三章 木星か、土星か、いや、木戸せいら(6)
「僕の夢。黒先流星」
流星に関しても、ナリキン君と同じく「夢」をテーマにした作文のようだ。どうやら夢についてが、今回の作文の一貫したテーマらしい。流星の声は、ぼそぼそとしていて聞き取りづらく、どうかするとナリキン君の作文の余剰に浸った、クラスメイトのざわめきに埋もれてしまっていた。わたしは、神経を集中させて流星のスピーチに耳を傾ける。
「僕は夢を、持たないようにしています」
ぼそぼそとした声でとても大事なことを、事も無げに言ってのけた。
クラスメートもこれは聞き流せなかったらしく、数人の生徒が、流星の前言に首を傾げる。ナリキン君は後席から流星の椅子を軽く蹴りつけると、もっと大きな声で話したまえとぼやいた。
蹴られた椅子の台座の縁が膝窩に触れ、流星はびくっと身体を震わせる。間接的膝カックンだった。
「むむ、少し聞き取りづらいな。皆静かにするように」
赤坂先生が、人差し指を口元に近づけて静かにサインをする。それでも完全にはざわめきは収まらなかったが、ボリュームはだいぶ絞られた感じだ。
「さぁ黒先君、続きを頼む」
露払いはやっておいたぞ、と言わんばかりの得意げな口調表情で赤坂先生が言った。流星はそのなまじっか静まった環境に、むしろやりづらそうに、深い嘆息をする。そりゃそうか、静まり返った中、自分の声がよく通るのは、あまり心地よいものではないのかもしれない。流星としては自らの声を邪魔するくらいの雑音の中、誰の耳にも届けぬうちにスピーチを終わらせてしまいたかったのが本音なのだろう。
またもわたしの方をちらと見やった後、痰が絡んだような咳払いをしてからスピーチを続行した。
「夢を持たないようにしてるのは、そもそも夢を抱く理由がよくわからないからです」
こちらも、ナリキン君に劣らずの大人びた言辞。大人びたというよりは、達観した大人のような夢のない意見か。
クラスメートは、流星が言う夢のない意見に釈然としていない様子。ナリキン君の表情は真後ろのため把握できないが、きっと他のクラスメートと同じくような戯け面を晒していることだろう。
かく言うわたしも流星の言っていること、意図を理解しかねていた。
唯一赤坂先生は、流星のその話にうんうんと深く頷いている。何か共感するところがあったのか、ただの脊髄反射なのかはわからない。
流星が何を意図して、そのような見解に至ったのかはスピーチの続きが示してくれることだろう。わたしは流星ならと、哲学的論理の展開を期して待つことにした。
「……終わり」
流星のその二の句を聞くまで。
クラス中が「えっ……」という空気になった。もちろんわたしも。
赤坂先生に至っては、椅子からずっこけるほどだった。それを機にクラス中がガヤガヤしだした。
クラスの反応をガン無視するように、自分の席につく流星。すると、後ろからナリキン君が再び椅子を蹴る。
「……!」
ぴくっと反応するも流星は気づかないフリをし通した。その無理な素振りがかえって哀れに映る。
「おい、黒先君、なんだそのやり逃げみたいなダーティーな作文は?」
ナリキン君の言い方はどうかと思うが、その通りではあると思う。クラスメートの心中に疑問を孕ませておいて、それを解消させずに強引に終いに結んでしまったのだから。
「……」
応えようとしない流星が癪だったのか、ナリキンは頻りに流星の椅子の天板を下から蹴り上げた。流星の身体が徐々に萎縮していくのがわかる。
窓際最後部は位置的に赤坂先生の死角になりがちらしく、ナリキン君の陰険な所業にはとんと気づいていない風だった。
わたしはそっとナリキン君の背後に迫ると、大人びてるくせに矮小なその両肩に手を置く。思いがけない出来事に、ナリキンは慌てふためいたようにこちらを振り返った。
「……庇うんですか、お姉さん?」
わたしを見上げ、目の前にある斗出した胸を見ると、顔を真っ赤にしてそっぽを向く。男たるもの、やはり巨乳の前には無力だった。
「庇うわけじゃないけれど、やるんならもっと堂々とやってよ。それじゃあ、あんまり汚い」
ぼそっと言い含めると、ナリキン君は反駁を飲み込んだ。きっと今までも、恒常的にこのようなことをしてきたのだろう。赤坂先生の死角にあり、虐める対象は手の届くそこに在る。やらない理由がない。
「先生の目につくようにやれと?」
ナリキン君の問いに迷いなく頷く。
「どうしてこういうことをするの?」
「黒先君が間違っているから」
わたしの問いに淀みなく答えた。
「しゃあ君は、正しいんだね。正しいなら、こんな陰でこそこそやらなくてもいいはずだよね?」
わたしの説に異論を返せないナリキン君。だが、暫し考えるような仕草を取ると、妙案が浮かんだとばかりにニヤリと笑んだ。
「じゃあ、お姉さん。あなたはご自身の身体つきに自信がありますか?」
思いがけない質問に、わたしは思考を巡らせる。
この身体に自信があるのか。顔、胸、肢体、どれをとっても今となっては自慢の塊だ。特に、顔に関しては陽菜にも引けを取らないと自負している。胸だって、贋作にしても多くの男たちを魅了してきた自慢のツールだ。ボディラインだってこの曲線美なんか芸術的だとすら思う。つまり、概ね全てに自信を持っている。
「自信、あるよ。流ちゃんの自慢のママだもの」
「お姉さん、ですよね?」
「……」
ナリキン君の得意げな訂正が妙に癪だ。
「じゃあ、お姉さん。是非ともその肉体、僕に披露してくださいよ」
「え?」
ナリキン君が何を言っているのか、理解できなかった。
「見せてるじゃない、今」
だって、今もこうしてナリキン君に披露している。ナリキン君のみならずたくさんの人に披露してきた。
「そうじゃなくって……服を脱いで、ですよ」
「――!」
ナリキン君の発言に顔が熱くなる。どういうことかと思えばわたしにストリップをしろ、ということらしい。
「何を、言ってるの……」
思わず胸を庇っていた。身体のラインに綺麗に沿ったタイトなワイシャツが、スカートが、ふと気恥ずかしく思える。
「自信があるんですよね、なら見せてくださいよ。ほら」
クラスの喧騒に紛れ、ナリキン君の小さな手がわたしの大きな膨らみに迫る。反射的に体を引いてそれを逃れた。
「どうして逃げるんです? 見せてくれないんです?」
「そんなの……ダメに決まってるでしょ」
こんなにダーティーな展開になってるのに、こんなヤバイ状況になってるのに、赤坂先生はおろか他のクラスメートすら気づいてくれない。
「誰がダメなんて決めたんです?」
いつの間にかナリキン君の顔も、ダーティーになっていた。
「モ、モラルでしょ……、他人の目でしょ……」
適当にそれらしいことを言うと、ナリキン君は我が意を得たりと自分の行動の、正当性を説いた。
「ですよね。僕も同じなんです。確実に自分が正しいとわかっていても、そのやり方が周りには認められない。だからこそ僕のこの行動なんですよ」
そして再三椅子を蹴る。流ちゃんに嫌がらせをする。
赤坂先生はこちらの様子に気づかず、流星の前に座る生徒に作文音読を促した。がらがらと起立する音の後、年頃の女の子の朴訥としたスピーチが響く。
「いい人だと、思ったのに……」
「え? 何ですか?」
わたしが心底がっかりして言うと、その歳で難聴なのか、ナリキンは耳に手を添えて聞こえてないアピールをした。もう、二度は言うまい。
ナリキン君の作文音読を聞いて、実は彼はとても真摯で心優しいのかと思っていた。小学生とは思えないくらい、賢しらで、小賢しくて、意地悪ぶっているけど本当は思いやりがあって、両親との思い出を大切にする少年。家族との繋がり――動画に対する意欲も十二分、そんな気っ風の少年だと思っていたのに……。
「君、かっこいいと思ってたけどやっぱかっこ悪いね」
あの作文、思い出と称したあの感動話すらも、人気取りのエンターテイメントでしかなかったのだろうか。だとしたら今後もずっと相容れない存在と、断定せざるを得ない。
「何ですか、今さら。僕はそういう人間ですよ」
「……そう。じゃあどうしても、やめてはくれないのね?」
望みは持たなかったが、一応問うてみた。
「僕を止められるかどうかは、お姉さん次第ですよ。せいぜい考えてください。でも安心してください、あなたは止める手段を持ってますよ、もっと自分に自信を持って」
ナリキン君の流ちゃんに対する嫌がらせを止める方法。それは、さっきのナリキン君の助言の中に隠されている。
そもそも何故、ナリキン君はこうして陰険な手口でもって流ちゃんをイジメ、堂々と真っ向から攻めることをしないのかを考えれば自明の理だ。
彼はわたしにこのように主張した。
自分の身体に自信があるのなら、皆の前で見せてみろ。できないだろう、そんなことをしたら何処ぞからお咎めがくるのだから。僕だって同じなんだ。だから僕は陰湿な手口だろうがそれをやめない、と。
つまり、わたしがナリキン君の言う通り、この自慢の身体を皆の前に晒せば、ナリキン君も同じようにする他なくなり、結果的にこのような陰険な手は打てなくなるということだ。それがナリキン君を、止める手段。
「わかった」
わたしのこの言葉には、たくさんの意味が込められている。
言うと、わたしはナリキン君の傍を離れ、教室後ろのロッカー付近まで退がった。遺書や折りたたみ傘や弁当箱が入った鞄を、作り付けの木製ロッカーの上に置いておく。
わたしがあれこれと考え耽っている間に、作文音読は、後半に差し掛かっていた。さらにもう一人、音読を終え、次はヤンス君にお鉢が回っていく。
「やれやれ、次は僕の番でやんすか。正直待ちくたびれたでやんす」
大半の人が嫌々と臨む、作文音読をどうやらヤンス君は待ち望んですらいたらしい。やんす、と語尾を持つ人は総じてナルシズムに寄っているのがわたしの見解であるが見たところ、その線は有力な説になり得る。
そんなヤンス君には悪いが、この時間をわたしは奪い去ってしまうことにした。
「社畜の本懐……――」
ヤンスのスピーチが始まった。
しかし彼の音読に耳を貸すものは、もういない。
視覚的に興味対象が現れたとき人は、容易に聴覚を放棄する。一等はじめに興味を示したのは唯一、教室の前後から向かい合うようにして相対する赤坂先生。教卓まで引っ張ってきた教員デスクの椅子に腰掛け、わたしの挙動に目を丸くしている。
赤坂先生先生がそんな表情をするものだから、彼と向かい合う、生徒たちも吊られてわたしのほうを振り返った。そして男子生徒は一様に顔を逸らし、女子は短い悲鳴とともに顔を覆い尽くす。
ここにいるのは、みんな子供だなと思った。
わたしはまだストリップを披露していない。ジャケットを脱いで鞄の傍に畳んで置き、靴を履いたままストッキングを下ろす途中段階で、この反応だった。奇異な様子には違いないが、顔を逸らす男子生徒だって、常日頃からお母さんがやっているのを見慣れていることだろう。強いて言えば、ストッキングを下ろす際にスカートの中に手を入れる時はちょっと刺激的だったか。わたしにとっても緊張の瞬間だった。
ナリキン君はまさか本当にやると思っていなかったのか、少し驚いたように瞬きをした。
流星はわたしの姿を見ていつもの発奮した様子になるのではなく、そんなことはやめてくれと、懇願するような目で何かを訴えかけてくる。
ストッキングを踝まで下ろし、そして靴を脱ぎ、ようやっとストッキングを下ろしきった。このまだるっこしい所作は、その手のビデオの常套演出であるが、わたしにとってはそういう意図はなく単純に時間稼ぎをしたかっただけ。
ワイシャツを脱ぐ折も時間稼ぎを意識する。上からボタンを解くのではなく下から。出し惜しみするように、下から。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
すると、きゅっと締まったおへそが顔を出した。
「わあああああああああ」
大声とともにダッシュするのは赤坂先生。さすがにへそだしは教育上にもよろしくないと判断したのか、猛ダッシュでこちらに迫ってくる。大声に生徒たちがびくついた。
ヤンス君の演説めかした音読もどこ吹く風、傍を素通りしてわたしの前に大の字で立ちふさがる。
「見るなー!」
頭だけ後ろに巡らせて、後方の生徒たちに注意喚起した。
セリフが俺に構わず逃げろ! とかだったらドラマチックだなと、ボタンを結びなおしながらそんなことを考えていた。そうしたら、わたし惚れてたかもしれない。
ボタンを結び終え、ジャケットを羽織り直したところで、赤坂先生が視線を前方に戻して言った。
「服、着てください……って、あれ?」
乱れた様子のない服装を、赤坂先生は何度も瞬きをして、幻でも見るような目で見る。
ストッキングは脱いだままだが、無いなら無いでこれもアリだとわたし的には思う。ただ、裸足なだけでも色気とは加速するので、後出し的に靴は履いておいた。
「さっき、服脱ごうとしてませんでした?」
「はい」
なんの悪びれもなく言い切ると、赤坂先生は困りきってしまったように片手で顔を覆った。
「あー、えーっと、その。放課後、ちょっとお時間いただけますか?」
「は、……はい」
学校において、言われたら凹むランキング上位に入るであろう「放課後職員室へ」的な宣告を受けて、然しものわたしも凹んでしまう。
ママなのに、放課後居残りを食らうわたしは若々しい証!
と、自慰したってテンションは下がる一方だった……。
◇◆◇
応接間の一角に設えられたソファに座って出されたお茶を啜っている。飲んだところ煎茶らしかったが、緑茶より紅茶派であるわたしにはいまいちピンと来なかった。緑茶の良し悪しなど、茶柱が立つか否かくらいでしか判断できない。よって煎茶だろうが、このお茶は駄目なやつだということ。まぁ、茶柱が立ったからといって、この状況は好転しないのだからむしろ立たない方が良いのかもしれないかも。茶柱立てば縁起よし、といった先人たちを嘘つき呼ばわりしなくて済むからね。
応接間は、職員室のすぐ隣に位置するので先生たちの声がこちらにも聞こえてくる。
のみならず、コピー機の慌ただしそうな駆動音までだだ漏れだった。
ぴー、しゃん、ぴー、しゃん、ぴー、ぴーッ、ビー、ビー、グゴ、ゴゴゴッ。
どうやら紙詰まりを起こしたらしい。
「主任、また詰まりました」
「またですか……。先方に電話して、わたしに訊かないで頂戴」
「昨日修理したばっかりなのに……、業者さんまたやっつけだったんですかねぇ」
「知らない。わたしに訊かないで頂戴」
声からするに若い女性教員と、頼りない学年主任との会話だった。
教員というのもなかなか大変な職業なのだなと、この会話を聞いているとそう感じる。小学校の教員となれば特にそうだ。発展途上の子供たちに勉学を教え、運動で肉体を酷使し、道徳は身をもって薫陶し、子供たちが帰っても職員室には仕事が山とあり、そのほとんどが書類作りや書類整理と事務員ばり。ジェネラリストでなくば、務まらない仕事量だと思う。
「あ、自分、コピー機なら前に一度直したことがありますよ」
聞いたような声色が、救世主として登場したらしい。
「あら、赤坂先生。あなた確か、保護者さんを待たせているのではなくて?」
学年主任が、わたしのことを気遣うように言った。声のみの情報故に判然とはしないが深みのある落ち着いた声音からするに、四、五十代の女性といった印象。
「そうでした! でも大丈夫です、お茶は出しておいたので!」
わたしは迷子センターに保護された子供か。わたしに聞こえてないと思って言いたい放題じゃない。わたし、ムカッとしちゃった。
「助かります。わたし、これが終わらないと帰れないんですよ……!」
コピー機の不調に出くわした女性教員が、喜びと悲しみをいちどきに発露した。問題集か、成績表でも作成していたのだろうか。プリントごときで帰れなくなるのは、さすがに同情を禁じ得ない。
「任せてください。直ったら今日、飲みにいきませんか? 奢りますので」
「あ、いえ、今日は、ちょっと……、また今度……、み、皆さんで行きましょう!」
赤坂先生がどさくさに紛れて飲みに誘うと、女性教員はやんわりと誘いを躱した。
哀れなり赤坂先生、その断り文句は脈がないわね明白よ。いいえ、わたしを蔑ろにした罰よ、いい気味だわ。
わたしはソファに背を預けるとゆっくり目蓋を閉じる。コピー機を直すまでまだ時間はかかるだろうから、しばらくは眠っても大丈夫だろう。応接間のソファだけあって、とても上質な素材を使っていると見える。ウールだろうか、スーツなどにも使われる素材だ。
いつかの屋敷で味わったソファーには及ばないものの、風合いは悪くない。スーツに使われる素材なので、値段をそれなりに張るのかもしれない。
件の屋敷にあったソファーは牛革素材で、そもそも比べること自体がナンセンス。わたしのお尻は断然牛革が好みみたいだけど。
あの得も言われぬ多福感を思い出し、ムフフと不自然な笑みが自然と溢れてしまう。みっともない姿態であるが、それを見る者はこの空間にはいないので表情崩壊は待ったなしだ。
流星は教室で待っており、後にそこで落ち合う予定になっている。一緒に来てくれないの? ぐすん、とあざとく涙ぐんでみせたのだが、さきほどの露出行為におかんむりらしくまともに口を利いてくれなかった。
まぁ、仮にもママが、露出狂を演じたりすれば息子への風当たりも厳しくなろう。わたしはナリキン君のイジメから流星を守ろうとしただけなのだが、結果的に、他のクラスメートから誹りを受けてしまいかねないことをやらかしてしまったのだ。親の因果が子に報う、とはこのことか。ちょっと反省……。
反省していると眠気も遠ざかっていってしまい、手持ち無沙汰にスマホを取り出した。待ち受け画面を開いてみるが、メールも電話も来ていない。図らずもぼっちの辛さを再認識した。
すると、ちろり〜んとスマホが鳴き通知内容が表示される。もちろんメールではなく、スマホ・ゲームの更新アラームだった。わたし……というかもう授業参観も終わったんだしママの振りなんてしなくてもいいか……。
俺の、ここ最近特に気に入ってプレイしているゲームだ。タイトルを「魔剣は聖剣に哭く」といいスマホ・ゲーム市場において乱立しているよくあるカード選択型シミュレーションバトルRPGなのだが、ストーリーや世界観が壮大でありながら軽快で一気に引き込まれた。ストーリーがよくても、バトルのシステム構成が甘いと飽きられてしまうのがスマホ・ゲームの課題であるがこの「魔剣は聖剣に哭く」は、その辺りがうまく両立なされている。ストーリー重視でプレイしている俺としてはバトル・パートで余計な煩わしさを覚えないのはポイントが高い。
時間もあまり取れないだろうと、サブ・ミッションにてキャラの育成、アイテムの獲得をさしあたっての目的とし、これを進めていく。登場キャラの作り込みもとても密で、予定になかったキャラの愛着も知らず知らずに育まれていった。ことに俺の持つ高級なイヤホンを通じて聞くキャラの声はあたかも実際に囁かれているようで、女性キャラなら那月として、男性キャラならマナとしてときめいてしまうことが頻繁にある。
そうして思うのだ。これ、俺って友達とかいらないんじゃね。
このままゲーム世界に入って、そこで生活できたらなぁと、夢想する。それはとても魅力的で、叶わない夢だ。だけども夢想する。その声に出すことすらはばかられる夢想は、とかく現実に押しつぶされがちだが、ひょっとすると形を成して、創作物として産声をあげることだって、あるかもしれない。
登場キャラにして俺の主力メンバーの一人、豪炎使いの『ボルケノブァ』が見事ランクアップを遂げた。赤髪紅眼のイケメン青年で、高身長でミドル・マッチョの羨ましい体つき。攻撃時には上半身に炎を帯びて、パンチや取っ組み合いにさらなる威力を付与する。普段は赤いライダースーツのようなものを着込んでいるが、炎の力を使うと服は燃え尽きて上半身が剥き出しになる。ちなみにボルケノブァとは、つまり火星のこと。
「俺の炎は敵しか抱かねえ。だがこの腕は、お前のことを抱きしめても——いいよな?」
マナとして超絶きゅんとしてしまい、思わず返事をつぶやく。
「だ、抱きしめて……ください……」
すると、ぎゅっと後ろから抱きしめる感覚があった。男らしい腕が胸ながらこの身を包み込む。なんということか! ゲームはとうとうここまでリアル感を追求してきたか! ボルノ様ステキ……、と思ったのも束の間、んなわけあるかいと我に帰り、悲鳴を響かせながらそのポルノ的腕を振りほどいた。
「はぁ……はぁ」
まるでゲームの中で闘ってきたかのように、ぜえぜえと息を切らせてしまう俺。
振り返ると、驚いた様子の赤坂先生の姿があった。赤いジャージ姿、体育教師を思わせる隆々たる筋骨、髪と瞳の色は違うけれども、その姿はボルケノブァを連想させる。あぁ、もうボルケノブァのことはまともな精神では見ることができないだろう。後で主力から外しておこう。密かにそう決意した。
イヤホンを外すと、赤坂先生が弁解の言葉を発する。
「すみません。抱いてくれ、とのことだったのでつい。寝てましたか? もしかして寝言でした?」
俺が訴えれば即クビであるのに、なんとも能天気に赤坂先生は伸びをした。
「すみませんすみません、職員室のコピー機が故障しまして、その対応で遅れてしまいました」
軽く言って、向かいのソファにどっかり座りこんだ。さんざ人を待たせておいてその態度。
給食の折、遅れて教室にやってきたのだって、きっとこういった理由によるものだったのだろう。
「いいですから。早く話を済ませましょう。わたし、夕飯を支度があるので」
「ああ、そうでしたか。では、早速本題をば」
言うと、だらけていた顔をきりりとさせて真剣な表情で口火を切った。
「あなたは、小蔵響子さんの親類の方ですか?」
彼の口から出た名にはっとする。やはり彼が言っていた響子ちゃんとは、小蔵さんの娘さんのことだった。赤坂先生の年齢はわからないが、小蔵さんの娘さんの世代としても不自然ではないことから、赤坂先生は小蔵響子さんの同級生、あるいは同世代の友人である可能性が高い。
「違いますけど。その方とお知り合いなんですか?」
「ええ。同級生で、かつてお付き合いしていたことがあります」
それは予想していなかった。まさか恋仲だったとは。
ということは、赤坂先生は小蔵響子さんの自殺について何か知っているのだろうか。
「では、響子さんのことは、どこまでご存知ですか?」
探りを入れると、赤坂先生は目に見えて表情を暗くした。その時点で、響子さんが自殺したことは把握していることが察せられる。
「ああ、ええっと……、亡くなった、ところまでしか」
忘れていた感情を思い出すように、訥々とか細い声で語った。その声に、二人の間にただならぬ関係性を感じる。まぁ、恋人だったのだから当然か。
「でもさっき、久しぶりだねって、あたかも生きている人に向けた挨拶のようでしたけど」
「それは、あまりにも響子ちゃんに似ていたんで、亡くなったことが幻だったんじゃないかと思ってしまって……」
夢見心地でこの姿に響子さんを見ていたらしい。授業で夢をテーマにして生徒たちに夢を見させておきながら、もっとも夢を見ていたのは、赤坂先生だったらしい。
「わたしに似ていたんですか?」
どうしてもそれが気になってしまう。
肉親である小蔵さんにも見紛われ。肉体的に結ばれ、共に親となろうと約束を交わしたであろう、恋人の赤坂先生にも見紛われたのだから、そう訊ねてしまうのも無理からぬことであろう。
「とても似てました。目とか胸は、あなたのほうが大きいですけど」
「そうですか……」
どれも大きければ誇らしい部位だが、さっきの破廉恥の後でされても困る。セクシュアリティーな意見としか受け取れない。
しかし、この月宮マナの姿に似ているとなると相当な美女だったのだな、響子さん。美女は薄命と相場が決まっているが、なぜ自殺してしまったのだろう。その答えは遺書の封を切れば、すぐわかることなのに、赤坂先生に訊ねてしまう。
「死因についてですが、響子さんがそうなってしまった理由、わかりませんか?」
とみに赤坂先生の表情が硬くなった。それは、知っているが話せないような内容である、といったニュアンスにも見える。
「それは……僕の所為かも、しれません」
「それというのは?」
間髪入れずに問うと、赤坂先生は押し黙ってしまった。
よほど言いたくないのだろう。よほど言いたくないということは、よほどのことがあったのだろう。
「言いづらいことでしたら、言わなくても大丈夫ですよ」
「すみません」
赤坂先生からは聞き出せなかったが、答えは、俺の鞄の中に入っているのだから。
「話は以上ですか? なら帰りますが」
「ちょっと待ってください」
鞄を手にソファを立つとまだ話は終わっていないとばかりに、赤坂先生は俺を引き止めた。
「何でしょう?」
「授業中、どうして服の脱いだのかその理由をお聞かせねがえますか?」
忘れていたその話題を蒸し返され、か細い声で言い訳する。
「……言いづらいことなので、言わなくても大丈夫ですか?」
赤坂先生が、イエスと言うわけがなかった。