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バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
深山那月編
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一章 ブルームーン(5)

 スーパーマーケットとは一体、どの辺りがスーパーなんだろう、などと考えながら店内へ入っていく。入ってすぐ、買いものカゴを確保することも忘れない。

 水木先生はカートを押しながら俺の後ろを歩き、俺が見向きもしない商品にいちいち関心を示していた。頻りに車輪がからから、と音を立てている。

 青果コーナーで玉ねぎ、にんじん、じゃがいもなど、カレーの黄金素材を手に入れ、ついでにセール中の林檎もカゴへポイする。

 精肉コーナーでは、水木先生の見立てで牛すじ肉が選ばれることになった。なんでも、水木先生の大好物なのだそうだ。牛すじカレーか、夜中に聞いていけない単語だな。

 俺はスパイス類に関しては門外漢なので、水木先生に下駄を預ける他ない。

 ――さてと。これでカレーの材料はすべて、手に入れたわけだが俺はレジに直行せず、飲料コーナーへと足を運ぶ。

 水木先生はそれを見とがめることなく、先ゆく俺を追蹤する。からから、からからと、カートの音が付随している。

 なにも俺は喉がからからだったのではない。


「――ロイヤルミルクティー……紅茶が好きなのかね?」


 水木先生が俺の視線の先を読んで尋ねてきた。

 俺は恥ずかしくも頷く。自分の嗜好を知られるのは存外、恥ずかしいものだな。

 陳列棚から1.5リットル容量のペットボトルを2本、手持ちの籠に入れると急にずしりと重くなった。これが愛の重さなのか……。

 普段は、歩きなので軽量重視で五百ミリリットルの少ない容量のタイプで妥協することが多い。だが、今日は水木先生が送ってくれるので、遠慮なくその恩恵に与ることにした。


「これですべて揃ったかな?」

「そうですね」


 水木先生は、カートに載せた自分の籠の内容を一通り確認し終えると店内の時計を見る。時刻はじきに十七時になろうとしていた。そろそろ夕餉の支度を始めなければ。

 俺たちはレジに並ぶ他の買い物客の中に混ざる。

 水木先生は俺の分の会計も持つと申し出てきたが、それは丁重にお断りさせていただいた。

 店を出ると辺りはすっかり紅い、ほの暮の色に包まれていた。沈みゆく太陽は、ともすると昼のそれよりも目に眩しく、そして印象深い。

 暦の上では春になっているとは言え、まだまだ日は短いし空気は冷たかった。

 はらりと、風に吹かれて飄々と、どこからとなく桜の花弁が迷い込んできた。やがて、それは心許なく地上に舞い降りる。舞い散る桜の花弁は、自分がこんな、見知らぬ地で果てることになるとはきっと想像だにしなかったろう。

 輝くのはほんの一時。けれどもその一時は、時間を超えて人の心に鮮明に残り続けるのだろうか。あの暮れる陽のように。

 かたん、と車のドアが開く無骨な音がした。

 飛花落葉の理をひとしきり味わったのち、俺はそろそろと車に乗りこんだ。

 車がエンジンを吹かせると、春の空気は一掃され、代わりに、俗々した曲がスピーカーから流れてくる。カーテレビの画面にはふたりの少女が、しゃなりしゃなりと手足を踊らせて笑顔で口パクを披露する様子が映し出されている。……チープな歌番組だった。


「これは」

 水木先生が何かに気づいたような声を漏らした。釣られて俺も画面に目を向ける。

 それは、退屈な曲が終わり、先ほどの少女ふたりが自己紹介を始めるところだった。


『キミに流れる恋心、きっと叶いますよーに。叶流恋かのうりゆうこですっ』

『え、えっと、六連むつらスバル、です……』


 こういったものに関心を持たない俺でさえ知っているアイドルたちだった。

 訓練調教されたであろうテンプレ系アイドルの少女とややあどけなさの残る少女の、ふたり組アイドル・ユニット――

 だが、ふたり、というところに疑問を感じた。確かこのアイドルユニットは三人構成だったはず。

 それについて、叶流恋がこの番組、マイクを通して言及する。


「このたび、わたしたち『MONoSTARSモノスターズ』は、一名の卒業を経まして、装いを新たに、ふたりで活動していくことになりました! 新生にして新星! MONoSTARSを! これからもよろしくお願いしますっ!」


 きらきらした雰囲気を纏った叶流恋が、深くお辞儀すると、少し遅れて六連スバルも頭を下げる。客席側からは大きな拍手が送られた。


「そうか。やはり卒業になったのか」


 水木先生が呟いた。その声色には落胆も失望もなく、かといって歓喜や期待があるわけでもない。ただ事実として受け止める、そんな声だった。

 俺も、特に感情を込めずに同調する。


「そうみたいですね」


 ――卒業。字面こそ麗しいが、それは、事実上の解雇に他ならない。

 卒業したメンバー、宇佐美陽菜うさみひな

 数年前、『MONoSTARS』のリーダーとして芸能界デビューを果たし、一世を風靡したアイドルだ。

 そして、かつて俺たちのバンドメンバーだった少女でもある。


「キミは知らなかったのか?」

「はい」


 というか、もう五年ほど前から連絡も取っていない。

 バンドを辞めてまで上京した理由も、アイドルを卒業するに至った経緯も、すべてテレビやマスコミを通じてでしか知り得ない。しかし卒業したということは、こっちに戻って来るということなのだろうか? また、一緒に音楽ができるということなのだろうか? 

 そんな甘えた考えが頭をよぎっては、阿呆らしいと言ってその考えを打ち捨てる。


「彼女とは、出自を同じくするのだから、キミは知っているとばかり思っていたのだが」

「あいつが黙って東京に行ったあの日から、あいつとはもう関係ありませんから」


 水木先生は俺の強い口調に、一瞬怯んだような様子をみせた。

 テレビでは、MONoSTARSのプロモーションビデオがひっきりなしに流れている。どれも明るい曲調のものだったが、車内にもたらしたのは暗く沈んだ空気だけだった。

 そんな中にあって、水木先生が口を開く。


「その宇佐美だが、来週ウチの――」


 すーっ、と車がゆるやかに止まる。走行音が排されると、車内はアイドリングの微かな響きとテレビの音のみに満たされた。

 俺は黙して、水木先生の話の続きを待つ。

 しかし水木先生が口にする言は、先ほどの話題とはてんで繋がっていなかった。


「さて、もう着いてしまった。今日はここまでだな」


 フロントガラス越しに見ると、目的地はすぐ目の前だった。

 ――児童養護施設、『希望の箱庭』。俺の住まう家だ。

 軒先で遊んでいた俺の義兄弟である星夜せいや星斗せいとが、こちらに気づき駆け寄ってきた。まだ肌寒いというのに半袖半ズボンで、楽しげに奇声をあげながら車の周りをぐるぐる回っている。


「おかえり! なっちゃん!」

「こんなじかんまででーとか! がーるずとーくか!」


 一旦立ち止まって、思い思いにお迎えの挨拶を浴びせるとすぐ、思い出したように車の周りを何周もする彼ら。ガールズトークって。純真無垢もここまでくると罪だな。男の尊厳が丸潰れだった。

 しかしこの様子では、さきほど話の続きも聞けそうにない。水木先生にしても話を再開するつもりはないようだし。

 俺は手荷物とトランクに積載されたスーパーの荷物を下ろし、水木先生にいとま乞いをする。


「今日はありがとうございました。じゃあ、また来週」

「うむ。ではな」


 一向に車を離れない星夜と星斗の手を引いて、車の移動スペースを確保する。行きがけに水木先生が窓から手を振り、地に響くような発進音を残して車は街並みに呑まれていった。

 星夜と星斗が無邪気に両手を振っている。自然、こいつらの手を握っていた俺も両手をあげる所体になるわけで、とっても恥ずかしかった。

 車が見えなくなると、スーパーの袋を見て星夜がハイテンションに訊ねてきた。


「なっちゃん! きょうはかれーか? おれたち、かれーないちぞくなのか?」

「そ。だから、運ぶの手伝って」


 割合軽めの荷物をふたりにも持たせて、俺はようやく、我が家の敷居をまたぐのだった。


「おかえりなさい。疲れたでしょう。お疲れさま」


 玄関扉を開けるとすぐ目の前に、この施設の主が待ち構えるように立っていた。工具を手に持ち、どうやら下足棚を修繕していたようだ。


「ただいま。水木先生に送ってもらったから」

「あら、それでその荷物。よかったわね!」


 黒先くろさき白行しらゆき

 その中性的な名前と嫋々とした語り口はともすれば女性を思わせがちだが、声質は野太くオッサンのもので、実際、歳の頃は五十代半ばの野太いオッサンである。

 体格的にはまさに熊であり、また犯罪者級の強面。こうは見えても、ここの院長を務めている。

 まぁ、院長とは名ばかりで、ほとんど父親代わりのようなものだ。格好に至ってもセーターにチノパン姿という、親しみのある感じだ。スーツとか着たら化けそうなものだけど。

 彼がオネエ口調を弄する理由を、ここに来て間もない頃にじかに訊ねたことがあった。


「アタシはアナタの父親であり母親でもあるのよ」


 と言ってにやけていたっけ。軽佻じみた言動には、それなりの深慮遠謀があったのだ。

 この「希望の箱庭」は、国の援助を多少受けているとはいえ個人の、非営利団体だ。故に職員もいない。

 それでもこの施設が立ち行くのは、以前にも名前が挙がった、木戸きど氏の義捐によるところが大きい。


「じゃあ夕飯の支度するから」

「いつもありがとう」


 野太くも優しいねぎらいの声に後を押され、俺はキッチンへと急ぐ。

 俺の料理スキルと圧力鍋のコンビをもってすれば、さして時間は掛からないだろうが、飢えた子供を待たせるわけにはいかない。

 台所の暖簾をくぐると、先に荷物を開いていた星夜と星斗が哄笑こうしようをあげていた。ふたりの周りは、材料などで散らかっており、おもちゃ箱をひっくり返したような様相を呈している。


「なっちゃん! すごいな! こりあんだー!」

「かんこくじんか!」


 ふたりの他愛ない会話に、俺は汗が止まらない。カレーはおろか、キムチだって食べてないのに、全身がひりつく感覚を覚え、汗と震えはとどまるところを知らない。

 成り行きで食材選びを水木先生に一任したが、作るのは俺なのだという根本的なことを失念していた。俺がこんな本格的なスパイスを、調合できるとでも?

 なんですか、こりあんだーって? かんこくじんか!

 ……情けなくも俺は、ふたりに訊ねてみる。


「星夜、星斗。それの使い方、わかる?」


 呪文のような名前のスパイスが入った瓶を示すと、


「わからんだー」「それよりおれ、はらぺーにょ」


 予想通り。

 訊いておいて何だが、俺はふたりの返事などまともに聞いていなかった。買い置きのルーがないかと食品棚を漁っている。しかしこんな時に限って、在庫は無く。

 俺は財布からすっと千円札を取り出すと、ふたりに差し出した。


「星夜くん、星斗くん、お使いです。コンビニでカレー・ルーを買ってきてください。甘口と中辛、合わせて二つです。で、おつりでお菓子を買ってきてよし!」


 ふたりの表情がぱあっと輝く。

「なっちゃん」「さすが」

「かみさま」「めがみさま」


 おそらく初めて触れるであろう実弾に、たちどころに心を撃ち抜かれたようである。

 俺から現金を受け取ると、それはもう弾丸のように飛びだしていった。

 それと入れ替わりに別の少年が、キッチンにひょいと顔を覗かせる。星夜と星斗よりも一回りほど大きな体躯の彼は、小学生の中では最年長の流星りゆうせい。俺の五歳下の義弟だ。

 小学高学年とあって、星夜や星斗よりは空気が読めているらしい。肌寒い空気を理解してか少し厚めのデニムを穿いている。上は、スタイリッシュな半袖タイプのポロシャツで、その歳にしてはひねこびている印象。


「那月、お帰り」

 にべなく挨拶を済ませ、そのまま去っていこうとするので俺は慌てて流星を呼び止める。


「ちょっと待って! ……手伝ってくんない?」


 散漫になった材料の中心で、俺は助力を乞うた。

 本当に困っているように眉根を持ち上げて、けれども深刻に受け取られすぎないように「てへぺろ」みたいな仕草も交えて流星にギンミーする。


「……ったく、わかったよ」


 やれやれ、といった具合に流星が了解を寄こした。


「じゃあ、散らかってるやつ片付けて、野菜とか洗っといて。ちょっと着替えてくるから」


 俺は大掴みな差配を残して、キッチンを一時離脱する。暖簾越しに流星のため息が聞こえた。面倒事を押し付けてすまんな、流星。

 自室にむかう途中、またしても野太い声を掛けられた。黒先院長だった。

 彼本人は「シラユキひめ」と呼ぶよう皆に推奨しているようだが、そのように呼ばれているところをついぞ見たことがない。

 そして彼も、俺と同じように女性っぽい名前を持っているわけだが、彼の場合は嬉々としてその名前を享受し、利しているようだった。でなければ、オネエは務まらない。


「ホントかわいいわよね、あの子」


 あの子、というのは流星のことだろうか。その口調でおっしゃられますと、その人相にいよいよ恐怖しか感じられないのですが。


「なっちゃん、今日は授業無いはずなのにまだ帰ってこない。事故事件に巻き込まれたんじゃないか、とかなんとか言って、ずっと心配してたもの。それなのに、いざ本人を前にするとあの態度でしょう? かわいいわぁ! そそるわぁ! じゅるる」


 ツンデレというやつだろうか。しかし、この人の舌舐めずりは怖すぎるな。


「わかってる。流星は俺の一番のお気に入りだから」

「あらまあ、両想い? いいわね~、青春だわね~!」


 わかりやすく流星×那月のカップリングを妄想しているようだが、これしきのことでは俺は動じない。オカマとは得てして好き者なのだから。

 なぜ流星が一番のお気に入りなのか? そんなの、決まってる。


「一番、マトモだからね」

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