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バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
木戸せいら編
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四章 太陽になれなかった少女は(4)

「着替えるからパパは出てって」

 娘として、当然のことを言うと、小蔵さんはまたも瞳を潤ませた。しかし今回はまったく同情しない。

「ひ、久々なんじゃし」

「や。出てって」

「ほれ、この服なんか着づらそうじゃぞ。手伝いがいるじゃろ?」

「いらない、出てって」

「このあと一緒にお風呂に入れる可能性は……」

「微粒子レベルもない、出てって」

 着るのが難しいとされる、パーティドレスをひったくり、小蔵さんを部屋から追い出した。

 とは言えこれは、小さな子どもの夢を壊さないための善意ある行為に他ならない。子どもなら誰だってテーマパークの人気キャラクターの中身が、汗だくのおっさんであることなんて知りたくはないだろう。勧善懲悪を絵に描いた戦隊ヒーローの中の人が、日夜ワイドショーで浮名を流すような好き者俳優であるなんて考えたくもないだろう。子どもに夢を与える代表格、サンタクロースの正体が実はパパママだったなんて……。そういうことである。

 そして、このやっこくも弾力を備えた胸が、偽物だったと知れば大きなオトナだろうがショックを受けること請け合い。

 つまりこの胸は、テーマパーク級のおっぱいであり、おっぱいは正義であり、おっぱいこそが人々に夢を与えるという証左となりえるのだ。まさに、アイドルになるために持った素質であろう。ニセモノだけどな。

 いや、大衆に夢を与えることなど、それは得てしてニセモノなのだろう。

 俺がこれから、行おうとしている響子さんに扮しての謝罪だって結局のところはニセモノだ、欺瞞だ。

 この、響子さんの服を着るということは、響子さんの罪を着て、さらにはせいらさんを騙くらかすという罪を着るということに違いない。そして、そもそも男が女性に扮するという偽称行為があるわけで、罪で着太りしてしまいそうだった。

「まだかの〜」

 扉の向こうから小蔵さんの、浮かれた声が聞こえてくる。

 扉を挟んで、向こうとこっちではだいぶ空気感が異なっているようだった。

 俺の胸に芽生えるのは、テーマパークとは程遠い牢獄のような閉塞感、正義とはほど遠い偽善心、夢という名の嘘。

 せいらさんに太陽になどなれないと、言った響子さんと、何が違うのか。

「まーだだよー」

 心ではそう思っていても、声は淀みなく元気に発音された。

 今の俺は、あまりにも嘘をつくことに慣れすぎている。

「やはりワシも手伝った方が良いのではないか?」

 小蔵さんの、あまりにも幼稚な嘘にちょっぴり笑ってしまった。

「そんなこと言って、私のお胸とかお尻とか、ようは娘の裸が見たいんでしょう?」

 ブフォ……! と扉の向こうで、盛大にむせ返る小蔵さん。それきっかけで事切れてしまうのではないかと、心配になってしまった。

「だいじょうぶ、パパ?」

「大丈夫じゃわい、しかし変なことを言い出すものではないわい……」

 息切れを整えながら、気息奄々とそれだけ言う。

 俺は着替えと放棄して、扉の向こうの小蔵さんの様子を気遣うこともなく、淡々と響子さんの私服を着進めてゆく。フォーマルな場にもよく馴染む鈍色のタイトスカートは、割とゆったりとしており、ワイシャツとジャケットは揃って胸元がややきつい。

 このきつさをもって、せいらさんに謝罪する際に、どのくらい胸を減量すべきかを推し量るのだ。

 いまはとりあえずそのまま着て、着終えて姿見を眺めると、鏡の向こうに胸の成長した響子さんが相見する。亜麻色の髪であることや巨乳であること、大きな瞳であること以外は、どう見ても響子さんだった。彼女の私服を着ていることが、余計にそう感じさせるのかもしれない。

「あ、はじめまして」

 思わず挨拶をすると鏡の向こうの彼女も同じ姿勢でもって挨拶を返した。

 彼女の声は聞こえない。なぜなら彼女は、死んでいるのだから。

 彼女は鏡の外に出てこられない。鏡とは、生と死の境界であるのだから。

 俺が動かなければ向こうも動けない。彼女は俺の姿を取ることでしか、この世で動くことができないのだから。

 手を伸ばすと、彼女も手を伸ばす。

 鏡を通じて手が重なると、そうして託されたのは、響子さんの意思。

 そして俺は、響子さんになった。

 体が熱い。まるでひとりの人間が乗り移ったように、体が熱を帯びてゆく。

 その源流なるは、重なる手と手か。

「あとは頼みました」

 ふと会ったこともないのに、頭の中に響いたその声が、響子さんのものだと思ったのは何故だろうか。

 暗所はもちろん心霊現象も苦手な俺がその幻聴にも似た声を、怖がらずに受け入れたのは何故だろうか。

 その声を脳内で幾度も反芻する。

 美しい声だった。

 楽器で例えるなら、そうスレイベル。

 この店の入り口にも備え付けてあり、いつも小蔵さんや、ときおり訪れるせいらさんを、見守るような優しくも儚さを帯びた音色。

 もしくは、短く、儚く消えいるようなその声はまるで雪解けのようだ。

 それは、せいらさんとの冷たく積もった関係を、氷解する予兆となるのか。

「着替え終わったわよ」

 扉の向こうに充てて言うが、返事がない。

「パパ?」

 扉を開けてみると、そこに小蔵さんの姿はなく、響子さんの部屋から漏れる光に淡く照らされる薄闇の廊下があるのみ。

 さきほどの小蔵さんの様子もあり、不安に思って廊下を辿って店の方へ引き返してゆくと、こちらへ向かう黒い人影とぶつかった。

「きゃ」

 およそ小蔵さんの声とは思えないか細い悲鳴が響く。

「きゃ」

 俺も似たような声音で驚いてしまった。おいおい、似た者同士かよ。

 そんなことを思いながら、暗闇の中からどうにかその人影を認識すると、

「せ、……せ、……せん、せい?」

 似た者同士とは言い得て妙、さきほど解散したはずの木戸せいらさんがそこにいた。先輩でなく、先生というところに違和感を覚える。

「響子よ、着替え終わったか」

 せいらさんの背後から、そう言うのは小蔵さん。

「パ、パパ……、扉の前にいたんじゃ……」

「ふむ。ふと扉のベルが鳴っての、そういえばせいらを呼び出しておったんじゃった」

 ベルとは入り口に備え付けられたスレイベルのことだろう。

 響子さんの幻聴といい、その例えといい、そのタイミングといい、いまさらながら背筋に悪寒が走った。

 俺は一瞬、自分を失ってしまった。

 自分がいま誰で、誰であるべきで、本来は誰だったのか。

 俺は深山那月というガキンチョでありよく月宮マナという少女になり、最近は、小蔵響子という女性にもなった。せいらさんには深山那月の女装姿自体は見られたことはないはずだから、ここは小蔵響子さんを装っておくのが無難だろう。せいらさんの「先生」という聞きなれないフレーズがなければ、俺は深山那月としてせいらさんと接していたかもしれない。

 しかし響子さんを装うにしても、せいらさんに対する響子さんの在り方というものを、俺は全く知らないのだ。

 俺に備わる、響子さんらしさといえばその見目、彼女の匂いが染み込んでいるであろう衣服くらいのものだった。見目に関しては髪色や目の大きさなど、細かいところでオリジナルとの差異がないとは言えない。

 遺書にはせいらさんの印象について、眩しい存在だったとしか記していなかったことだから、相対的にせいらさんよりも暗く振る舞えば良いのだろうか。

 そんな感じで、顔を合わせたところで会話の取っ掛かりが掴めずにいると、小蔵さんが俺に近づいてきて耳打ちする。

「響子よ。おぬし言うておったであろう、せいらに謝罪したいのだと」

 確かに言った。それも、それを言った口が乾ききっていないほど直近のことだ。

「でも、急過ぎるわよ……」

 結局のところ、俺のこの動揺の原因はそれだった。

 言ったことは間違いないしそうするつもりであることも間違いないのだが、いかんせん事が急すぎる。

 いつどうやってやるかを入念に調整したい派の俺にはちと急すぎる話だった。

「そ、そうか? 響子があんなにも、真剣に言うもんだったのでの……」

「う……、その気遣いはありがたいんだけど……」

 気を回しすぎて、空回りしている感が否めない。

 そして気まずいのは俺だけではないらしく、かつて自分を傷つけた人に扮した俺を見て、もじもじと、体躯を縮こませながら顔をうつむけている。どうやら、俺の正体に気づいているわけではないようだ。

「とはいえまぁ、いい機会じゃろ」

 呑気そうに自らの行為を正当化しようとする小蔵さん。小蔵さんは俺の両肩を、いらやしい手付きで掴むと、せいらさんの真正面に立たせた。

「え、ひゃ……ん」

 俺の男らしくない細い柔らかな二の腕に、小蔵さんの指がむにゅっとめり込み、不快感を煽る。二の腕に被さるようにして膨らんだ胸に、小蔵さんの指が微かに触れている。

 本人は無自覚らしいが、無自覚なところが余計にたちが悪いだろ。

 変に過剰に反応しようものなら痴漢冤罪おばさんみたいに思われそうだ。ここは気づかないふりをしてやり過ごしたほうが、いいかもしれない。

 しかし最近の痴漢の手口は、実に多様化応用化がなされているときく。

 満員電車に乗じて、目当ての女性のむき出しになった太ももと自分の太ももとの間に手のひらを噛ませるという古典的なものから、寝たふりをして女性の胸に顔を埋めたりと、ある種の涙ぐましい努力を感じないこともない。モテないという、やり場のない性欲が痴漢という社会悪を生み出しているといっても過言ではないのである。そう痴漢とは、社会悪なのである。痴漢の何が悪いって社会が悪い。

 そんな男たちの魔手をフォースアウトするべく、立ち上がった女性たちが生み出したのが痴漢冤罪なのである。ともすれば冤罪を仕立てる金に飢えた所業とも取れるが、その事実があることで、年間痴漢数の減少を手伝っているという側面もある。痴漢をさせない、させにくくするという、言わば牽制のような一手なのだ。

 牽制やらフォースアウトやら、痴漢とは、野球であることを見つけた。

 と、気を紛らわせてみたが、微かに胸に触れた小蔵さんの指の気色悪さが消えることはない。なので指摘の意味で、躊躇いながらも小蔵さんに呼びかけてみた。

「……パ、パパ……」

「ほほ」

 すると、意味深な笑い。

 まるで故意に胸に触れていることを認めるような、浮ついた笑みだった。

 さらに確信的な行為——二の腕越しに胸を寄せて、深い谷間を作ってそれを満足げに眺めている。無論、胸はワイシャツと上着ジャケットに覆われているが。

 カキーンというよりも、カチーンと来てしまった俺は頭だけ後ろを振り返って、冷ややかな目を小蔵さんに向ける。そして娘に言われたくないランク、常連のセリフを一言。

「パパ、キモい」

 小蔵さんのほくほく顔が死んだ。オノマトペに表すならば、ガビーンである。

 気をとりなおし、目の前の逸らしたい現実を見据えることにする。

 目の前にはせいらさん。一旦家に帰ったのだろう、制服ではなく私服姿だった。

 せいらさんの私服姿をはじめてみた気がする。

 学内外となく制服姿しか見せない、せいらさんの私服姿というのはとても新鮮に感じられ、思わず見入ってしまった。

 新鮮に思えたのには理由がある。

 せいらさんはその人柄、清楚系のふわふわした服を好むのかと思っていたが、やはりお家柄、金額が眼に浮かぶような、高そうな服を着ている。ちょうどさっき響子さんのクローゼットで発見したパーティ・ドレスと、同じようなスタイル。せいらさんの雰囲気とはあまり合わない、グリーンのエンパイアラインのドレスだ。緑でありながら、不自然であるとはこれ如何に。

 個人的にはせいらさんは、清楚系代表である純白が似合うと思う。どんな環境でも自分を自然に保てるようなタイプではないだろうから、周りの環境によって汚されたりぐへへ……という、純白がやはり最適だと思う。

 パーティ・ドレスのシルエットに関しては、間然するところがない、せいらさんによく合っていると思う。さっきから思ってばかりだな、想うほど俺は、せいらさんのことが好きなのかもしれない。

「……」

 会話のとっかかりが掴めず、ただせいらさんを眺めていると、せいらさんは気まずくなったのか、手に持つパーティバッグの取っ手をもみもみする。ドレスの差し色に、白のバッグだった。

 他にも宝飾品などが、いたるところに飾られているのだが、それらに気を配るだけの心の余裕はなかった。

 この姿勢でいることしばし、せいらさんが口を開いた。

「どうして……先生が……」

 絞り出すように言った、その問いは俺の疑問と似たようなものだった。

「どうして、木戸さんが……」

 響子さんは遺書で、せいらさんのことをどう呼称していただろうか。木戸さん? せいらさん? 木戸せいらさん? 制服さん? セーラーさん? ブレザーさん?

 後半のせいでどれもしっくりこない。

「わ、私はおじいちゃんに、会わせたい人がいるから来るようにと、言われて……」

「おじいちゃん……?」

 ああ、思い出した。確かせいらさんは小蔵さんのことを「おじいちゃん」と呼称していたっけ。

 そんで人と会うから、そのようなパーティ・ドレス姿なのか。目的があって着るのならそれは、制服と変わらないな。

 その線でいくとデートに着て行く服だって広義には制服だし、彼氏彼女を独占することそれすなわち、制服である。

 はて、なにやら遺書にあったせいらさんの呼称、制服ちゃんの気がしてきたぞ。

「せ、先生はどうして……」

「先生は——……」

 遺書には「先生」などという自称はなかったが、立場上先生と自称したほうが良いだろう。最後くらい、響子さんの立場を尊重してあげないとな。

「——わしの娘じゃ」

 俺の言葉を継いだのは小蔵さん。

 思いもよらぬ発言に、せいらさんが口を抑える。それは驚いて口から心臓が飛びだすのを防ぐためか、おじいちゃんと言ってしまったことを後悔してか。顔を赤くして、体を小刻みに震わせた。

「すまん、いままで黙っておって……」

 年配の小蔵さんが、幾周りも年下のせいらさんに頭を下げる。

「お、おじい、ちゃん」

 小蔵さんには和気藹々と話しかけていたせいらさんがこの時ばかりは訥々とした口調になった。

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