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バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
木戸せいら編
47/64

三章 木星か、土星か、いや、木戸せいら(1)

 雨滴が肩口を頻りに濡らしている。

 コンクリートの濡れた臭いがひどく鼻をつく。驟然と、降る雨に濡れるこのジャケットも後で異臭を放つことが予想できた。

 万が一のために鞄に忍ばせておいたこの折り畳み傘も、面積が小さく、全身を雨から守るには至らない。無慈悲にも数うるに能わぬ雨滴は、笠の護りを、潜り抜けるように篠突き、この身を濡らしては体温を士気ながら奪っていく。

 衣類越しに身体を濡らすというのは、存外不快で、これなら直接皮膚を濡らしたほうが幾らか爽快であろう。


「流星」


 雨のまにま、その少年の名が口から零れた。

 腕を捻って反動で腕をまくると、ちらと腕時計を見やる。時刻はじきに午前から午後に切り替わる頃、小学校ではぼちぼち給食の時間が繰り広げられているところか。それを思うと行く足は焦りで速まり、水溜りを気にせず踏みつけて道を突き進んだ。

 訳あって授業参観、大遅刻である。

 腕に巻かれた女性物の時計の文字盤に、いま一度目をやる。このぶんだと、給食の時間にも間に合わないかもしれない……。


  ◇◆◇


 月曜、朝九時ちょっと前。

 目がさめ、視界に入ってきた遅刻必至の時刻表示に一瞬心臓が止まりかけ、ふと、今日は学校はお休みだということを思い出しだして安堵した、ぐいっと、平心をもって朝の伸びをする。

 起き抜けに緊張、弛緩を経て、ようやく五感が平常運転を開始すると、聴覚が常を破る音を捉えた。

 瀝々と音を立てて、屋根を濡らし続けるそれは、雨音だった。俺の住まう児童養護施設『希望の箱庭』は平屋であり、雨音も、普通の二階建て住宅と比べると大きくなる。加えて施設はトタン屋根とあり、雨音は大きくなりまさる。

 窓の外の雨に煙る景色を見るに、木が揺れている様子はなく、無風であることだけがせめてもの救いか。それすらも加わっていたなら、俺は授業だって、授業参観だって欠席しただろう。

 そんなことを考えながら、ベッドから出ると、ふらっと低血圧ゆえか立ち眩みがした。倒れてベッドにバックしそうになりながら、なけなしの平衡感覚でそれを回避し、なんとかその場に踏ん張る。

 すると、ぐーとお腹がなった。どうやら、お腹が空いていただけらしい。


「なっちゃーん」


 雨音に紛れ、小さく声が聞こえる。声の主は誰かと考えるまでもない、施設に在籍するのは小学生が三人、高校生が二人、そして大人が一人。登校時間をとうに過ぎている現在において、俺の名を呼ぶことができるのはたった一人。大人であり院長である、黒先白行その人だ。

 強烈に屋根を叩く雨音に負けないよう、白行ちゃんの大きな足音が俺の部屋に迫ってくる。


「なっちゃーん、起きてる〜? 朝だけど」

「はいよ〜」


 朝なので低血圧な挨拶を返すと、浮き浮きしたオカマ声が扉向こうから聞こえてくる。


「今日、またオメカシするんでしょう? よかったらアタシ、手伝いましょうか?」

「あとでねー。それよりお腹すいたなぁー」


 ご飯のお知らせ、ではなかったことにガックリする。


「もちろん、ご飯もできてるわよ。ほうれん草と卵の、アルミホイルdeボイル包み」


 品目のところだけ妙にハードボイルドめかした低音ボイスで白行ちゃんが言った。


「おー」


 いまいち反応に困ったので、とりあえずそう返しておく。おー、という反応は非常に便利である。しかしまぁ、給食チックなその朝食メニューには興が乗った。先日、給食について思いを馳せたものが、こんなところで実現しようとは。


「じゃ、準備できたらいらっしゃい」


 と言い残して、白行ちゃんが立ち去る。彼が去ると忘れていた雨音が聴覚に浮かび、俺は思い出したように携帯に手を伸ばした。四桁の番号式のパスワードをぽちぽちと地味に解除し、メニュー画面が表示されるとメッセージ・アプリのアイコンをタップ、受信欄の最上部の新着メッセージをタップして内容を読み込む。

 ユーザー名、『ユピテル・クロノス』。……送り主は異人さんかな、と一瞬思ったが、おそらく違う。

 ユピテルは辞書で調べてみると、ローマ三主神が一柱、またの名を最高神ゼウス。

 クロノスは、古代ローマの神サトゥルヌスと同一、天空神。そしてゼウスの父。

 ……神々からのメッセージ、つまり神託だった。

 というのは冗談で、それぞれ英語名にすればジュピター、サターンとなり、木戸せいらさんからのメッセージであることが結論づけられる。


「わーい、せいらさんからのラブレターだあ」


 絶対にそうではないことを、わざわざ口に出して言ってみる。これはあれだ、「わたしはできる、できる子なのよ」と自分に言い聞かせるお呪いにも似ている。そうすることで俺はれっきとした男であり、ただの勘違い男であることを自覚することができるのだ。

 さて、変な妄想はやめてメッセージを読むことにする。

 もはや全世界にユーザーを抱えるメッセージ・アプリ「CIRCLEサークル」は、若者世代を中心に絶対インストール推奨アプリとして知られ、コミュ障で保健室引きこもりの俺でも、時代に流されるようにインストールしている。まぁフレンド登録は二人で、ピースサイン作れるくらいには負け組なんですけどね。今回、せいらさんをフレンド登録すれば三人となり、ピースサインも作れないレベルで負け組になるんですけどね。フレンド増えたのにさらに負けた気になるのはこれ如何に……。

 現在のフレンドは陽菜と拓篤の二人。白行ちゃんは年齢があれなので、ややこしいことはやらない性分として、流星やちびっ子ふたりはそもそも携帯を持っていない。俺のコミュニティなんて施設の中くらいが精々だから、フレンドが少ないのも道理だね。キミは友達全然いないフレンズなんだね! 皮肉られること請け合いな俺のステータス。フレンドじゃない人にフレンズなんだね、とか言われたないわ。フレンド呼ばわりにつつ、除け者扱いするのが得意なフレンズなんだね!

 友達とかフレンド関係の話題になると気が動転して、あーでもないこーでもないと話を脇道に逸らしてしまう哀れな俺。せいらさんのフレンズ登録を獲得し、チャット画面を開く。


「陽春の候、深山先輩におかれましては、益々ご健勝の事とお慶び申し上げます」


 いきなりメッセージを閉じたくなるような書き出しだった。こんな堅苦しい時期の挨拶に始まり、シングル・センテンスに対し幾つも連なる難熟語で読者の意欲を削ぎ、諺慣用句などで飾り立てては、伝えたいメッセージをむしろ曖昧にしてしまうような構文だった。そう、これもまた定型文。俺とは参考にするところが違っただけで。

 なんとか辞書と首っ引きで解読するに、実に単純明解なメッセージが浮かび上がる。


「深山先輩、お元気ですか。知らないユーザー名からのメッセージだったので怖くて放っておいていたのですが、後に宇佐美先輩から、深山先輩からメッセージがくるとの予告をいただいたので、ひょっとしたらと思いこうしてメッセージを送らせていただく次第です。夜分に失礼します」


 知らないユーザー名……。登録以降あまり気にしたことはなかったが、改めて自分のユーザー名を確認してみる。

『紅茶マン』。そりゃ、わからないよね。どのくらいわからないかっていうと、『ユピテル・クロノス』さん並みにわからないね。つまりお互いさまだよね。


「さて本題ですが、小蔵さんから深山先輩に引き合わせてくれないかとお願いされたのですがどうしましょう? 0X0-XXXX-XXXX」


 小蔵さんというのは、先日知り合ったコーヒー店の店主で、かつてせいらさんの目掛け人で、自殺したせいらさんの元担任の父親。その小蔵さんが、俺に会いたがっているのだそうだ。どうしましょうも何もその答えとなる、小蔵さんの携帯番号と思しきものを最後に付記しているところとかあざといと思う。

 返信、のボタンをタップして返信欄にメッセージを打ち込む。


「わかりました。連絡してみます。草々不一」


 送信。いまは授業中だろうから、既読の表示がつくのは少し先になるだろう。携帯を机の上に手放すと、キッチンのほうから白行ちゃんの声が俺を急かした。


「なっちゃ〜ん。アタシの自信作、冷めちゃう〜」

「いま行く〜」


 言いながら、自室を出るのだった。


  ◇◆◇


 割かし遅めの朝食を食べおえると俺は白行ちゃんと共に自室にいた。無論、メイクのためであってやましいことでもやらしいことでも有りません。

 会話はなく、ただ、一方的に俺が喋る声が部屋中に響くだけ。

 普通こういう場合、美容室とかだと授業員側がひっきりなしに迷惑なまでにお喋りを仕掛けてくるのだろうが、今回はそういうわけにはいかない。俺は、白行ちゃんにメイクの裁量を全て任せると、携帯電話を耳に押し当てさる老人に電話を掛けた。

 俺に会いたいという、小蔵さんにだ。


「だから早く来いと言っておるんじゃ」

「だから無理ですって。この雨ですし、これから予定だってありますし?」


 小蔵さんに繋がり、どうしてこんな時間に電話がくるのかと、問われたので今日は学校ズル休みしてるんですと馬鹿正直に答えると、なら今すぐこっちに来いと無理難題を押し付けられそうになったのでこうして徹底抗弁している、という次第だ。


「予定? それは何時からなんじゃ」

「11時から、ですけど」


 正直に言うと、小蔵さんは声を荒々しくして電話口にやいやい宣った。


「ほれみろ、あと一時間も余裕があるではないか」


 時刻は午前9時半をちょっとばかり過ぎた頃。確かに約一時間の余裕はあるが、メイクだってあ数分はかかるだろうし、メイクしてしまったのだから小蔵さんに会うわけにはいかないのが正直なところ。

 コーヒー店は、ここから徒歩で15分程度のアーケードの中にあり、流星の通う小学校は殆ど同ルート、さらに10分程度歩く距離の所にある。よって、行けないこともないのだが何しろこの雨天である。いたずらに雨に濡れることや寄り道は避けたいところ。


「明日とかは、駄目なんですか?」


 申し訳なさげに言うと、小蔵さんさんは手垢のつきまくった言い分を嘯いた。


「小僧。明日やろうはゴミ屑野郎じゃ」

「今日やろうも、ゴミ屑野郎になりますけどね」


 我ながらうまいこと言い返すと、小蔵さんのこめかみ辺りの青筋がピクっとした、ような気がした。

 そしてコーヒー店の、古めかしい硝子越しに聞いた怒声を、今度は最先端の携帯電話越しに聞くことになった。


「こりゃああああ‼︎」

 聴覚を成り立たせる組織が、瓦解するかと思った。わかりやすく言うと、耳が壊れるかと思った。これで耳が壊れて、ミュージシャンの道を断念せざるを得なくなったら俺は小蔵さんを恨まなくてはいけなくなる。


「わかりましたから! 行きますから、怒鳴らないでください」


 俺は小蔵さんを恨みたくはない。


「わかればよろしい。理解の早さ、頭の柔軟さは若者の特権じゃわい」

「はぁ」


 それは俺と会う、あなたにこそ求められる資質であると気づかれたいですけどね。


「とにかく、わたしと会っても驚かないでくださいね」

「わたし?」


 小蔵さんの疑問の声ごと電話を切る。


「結構長かったわね」


 長湯だったね、みたいなノリで白行ちゃんが言った。

 怒声とか、穏やかでない声が受話口から漏れていただろうに白行ちゃんは意に介する様子はない。


「家、早く出ることになった」

「あらそう。もうすぐメイク終わるけれど?」

「ん……ありがと」

「もうお疲れみたいね」


 白行ちゃんの言う通り、出発前から怒声、それから悪天候でげんなりしていた。

 この後手早く衣装などを着込んで、月宮ママになり、少し早めのお出かけと相成った。


 出発時点では雨脚は少しだけ弱まっており、それを機に早足でアーケード街までの道のりを進む。雨とあってか気軽に話しかけてくる軟派な人種は見られない。女を美しく見せる、傘のうちにある月宮マナに話しかけないとは、あの諺は嘘つきたったのか。ちょっぴり複雑だった。

 10分程度の雨の不快感をどうにかやり過ごし、アーケードに着いてしまえば雨の心配はいらない。直径約一キロのアーケードにはアーチ状の屋根があり、そこにたどり着いた人々は皆、傘を畳んで、安心感からか涼しげな顔をしていた。俺のそのうちの一人。

 アーケードは平日にもかかわらず混んでいて、土日と比べると平均年齢がぐんと上がったような印象を受ける。

 杖をついて飄々踉々と危なげに歩く老男性、自転車の後ろ籠にまで荷物をいっぱい載せて熟練の主婦パワーでペダルを漕ぐおばさま方。鄙びたゲーセン前には学校をサボって、堂々とたむろしている不良生徒の姿もある。あんなのと同類にされたらたまらんなー、と思いながら、なるべくそちらに目をやらないようにして素通りする。

 暫し歩くと目の前に、このアーケードの中でもとりわけ古めかしいであろう建物が現れた。ボロい窓からは金ピカの管楽器が見え、ここは楽器屋だよ、と主張しているようだ。

 まぁ、ここは楽器屋ではなくコーヒー店なのだが、屋号もないのか、表には店の看板すら出ていない。知る人ぞ知る、といった店なのだろう。

 扉に申し訳程度のノックをして、中に入ると扉に細工されたスレイベルが、りんと鳴った。

 すると、入り口すぐのカウンターにて寝こけていたであろう店主・小蔵さんさんが、鎌首をもたげるように頭を持ち上げた。

 眠気眼ながら、鋭い視線がこちらを捉える。

 気まずくて、逃げ出したいほどだったがなんとか耐えて、笑みを向けてやった。マナマナしく、超美少女っぽく。

 すると小蔵さんは虚ろだった眼に徐々に光を宿し、光を見るような、ともすると希望を見るような、むしろ奇跡といったあり得ないものを見るような眼差しをこちらに寄せ、そして。


「響子?」


 聞き覚えのない名前で、俺を呼んだ。

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