三章 木星か、土星か、いや、木戸せいら(9)
私、小蔵響子は生きてはいけない人間だ。
人は死ぬために生きるのだと、月並みな哲学があるけれど私の人生もまんまそれ。人が定義した事物を辿っていくのは癪だけれど、自殺というありふれた手法に倣ってそれをすることを決意した時点で、今さらなことではある。
私には誇るべき哲学もない。むしろ私が残してしまった汚点を、私の存在ごと消し去りたいくらいだ。
教職に就き、子供たちの夢を育てる立場にありながら子供たちの夢を壊してしまったのだから。
たくさん勉強した。不出来な頭なりに死ぬほど勉強して、ようやく掴んだ教員の立場だった。好きでもない運動だって頑張った。小学校の教員になれば丸々一クラスの授業を受け持つこともあるから、教採の試験には運動の項目だってある。運動オンチなりに死ぬ気で耐えた。
でもそんなものは、教員生活では何の役にも立ちはしなかった。
教採という入り口に拘るあまり、それしか頭になかったのだ。試験は過程などよりも結果が重んじられ、いかに過程が素晴しかろうと結果が芳しくなければ得てして弾かれる。そんなリアリズムに染まった思想を、夢に満ちた子供たちに押し付けてしまった。
私がそういう思想を持つから、生徒もそういう思想を持つべきだと思い込んでしまった。夢に対する視野が狭かったから、広い視野を持つ子供を文字通り、夢見がちな子供と蔑んでしまった。
そのとき、その生徒の夢は死んだのだ。生徒の夢とは、すなわち将来にもなりうる。将来を潰すことは、未来を奪われることとなにが違うのか。
私はその生徒を、殺したのだ。
それを、父に叱られ諭された。でも、反抗してしまったのは自らの過ちへの開き直りではなく、私は信念をもってそれをしたからだった。それを愚かにも、哲学と盲信してしまったからだ。
寂れた商店街で、珈琲店を営むだけの父に教育の何がわかるのかと、私を教育した父に対して不遜にもそう考えた。
やがて自分の過ちに気づいたときには、私は、何人もの夢を奪ってしまっていた。
つまり、何人もを殺してしまったということ。
死には死をもって償わなければならない。
父には、申し訳ないことをした。死ぬまで私は自分の過ちに気づけず、死ぬことでしか自らの過ちを清算できないのだから。久方ぶりの父の教育に対し、私は自らの死でもって恩義に報いる他ないのだから。
生徒たちには悪いことをしてしまった。私の間違った教育を正すためには、その教育ごと私が死ぬしかないのだと思う。それが、私にできる最後の教育なのかもしれない。反面教師と、人が決めた定義によって私は愚者となろう。
人が定義した事物を辿っていくのは癪だけれど、私の間違った哲学が残るよりは遥かにマシなことだ。
最後にひとつ。太陽になりたかった少女に、伝えたいことがある。
あなたは、とても眩しかった。
〇〇〇〇年、〇月〇日。小蔵響子。
◇◆◇
重い手紙だった。
数値にして約4グラム。とても不吉な数字だ。
そしてこの4グラムからは、測り得ない重みがある内容。
遺書というものを初めて読んだ。ろくすっぽ読書をしない俺には、この遺書の出来がどうとか評することはできない。でも、会ったこともない俺にこんな得も言われぬ負の感情を植え付けるのだから、この遺書自体に意味はあったのだと思う。
死生観を直截に問うてくる内容。それはそうか、遺書なのだから。
ふと時計を見ると時刻は夜中の一時過ぎ。だいぶ夜更かしをしてしまったな。
俺は、普通の人よりも死に関して敏感であると自負している。かつて両親を交通事故で亡くしている故にだ。
しかし、自分の死について考えたことはどれだけあるだろう。
人間の齢なんて、せいぜいが百年かそこら。日本人の平均寿命が八〇くらいだから、俺は、あと六〇年くらいは生きられるということになる。
その六〇年を、ゼロにしようと考えたことは生きていて何度あったことだろうか。寝ぼけ眼で死生観をぼんやりと考えたことは何度かあったけれども、真剣に死のうと考えたことは…………あった。
高校進学初日、学園一のイケメンと名高い三年の先輩に、屋上に呼び出されそこで真剣に告白されたときだ。学園一のイケメンを鼻にかける様子もなく、朴訥に愚直に、真剣に告白されたとき、真剣に自刃して果てようと考えたっけ。断ったのに強引に口づけをしてきたことが決定打だった。あのときは自分の不遇さに思わず涙が出たな……。
男子の制服を着ているのに女子だと信じて疑わなくて、学園一のイケメンのくせにキスはヘッタクソで、虚しくて涙を流す俺に「君とキスできて俺も泣くほど嬉しいよ」と的外れなことを言ってのけちゃう先輩に、真剣で自刃して罪悪感を植え付けてやろうかと考えた。まぁ、その考えも今は昔のこと。今となっては良い笑い種だ。
この美少女になりうる顔を今は誇らしく思うし、この容姿を遺した両親には心から感謝を申し上げたいくらい。
自分の死を思い遣るついで、周りの人たちの死について考えてみる。
陽菜の死。国民的アイドルとして愛されながら、たった一度のスキャンダル、それも嘘の情報によって、アイドルとして一度死んだ陽菜。宇佐美陽菜という少女として、死を考えたことはなかったのだろうか。
もし考えでしたとしたら。そう考えるとやるせなくなり思わず、メールでメッセージを走らせていた。内容はよく考えていない、思いつく限りをそのまま送信するのみだった。
次に、拓篤のことを考える。
母に捨てられ、俺に裏切られ、彼に関して、俺が思うことは申し訳ないという一念しかない。謝罪こそしたが俺のしたことが許されるわけではないし、拓篤の心の傷とて消えるものでもない。死というものを、考えたかもしれない。
「だいすき」
夜中にもかかわらず、電話をかけていた。開口一番の俺のその言葉を聞いて、拓篤が電話越しに息を呑み、生唾をごっくんした。そして——
「う、うるへー」
照れ隠しに、噛み噛みの抗弁を言って電話を切ってしまった。
切られてしまったことは残念だが、あの声の浮つき具合なら、大丈夫だろう。
ほっこりした気持ちを胸に、身体もポカポカになるべく、風呂の支度を整える。帰宅早々にメイクは落としたけれども汗はまだ落としていなかったのだ。
浴槽に湯を蓄えている間、洗面所の姿見で自らの顔をじーっと眺めていた。
見慣れた顔。その気になればいつでも、麗人に化けることができる女性的な相貌。この顔が、小蔵響子さんと瓜二つなのだという。
晩年、生きながら死のことしか考えられなかったらしい女性。
子供達の夢を奪ってしまったと、嘆きながら逝った女性。
自らを人殺し呼ばわりした、哀れな女性。
最後に記された太陽になりたかった少女への一句——
あなたは、とても眩しかった。
それは、一体どういうことなのだろうか。
太陽になりたかった少女というのが、誰のことなのかは想像に難くはない。それを将来の夢とし、習字にのせて響子さんに披露したのだから。
その一文のみを慮れば、せいらさんを賛辞する言葉にも受け取れた。クラスの誰とも比べるわけでもなく、はたまたリアリストな自分に照らすのでもなく、絶対的に眩しい存在だったのだと、この一文は言っているような気がした。
要約すると、あのときはあなたの夢を否定してごめんなさい。あなたは、自分の夢を大切にしてください。そんなところだろう。
しかし彼女のバックグラウンドを知り、前後の文脈を加味してしまうと、なにか余計に行間を読んでしまう自分がいた。もっとこう、否定的な何か。
過ちに気づいたのならば、こんな遺書に遺すのでなく直接面と向かって謝らなくてはいけないと思うからだ。ましてや、差出人すら不明なのだから。
否定的な例で、考えれば分かりやすいかと思う。恨みノートなるものを作って、匿名で嫌いな人間に対して恨みつらみを書きなぐったところで、やがてそれは当人の知るところになるであろうか? 答えは否である。向こうは自分の感情など、知る由もないからである。
言わなければ伝わらないことは、存在する。それは肯定であれ否定であれ、善であれ悪であれ、変わらない真実だ。
人は過ちに気づくから善いのではない、気づいた過ちに対して正しさをもって贖うことが、善いことなのだ。死とは、贖いではない、報いである。
死刑とは、死をもって贖うものではないのと同じことだ。生きていても意味がない、また罪を重ねるだけ、生きていればそれだけ罪が重なるのみ、だから死をもって報う以外に仕方がないのだ。真の意味で罪の意識が無いが故に。
では、響子さんは?
自らの過ちに気づいて、なぜ自殺した?
贖いの由はいくらでもあった。夢を奪ったからといって、命を奪ったわけではないはずなのに。
考えられる答えはふたつ。心の何処かで、自分の過ちを認めあぐねていたから。あるいは、それに気づくためには道徳が勉強不足だった。
響子さんは、前者ではないだろう。自主的な死を選んだということは、死刑囚に課せられる死とは性質が異なる。
そうすると、そうか……。
死ぬほど反省をした、という捉え方もできなくはないか。
だがいくら死ぬほど反省したとて、反省よりも大事なのは改善だ。それを怠っては反省の意味もない。死ぬことで勝手に罪を清算されては、夢を奪われた人たちがあんまり可哀想だ。
と鏡に映る、響子さんに似た誰かの顔を窘めるように睨みつけた。すると相手も睨み返してくるではないか。まるで反省のなさそうな顔だった。
◇◆◇
風呂から上がって部屋に戻ると、眠気を邪魔するようにスマートフォンの画面が明滅していた。メールらしい、それも二通。
一通目、差出人は陽菜。
「人が気持ちよく寝てるのにメールなんてしてくるんじゃないわよ。それになによ、この変態まがいのメールは?」
はてさて、さっき俺はどんな文面のメールを送ったんだったかな?
確か響子さんの遺書に当てられ、近しい人間の死について黙考した末に、血気にはやってメールを送りつけたはずだ。
陽菜のメッセージの上、俺が送りつけたメッセージを確認するべく、画面を下になぞった。すると身に覚えのないような文面が表示された。
「わたし、完全にアイドルに目覚めたわよ。みんなで絶対に世界一のアイドルになりましょう。陽菜の夢、叶えましょう!」
言うほど変態には見えない文面であるが、この文を作成したのが男であるとわかった途端に変態じみてくるな。自分で書いておいてなんだが相当変態だと思う。陽菜に夢を諦めないでと、励まそうとしただけなのにこんなに気色悪い文面になるのか。文章力以前にコミュ力が乏しすぎるな。
すぐさま弁解のメールを打とうと、思ったが、こんな遅い時間に弁解メールなんてまともに読んでくれないだろうと考え直した。明日学校で、適当に言い繕っておこう。
二通目は、せいらさんからだった。
折り目正しい文で、簡潔に内容がまとめられている。
「先輩にご相談があります。明日、放課後に少々お時間頂けないでしょうか?」
先輩、とは俺のことなのだろう。先週の土曜、小蔵さんの珈琲店で別れ際に先輩と言われたので、きっと俺のことなんだと思う。
呼び方ごときで、こんなにも戸惑ってしまうほどの間柄なのだ。そんなせいらさんが、俺に相談ごとがあるらしい。
まだ日も明けていないのに、相談内容に関して色々と予想が頭の中に浮かんできた。土曜、別れ際が気まずかったということもある。小蔵さんを通じて色々と立ち入った話を聞いてしまったこともある。俺の女装姿がせいらさんの元担任、響子さんに瓜二つだということもある。ひょっとすると恋の相談だということも、あるかもしれない。
憶測は尽きないが、とりあえず了承の返事を出しておこう。メッセージが送られたのがつい数分前のことなので今返事したところで、夜分に失礼とはならないはずだ。丑三つ時だけど。
送信完了。既読表示、せいらさんから、ありがとうの趣旨を伝える可愛らしいスタンプが送られたことを確認すると、チャット・アプリを終了して床に就いた。