


「それに」

 言いかけて、陽菜の大きな瞳が俺を捉える。


「夜遅くにこんな小さな子たちをお使いに出す腐れ外道が、どんなやつかと思ったら」


 陽菜の口もとが悪戯に歪んでいる。人を小馬鹿にしたような下卑た笑み。これは何か企んでいるときの陽菜だと直感する。


「カレー・ルーは買ってきたわ。ただそれとは別に、那月への罰も用意したの」

「え?」


 嫌な予感しかしないんですけど。

 陽菜が目配せすると、ちびっこふたりがアイアイサー! とばかりにスーパーの袋から、それを取り出した。正真正銘、懲罰だ。


 青——それは、晴れやかで、だが同時に憂鬱の色でもある。

 現にいま目の前にある青からは、晴れを見いだせない。皮肉な話だ。陽菜が戻ってきたにもかかわらず、さらに晴れが遠のいていく気がするのだから。ついでに意識も遠のいていきそう。

 食事の準備が整い、面々が食卓につく。俺以外の皆の目の前には、美味しそうなカレーが並んでいる。いや、普通のカレーだ。

 水木先生が見繕ってくれたスパイス類や牛すじは一切活用されていないし、急造のインスタント・ルーを使ったに過ぎない安物のカレーだ。

 でも、それがこの上なく美味しそうに見えてしまう理由は、俺にと配膳されたカレーにあった。

 ……毒々しいまでに、青色を帯びたルー。まさしくブルー(憂鬱)。

 ちっとも上手くない。でもって、……きっと美味うまくない。

 いみじくも白米を覆うカレー・ルーは、まるで青い三日月のようで。

 そして、かえって俺を食わんとするような邪悪な笑みにも見えた。


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