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バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
木戸せいら編
51/64

三章 木星か、土星か、いや、木戸せいら(5)

 初めてのことではないのに初めてのように感じる現象を、ジャメビュというのだそうだ。その逆はおなじみ、デジャビュ。

「え、響子ちゃん……?」

 この場合、わたしはジャメビュなのかデジャビュなのか、問いかけられていることも忘れて真剣に考えこんでしまった。流ちゃんの担任とおぼしき男性とわたしは全くの初対面だ。それに、わたしは響子ちゃんという名前ではない。

 しかしその名前が妙にしっくりくるのは、その名を前にも、別の誰かからも呼ばれたからだろう。そんなに当たり前のように呼ばれ続けると、そりゃそんな気がしてしまうよ。洗脳の基礎とは、そこにあるのだし。

 なので、無意識のうちに首肯していた。

「やっぱり響子ちゃんだ。久しぶりだね、相変わらず若いなぁ。いつの間にか、胸大きくなったんだね」

 と、まぁわたしがジャメビュなのかデジャビュなのかは置いておくとして、この先生の場合は、ジャメビュなのだと思う。

「あ、いや……その」

 肯定しておいて、自信無げな返答になってしまう。やはり人間、嘘はつけない生き物だ。

「違うんです。わたし、違うんです」

 結局白状すると、担任の先生は置いてきぼりをくらったように首をかしげた。

「響子ちゃん? 響子ちゃん……じゃないの、ですか?」

 そのときこそ、わたしは力強く頷く。わたしが響子ちゃんではないとして担任の先生は目に見えて肩を落とし、ふっと寂しげな笑みを浮かべた。

 そしてこほんと咳払いし、改めて、挨拶をする。

「さきほどは失礼。旧い友人によく似ていたもので。私、四年四組担任の赤坂と申します」

「黒先流星の保護者として参りました、黒先と申します」

 ご丁寧にお辞儀をされたので、同じように返した。

 すると気まずいのか、わたしから視線を逸らすように赤坂先生がクラス中に視線を泳がせる。そのどきまぎした様子を見て、クラスの生徒たちが面白おかしく囃し立てた。

「せんせー、ドキドキしてるー」

「ラブラブだー」

「ち、ちがうぞ!」

 赤坂先生が顔を真っ赤にして否定する。赤坂先生にとって響子さんとは、赤坂先生が赤面をするような間柄なのだろうか。そして、彼の言う響子ちゃんとは小蔵さんの娘、つまりは小蔵響子さんのことなのだろうか。

 もし、そうだったとして赤坂先生は響子さんの自殺のことを知らないのだろうか。

「は、破廉恥ざんす……」

 保護者わたしにどぎまぎする赤坂先生にいらいらしたように吐き捨てるザンスさん。仮に、ザンスさんがわたしの立場だったなら「まぁまぁ、仕方ないざんすね、ほほほ」と満更でもない態度をとっていたに違いない。心の貧しさが胸に表れているようだ。

 先ほどまで言いたい放題だったナリキン君や、その子分であるヤンス君は、赤坂先生の登場に一同しゅんとしてしまい、ヤンスにいたってはザンスさんの影に隠れてしまっている。ナリキン君は、保護者の影に隠れるのは嫌なのか、その場にじっと立ち尽くしている。

 そして、床に仰向けに倒れる少年と、その介抱をする母さんを見て赤坂が何事かと声をあげた。

「な、なんだ、どうしたんだ?」

 赤坂先生のトーンは、怪我人などを気遣うようなそれではなく、元気のない生徒に「どうした、もっと元気出せ!」と発破をかけるような力強さがある。典型的な体育教師だというのが正直なところ。骨格も大きく、身についた筋肉もメガ盛り級でただ羨ましい。あんなに筋肉があったなら……、いけない、わたし今、女の子でマナちゃんで、ママなんだった。

「それはねー」

 事情を説明しようと、女生徒が立ち上がると、機先を制するようにナリキン君がはいはいと挙手し、その手をびしっと流星の方へ指し示した。

「黒先君がやりました」

 突然の名指しに肩を震わせて驚く流星。のっぺりとした、表情の変化に乏しい顔立ちだが長年一緒に暮らしているわたしには流星の機微がよくわかる。よくわかるからこそ立場のない流星の代わりに、あの高慢ちきなナリキン君を睨み据えた。

 得たりと犯人の名を言ってのけたナリキン君と目が合うと、びくりと反射的に後ずさった。どうやら、わたしの閻魔顔に恐れをなしたらしい。

 ナリキン君は流星と違い、動画サイトで人気を博するだけあってビジュアルもなかなかのもの。その整った顔が恐怖に歪むさまは見ていて爽快になる。

「黒先君、本当なのか?」

「…………」

 赤坂先生の問いに、流星は俯いて答えなれない。経緯はどうあれ、もう一人君をのしたのは流星で間違いないのだから。

 その罪過は、まだ小学生である流星には背負いきれないものだったのだろう。目から涙を流し、それでも水に流せない罪に、どうする術もなく嗚咽する。わたしはたまらず流星のそばにより、そっと胸に抱き寄せた。

 赤坂先生は困ったように頭を掻き毟る。視線はわざとこちらから外しているような節があった。まぁ、人の泣き顔を眺めるのも偲びないと思ったのだろう。

「泣き止んだら教えてくれ黒先君。先生見てないからな!」

 と、赤坂先生が背中で語る。いい男は背中で語るのだな。

「すみません」

 流星がこんななので、わたしが返事代わりにそう謝罪する。すぐに慌てた声で大丈夫ですよ、とフォローの声があった。

「ほら、大丈夫だから。わたしは流ちゃんの味方だから。だから泣き止んで」

 赤ん坊をあやすように流星を頭をわしわしと撫でて、ぎゅっと抱きしめる力を強める。頻りに噦り上げるのが胸に直に伝わってきて、心臓を締め付けられたように胸が苦しくなった。

 こんな辛さを、流星はいつも味わっていたのだろうかと思うと胸が切なくなる。

 ふと、ナリキンを見ると我が意を得たりとほくそ笑んでいるのかと思いきや、羨むような、純朴な眼差しがこちらに向けられていた。敵愾心むき出しで睨んでやるつもりだったのに、毒っ気を抜かれて目が泳いでしまう。ヤンス君は、ザンスさんによって目隠しをされて見ることも叶わない。

 辺りの生徒たちも、まるでホームドラマの一幕でも見るようにわたしと流ちゃんの動静に釘付けになっていた。感慨極まってもらい泣きするものあらば、いらぬ拍手を送るものもある。それはさらながら、ドラマや舞台を見るようであり、ディスプレイ一枚、緞帳一幕を通して見るような、近いようで遠い距離感が拭えない。

 そうやって自分とはやはり、一枚、一幕を隔てた存在として、娯楽の一種として眺めてくるのが頗る不快だった。

 見るな、さっきまで見向きもしなかったんだから。

 泣くな、それは流ちゃんの涙だ。さっき流ちゃんが泣きながら給食を食べてた事実すら、知らないくせに。

 拍手するな、リズム感もない素人が。なんのつもりか知らないけど、美談にするつもりか。お前たちの無関心を美談にするな。

 そう思うと悔しくて、涙が溢れてくる。

 溢れる涙は止めどなく、頰を伝って床に滴った。

 あれ、今日はウォータープルーフの化粧品を使ったっけ。ああ、雨だし、メイクは白行ちゃんがやったのだし大丈夫だろう。そう思うと、涙が一層溢れてきた。わたしのしゃくり上げが大きくて、流ちゃんの嗚咽も聞こえなくなって、なのに声はちゃんと聞こえてきて。

 大丈夫だよと、その悲壮な声がさらにわたしを泣かしむる。

 そぼ降る雨は、もはや流ちゃんの涙。

 クラスメートの涙も、つまるところ流ちゃん涙。

 それでも流せないものがあると、嘆くわたしの涙。


  ◇◆◇


 泣き止む頃には昼休みが終わり、五時限目のチャイムが鳴っていた。

 他の保護者は軒並み帰宅遊ばせ、わたしだけが、教室後ろに突っ立っている。もう一人君は再起不能らしく、母親とともに帰宅した。

「よーし、授業を始めるぞ」

「えー」

 赤坂先生の気合十分な声に生徒たちのことさらやる気なさそうな声が異論を唱えた。えーじゃない、と赤坂先生の喝がクラスを支配する。

 わたしは、中学生の頃こんな感じの暑苦しくてうざったい先生がいたなー、などと思い出に耽っていた。暑苦しく、連帯感を重んずる教員はとかく不活発な生徒の反感を買うような行動を取る。それが嫌で、よく仮病をして保健室に逃げ込んでいたっけ。それが今や保健室常在の身なのだから、わたしが保健室登校者なのはそうした教員が原因なのではないかしらと思わないでもない。

 ざわつく教室をべしべしと教卓を叩いて静まらせる。

「五時間目の授業は、さきほど授業参観で書いた作文を読み上げてもらう。そしたら、先生が評価しちゃうぞ」

 〜時間目と呼ぶところが小学校らしい。

 教室の廊下側の壁に貼られた掲示物の中に時間割を見つけると、今日の時間割を確認する。五時間目は国語の授業だった。四時間目は道徳だったらしく、そこで何某かの作文を書いたみたいだ。それを国語の授業時に読み上げ、評価を受けるというなかなかの公開処刑ぶりだと思う。わたしだったら仮病コースかな……。

 ちなみにわたしは先生のご厚意により特別に、五時間目の授業の参観を許可された故にこうして教室に残っている。

「えー、やだー」

 子供たちの異論の声がさらに大きくなった。先生人望なさすぎだった。

「えー、やだーじゃない。ご両親の前で読まされるよりはマシだろう。ほれ、四隅でジャンケンして順番、決めるぞー」

 流ちゃんのこと、忘れてないですかねえ赤坂先生。

「ほれ、起立起立」

 しぶしぶ四隅の生徒が席を立つ。勝手に白羽の矢が立った上、ジャンケンの結果如何では、周囲のクラスメートに死ぬほど恨まれる損な役回りだ。そのうち一人に、ナリキン君の姿があった。窓際最後列、素行不良の生徒にとってはベストポジションに陣取り、眠そうに席を立っている。

 その前席には我が息子、流星が落ち着きなく座っている。野暮ったい後ろ姿はもはや愛着が湧いてくるレベル。およそイケメンとは言い難い相貌が、頻りにわたしの顔を覗いてきた。

「よーし、じゃあ勝った人からスタートだぞう」

 赤坂先生の合図のもと、ジャンケン・スタート。

「ジャーンケーン、ポン!」

「くっ……!」

 その大人びた呻きは、ナリキン君のもの。勝利のピース、のようなチョキの手をぐぬぬと睨んでいる。

「よーし、じゃあ金山かなやま君からスタートだ」

「くっ……、ナリキン・ジャンケンで鍛えすぎたか……!」

 その言い訳はよくわからないけど、とにかく悔しいというのは伝わってきた。ナリキン以外の三人がほっとした面持ちで着席する。

 ナリキン君は着席せずに、机から原稿用紙を拾うと、一気呵成に作文を読み上げた。

「My job is “Yo Tube” 金山達成かねやまたつなり

 タイトルを聞いて、数人のクラスメートが噴き出す。ぎろりとナリキン君がひと睨みを利かせると息を殺したように教室中が静まり返った。わたしは不意の英語に、未だ笑いが堪えられない。

 ぎろりと鋭い視線を原稿用紙に戻すと、何事もなかったようにスピーチを再開する。

 どうやら作文のテーマは、将来の夢についてらしい。

 せいらさんと一件もあり、昨今のわたしにぴったりなテーマだと思った。

「僕は小学四年にして、僕にものを教える、赤坂先生よりも大金を稼いでいます。むしろ先生が僕に学んだ方が良いのではと感じるほど、僕は大金を稼いでいます」

 ピクリと額に青筋を浮かべる赤坂先生。他のクラスメートたちは、クスクスと赤坂先生の体たらくを笑っている。やめて、やめたげて!

「そんな大金を作ったのは、僕の誕生日に、両親がプレゼントしてくれたカメラです」

 言うと、教室の真ん中あたりの席に座るヤンス君がくだんのカメラを掲げた。すると、赤坂先生がむむっと見咎める。

「没収」

 と、ナリキン君の資本財であるカメラを、たった二文字の言葉で封印してしまう赤坂先生。すごすごとカメラを提出しに行くヤンス君。

 自席に戻りがけにヤンス君は、ナリキン君の顔を意識的に見ないようにしていた。後ろからだとナリキン君の表情は見えないけれど、怒っているんだろうなー。まぁ、わたしには関係ないけれど。

 こほんと、怒りを誤魔化すように咳払いをしてナリキン君がスピーチを続ける。

「僕の一人っ子であり両親は共働きで、とてもいそがしく、あまり僕と一緒にいる時間がありません。だから一緒にいられる少ない時間を、永遠のものにしようと、カメラを買ってくれたのだと思います」

 とても、思い入れのあるカメラだった。それだけに没収されたのが残念ではある。

「家族との写真を撮っていくうち、カメラについて勉強していくうち、映像というものを知りました。写真はその時々の瞬間しか残せないけれど、映像は長い間、記録に残せる。それを知ってからは映像に、のめり込んでいきました。まぁ、写真は写真で良さがあるんですけど」

 最後のほうはアドリブなのか、ちょっと照れくさそうに言った。

「家族と撮った他愛ないホームビデオをきっかけに映像制作にはまって、勉強し、失敗し、スキルアップして、今では、動画サイトにおいて人気者です。一つの動画を投稿すれば明くる日には、二百万人もの人々が見るところとなる」

 とても誇らしげな口振りだった。純粋で、誤魔化しもなく、ありのままを語る口振り。

「実は僕のチャンネルに一番最初にアップロードした動画を知る人はほとんどいないのですが、それは僕が初めて作った動画、つまり家族との他愛ないホームビデオです。再生数にして数百、最近の動画と比べるもの恥ずかしいくらい少ないですが、これだけは言えます。あのホームビデオのために、これまでの動画が、あるのだと」

 しばらくの無音が続き、スピーチが終わったのだと知ると、教室中が拍手喝采に満ちた。彼に対して快く思っていないわたしでさえも、我知らず感じ入っていた。

 短い動画に内容を集約させる技術を作文にも活かしきった、実に無駄のない構成。文字数こそ少ないけれど、それだけにメッセージ性もキャッチーで、彼が動画に掛ける熱意というものがよく伝わってきた気がする。

 カメラを没収した赤坂先生も、直立して、毛深い腕で目元を覆いて漢泣き。

「金山君! その作文、きっとご両親に読ませてあげるのだぞ、約束だぞ。そしたらカメラは返す!」

 漢泣きのまま赤坂先生が言った。

 しかし、そうか。

 そういえば、ナリキン君の母親は授業参観に来ていなかったらしいな。あんなに出来た子供なら、我が子よあれがと出しゃばってもおかしくはないだろうに。

「さて、次は黒先君だな。お母さんの前で、こそばゆいだろうが頑張ってな!」

 赤坂先生、あなたはどうしてそう緊張を煽るのか……。

 予想通り、ガチガチに緊張した流ちゃんがロボットのように起立、礼、着席した。いや、したらダメでしょ……。

 感極まった空気から一転、コミカルな笑いに満ちる教室。

 流ちゃんが一瞬、こちらを見る。

 わたしはその不安げな表情に、にっこりと微笑んでやった。大丈夫、失敗なんて全然怖くない、とメッセージを込めて。

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