表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
木戸せいら編
54/64

三章 木星か、土星か、いや、木戸せいら(8)

 学校を出ると雨はすっかり上がっていた。屋根から、ぽつん、ぽつんと、雫が滴っては水たまりに落ちていく。

 これなら傘を差すことも無いだろうと出し掛けた折り畳み傘を鞄にしまった。流星は、雨が降っていないにもかかわらず雨合羽を着込んでいる。雨か晴れか判断できないお馬鹿さんではなく着込んでしまうことで手荷物を減らそうと考えるお利口さんだ。子供の雨合羽姿ってなんか萌えるんだよな、やはり俺はママの素質があるのかもしれない。


「何か食べてくー?」


 なんとなく提案してみると、流星はのっぺりとした顔を微妙に変化させて表情を作る。うむ、何を考えているのかまったくわからない。子供の意思すら読み取れないとは、やはり俺にはママの素質はないのかもしれない。


「ハンバーガー食べたい」

「む、ハンバーガーかー……」


 俺たちの施設では、ハンバーガーといったジャンクフードにはあまり縁がない。金銭的な理由ではなく、ヘルス的な観点から遠ざかっているのだ。大概の施設がそうであるよう俺たちの施設「希望の箱庭」でも、さる方面から食育指導が行われている。まぁ、書面上ではあるが。

 ハンバーガーはジャンクフードの代表格。我が施設に身を置いていれば、自ら進んで食べにいくことはまぁまずない。栄養価が極端に乏しく、それでいてカロリーは過多。いくら合間に、レタスなどの野菜が挟まれていようとそれは見てくれだけの錯覚にも等しい。

 バンズや肉が積み重なった様相はどうかすると、近い未来の自分のお腹周りのように錯覚してしまいがちだが、残念ながらそれは現実のものとなるのである。

 たかがハンバーガーひとつで健康を害することはないんだろうけど、もしもが起こって、施設の運営に難が出てしまうようなことは避けたい。業務停止命令が下れば、俺たちが他の施設に移動になってしまうことだってあり得る。


「他には?」


 セカンドベストを訊ねることで、さりげなくハンバーガーの提案を却下した。すると、流星はうーむと再考に耽る。


「個人的には中華が……」

「チーズ・ハンバーガー」


 俺の思惑がバレていたようで、流星はあるハンバーガー店のメニュー内におけるセカンドベストを提示してきた。


「チーズ・ハンバーガー……ですか」


 駄目だなー。気持ちタンパク質が上乗せされただけでジャンクフードの範疇は出てないなぁ……。俺が、素材から厳選して手作りで振舞ってやれば間違いないだろうが、帰ったら遺書を検めなくてはいけないのであまり時間はかけられない。

 とはいえ、こうして悩んで時間を無駄にしていてはいけないような気もする。

 命とはすなわち、時間である。時間を無駄にするということは命を無駄にすることと同義なのだ。ちなみに、時は金なりという諺も絡めて考えると、命とは、金であることが三段論法的に証明されたことになる。金が命であるナリキン君を味方するような理論だな。


「那月はハンバーガー、苦手なの?」

「好きだよ。てりやきのやつとか特に」


 不機嫌に訊ねてきたので、一応はハンバーガーの良さを肯定しておく。別にハンバーガーが嫌いだから難色を示しているのではないのだ。家に帰るまでが授業参観故、こうしてママらしく流星のヘルス面を慮っているだけのこと。


「那月がてりやきって言うとなんかエロい」

「それひどい!」


 何をどう判断すればその結論に行き着くのだろう。まったくわからない。


「しょうがないじゃん、今の那月、全部エロいんだもん」

「マ、ママに向かって不謹慎だぞ、口を慎め」


 正面からぎゅっと腕で流星の頭を締め付けてフェイスロックの真似事を試みる。膂力がない故あまり効き目はないようだがちょうど胸の高さほどに流星の頭があるからして、曲がりなりにも窒息させる由が出来上がっていた。


「おっぱ……苦しい」


 大きな胸に気道を遮られた流星が苦しそうに俺の黒のスカートに包まれた臀部をタップアップする。降参、という意味だ。これがプロレスでなかったら、痴漢という意味だ。


「にゃはは、女は男よりも強し、母は子より偉大なり」


 勝ち誇りながら技を解くと、流星は悔しげにこちらを眺める。


「夜のプロレスでどっちが強いか、試してやろうか……」


 おっと、とっても嫌な予感がするので、早々に謝っておこう。


「その、ごめんね流ちゃん。流ちゃんの希望通りハンバーガー、早く食べに行こうか」


 急な話題転換に、流星は流れ星を見るように、さながら星のごとく目を瞬かせた。小さい目のくせ、その輝きは一等星級。


「うん」

「んじゃ、手」


 我ながら華奢な女の子のような手を差し伸べると、一回りくらい大きな無骨な手が握り返す。優しく温もりのある感触だと、思った。

 仲良く手を繋いで通学路を歩いていると、ひと組の親子とすれ違った。子供は流星よりも、二つほど歳下だろうか、ランドセルのかぶせには、低学年の生徒に着用を義務付けられた交通安全カバーが取り付けてある。


「今日の夕食はまーくんの好きなハンバーグよ」

「わぁい」


 後方から、そんな和気あいあいとした会話が聞こえてくる。あんな時期が、俺にもあったなぁとちょっぴり昔を思い出す。もう失ってしまったものだけれども。……けれども。

 かつては、羨むべき光景であったが、今は違う心境を抱いていた。

 ふと流星を見ると、うきうきと辺りも気にせず我が道を行っている。

 先導するよう、ぐいっと流星の手が俺を引っ張った。去んぬる過去を振り返る俺を、無骨にも導くように。

 ふと、向かい風に乗って言葉が俺の耳朶に触れる。

 その言葉はあたかも流れ星のように、聴覚に浮かんではすぐに消え入ってしまう。


「ありがとう、今日は」


 小さくて細い声は、世界の騒音に簡単に呑まれてしまったのだけれど、この一時ばかりのママの大きな胸には、永劫に残り続けるのだと——

 そう思うのだ。


  ◇◆◇


 家に帰ると即行で着替え、メイクを落として、自室に戻ろうとすると、


「夕食はー? あら、食べてきたの」


 野太い声が俺を呼び止めた。野太くも嫋やかな呼び声に俺は返事をする。


「う、うん、中華を……」


 嫋やかなれども、大男のような野太い声に俺はチキって、咄嗟に嘘を吐いてしまった。


「あら、中華! いいわね! お品目は?」

「——え、えーっとぉー……そう、ラーメン!」


 疑いをかけるように追及してくるので、ラーメンとか適当ぶっこいちゃったよ。俺、中華そばはあまり好みじゃないんだよなー。中華そばというよりは、醤油味のラーメンが。

 ちなみに中華そばと普通の醤油ラーメンとの違いは、黄色い麺を使っているかどうかくらいであると、どこかで聞いたような。


「あら、でもなっちゃん、中華そばはあまり好みじゃないんじゃなかったっけ?」

「ホワッツ⁉︎」


 なんてこった。児童養護施設「希望の箱庭」の院長・黒先白行は人の好き嫌いを読み取る能力があるらしい。

 あるいは、俺に大抵の人が持っている能力、忘却の才がありすぎるが故に、俺が中華そば嫌いだと言っていたことすら忘れていたのか。

 ま、まずい、何か言い訳を……!


「と、豚骨ラーメンです」

「豚骨ラーメンは日本発祥のラーメンね。それも九州地方で、中国地方ですらないわよん」


 白行ちゃんが否定をもって俺の言い訳を斥けた。そうか、広島ラーメンとか答えておけば、広く見れば中華と言い張れるのか。広島とか岡山のラーメンといえば、醤油豚骨ラーメンの代表とも言える存在。醤油豚骨ラーメンをそれなりに愛するものとして、覚えていなかったことが悔やまれる。不覚とはこのことなり。


「ごめんなさい。嘘ついてました、ファーストフード食ってました……」


 観念して謝ると、白行ちゃんは憤りを抑えるように小さく嘆息した。


「なっちゃん……。ファーストフードだったら、たまに食べるくらいなら全然いいわよ。でも、嘘はダメ。たまにレベルでもダメ。わかるわよね?」

「……はい」


 白行ちゃんの叱責はいたずらに声を荒げるのでなく、落ち着いた物腰で淡々と正論を述べるから余計に罪責感を駆り立てられるところがある。

 俺は知らずのうちにこうべを垂れて謝罪をしていた。


「ごめんなさい」


 ふ、と空気を弛緩させるような、笑みだか呼気だかを耳に捉えた。


「いいのよ、分かってくれさえすれば。それより今日はお疲れさま」

「あ、うん……」


 叱責された直後に労われると、こういう曖昧な返答になる。

 白行ちゃんは、普段はおちゃらけているがここぞという場面ではとても真摯的だ。平時は上ずったオカマ声も、低いところで安定したバリトンボイスに落ち着く。低いが故に、優しく、そして厳しい。


「流ちゃん、学校でどうだった?」

「んー、普通、かな。流星というよりは、クラスメートが個性的だったかな」


 今日あったことを、思い出しながらぶっちゃけた感想を言う。

 まず印象的だったのがナリキン・トリオだ。動画サイトの人気配信者・金山達成、通称ナリキン君。語尾にヤンスを付けなくてはアイデンティティが保てなそうな少年、ヤンス君。もう一人、もう一人君とかいう少年も、いたが印象が薄すぎてまったく覚えていない。それよりもヤンス君のお母さんである、ザンスさんの方がキャラが立っていたな。語尾にザンスと付けなければただのババアであり、俺の十全なるプロポーションにジェラシーを剥き出しにしていた女性だ。ちなみにもう一人、もう一人君の母もいたが印象が薄すぎてまったく覚えていない。


「そうなの。ナリキン君……とかいう子に虐められてたのね」


 授業参観の様子を有り体に報告すると、白行ちゃんは保護者の顔でふむと考え込んだ。虐めとか、不穏な単語が出てくれば白行ちゃんが心配するだろうとは思っていた。流星としては、白行ちゃんに心配をかけるのは避けたいところだろうが、そうかといってこのまま捨て置くことは俺にはできない。


「うん。俺も粉かけられたり、生きた心地はしなかったな」


 流星のクラスでの立ち位置や背後関係などは、今日の授業参観の数刻では、いまいち判断しかねる。是非とも白行ちゃんの意見が聞きたかった。

 ちなみに、粉をかける、とは異性にちょっかいをかけるといった意味合いであって、物理的に粉を掛けるわけではない。まあ、どちらもイジメには違いないのだろうが。前者は高一のころに嫌というほど体験しているからともかくとして、後者を被ったら不登校コース一直線だな。そして一人自室に籠もって怒り爆発だな。粉塵爆発だな。イジメっ子爆発しろ。


「なっちゃんや流ちゃんを虐めるなんてゆるせない……お仕置きが、必要みたいね……じゅるり」


 お仕置き、というところに違和感を感じた。アルファベットが二つ、連なるような予感がした。じゅるりに関しては、アルファベットどころか言語にすらなっていないような気がした。


「お、穏便にね……」


 ナリキン君が白行ちゃんにお仕置きされ、男の尊厳を失うようなイメージがふと頭に浮かんで、ちょっぴり可哀想に思った。俺にプロポーズをしてきたことも隠さず報告しておこうかと思っていたが、そしたら白行が黙っていないだろうと思ったので、それについては黙っておくことにしよう。


「そうね。穏便に拷問キスで勘弁してあげようかしら……ぶちゅうう」


 本番シミュレートか、自らの腕にディープな接吻をかましていた。あれされたら、死ぬだろうな、色んな意味で。


「まぁ、試合には負けたけど勝負には勝ったから」


 言うと、白行ちゃんはその円らな瞳をパチクリさせた。不意を突かれたよう、たらこ唇になっている。


「そうなの?」


 たらこ唇が言った。


「舌戦では」


 前半は負けっぱなしだったんだけど。

 彼は多分、ディベートとかで競ったらめっちゃくちゃ強いんだと思う。動画投稿の上、コメント欄で盛んに行われるファン対アンチの口論を参考にしているのかもしれない。

 白行ちゃんはそうなのと、あっさりと相槌を打つとチノパンのポケットからスマートフォンを取り出した。俺よりもずっと操作に慣れているらしくすんすんと画面を操作していく。


「その子って、これかしら?」


 白行ちゃんが印籠よろしくスマートフォンをこちらに掲げると、そこには今日会った、ナリキン君の姿が映し出されていた。ナリキンTV、確かに人気の動画投稿者のようだった。芸能人といってもまぁそこそこ通用するかなというレベルの顔面偏差値、小学生とは思えないような立ち居振る舞い。大学生であっても、引き込まれてしまいそうな巧みな話術。

 でも、やっぱり体躯は子供で、胸越しに密着した先だってを思いだして俺は思わず赤面してしまった。


「なっちゃん、どうしたの顔を赤くして?」


 心配そうに顔を覗き込む白行ちゃんであるが、ふと、何かを悟ったのか故ありげな表情を浮かべだす。


「な、なに」


 訊ねると、くにくにと体をくねらせて、白行ちゃんは悶えるように自身を抱いた。


「なっちゃん、モテモテだものね。彼もいいかなって気持ち、わかるわぁ!」


 何もわかってなさそうな、頭悪そうな返事だった。


「はいはい、わたしは超絶美人だからね、もう部屋戻るからね、バイバイだからね」


 これ以上、相手にするのも面倒なので適当にあしらって、適当なタイミングで部屋に戻ることを告げた。


「明日からまたいつも通り学校だものね。夜更かしは美容の敵よ、バァイ」


 教育課程を終えて、施設の院長として日々をゆったりと過ごす白行ちゃんは、人ごとのように現実を突きつけた。明日から、学校かぁ……。誰かのママになれば、学校なんて行かなくても良いのかな……。


  ◇◆◇


 なぜだかあの時——拓篤の元養父の部屋を前に扉を叩きあぐねていた時のことを、思い出していた。

 はたまた、名前も顔も知らない相手から宛てられたラブレターを下駄箱で見つけた時の感覚か。

 床に座りこみ、ベッドを机代わりにして頬杖をついた。目の前には、白い、白い、ベッドのシーツのように白い、霊安室のように虚無的な、一通の封筒が置かれている。それが如何なるものであるか、わかっていながらも理解を放棄し、考えることに億劫になり、意味もなくはらりと裏返して名前を確認する。

 小蔵響子。

 アーケード内にある、珈琲店の店主・小蔵さんの娘であり、木戸せいらさんの元担任の先生であり、流星の担任の先生である赤坂先生の元恋人。そして、俺とは空似の間柄。

 せいらさんの、太陽になりたいという夢を否定し。

 赤坂先生の結婚したいという夢を、否定し。

 父である小蔵さんの娘にかける夢をも、死して否定した。

 自らの夢も、否定したのだ。

 きっと、もっと多くの人の夢を、その死をもって否定したことだろう。悲しいことだが、悔んだところで何かが変わるわけでもない。

 遺書の封はいまだ解かれた様子はない。つまり、小蔵さんは俺に託したのだ。自分ではこの封筒を切るに値しないと、響子さんと瓜二つの俺に、返還するように。

 それを受け入れ、これを託された。

 他人の死を覗く行為。どんな虐殺よりも罪深げな行為を、俺はやらなくてはいけないのだ。

 こっそり痕跡を残さぬように遺書を開けるのも違う気がしたので、思い切ってハサミで切り開くことにした。これをして、せいらさんの未来を切り開くのだ。そう思うことが俺に残された最後の、正当性なのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ