三章 木星か、土星か、いや、木戸せいら(4)
まるで芸能人になったような気持ちだった。
白々と輝くライトを浴び、腕利きのカメラマンによって綺麗に被写されるのではなく。
「いやはや。シスコンの黒先君の話では、那月さんとかいう綺麗なお姉さんがいるようでしたが、ママさんもこんなに美しいとはね。黒先君はブラコンでマザコンと」
じろじろと嫌な視線を浴び、粕取り雑誌に事実無根をすっぱ抜かれるような気分だ。
俯いて死んだような顔をする流星の代わりに、キッと自称鋭い視線でわたしが睨む先には、三人の少年。わたしは席を立ち、来るやもしれない彼らの攻撃に構える。
「おっと、申し遅れました。僕、こういうものでして」
三人の中でもリーダー格の雰囲気を纏った少年が、横に控える取り巻き風情の少年にごつくてお高そうなカメラを預けるとこちらに近づいて、懐から名刺ケースを取り出した。まず小学生が名刺ケースを携帯していることが異常だったし、そもそも小学生の言動じゃないよね彼?
服装も妙に高級感で繕われているようで、その態度も金による自信で満ちているようだった。
「どうぞ」
金ピカにカラーリングされた名刺を受け取ると、眩しさと訝しさでもって目を細めてそれを見る。
「株式会社ナリキンTV代表取締役、金山達成?」
まったくもって存じ上げない会社、社長の名前を読み上げると、カメラを任された少年が、誇らしげにえっへんと前に出る。
「まさかナリキンTVを知らないでやんすか? 人気動画サイトYo Tubeにおいて登録者数五〇〇万人を誇る、超有名チャンネルでやんすが?」
その動画サイトなら知っている。よく活用している、海外の演奏動画の視聴が主な目的で。
「知らないなぁ」
正直に打ち明けるとナリキン君のこめかみの筋がぴくっとなった。それをいち早く察した、でやんすが口癖である、ヤンス君が即座にフォローを入れる。
「き、気にすることないでやんすよ、ナリキン君。こっちには五〇〇万人の味方がついてるでやんす! 数字は嘘を吐かないでやんす!」
彼らのことは存じ上げないが、動画クリエイターが最近どうこうといった話はよく耳にする。なんでも動画を作成して公開して、広告を貼り付けてその広告費で大金を手にする人々が、話題になっているらしいのだ。実働時間に対し、得られる見合わぬ大金にサラリーマンを辞めてしまう人も続出しているのだそうな。小学生の将来の夢ランキングでも上位に入るほどの社会現象ぶり。
ラクして稼ぎたいという、人間の本質が浮き彫りになった瞬間である。
「そう、僕は、登録者数五〇〇万人を誇る超人気Yo Tuaer……。資産なら数億! 金ならある!」
ハーッハッハ、と高笑いをして踏ん反り返るナリキン君。確かに資産数億というのは凄まじい額だと思う。
ナリキンTVとはどうやら彼ら三人で運営しているらしく、リーダーで社長であるナリキン君、取り巻きであり能無しのヤンス君、自席から動こうとしないもう一人君からなるチームらしいのだ。
しかし、小学生で会社を持ち、そして億以上の利益を出すのは凄いことだと思う。
「すごいんだねー、すごーい」
とはいえあまり関心のないジャンルなので、ぱっと思いつく言葉で適当に賞賛しておくと、ヤンス君が疑義を示す。
「む、なんか馬鹿にされている気がするでやんす」
するとナリキン君とヤンスの後ろから、がたりと起立する大きな影があった。小学生とは思えないほどの巨躯、威容はクラス中を圧迫するようだった。
用心棒さらがらにナリキン君とヤンスの前に出ると、わたしに立ちはだかる。
「馬鹿に……するの、許さない」
立端はわたしよりも少し大きく、恰幅はわたしの二倍近くあって、つまり腕っ節では敵いそうにない。だってわたし、女の子だもん。
「馬鹿にしてるわけではないんだけどなー……」
むしろ馬鹿にしてるのはそっちだと思う。見よ、この流星のまるで生気のない顔を。
それに、他人のママにそんな態度をとるのだって、馬鹿にしているのと同じことだ。
「馬鹿にしてるでやんす! ちょっと綺麗なママだからって調子に乗り過ぎでやんす! べべべ、別に黒先何某のこと羨ましくなんて思ってないでやんすが!」
ヤンス君はもう一人君に比べると、随分と体の線が細い。蚊蜻蛉という表現がよく似合っている。
「聞き捨てならないざんす。ママのほうがどう見ても綺麗ざんしょ?」
ナリキンTVのメンバーがいた席から、どう見てもヤンス君の母であろうこれまた蚊蜻蛉のようなシルエットの女性がヒステリックな声で異を唱える。
「も、もちろん……でやんす」
自信無げなヤンス君だった。
その母、ザンスさんは子供たちの粗忽を咎めることもなく、自席でママさん方と一緒にお重を囲んでいる。海老だの蟹だの刺身だの、あらゆる海の幸が顔を出し、お重の格調を高くする。TPOはガン無視しているけども。
そこは授業参観だというのに、もはやママさん会と化していた。
そのママさんコミュニティの中には、ナリキン君ともう一人君の母親もいるのだろう。
まぁ母親連中はさておき、わたしは眼前で威圧してくるもう一人君の存在が気になって仕方がない。さっきからこちらを睨んでくるんですけど。
「大きい……大きい……大きい」
大きな体躯の彼が示すのは、わたしの胸元にある大きな膨らみのことだった。睨んでいるのではなく、その大きさに目を見開いていただけだったらしい。がきんちょにいくら見られたところでなんとも思わないので、わたしは、威圧されていなかった事実に安堵するのみだ。
しかし、もう一人君のその発言によりママさん陣営が幽かに波立った。
自らの胸元に目を落とし、絶壁まがいの貧乳に絶望するものが殆どである中、一人顔を手で覆うように隠す女性がいた。お淑やかで品がありそうな顔は赤く染まり、きっともう一人君の母親なのだろうと察せられる。性格どころか、顔面造作すらひん曲がったおばさま連中において、唯一まともそうな雰囲気がある。
しかしそういった性格の人は当然、こうした場ではとかく影を潜めてしまうものなのだ。無理が通れば道理がひっこむ、とはこのことだ。
まぁ、わたしの大きな胸を前に、ひっこむ胸さえ持たないおばさま連中の哀れなこと。其処退け、ぷーくす。
自分の哀れさに気づいてしまったのか、ザンスさんががばっと立ち上がってわたしを指し示した。
「きー! 大きければいいってものじゃないざんす! 重要なのはその形、美しさざんす!」
本当にその通りだと思います。声も、大きければ人が簡単に黙ると思ったら大間違いですよね。胸は確かに形が重要ですが、形すら持たない人にそれを言われたところで痛痒も感じませんよね。
とは、さすがに直接は言えないので脳内で言い放って完全論破、勝利の美酒に酔う。
「あー、はいはい」
ザンスさんのことを流し目に見て、超絶嫌味ったらしく言ってはぐらかした。美酒とて酔っ払えば悪酔いもする。
「きー! 綺麗ならいいってものじゃないざんす! 重要なのは形とかじゃなくって、目に見えない美しさ! ざんす!」
さっきとえらく主張が違うな。本来、目に見えない醜さが人の形を取ったような人がよく言う。
「はー、はいはい」
もたも適当に聞き流すとザンスさんはきー、と怒りを露わにして地団駄を踏む。自分でも負け戦だとわかっているのだろう。余裕を笑みに含めてザンスさんを見る。
舌戦を繰り広げるわたしとザンスさんの間にいる、もう一人君は可哀想なものだ、気忙しなくわたしとザンスさんを交互に見比べて目を回している。やがて倒れこみ、わたしのことを巻き添えにした。
「きゃーーーー」
叫んだのはザンスさん。わたしは突然のことに声も出ず、もう一人君と床との板挟みに苦悶するのみだ。もう一人君の気持ちが、分かったような気がする。
「那月!」
流星が叫び、席を飛び出して駆け寄ってくる。すると、わたしの姿を見るや流星は小さく叫びを漏らした。
「きゃ」
流星の叫びに呼応するように、短い悲鳴を響かせたのはもう一人君の母。
叫びに次ぐ悲鳴に、教室中がざわめいている。なので、仰向けのまま辺りを見渡してみる。
「……那月?」
ナリキン君がわたしを見て、意味深に呟いた。
「羨ましいでやんす」
ヤンス君が羨望の眼差しでこちらを見ている。そこへ見てはダメざんす、とヤンス君に目隠しの手を覆うザンスさん。
「うーん……」
と、倒れて、わたしに覆いかぶさるもう一人君は完全に意識が朦朧としているようだった。
わたしの右胸に顔を埋め、右手が左胸をにゅっと包み込んでいるのをようやく理解するわたし。今さらのように顔が熱くなる。
「い、いや……」
覆いかぶさる彼に拓篤の姿を重ねてしまい、かつてのトラウマが、胸を大きく脈打たせる。
辺りにスタンガンを探すが、そんな都合のいいことがあるはずがない。トラウマが高じて涙が溢れてきた。
「やめろ!」
言って、流星が、もう一人君の身体を退けようと奮起する。礫のような手をわたしの左胸から引き剥がし、巌のような顔をわたしの右胸から払いのけた。そして、もう一人君の腹部を蹴飛ばしてわたしから完全に退かせる。床をゴロンところがって、だらんと伸びた。もう一人君の母が、駆け寄り彼を介抱する。
流星の勇気が見せた、電光石火の救出劇。
わたしは解放されたこの身体を流星に抱きつかせて、心からのお礼をする。
「ありがとう……」
「い、いいから」
照れ隠しするように、強引にわたしのハグから逃れる流星。逃げる背中に、今一度ハグしてやる。
「や、やめろー」
「やだー」
パチパチパチ——
そんな感動的な展開を祝福するように、あるいは新たな展開を提示するように、ナリキン君は大きくゆったりとした拍手を打った。
その大仰な音にハグするのを中断し、水差すナリキン君にじと目を向ける。
「いやだなー。そんな目で見ないでくださいよ、黒先君のお姉さん?」
「え?」
思わず呟くと、ナリキン君は小学生と思えないような歪んだ顔を晒す。特に口元が邪悪で、まるで、わたしたちの弱点を掴んだとでも言わんばかりの笑みを作っている。
「お姉さんさんって、わたし、ママ……」
「いやいや、那月さん。あなたは黒先君のお姉さんなのでしょう?」
那月という耳慣れた名前に、冷や汗が止まらないわたし。
名乗ってもいないはずのその名前を、何故知っているのか。見ると動揺しているのはわたしだけではなく、流星も信じられないといった顔をしていた。
「さっき、あなたが倒れるときに黒先君が口走っていましたので。那月という名前は、かねてより存じ上げておりました。黒先君が結婚したくて堪らない、お姉さんの名前です。そうですよね?」
真実突きとめたり、という顔でナリキン君が言った。お姉さんがわたしであると確信をもっての宣言だ。
たかが小学生に、看破されて一言もないわたし。閉口したわたしを見て、我が意を得たりと口元をにやつかせる者がいた。
「はっ、蓋を開けてみればただの姉ざんすか。ここは小学校で今日は授業参観ざんす、あなたのような小学生でもない保護者でもない人が来るところではないざんす」
ざんすさんの大きい声にクラス中がさざめく。
「え、お母さんじゃないの?」
「そうみたい」
「なんでここにいるの」
「わかんない。でもひょっとしたら、不法侵入になるんじゃ」
「ていうか、姉弟で結婚って……」
「それって近親婚?」
「やだぁ」
「ねぇ」
下劣なうわさ話は保護者間にて繰り広げられている。
生徒たちは、一瞬きょとんとしていたが、その話を理解できる者は少ないらしくやがて友人同士の会話に戻っていった。
下劣なうわさ話を理解する、数少ない生徒であるナリキン君、ヤンス君は、心底軽蔑したくなるような得たり顔を流星に向けている。
流星に一蹴されたもう一人君は、母に介抱されながら白目を剥いている。
流星は、愚劣な文句を言われたのはわたしなのにまるで我が事のように、きりりと歯を食いしばってざんすさんを睨みつけた。睨みつけられたざんすさんはそれに気づかずに嫌味ったらしい顔をわたしを向けている。
どうやら、胸に対する嫉妬が彼女をさらに醜くしたらしい。
わたしは流星がいなかったなら、即座に帰りたい気持ちでいっぱいだった。小学生に看破され、ママの尊厳も失い、嫌味なおばさんに目の敵にされ、周りの親御さんにまで変な印象を抱かれ、下劣な囁き声は四面楚歌にも聞こえる。
「り、流ちゃん……」
怖くて、心細くて、流星の方へ手を伸ばすと、からりと教室のドアが開いて一人の成人男性が入室してきた。
「先生だー」
「どこ行ってたのー」
その男を見るや、生徒たちが口々に言い立てる。
「すまんすまん、職員室でやることがあってだな」
先生と呼ばれる男性が教室に入ってきた瞬間リセットがかかったように、何事もなかったようにナリキン君やヤンス君、そのペアレントはわたしの吊るし上げを中断した。
先生たる男性は、教室を見渡してこの雑然とした状況を把握しようとし、そのすがらにわたしと目が合う。
年の頃は四、五〇くらい。長身で肉付きがよく、体育系を専門とする先生なのかなと予想される。授業参観だが格好はジャージとラフで、緊張感のかけらも感じられない。
凛々しい切れ長の目がわたしの顔を視界におさめると、その目が大きく見開かれる。
「え、響子……ちゃん?」
先生の口から出たのは初めましての挨拶ではなく、初めましてとは言いがたい名前。
せっかく月宮マナの姿をしているのに、今日はその名前をまったく聞いていないような気がした。