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バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
木戸せいら編
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四章 太陽になれなかった少女は(2)

「だ、だいじょうぶですか?」


 倒れ込んできた男性に対して呼びかけてみた。

 覆いかぶさるように、汗とアルコールの混ざった厭な臭いが垂れ込んでいる。

 男性は立つことも億劫なのか、ベッドに寝そべるかのように俺を下敷きにしていた。見た感じ年の頃は、五、六〇代。深く皺の刻まれた相貌は夜目にも赤く、だいぶ酔っていることが見て取れる。


「だいじょうぶですか……?」


 再三尋ねるがこれは、さっきとはまた別の意味合いになる。さっきのは男性の酩酊状態を気遣うような意味合い、そして今しがたのは男性のこれからの社会生活を気遣うような意味合い。第三者から見て、女子高生を押し倒して情事に耽ろうとする、この男性に対する後々の社会制裁が只々気遣わしかった。

 俺の呼びかけを朧げながらも捉えたのか、とろんとした眼を、大きな胸越しに俺の顔に向ける。


「お、おっぱいが喋っちょる……」


 男性は酒臭さながら、摩訶不思議なフレーズを放った。


「だいじょうぶですか?」


 これは頭ダイジョウブですか? という意味合いである。

 男性よりも、俺のほうが大丈夫ではないので、あたりを見渡して助けを求めようとしてみる。奇異な視線を向けるもの、カメラのレンズを向けるもの、これから起こるであろうお色気に興味を向けてくるものはあれど、助けてくれそうな気配はない。むしろ、いいぞもっとやれ的な空気を感じる。

 男性が、酔い紛れに胸に頬を擦りつけてきた。まだらに茂ったヒゲが、ジョリジョリと音を立てて、いやらしい空気を賤しい空気に塗り替える。

 これが本物の胸なら、ジョリジョリという、賤しい音も少しは快感に変わるのだろうかと妄想してしまった。わたしったらいやらしい……。


「た、助けて……」


 なるべく女性っぽく助けを乞うような、甘い声色を意識して周囲に請い願ってみたが、助けてくれそうな様子は見られない。

 心意気は全裸待機、視姦上等といった感じで、突っ立ってこちらを眺めているものばかりだった。

 この状況、デジャブだった。

 それはかつて、豹変した拓篤によって組み敷かれ、乱暴されそうになったときと状況がよく似ている。拓篤が豹変した理由は未だ不明だが、今回の男性は、酔いが原因であることは明々白々。原因はわかっていてもスタンガンがないぶん、今回のほうが対処はしずらそうだ。

 加えて、今回は役立たずのギャラリーがいるという悪状況。役立たずでも立つところは立つのだと知った。

 苦しい。臭い。視線が痛い。恥ずかしい。

 身動きできない体をよそに、思考は後ろ向きに巡る。

 動けないぶん、視覚は目の前の酔いどれの顔をしかと捉えた。紅潮した頬がとてもいやらしい。目はとろんと、その卑猥さに拍車をかけている。

 そして、動けないぶん聴覚は、周囲で起こるささめきごとを捉えた。


「やっべ、もう充電ねぇわ」

「まじかよ、俺もだわ」


 こちらの様子をスマホのカメラに収めていたのか、バッテリー残量を気にするような声があった。

 その残りのバッテリーで、警察に電話をしてほしいのですが……。

 とはいえ、そんな理屈が通るような人たちではないのだろう。9時過ぎに繁華街をたむろしている人々が、およそまともであるはずがない。そんな場所をJKに扮して歩く俺だってだいふまともじゃないけど。


「いい身体しやがって」


 酔いどれの男は、改めて俺の姿を見るなりそう涎交じりに言った。酒に酔っているというより、もっとヤバめな何かで、脳が溶かされているような発声障害さにも思う。さっきまで人生なんてと、悲憤慷慨していたのに今は打って変わって、パライソでも見つけたようにほくほくしている。

 そういえば噂によると、ここは夜になると薬物の取引の場としても使われているらしい。昼にはB系ファッションのブティックがありB系とは基本、薬物は切っても切れない縁があることから、このアーケードは昼となく夜となく薬物の匂いが漂う場所ということになる。昼となく夜となく、女装してここを練り歩く俺と、まぁ同じようなものだネ!


「人生捨てたもんじゃねぇな」


 下卑た声色に意識を引き戻される。

 感覚がなかったので気づかなかったが胸には卑しく手が置かれていた。

 思わず悲鳴をあげそうになったが、それよりまず酒臭さにむせ返ってしまう。かつて酒蔵というところに初めて行った時の、あのツンと鼻を突き刺すような刺激臭に、汗やタバコの臭いというさらなる不快要素が含まれたような感じだ。

 作業着の煤けた汚れを擦り付けるようにして、身体を密着させてくる。

 見物人は、バッテリー不足で録画できないことを惜しみ、せめてこの目に焼き付けようとしてこちらを眺めていた。いや助けろよ!

 ふと、先日見たニュースが頭をよぎる。

 白昼堂々、道端で女性をレイプするという気狂いじみた事件。

 すぐ目の前には、明日のニュースのネタが転がっていた。酒乱であれ女性に手をあげたとなればタダでは済むまい。

 そして、物見に徹したギャラリー。

 状況としては非常によろしくない。

 拓篤のときは懐に入れたスタンガンによって、事なきを得たのだが……。今回はスタンガンなんて携帯していないし周りに役立つ存在もない。

 皮肉にも、拓篤と同じように胸をいやらしく弄られているのが屈辱的だった。世には女生の制服を最強と見なす意見も、ないことはないが、現状最弱としか思えない。だってこんな社会の底辺にいるような人間たちの手にかかりそうなのだから。

 あたりには相変わらず助けてくれそうな気配はない。未来より来たる者のポケットもない。この、暗闇に紛れて悪を征伐するダークヒーローだって現れない。


「ぐへ、人生捨てたもんじゃねぇぜ」


 げにそう思っているのだろう、男は何度目かとなる同セリフを呟いた。

 まるでこの行為が済んだなら心機一転、明日からまた仕事を頑張れるような気配すらあった。

 俺は、その為の人身御供。サクリファイス。かちかちと、奥の歯が不気味に音を奏でる。

 一瞬男だと明かせば、解決するのではないかと考えたが、嬲られる身体が殴られる身体に変わるだけのことだろう。それならば男として殴られるよりは、自分でない女として、嬲られるほうがマシなのかもしれない。

 男の顔が、かつての拓篤、流星の野獣めいた相貌とオーバーラップする。

 すると、現実逃避に目を閉じて顔を背ける俺の耳に、闇をつんざく稲光のような音が痛く響いてきた。


「こりゃああああ‼︎」


 驚いて目を開けると、俺のすぐ横に逸れるようにして、倒れこむ男の姿があった。


「ひっ——?」


 思わずひ弱い悲鳴をあげ、かろうじて胸に乗っていた男の手を振り払う。

 目の前から消えた男の代わりに、現れたのはとても見知った顔。

 スタンガンなど比にもならない、雷親父である、小蔵さんだった。男を気絶に導いたものなのか、手には木刀が握られている。


「大丈夫か!」


 声を荒げるようにして俺に呼びかけるその声の後、きょ——……と、亡き娘の名前を言いかけた。

 怖かったのもある。そして小蔵に対する哀れみによるところも、多少はあろう。

 俺は小蔵さんに手を引かれ、起き上がる際に小蔵さんの抹香臭い胸に抱きつき顔を埋める。

 雷の後には、雨が降るように。俺の目から、大粒の雫が溢れ出る。


「よ……よしよし」


 実の娘にそうするように、けど実の娘でないことはやはり理解しているように、俺の背中を撫でるたなごころには、引っ込み思案な温もりがあった。


  ◇◆◇


 パトライトに照らされるマーケード街は、血をかぶったように赤かった。


「人生なんてよぉ……」


 酒気が抜けたのか、男の悲憤慷慨の声はさきほどよりもか細く聞こえる。

 はいはいと軽くあしらわれるようにして、お巡りさんにパトカーに乗るよう促されていた。真偽はさておき美少女の巨乳を堪能したことも、酔いとともに忘れてしまったらしい。残るのは知らぬ間にやらかした、強制わいせつという重い罪状。そして後頭部にできたたん瘤。口癖ともとれる男の文言が、切実に感じられる瞬間だった。

 容疑者を乗せると事件は終わったとばかりに、パトライトを消灯して、暗闇の街並みにパトカーが消えていく。

 いつの間にやらギャラリーは解散していたらしく、保護者扱いの小蔵さん、俺、数名の警察官が現場に残っているという状況だ。


「さて、これから少し、時間をいただいてもよろしいでしょうか」


 残された警察官のひとり、おそらくこの場でもっともキャリアがあるであろう男性が、俺を抱きとめる小蔵さんに言った。キャリアがあるというのは規定の制服ではなく、スーツにトレンチコートという、いかにも刑事さんというなりだったからだ。


「今日はもう遅い。後日にしてくれ」


 刑事さんの堂々とした要求に、怯むようすなく自らの要求を提示してみせる小蔵さん。


「わ、わかりました。ちなみにあなたは、そちらの女性とどのようなご関係で?」


 一瞬怯むように、言葉を詰まらせたのは刑事さんのほうだった。

 だが、刑事さんの質問に怯んでしまうのは俺である。


「……」


 小蔵さんの陰に隠れて気遣わしげな表情を隠せない俺の代わりに、小蔵さんが堂々として言った。


「娘だ」

「娘、さんですか……?」


 娘という単語に、刑事さんは明らかに訝しげな目をこちらに向けてくる。鋭い炯眼に心臓が痛いよぅ……。

 小蔵さんも小蔵さんだ。何故警官を前にして、そんな堂々と嘘をつくのか。

 確かに小蔵さんには、俺……というか女装した俺に似ているらしい娘さんがいる。いや、いた。

 せいらさんの元担任の先生で、自死にてもうこの世にはいない存在。

 だが娘に似ているとて、それで警察を誤魔化せようはずもない。身分証明を求められたら一巻の終わりだろう。


「そうですか。では後日に、調書作成にご協力お願いたいと思いますので、連絡先を伺ってもよろしいですか」

「うむ」


 重たい口調で、刑事さんに応対する小蔵さんがとても頼もしい。それこそ彼のついた嘘も、真実味を帯びてしまうほどに。


「それから木刀は、ちょっと関心しませんね……」

「う、うむ……」


 刑事さんの鋭い追求に、小蔵さんは気まずそうに呟いた。

 そっと木刀の切っ先を下げる小蔵は、相応にみっともなく、思わずそっと小蔵さんから離れてしまうほどだった。

 事が終わると刑事さん、数名の制服を着たお巡りさんが去っていく。遠目に見るとアーケード入り口には黒のセダンが停まっており、きっと刑事さんたちが乗ってきたものなのだろう。闇に忍ぶようなカラーリングのそれに乗り、エンジンをかけて発車すると、その色もあってかすぐに夜の街に消えていった。


「きょ……、小僧、家まで送るかの?」


 さっきの騒動もあってか、小蔵さんはそう申し出てくれた。


「響子さん、でいいですよ、この格好のときは」


 俺を呼ぶたびに言い間違えて、葛藤を味わうくらいなら、小蔵さんの前では娘になってもいいかなという気もしなくはない。それにその姿勢は、今後の為となる事情もある。


「そ、そうか」

「は、はい、小蔵さん……」


 俺の呼びかけを受けて、嬉しそうな悲しそうな、複雑そうな笑みを漏らす小蔵さん。彼の感情を無理くり喜に塗り潰してしまいそうな、パパ、お父さん、とっつあん、チャン、といった呼びかけは控えることにする。それはあくまで、作られたものであり偽物であるからだ。それすなわち、親子愛を冒涜する行為に他ならない。


「そもそも響子、こんなところで何をしていたんじゃ?」

「それは……、ちょっと小蔵さんに用があって」

「わしか? 響子」

「は、はい」

「響子、そういうときはわしに電話の一本も入れるのが礼儀だと教えておったじゃろう響子」

「それが急に、小蔵さんに会いたいと思っちゃって」

「響子よ、数年ぶりの再会だからって、ちょっとパパのこと好きすぎではないか響子?」


 響子と、呼ぶことを許したばかりにここぞとばかりに響子コールを浴びせられているぞ。

 まるで、ドルヲタばりのコールじゃないか。いやそれはコール違いか。なんにせよ響子コールは許したが、響子さんとして接してよいとは言っていないはずなんだけどなぁ。

 それにしても小蔵さん、こうして見ると娘さんのことが大好きだったということかひしひしと伝わってくる。


「久々にちょっと、私の卒業アルバムとか見て、一緒に思い出に浸りたいと思っちゃって」


 そこまで響子さんを望むならば、響子さんになりきってみようというチャレンジ意欲が働いた。一人称は遺書で把握済みなので、「私」であっているはずだ。小蔵さんのことはどう呼称すればよいかわからないが、便宜上、「小蔵さん」で問題ないだろう。

 いや待てよ。小蔵さんさっき自分のことを「パパのこと」なんて、言ってはいなかっただろうか。

 確か遺書には、父と呼称されていたはずだが。まぁ、遺書だし改まった文言になっているだけなのかもだが。


「まぁ立ち話もなんじゃ、家に寄っていくといい響子」

「あ、はい」


 もう響子さんでいいや、という気分になってしまった。

 ギャラリーも散じ、人っ気のないアーケードを、小蔵さんの背中を追いかけるようにてくてく歩いていく。

 俺が小蔵さんに会いに来た理由はひとつ。

 響子さんについて深く知り、俺が響子さんになってやろうという考えからだ。

 娘を亡くした小蔵さんのためではない、響子さんに将来を閉ざされてしまった、せいらさんのため、そして響子さんのためでもある。

 自死してしまったものの、響子は、せいらさんに申し訳ないことをしてしまったと悔いていた。悔いていたからこそ、死することでしか償えないとしてこれを実行したのだ。文字通り、死ぬほど後悔したのだ。

 その後悔を、俺が晴らしてやろうという考え。つまり俺が響子に扮して、せいらさんにあのときの贖罪をするということ。

 そうすればせいらさんは、きっと晴れやかな太陽をとりもどす。

 そんな思惑を大きな胸に秘め、歩いていると目的地にたどり着いた。


「さあ、入るのじゃ響子」


 昼にしか訪れたことのないそこは、夜になるとまた表情を変えているような印象を受ける。表面は剥落し、店の名前も知らせぬ無意味な看板。その下にある、入り口を塞ぐようにして閉まった無骨なシャッター。窓も内からカーテンで締め切られており、昼にあった管楽器も見られない。

 およそ店とは思えないその見場が、あたかもこの店の特徴であると言わんばかりだった。


「お邪魔しまーす」


 開かれた扉から漏れる、同等の大きさの光の中に足を踏み入れる。

 中に入ると、昼間と相変わらぬ空間がそこにあった。

 やはりこの店の特徴である、窓辺に置かれた黄金色のトランペット。部屋の奥に陳列された異国の楽器群。電池切れか、薄く照らされた照明が妙に趣をたたえている。


「久々にパパのコーヒーが飲みたいじゃろ。すぐに淹れてやるから、そこに座ってろ」

「はーい」


 娘に甘すぎだろうこの人。出てくるコーヒーも、とっても甘いんだろうなという確信があった。


「待ってるあいだ私の卒業アルバムが見たいなあ」


 響子さんの声は聞いたことないけれど、なんとなく響子さんの声を意識して小蔵さんにおねだりしてみる。

 すると、小蔵さんは店の奥に消え、しばらくすると何冊かのアルバムとおぼしき冊子を抱えて戻ってきた。アルバムなんて普通、押入れとかの奥にしまってあるものだから取ってくるにしても時間がかかるだろうに、あたかもいつも眺めていていつでも持ってこられるような迅速さだった。


「ほれ、懐かしいのぉ」


 懐かしいどころか初めてみるアルバムを受け取る。

 表紙の中央上部には『飛翔』とでかでかとあり、その下には響子さんが通っていたであろう高校名が、慎ましやかに添えられていた。

 目録をみるに二〇クラスあるらしい。一クラスに三〇人いると仮定すると学年総数は、六〇〇人ということになる。そして実際はもっと多いのだろう。アルバムの厚さからみても、中々のマンモス校であることが見て取れる。

 響子さんが何組に属していたかはわからないので、順繰りにページを繰りながら探していく他ない。流星の授業参観の場合は四クラスだったから、単純にみれば五倍の手間がかかるということになる。さすがに響子さんの姿で、響子さんのクラスを小蔵さんに尋ねることは控えたほうがよさそうだ。

 まぁ俺と響子さんはよく似ているらしいし、自分の顔を探すつもりで見ていけば、すぐに見つかるだろう。

 と、洞察力を試されながらアルバムとにらめっこしていると、響子さんよりも先に、どこかで見たような顔を発見した。

 短髪の精悍な顔つきの青年の写真の下にある名を、赤坂円あかさかまどか。どこかで見たことあるかと思えば流星の担任の、赤坂先生ではないか。

 響子さんの幼馴染で、彼女の死について由ありげなことを言っていたものの、響子さんの遺書でもまったく触れられていなかったのですっかり忘れていた。どうやら響子さんは、赤坂先生とクラスを異にしていたみたいだ。


「さて、そろそろコーヒーの準備でもするかの」


 赤坂先生のクラスのページにさしかかるや、小蔵さんは席を立ちコーヒーの準備に取り掛かる。


「はーい」


 俺は目線をアルバムに落としたまま呟くように返事をした。


「ちなみに響子は、忘れているかもしれんが一六組じゃぞ」


 かちゃりと食器音を奏でながら、小蔵さんが答えを教えてくれる。


「あ、そうだった、忘れてた。てへ」


 忘れてた以前に記憶したこともないのに、響子さんを装って、それらしく返事をするのが虚しくなってきた。小蔵さん、そろそろ本気で俺のことを響子さんと思い込んでいやしないだろうか。娘と接したような気になっていようがそれはまやかしに他ならず、ただただ申し訳なくなってくる。しかし、ここまできてしまったなら、せめて娘のように接してあげなくちゃと、後を見据えない無責任な責任感がただあった。

 あとのことなんてどうにでもなると、とりあえずは、アルバムを一六組のページまでスキップする。

 そして名前よりも顔で、響子さんを探し当てた。


「あ……」


 まるで鏡を見ているようだ。

 このフレーズ、確かせいらさんのときも頭に浮かんだような気がするな。性格がせいらさんで見た目が響子さん。まぁ、響子さんよりも目は俺の方が大きいし、せいらさんよりも気が大きいとは思う。

 もっとも、一班を見て全豹を卜するのは愚かなことだ。響子さんの顔しか写っていない写真で是非を判断してはいけないだろうしせいらさんにしたって、昔の明るかった性格を知っているわけではない。

 ページを見ていくと生徒個別の写真の他、クラスの集合写真があった。クラスでもさぞかし人気があったのだろう、まさかその後みずから命を絶つとも知らぬ響子さんは、三十名からなる17組の生徒の中でもひときわ輝いて見えた。保健室登校をする俺とは大違いだ。

 だが少なくともこの写真を見る限り、俺の方が胸が大きいとなんだか誇らしくなってくる。まぁ自分のじゃないんですけどね。虎の威を借る狐は愚かだと思う。

 ふと思えば写真では判断が難しいが、背景の黒板の高さやらを指標とするに、響子と俺は背丈も同じくらいであることがわかった。

 背丈は高校卒業までにはだいたい成長も完了しているだろうから、小蔵さんや赤坂先生が俺を見間違えるのも得心行くところではある。髪や目元は化粧など美容の理由から、ある程度印象は変わるだろうし、胸は大きくなったって、むしろ男の夢が膨らむだけでなにも怪しいことはない。小蔵さんや赤坂先生が俺を見間違えるのも不思議には思わない。

 繰り返しになるが、ひと昔前の写真なのにこんなにも輝いて見えるなんて、さぞかし学校でモテたことだろう。


「私ってモテたのかな?」


 誰にでもなく呟くと、向こうで食器が割れるような音が響いた。


「だ、だいじょうぶ?」


 発音源におそるおそる近づき小蔵さんに訊ねると、小蔵さんは「なんでもない、近づくな危ないから」と言って、しっしと素気無い手振りで俺を遠ざける。


「む、むー……」


 邪険にされたこともあり、納得行かなげな様子を繕って小蔵を見やると、小蔵さんは「す、すまん響子……」と頭を下げた。


「手伝うから」


 言うと割れたガラスの破片を撫でるだけの、まともに箒と塵取りも扱えない不器用な手からそれらをひったくり、手慣れた手つきで危険物を処理していく。


「昔はワシよりも不器用だったのに、いつの間にそんなに器用になったのかいの」

「あったのよ、いろいろと」


 いろいろとあったのだ、きっと。

 亡くなったはずの響子さんが、時を超えて小蔵さんのもとを訪れるくらい、色々とあったのだ。

 小蔵さんがそれを受容してしまうくらい、色々あったのだ。

 しかし、それを正しはしない。

 もし今、目の前に亡くなったはずの両親が現れたら俺はそれを容易く受け入れてしまうだろうから。

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