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バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
木戸せいら編
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四章 太陽になれなかった少女は(5)

 小蔵さんのことを「おじいちゃん」と呼ぶせいらさん。

 響子さんが小蔵さんの娘さんであることから、せいらさんは、響子さんの娘としてもおかしくはない。つまりせいらさんは、俺の娘である。

 切口上を用いるせいらさんの心境は、察するに余りあった。

 おじいちゃんと呼び親しんでいた小蔵さんは、実は自分の夢を殺された響子さんの父親で、それをずっと、押し隠されていた。それは時効間際に親を殺した犯人が見つかり、それがずっと自分を我が子のように見守ってくれていた身内だったというどこぞのミステリー小説のようなシチュエーションにも似ている。

 あるいは、父が再婚してまったく相容れない人間が義母になり、父に対しても心を閉ざしてしまった娘のようなシチュエーションか。

「そん……な」

 さぞかしショックだったのだろう、せいらさんはそれだけ言うと下唇を噛んで、黙り込んでしまった。

 良かれと思ってこの場を設けた小蔵さんは、せいらさんの機微に気づけていないのか、きょとんと状況に取り残されている。

「えっと、木戸さん……」

 言うと、困ったような、悲しいような、憤ったような、そのどれとも受け取れるような強張った表情をこちらに向けた。下唇を噛むと、さまざまな表情と受け取れるのだと、思うことでせいらさんのネガティブな視線に対するショックを紛らわす。

 せいらさんの挙動におかしなところは見えない。

 俺だって両親をはねたトラックの運転手をみたとき、こんな顔をしていただろうから。

 夢を殺されるとは、将来を失うこと。

 将来を失うとは、生きる意味を失うこと。

 生きる意味を失うこととは、死んでいるも同然だということ。

 つまりせいらさんは生きながらにして、死んでいるも同じことであり、それはゾンビに違いない。

 ゾンビと同じく、死んだ魂でもって生きた体を操っていること。

 魂を持たぬ体は、人間にあらず。

 両親を失っても、人を保っていられた俺とは違い、せいらさんは生きながらにして、ゾンビのように生きてきたのだろうか。

 そのドレスの色も、いずれは朽ちてゾンビに相応しくなるのだろうか。

 それだけは避けねばならないと思った。

「木戸さん……!」

 気づけば木戸さんの小さな体を抱いていた。

 恥ずかしさからか、居心地悪そうにせいらさんが身じろぎする。

 確かに、滑稽ではあった。

 亡くなった響子さんが、生身でせいらさんに抱きつくということは、ゾンビがゾンビにハグをするという摩訶不思議なシチュエーションなのだから。

 響子さんの呪いは、ここで解消しないといけない。

「せん……」

 せいらさんが苦しそうに俺の背中をタップする。

「木戸さん……!」

 それでもこの手を離してしまったら、せいらさんは死んでしまうのではないかと思うと手を緩めることはできなかった。

 親として、このようにハグをするのは初めてのことではない。

 給食の時間、ぽつねんと泣きながら給食を食べていた流星があまりにも可哀想に思えて、抱きしめてやったっけ。

 今回は、せいらさんの下唇を噛んだ、どの負の感情ともつかぬ雰囲気に流されての行為ではない。死してなお、せいらさんにこんな表情をされてしまう響子さんが可哀想に思えて、抱きしめてしまったのかもしれない。

「せん……」

 いよいよ苦しそうにせいらさんが呟いた。

 確かに流星もこんな感じで、胸の圧に苦しそうにしていたっけ。

「……ぱい」

 そうそう、こんなふうに「おっぱい……」と呟いてしまうことろとかデジャヴ感が半端ない。

 せいらさんのタップの感覚が次第に強くなり、間隔は徐々に短くなっていく。

 ……罪悪感はあった。

 死者への冒涜、氏名詐称、さらには猥褻罪だって立件しような現状だ、罪悪感がないといったら嘘になる。嘘になるというより逮捕になる。情状酌量の余地がなくなる。

 たとえ逮捕されるとしてもやめないのは、響子さんに、頼まれたのだから。

 幻聴かもしれないあの声を、響子さんのものだと信じているから。

 何があろうが、何を言われようが、この手を絶対に離してはならぬと思うから。

「せん……ぱい」

「え……?」

 せいらさんが俺に言う。聞き違いでも、認識違いでもなかった。確かに俺に言った、響子さんにではなく。思わず決意の手が緩みそうになったが、なんとか踏ん張った。

 先生……おっぱい、と苦しみ中言っただけの可能性も、微粒子レベルながら存在はするのだから。たぶん。

 せいらさんの言葉を待つと、苦しそうな息とともに、一息に言った。

「苦しいです先輩……」

 手が離れる。慣用句的にも。そもそもあなたはわたしの親ではないと、言われているような気がして。

 せいらさんは確かに言った、先輩と。この短時間で看破したのだ。

 実父である、小蔵さんですら俺のことを響子さんと認識した。

 さらに、駄目押しに響子さんの服を着て、響子さんの印象付けを図るまでした。遺書だって読み、諳んずるまでは至らないけど、響子さんから、さきほど遺訓だって授かった。時間にしてほんの一瞬、受けたこともない響子さんからの始めての授業だった。

 それなのに、せいらさんの目は誤魔化せなかった。

「どうして、そう思うの」

 バレたが、今さら地声に戻すわけにもいかず女声のまま訊ねる。

 それを機に、せいらさんの表情に含んでいたもやっとした雰囲気が、悲しげな笑顔に染まりきる。

「だって気づきますよ、声が先輩なんですから」

「……」

 一瞬、返答に窮する。

 せいらさんの言うことが正論だからというのもある。バイオリンを嗜み、音に関してシビアな観点を持っているであろうせいらさんに、響子さんの声すら聞いたことのない俺の幼稚なモノマネが通用するはずがなかったのだ。

 小蔵さんが俺を響子さんと認識したのは彼が声のみならず、感覚器官すべてから響子さんを見出したから。ゴキブリ嫌いが、黒ずんだシミを見つけてはそれにゴキブリの姿を見出し動揺することにも似ている。そしてそのシミの大きさがゴキブリに近ければ近いほど、ゴキブリ嫌いの動揺もリアルになる。つまり、俺はゴキブリと似ているということ?

 対して、せいらさんが響子さんをどのように認識していたとするならば、それは声だろう。なにせ、せいらさんの人生を変えるきっかけにもなった言葉を放ったのが、それに違いないのだから。

 太陽になりたいという、せいらさんの情熱をさますような、冷たい声。

 せいらさんの眩しさ故に、劣等感より出ずる無粋な声。

 せいらさんは、その声を響子さんを象徴するものとして記憶に植え付け、脳に植え付け、木漏れ日すらあり得ない臆病の森を長年掛けて育てたのだろう。響子さんの負の感情を親として育った臆病の森に、もはや響子さんではなくなってしまった俺は、入るきっかけを失ってしまった。

 前にも、こんなことがあった。

 夜の森に入ったはいいが、女装をして自分を隠していたばかりに救助だって余計に時間がかかってしまった。今は去りし、拓篤との屋敷での一件である。

 なんのことはないただの木の枝に躓き、転んで電灯が壊れて光を失うも、救いの光から身を隠したあの時の俺。

 響子さんの枝葉のごとき一言に、躓き、みずから光を隠すようになったせいらさん。

 どうしようもなく似ている俺ら。

 どうしようもなく似ているのだからして、その答えを、俺はよく知っているはずだった。知っているはずなのに、俺はそれをきっと持たない

 その答えは、俺を変えたものとは、環境だからだ。

 人は良くも悪くも環境に左右される。

 朱に交われば赤くなるし、墨に染まれば黒くなる。

 孟母に習えば、商人や葬儀屋が貶められる。

 響子さんだって、せいらさん変化をもたらす一環境に過ぎなかったのだろう。

 悪化とは変化のもとにあるものであるが、成長もまた諾なりである。

 不変のもとに成長などあり得ない。

 外的要因であれ内的要因であれ、成長に変化は付き物だ。

 それこそが、響子さんの教えだったのだろうと予想できる。

 環境の変化により、感性や価値観が変わることで、真の意味で大人になってほしかったのだと確信できる。教師の鑑であったと思える。言い方というものはもそっと考えるべきものだったのだろうが……。

 響子さんの教育理念には、現代の教育が失ってしまった大切なものがある気がした。それだけに響子が反面教師のような扱いを受けている事実が口惜しい。

 俺はせいらさんを変えるだけの環境にはなり得ないだろう。似た者同士が集まったところで、傷の舐め合いにしかならないだろうから。

 響子さんの教えを、間違った解釈で受け取ってしまったせいらさんを変えるのは、やはり響子さんしかいない。

「……いいえ、わたしは響子、あなたの担任だった、小蔵響子よ」

 ずいぶんと遅れたが、なんとかそう返す。声真似なんてできるか、声なんて聞いたこともないんだから。強いて言うなら、スレイベルのような声音を意識した。さっきクローゼットの前で、響子の意思を継いだときに聞こえたものだ。

 そうかといって鈴のような、頼りない声ではなく、あたかも響子本人であるように堂々として言ってやった。意思を継いだのだから堂々としているべきだ。

 すると暗闇の中、せいらさんは目を見開いて、信じられないといったような表情で俺を見た。しかし疑うような顔ではない。

「せん、せい?」

 この姿で初めてあった先ほどのような調子でせいらさんが呟き、時間が巻き戻ったような錯覚に陥る。

 いや、せいらさんこそ、何年も時間が巻き戻った心境だろう。

「先生、木戸さんと、お話がしたいな」

 響子さんのことを恐れる様子は、唇を微かに噛む仕草でなんとなく伝わってきた。それでも、こくりとせいらさんは頷く。

 かくして俺こと、小蔵響子は、せいらさんの心に生えた臆病の森に立ち入るのだった。

 立ち木のように棒立ちになって風景と化した小蔵さんなど気にもかけずに。


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