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バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
木戸せいら編
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二章 気のせいだ(完)

「こんばんは。深山那月です。宇佐美陽菜からIDを聞きました。よろしくお願いします」


 木戸せいらさんへのメッセージである。三十分ほど真剣に悩んで、このような文面に落ち着いた。固有名詞を除けばどこでも目にしそうな定型文であることを悟り、悩みに悩んだ三十分は何だったのかと虚しくなった。何せ陽菜以外へのメールは初めてのことだった。定型文はコミュ障の味方である。

 即座に返信があるかと思いメッセージ画面を閉じずにまんじりと眺めてみたが、返信どころか既読の表示すら付かないので、またも時間を無駄にされては敵わないとメッセージ・アプリを終了して、私服のポケットにしまい込む。


「ふぅ……」


 大したことはしていないのに妙な達成感があり、伸びをすると身体中の張りがすーっと抜けていった。

 握られた拳をほどくと、微かに汗が滲んでいる。顔が見えないがメールというのは、かくも緊張をもたらすものらしい。

 ふと、自室の鏡で自らの姿を覗くと可愛らしい顔が俺のことを覗き返した。小さくて形の良い相貌、大きな瞳、伸びのある鼻筋、さっきのメッセージの達成感からか口元は弧を描いていた。

 明日、流星の授業参観へと赴くための存在——月宮マナ、改め月宮ママである。

 あの後コーヒー店「すなば」から出ると自然と解散の流れになり、脇目も振らずに、誰ぞの誘いにも乗らずに、自宅の門を潜った。幸い施設の誰ともかち合わずに自室に戻り、ほっと胸をなでおろした。

 そして、忘れないようにと、着替える前にせいらさんにメッセージを送っておいたという次第だ。

 メッセージの返信はもうしばらく掛かるだろうと、着替えのために上着のジャケットに手をかけるとドアがこんこんと来客を知らせた。とくんと心臓が高鳴ると、上ずった声が飛び出していく。


「ひゃ、ひゃい⁉︎」


 こんな格好、こんな状況だ、仕方がない。

 ドアの向こうから愛でるような笑みが、くすくすと聞こえてくる。大男が女性を装うが、明らかに無理があるような声音。


「なっちゃん、入っても構わないかしら?」


 と言って返事も聞かずにドアを開けて闖入してくるのは、この児童養護施設「希望の箱庭」の院長・黒先白行。

 ドアを開け放つや、あらと意外そうな声を上げる。俺のOLライクな服装に、少々驚いているようだった。


「きゃわうぃー♡ 抱きしめたーい♡」


 コンマ数秒の後、まるで初めて俺に会ったときのような態度、感想を示す。

 その強面でそんなことを仰られましても、


「可愛がり甲斐がありそうだぜ……ゆっくり絞め殺してやるぜ……ぐへへ」


 という妄想が捗ってしまって困る。そして、絞め殺す、という単語から芋づる式にここ数日のトラウマを引っ張ってきてしまうくらい妄想が捗る。困る。

 トラウマに歪める顔を、自身への嫌悪と勘違いしているのか、白行ちゃんは引かないでと哀願した。


「な、なに。着替えたいんだけど」

「あら、じゃあ着替えながら聞いてちょうだい」

「着替えないから早く話してちょうだい」


 着替えを中断して、やいやいと白行ちゃんに話を促すと、ちっ、と不満げな舌打ちが上がった。大男の、素の舌打ちに恐怖を隠しきれない俺。ヤクザ。喧嘩無敗のヤクザさえ顔負けするレベルの迫力だった。


「ごめんなさい殺さないで」


 土下座上等! 的な勢いで謝罪して赦しを乞う。


「アタシ、殺人者にされてる⁉︎」


 白行ちゃんが強面ながら、被害者面をしていた。


「それより何の用?」


 どんどん話が脇道に逸れていってしまいそうだったので、やや強引だが本題に繋げんとする。すると白行ちゃんは被害者面に輪をかけた。フィジカル最強のくせにメンタル最弱かよ。


「そ、そうだった。明日の流ちゃんの授業参観なんだけれど、保護者の方々には各自弁当を持参してほしいんですって」

「弁当?」


 授業参観は四時限の授業にて行われ、そのまま給食を子供と一緒に食べるとかいうプログラムだったっけ。なるほど、保護者の分の給食は用意されないのか。久々の給食、実は楽しみにしていたんだけどなあ。あの、給食ならではの栄養重視のメニュー感、噛みしめるたび幸せだった揚げパン、なぜか後を引く野菜スープ、ソースに絡める前の芳しい香りが俺は好きだったソフト麺。家じゃ滅多に作らない、ほうれん草と目玉焼きのアルミ包のソテー。

 いかん、夕食前とあってかグルメな妄想がいちいち捗る。


「だから、なっちゃんの好きなもの教えて。流ちゃんのママになってくれるんだからアタシがなっちゃんのお弁当用意してあ、げ、る♡」


 三文字の語感を除けば、魅力的な申し出ではあった。


「ほんと? じゃあ、そうだな……」


 せっかくなので、希望のメニューを考えてみる。ドリンクとなれば悩むまでもないことだが、主菜となるとこれといった好物がないからなあ。


「白行ちゃんの十八番は?」


 結局思考を放棄して白行ちゃんの意見を頼りにする。丸太のような腕をたくましく組み、白行ちゃんは眉間に皺を刻んで黙考に入った。刻まれた皺のヤクザの如きかな。ややあって、ぽんと手を打った。


「そう、オムライス!」

「オムライスか」


 給食では食べたことのない品目だ。いや、今日日給食では当たり前のように出されているのだろうか。目新しいメニューではあるが、弁当には向かないようなメニューにも思う。移動中にどうかすると形が崩れそうだ。


「なっちゃん♡ ってケチャップで文字入れてあげる♡」

「ママの尊厳を大切に‼︎」


 そんなん描いたら色んな意味で問題でしょう。それに形が崩れたりしたら、ケチャップ文字でなく血文字にしか見えない未来しか見えない。


「それもそうね」


 白行ちゃんもそれには納得するところがあったのか、すんなり受け入れて再び黙考に耽る。


「そうだ、豚のにんにく炒め!」


 ふと、頭に浮かんだそのメニューを言うと白行ちゃんは目に見えて難色を示した。今、もっとも食べたいと思った品目だったんだけど……。


「なっちゃん……。ママの尊厳を大切に……」

「あー……」


 ママが、にんにく臭を漂わせながらそれを搔っ食らう様子を想像してしまい、なんとも居たたまれない気持ちになった。月宮マナという美女が行なってはまかりならぬ所業である。


「親子丼……なんてどうかしら?」


 ふと白行ちゃんが呟いた。

 新鮮な言葉にも聞こえる。よく知る言葉で、俺たち孤児はそれを忌避していたはずなのに、何故なにゆえか胸にすとんと落ちた。


「それだ」


 一も二もなく受け入れたことを、後悔することはないと思う。


「任せて! うんと腕によりをかけて作るわ!」


 そう言って腕まくりをする白行ちゃんは男らしく、その嫋々たる口調さえなければ、立派なパパになれるのにと惜しまないでもない。


「あ、天かすも忘れないでね」

「天かす?」


 俺のオリジナル・アレンジメントである、天かすの追加注文をすると白行ちゃんは間抜けっぽくおうむ返しをした。白行ちゃんは天かす入りの丼物の美味しさはまだ未体験らしい。

 得々と白行ちゃんに講釈しつつ、じき来たる夕食へのモチベーションを高めた。


  ◇◆◇


 夕食を食べ終え、明日の学校や仕事を控える人間たちをちょっぴり哀れに思いながらベッドにごろごろと横這いになり、枕元にスナック菓子を広げてそいつをぼりぼり嗜みながら、視線は携帯のディスプレイへ。せいらさんからの返信は、まだ来ていない。

 興味の赴くままにネットサーフィンをして廻り、やがて興味が尽きたとばかりに、欠伸がひとつ。


「ふぁー……」


 そろそろ頃合いかと時計を見やると時刻は零時から一時に移ろうところだった。どれくらいの時間、携帯を弄っていたのかはわからないが、バッテリー残量を見るに相当の時間を費やしてしまったことは明白。

 いっそのこと、学校の出席や単位の取得も、携帯越しにどうにかできないものかと願ってやまない。そしたら、惨めな保健室登校とかいう身分もなくなるのに。

 しかし、明日は俺は自校には行かずともよい。

 学生の身分を外れ、性別の枠を外れ、俺は流星のママになるのだ。夕食後、水木先生に連絡は入れてあるからして明日の出校に対してナーバスになる心配はないのだ。素晴らしきかなズル休み。

 とはいっても夜更かしは美肌によくないので、眠気が覚めないうちに歯磨きを済ませてしまうことにした。

 ベッドのお菓子の袋を片付け、ゴミをまとめて、ゴミ袋を手に部屋を出る。拓篤が部屋に残していったお菓子は、かくして俺が美味しくいただきました。ちょっとだけしなってたけど。

 キッチンへとゴミ袋(大)に手持ちのゴミ袋を纏めに立ち寄ると、台所で放水の音が聞こえてきた。見ると、眠そうな顔をしながらうがいに勤しむ兄弟の姿があった。いや、明日はわたしの息子になるのか。

 流星。生まれながらの孤児である故に苗字はなく、便宜上、黒先の姓を名乗っている。今年で小学四年生になる彼は、年齢相応に立端は低く、顔つきも幼い。存在感の薄いのっぺりとした容貌で、さして特徴のない外見をしている。唯一、気を使っていそうな服装も、今は地味目なパジャマ姿であり全体的に冴えない少年という印象で落ち着いているかな。


「まだ起きてたんだ?」


 コップの水を口に含む折からに話しかけたので、流星は口に移ったそれを盛大に噴き出した。シャーッと、水滴が瞬き、あたりに虹が架かりそうだった。


「びびび、びっくりさせるな!」


 びびび、とエラーを起こしたコンピューターのように言葉を詰まらせながら俺に抗議の声を上げる。


「ははは、ドッキリ大成功」


 流星の痴態をバカにするようにおちょくってやると、いつぞやのカレーの件の時と同じように、頬を膨らませて不機嫌な表情を示した。


「うるさい。ドッキリの意味、違うし」

「そうなのか。まぁ、どうでもいい事って点で考えるとどっちも同じだけど」


 座興で言ったことなので、そこまでその発言に責任を持てない俺は、適当に流星の追及を躱してやりすごす。

 ちなみに俺のいまの恰好は深山那月のものであり、つまり普段通りである。月宮ママの恰好は明日、授業参観までお楽しみに取っておくことしているのだ。


「どうでもいいなら触れるなよ。てか、さっさと寝ろよ」


 およそ、小学校四年生とは思えない物言いに俺は少し傷ついた。むう、明日のママに向かって何たる言い草。


「また、勝負する?」


 怒りに顔を引きつらせながら俺が勝負をふっかけると流星はちらと横目を投げてよこし、ぷいとそっぽを向くと人を馬鹿にしたように一笑に付した。


「弱い犬ほどよく吠えるし、雑多な魚なんて倒したところでちっとも美味しくない」

「こ、コイツ……」


 馬鹿にされてる。こないだ、勝負に勝ったことをいいことに流星は明らかに増長していた。完全に小物扱いされてる。

 おいおい、白子とか舐めるなよ。あとファッションにおいてはアクセサリーなど、小物類に気を遣わなければ大物にはなれないんだぞ。わかったか。的なメッセージを目に込め、流星の嗽を眺めていると。


「いつまでそこ突っ立ってるんだよ……どっかいけよ」


 とすげなく、またもや俺の胸を抉りにかかった。クソババアとかそんな感じの言辞を弄する、思春期を迎えた息子に手を焼くママンの気分になる。


「う、うるさいよ。こっちだって歯磨きの用、あるんだから」


 俺が、こうしてここに留まっている正当性を主張すると流星は吐き捨てるように嗽いだ水をぺっと吐き出した。悪意はないんだろうけど腹が立つ。


「ほれ、那月の番」


 台所を明け渡され、別に歯磨きなんてのは水場であればどこでだってできるのだが、せっかくなのでこの場で済ませてしまおう。

 持ってきてたマイ歯ブラシに歯磨き粉を塗り、ゴシゴシと豪快に用をなしていく。すると、横でそれを見ていた流星が何の気なしに呟いた。


「那月の左手、見てると面白いな」


 そこで初めて意識的に俺は自らの手持ち無沙汰な左手を気にしてみる。

 せわしなくブラシを操る右手に呼応するべく、何も用を預かっていない左手が虚空を不気味に彷徨い、まるで下手くそな指揮者のようだった。無意識ながら、急に恥ずかしくなり、手近にあったコップを掴んで手慰みとする。


「……そんなに暇なら手コキでも手伝ってよ」


 流星がそんな下種めいたことを言った。冗談っぽくニマニマ言うのでなく、ナヨナヨと本心めかして言うものだから尚のことタチが悪い。


「そんなんじゃ、いつか学校でハブられるよ」


 確か前に自分はクラスで変態扱いされてる、といったような話題になったことがあったな。お前、姉ちゃんと結婚するんだろ気持ちわりい、と悪口を浴びせられたとかいう話、だったはずだ。それではいつ、クラスで孤立してもおかしいくはないだろう。

 語弊はあれど、こんな性格なら指弾されても文句は言えないというか、ある程度仕方のないことだとは思ってしまう。俺のような先天的な排斥要因があったわけでもなく、ましてや自ら要因を作りにいっているわけなのだから。


「……うる……さい」


 またしても冗談っぽくニマニマするのでなく、ナヨナヨと本心めかして流星は抗弁を吐いた。


「あ……」


 そして俺はようやく自らの失言に気づく。あまりに直截に物を言いすぎた。

 フォローの言葉を掛けてやろうとするが、口いっぱいの歯磨き粉と唾液が発言を遮る。

 表情を隠すように流星は背を向けると、出入り口の暖簾を揺らしてキッチンを出ていってしまった。彼の顔ほどの高さにある、青藤色の半暖簾には一点、水分が滲んで色が濃くなっており、これが涙の色なのかと流星のことも追わずにぼんやりとそんなことを考えていた。


 寝支度を整え、ベッドに入ると手ぐすねを引いていたかのように睡魔が襲ってきた。長くてだるい欠伸でもって睡魔の誘いに応える。明日も色々と準備することがあるので夜更かしは禁物だ。お肌にもよくない。今夜の償いも込めて、明日は最高の流星のママになってあげよう。

 ふと、視界の隅で携帯のディスプレイが瞬いたけども気のせいだということにしておいた。

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