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バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
木戸せいら編
53/64

三章 木星か、土星か、いや、木戸せいら(7)

 応接室を出ると廊下を行く生徒や教員に混じって、四年四組の教室を目指す。

 隣の職員室の廊下にはガラス製のコレクション・ケースがあり、各所から集められた学校の栄誉であるトロフィーが飾られていた。直射日光を避けるためか、やや日陰に据え置かれた棚は、華やかなれども暗い印象を湛えている。トロフィーを眺めていると、ここにあるトロフィーが束になったとしても到底及ばないであろう、国宝級の美女がガラスに映しだされた。何のことはなく、ガラスに反射した俺の姿である。暗所故にか映しだされる俺の輪郭は濃い。

 映しだされるその姿に俺は歩みを止めて、しばしガラス越しに自分の姿に見蕩れてしまった。鏡に同じようなことをするとナルシストの誹りは免れないだろうが、沢山のトロフィーを抱えたガラスケースである故にはたからはトロフィー越しに学校の偉大さを認める殊勝な人にしか映らないだろう。我が行動に一分の死角もなし。

 日除け対策に暗所にコレクション・ケースが設置されているのは、日陰者であれ栄光を勝ち取れるのだ、という激励めいたメッセージを強く感じる。そんなことはないんだろうけども、そういう解釈をもって、今後に励む生徒だってきっといることだろう。

 そんなことより目の前の美女だ。

 一世を風靡したアイドルにも引けを取らない目鼻立ち、タイトでコケティッシュな衣類に包まれた肉感的なプロポーション。肩につく程度の長さの亜麻色の髪は、ママ仕様でアレンジが施されている。左サイドは、こめかみ部を残し、耳に掛けて後ろへ流ながすことで理知的な雰囲気を醸し出していた。こんなにも自慢の塊だというのに、それらすべてを露出することは、世間が許さない。

 俺が露出狂いという話ではなく、ナリキン君に半ば言い負かされた悔しさがぶり返してきただけの話だ。なんとも、当たらずも遠からずな弁論だった。

 きっと俺にも他にやりようはあったのだろうけど、結局はナリキン君の言いなりに終わってしまったような。

 すると途端に負けた気分になり、ガラスに映る美女の隅に、ちらつく勝利のさかずきが目障りに思えてくる。そうなると、俺はぷいと不貞腐れたようにコレクション・ケースから視線を外した。

 階段までの道のりで、たくさんの好意的な視線を集めることで優越による愉悦を蓄える。階段に足を掛けると、後ろから好敵手の声が俺を呼び止めた。


「逃げるんですか、お姉さん」


 感情論によって言葉まで偏向した、大人びた言辞を弄するのは、小学生にして株式会社ナリキンTVの社長、金山達成かなやまたつなり。通称、ナリキン君。取り巻きであるヤンス君とは珍しく別行動のようだ。


「こんにちは」


 敗北した悔しさもあり、割りかしすげなくあいさつしてそのまま立ち去ろうとすると、ナリキンが子供っぽく愚図った。


「ちょっ! 話はまだ終わってない!」

「ひゃあ?」


 近づくと、強引に俺の手を引くので、唯でさえ階段で不安定な足元が縺れてナリキン君の方にズッコケてしまった。ナリキン君の子供らしい矮軀を押し圧すように覆いかぶさる。彼の薄い胸板にメロンふたつを押し付け、お互いの顔は至極近い。


「は……は……は」


 巨乳に肺を圧迫されているのか、ナリキン君は息を切らしたようにつぶやきながら自らの胸板、頻りに俺の胸元をちら見した。

 離れるべく、起き上がろうにも手首を掴まれているので、うまく身動きが取れない。


「ちょっと、これ離してもらえる?」

「え……あ、ああ」


 ナリキン君は我に返ったように呟くと掴んだ手を離した。しかし、今度は両手を俺の背中に回してがっちり固定、またも俺の身動きを封じてくる。


「ちょっと……」


 手を床について腕立て伏せの要領で、離れるべく力を込めてみるがビクともしない。ナリキンは頭脳系に見えて、実は剛力系のようだ。


「お姉さん、よく見るとめちゃくちゃ美人ですね」

「で、でしょう?」


 照れ隠しに、思いっきり肯定してやる。


「それに」


 黒ジャケットから溢れそうな白いワイシャツに包まれた膨らみを眺めてナリキン君が言った。

「いままでコラボした、どのグラビアアイドルよりも魅力的なカラダだ」

 今、半分くらいの年齢の少年にセクハラを受けている。

 ナリキン君は腕の力を入れたり抜いたりすることで、自らの胸板で形を変容させる巨乳を見て悦にいっていた。


「や、やめてよ!」


 美女と持て囃されるのは喜ばしいことだがこういう過剰なスキンシップ、ともするとセクハラとも言える行為は勘弁願いたい。そのために、アイドル活動を受け入れることにしたのだから。


「わたし、アイドルだから、やめて」

「アイドルですか。好物ですね、今まで何人も食ってきました」


 およそ子供とは思えない発言来たー。

 ナリキン君と関わっていると色々と勉強になる。アイドルを名乗ったとしても、程度は低くなるとはいえ完全に色恋沙汰を避けられるわけではないということ。俺が「たまごどん」というアイドル・バンドの結成を、受け入れ、加入することを決意したのはアイドルを名乗っていれば、言い寄ってきたりその先を強行したりする男たちを牽制できると踏んだからなのに。その思惑を打ち砕かれたようだ。


「うちのグループは恋愛禁止なの」

「だからなんです? だいたい、あなたもあなただ。こんな扇情的な格好をしておいて、僕を誘っていたのでしょう? ワイシャツを脱いで僕にへそをチラつかせるあの態度、絶対にそうでしょう。給食を食べたばかりなのにあの時点でもう腹ペコでしたよ」


 腹ペコってのは、どういう意味合いなのかなー。ナリキン君が浮かべる下品な笑みに嫌な予感しかしない。

 階段という往来の激しい区間にて、全く人っ気がないのは放課後だからだろうか。来たら来たで困るだろうが、来ないという今の状況もまあ困りものだった。

 この状況を見たとき、裁判官はどちらに有罪判決を下すのかといえば、そりゃ間違いなく俺にだろう。こちらが被害者だとしても、猥褻行為で検挙されるのはこちら。年齢の差ってこわい。

 それがわかっているのか、ナリキン君はふふと余裕の表情でほくそ笑んでいる。もし俺が有名だったなら、週刊誌などで「たまごどん、有名動画配信者を食べられる」と上手いこと書かれてしまうに違いない。俺とかまったく美味くないし、むしろ女装がバレて不味いことにしかならないだろう。


「てことなんで、僕と結婚してくれますか?」

「け、結婚?」


 唐突の求婚が来たー。


「そうです。この際だから、正直に言いますけど一目惚れだったんですよね。この胸とか、顔とかも魅力的なんですけど、あなたの本当の魅力はそんなものではない」


 とナリキン君は言うが、男性の一目惚れの対象はそれこそ顔だったり、得てして胸だったりするものだ。現に、俺の顔を見たことで、胸を体感したが為に、このような仕儀に至ったのだから。


「わたし人妻……」

「お姉さん、ですよね?」


 いままでもそうしてきたように男の粉かけを無効化する文句を言うも、ナリキン君はいままでもそうしてきたように図星をさして俺の言い分を斥ける。またも言い負けてしまった……。


「……うう……」

「アイドル、でしたっけ。アイドルに相応しい、可愛らしい泣きっ面ですね」


 相当悔しかったのか、はたまた無理な姿勢が高じてなのか、四つん這いのような体勢で涙が流れると、雫が落ちてナリキン君のうら若い肌の表面で弾けた。


「わたしはあなたのものになんて、ならない」


 精一杯の強がりはナリキンに通用しただろうか。女々しい涙まで見せてしまってかえって弱さを露呈しただけ……、しかし、それを心からの拒絶と受け取ってもらえれば結果はオーライなのだが。


「三億でどうです?」


 そこへナリキンは具体的な数字でもって、曖昧な返答とした。三億の意味が、よくわからない。


「なに、それ」

「なにって、三億円ですよ三億円」


 大事なことなので二回言った。


「どういうこと……」

「僕のものになるんだったら、三億円あげると言っているんです。もちろん、僕と結婚するんだから、食費生活費税金は一切負担しなくってもいい。その三億は可処分所得として考えてもらっていいですよ」

「三億……」


 こんなに下劣な取引なのに、ちょっぴり考えてしまった。

 三億……、年末の宝くじか、ニュースの銀行強盗くらいでしか聞かない単位の数字だ。

 確かサラリーマンの生涯賃金が、税金云々を差し引くとおよそ三億円を下回るくらいだという。

 そこへいくとナリキン君の提示する三億円は、非課税対象のまるまる三億円。宝くじは所得税で約半分が持ってかれるから、宝くじよりも美味しいと感じてしまう。


「宝くじに当選した気分ですか? 僕は一億3千万の人々の中からあなたという当たりを引いた気分ですよ。これは運命だ」


 しかし、よくよく考えてみるとサラリーマンの生涯年収と比べてみたって仕方がない。サラリーマンは四〇年かそこらで勤めが果たされるが、こちとら結婚したら生涯ナリキンの元で家事に勤めなくてはならないのだ。その勤めの中で、いやらしい営みをしなくてはならないと考えただけで拒否反応の寒イボができる。

 そもそも俺は男なので、結婚なんてできないし、女だったとしてもナリキン君とは結婚なんてしない。運命などまやかしだ。


「何でわたしなの?」


 それでも、ナリキン君が俺に一目惚れする理由は気になるところだった。

 この顔でもなく、この胸でもなく、このスタイルの良さでもなさそう。性格なんてまだ、腹を割って語らったこともない。

 では、どこに一目惚れをする要素だあったのだろう。


「あなたの資質が持っているからです、金になる実を」

「金になる実?」


 何かの符丁だろうか。聞いたことのない言い回しだ。

 語感を辿れば、金玉という単語に行き着くが、そんなものは男なら誰しもが持っているもの。まさか、俺が男だとこいつ気づいてやがるのだろうか。だとしたら、彼の暗殺も考えなくてはならない……。


「実とは、能力の喩えですよ。お姉さんは少年マンガも読まないんですか?」


 手前で勝手に作った比喩表現で、俺の読解力の無さを説いてきた。この似非文学者め……。


「あー、はいはい」


 それならなおのこと、金になる玉、金玉と言ったほうがしっくりくる。

 そんなことにも気づけない幼稚な子どもめ、といったニュアンスで適当に相槌を打ってやった。


「くそ、またそうやって子供扱いして……!」


 ナリキン君が子供のように愚図った。いや、グレたというほうがしっくりくるか。わなわなと怒りに手が震えている。その振動はナリキン君の腕から俺の背中、ひいては胸に伝わり、巡り巡ってナリキン君の胸板をぎゅうぎゅう揺らした。


「まぁいいでしょう。そういう権力者にも物怖じしない性格だからこそ、一目惚れもしたのでしょうし。そういう女を権力で支配して、甘い表情、甘い声を引き出し、うまい身体を味わうのもまた、一興でしょうとも。僕を一目惚れさせるあなたは金の成る女だ。その女と一緒にいれば僕にもさらなる金運が巡ってくる。ふふふ」


 本当に彼は小学生なのだろうか。言動や趣味嗜好がまるで海千山千のおじさんだった。さらに、彼の言っていることは因果が逆転しちゃってる。やばい、アホの子かもしれない……。


「わたしはアイドルよ。そんな端た金じゃ靡かない……」


 無理な姿勢が続き、痺れた手でなんとか踏ん張りながら、自分の矜持を持ち続けた。いくらナリキン君に説かれようが、諭されようが厳然として動かされない、俺の野望。


「アイドルなんて水物ですよ。山師なんかやめて、僕のところに来なさい。ファンなんて気持ちの悪い人種に囲まれるなんて下劣なことはやめて僕と一緒に札束に囲まれましょう」


 俺にはまだファンはいない。けど、こんな世間知らずな成金に今後出来るかもしれない俺のファンを貶されるのは我慢がならなかった。陰で、ファンの悪口を言ってもいいのはこの俺だけなのだから。


「君と一緒に札束に囲まれる趣味はないわよ。気持ち悪い……」


 腹立ち紛れに冷たく言い捨てると、え……、と、放心したようにナリキン君は俺の背中に回した腕の力を弱めた。あまりのショックに腕が綻んでしまったのだろう。

 緩んだ腕中を割って出るようにナリキン君の呪縛からようやく解き放たれる。そしてナリキン君と一定間距離を置いた。


「気持ち悪い……だと?」


 その一言が決め手だったのか、自分に言い聞かせては拒絶するようにその繰り言を呟いきながらゆっくりと首を横に振っている。


「気持ち悪いよ」


 朗々とした口調で引導を渡してやるといよいよ子供のように、顔を真っ赤にしてまくし立てた。


「僕が気持ち悪い? ふざけるな! ファンの方が気持ち悪いだろ! アイドルにべっとり触れるし、あわよくば結婚できるとか阿保な妄想なんか抱いちゃってるし! …………あ」


 その毛嫌いするファンの挙動とは、今しがたまで自分がやっていた挙動と全く同じであることを悟ったのか、急にしゅんとしだす。


「ち、違う、僕は違う。そう、僕にはお金がある。資産なら数億、金ならある!」


 しゅんとしたかと思えば、唐突に開き直ってみせた。


「金持ちのキミから一億円貰うより、一億人のファンから一円ずつ貰う方が得るものは多いと思うの」


 金額のみならず、ファン数という含み益がある。

 俺の深謀遠慮に、ナリキン君はする反駁も持てずに悔しげに俺を睨みつけた。


「一人で一億人ぶんの用を成せるのが、結婚相手ってものでしょう」

「そうね。だからわたしは、あなたとなんて結婚できないんだと思うの」


 俺に向けるその睨みはいやしくも求婚相手に向けるものではなく、この子は本当に俺のことが好きではないんだと認識する。


「ああもう、クソ! もういい!」


 ぶいっとそっぽ向いてしまった。


「まぁ、わたしに、三億円なんて値段をつけちゃった時点でキミの負けだよ」


 今まで負けた分を取り返すように嫌味ったらしくのたまってやる。

 その負けを噛みしめるように、ふるふると悔しげに歯噛みすると、


「一億人のファンと結婚するなんて…………このビッチがああああ」


 と言い残して全速力で昇降口のほうへ走り去っていった。か、勝った……。


「那月?」


 しばらくしてナリキン君の大声を聞きつけたのか、一、二階階段の踊り場から流星が顔を覗かせている。


「りゅ、流ちゃん〜!」


 心細さから飛ぶように流星のもとへ。階段を一足飛びに駆け上がる。


「離れろ、気持ち悪い!」


 と言う流星を無視してぎゅうっとハグをするのだった。

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