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バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
木戸せいら編
37/64

一章 輪をかけて(4)

「リームーだった」


 試奏交渉に失敗したことを陽菜に報告すると心底呆れられてしまった。リームーは無理の逆読みなので、むしろ成功したって意味に取られがちかも知れないのだけれど、俺の性格をよく知っている陽菜はそんな解釈は取らない。額面通りに受け取ると、はあ、そんな簡単なこともできんのか貴様らプラナリア風情は? みたいな表情をされてしまった。プラナリアを舐めてもらっては困る。やつらはああ見えて、神レベルの再生能力を秘めているのだから。もはや、最強である。

 俺もこの状態を巻き戻して、再生してやり直したいレベル。


「どうしてダメだったのよ」

「店員さんにやめてくれ、って言われちった。てへ」


 やめてくれと頼まれれば、やめてしまうのが日本人の優しいところだ。故にこれは、俺やせいらさんがその生得的な優しさを遺憾なく発揮して、起こしてしまった悲劇に過ぎない。

 と、俺やせいらさんの優しさを、陽菜に言って聞かせると。


「それ自分に優しいだけじゃないの」


 自他に厳しい陽菜にそう返されてしまった。


「ぅー……」


 と、陽菜の苛烈な言に身を萎縮させるのはせいらさんだ。先ほどとは、打って変わって、俺の影に隠れるようにして陽菜の叱責をやり過ごしている。


「あぁ……ごめんね、せいらちゃんのことを言ったつもりはなくて……その」


 陽菜が俺の身越しにせいらさんをフォローする。せいらさんをかばい、陽菜の矢面に立つ俺にとってはそんなもの皮肉にしか聞こえなかった。せいらさん宛ての体で、「これは、君たち二人の課題なんだから失敗したら責任だって半分こだよね、ってなると思うてかボケナス? 全責任は年長者にあるんじゃ歯ァ食いしばれェ!」的なメッセージを感じる。被害妄想って、怖い。あらゆる意味で。

 すると、せいらさんは俺の影から姿を出す。


「ごめん、なさい……」


 波打ちぎわで巨岩に打ち付けられて、生気をなくした魚のようなテンションでせいらちゃんが謝罪した。姿勢はしゅっとしているのに、その印象にしおしおとした蛞蝓的なものを想起してしまうのは、臆病な気立てが象徴化してしまっている故なのかもしれない。違うんだよ、君のそれは被害妄想というんだ。


「こっちこそごめんね、あとでコーヒーご馳走したげる」


 自分より背の小さい陽菜に抱きしめられ、懇ろに扱われるせいらさんを見て、俺はふと思いを馳せる。

 せいらさんは位相的によるコミュニケーション困難なのではなくて、単に、自分のことを否定する、し得る対象において、コミュニケーションを“拒絶”してしまうのではないかと考えた。

 だとしたら俺には彼女をどうすることもできない、その方法がわからないからだ。できるのならば、方法がわかるのならば、俺はそもそも保健室登校なぞしていないはずなのだから。


  ◇◆◇


 ショッピングモールの一階の、入り口付近にあるコーヒー・チェーン店、略称『スナバ』では、様々な年層のコーヒーラバーズたちが限りある席をいっぱいに埋めていた。男女カップル、学生、家族、ノマドワーカー。立場は違えど同じコーヒーを愛する、という志のもとに一つ所に集結するさまは、珈琲より紅茶派である俺が見ても麗しい光景ではある。子どもたちが学校帰り、公園の砂場でお城や島を造作し、あるものは友情を、あるものは夢を育むように、ここでは——


「珈琲よりも君を愛しているんだぜ」

「え、それって豆粒程度しか私を愛してないってこと?」


 あるカップルの男性が不穏当な告白をし、彼女方に鼻白まれた。愛を育むのは、とても難しいのだな、と思った。


「人、狩り行こうぜ!」

「おうとも」


 ある男子学生グループではそんな不穏は会話が展開されていた。それぞれ携帯ゲーム機を両手で握りしめ、視線は画面に集中している。人を狩るゲームってどんなゲームだよ。道徳を育むのはとても難しいのだな、と思った。


「マ〜マ〜。ぼくお腹すいた〜、ハンバーガー食べたい〜」

「ダメざんす、あれはおいしく食べる毒ざんす。ほら、この買ってきたアボカド入りツナサンドを食べるざんすよ——ね、美味しいざんしょ?」


 嫌がる子どもの口に無理やりそのサンドを突っ込む母親。その横で、父親と思しき男性が「あとでボスバーガーに連れてってやろう」という気まずい顔をしながらコーヒーをちびちび口に含んで、現状においてはノータッチの意を示す。子育ては、難しいのだなと思った。あと母って、気難しいんだな。


 落ち着いた雰囲気ながらも喧騒が耳に訴える店内において、比較的な物静かなのがノマドワーカーであるが、

「ええ、その件に関しましては——鋭意‼︎ 対応中であります‼︎ しばしお待ちいただきたく存じます‼︎」


 と間歇的にその場の誰よりも大きな声、その憤然とした声音で人々の視線を集めるのも、またノマドワーカーだった。一人怒鳴っているようにも聞こえるが彼の耳にはインカムさながらイヤホンが差してあり、きっとハンズフリー通話によるもの。

 仕事って難しいのだな、と思った。


 結果、ちっとも麗しくなんかなかったです。


「混んでるわね」


 陽菜はその混雑さに渋面を露わにし、利き手の人差し指でサングラスの位置ずれを直した。店内で、しかもパーリーなグラサンとなると違和感半端ないんだろうなー……。変装のつもりが、むしろ陽菜の注目度を高める要因になりつつある。

 せいらさんも店内の人口密度に、いささかならぬ恐怖感を隠せないようだった。


「別のとこにする?」


 俺がそう提案すると陽菜は真剣にそれを検討するように、目を瞑って眉根を寄せて、坊さんがお経を唱えるようにぶつぶつと呟きだした。


「うーん……でも、ここの味のカスタム性は他では……」


 ぶつぶつといえば、仏仏とかいう駄洒落は置いておいて、大仏さまの頭部のぶつぶつは螺髪といい巻貝のことであるわけだが、ほとんどの大仏の螺髪が右巻きなのに対し、鎌倉の大仏だけが左巻きの螺髪なのはあまり知られてはいないことと思う。瓶などがそうであるように右が開く、左が閉じるは世界共通の常識である。故に俺は、鎌倉の大仏は自らの悟りを内に閉じ込めていまうような御方だったのではないかと邪推してしまうのだ。有り体に言うとケチだったのでは、と。

 と、大仏さまですら退屈で欠伸してしまいそうな長い空白の時間を経て、陽菜はひょいと手に持つメニューをラックに戻すと、言った。


「ここを出ましょう」

「で、どこ行くの?」


 問うと、陽菜はうーんと悩んだ挙句、せいらさんに助け舟を要求する。


「どこか良いところしらないかしら。どうでもいいわよ、ご馳走したげるから」


 陽菜の魅惑の一言に目をキラキラさせるせいらさん。せいらさんは奢ってもらわなくてもお金持ちなんだからと、思ったが、陽菜も自分を慕う後輩にご満悦だったので良しとしよう。


「そ、それでしたら……美味しい所、あるです」


 プレゼンとか苦手なタイプなのか、せいらさんが改まってたどたどしくそう提案した。


「よし、じゃあそこにしましょう」


 一も二もなくその提案を受け入れる陽菜。

 俺たちは、せいらさんのたどたどしいガイドで、再びアーケードの道を進んだ。



 着いたのは、陽菜たちがショッピングを楽しんだコスメ店の真向かいにあるあばら屋。俺がさっき、足を踏み入れた楽器だった。もっとも、入店して早々に退店したんだけど。

 一見だろうが左見右見しようが、まごうことなきあばら屋で、風が吹くたび木造の鄙びた扉がガタガタと震えている。

 入り口扉のすぐ横にある割れて少々欠けた窓からは、ぼろ家には相応しくないと思われる金ピカの管楽器が飾られている。その管楽器が、「おいおい、君たち楽器屋に何を求めてやってきたんだ」とばかりに存在を主張していた。

 せいらさんったら、楽器屋と珈琲屋の区別もつかないのかしら。ともに娯楽品であるものの根本がまるで違うし、韻の観点だって微妙だと思う。あっちで客を引っ掛けている、黒人B系服店員に笑われまっせ。


「えっと、木戸さん。ここって楽器なんじゃ……」


 内部をちらっと実際に見た俺が言うと、せいらさんはきょとんとして俺を見つめ返した。


「あの……、ここ珈琲店です、けど……」

「ほえ?」


 今度は俺がきょとんした表情を返してやった。

 そして、少々欠けた、薄汚れた窓から店内を矯めて見る。

 手前に置かれた管楽器——確かチューバというんだっけか——がやはり目立ち、店の壁のいたるところに、見たこともない、聴いたこともなさそうな楽器が飾られている。奥まった所は暗くてよく見えないが、簡素なキッチンのような様子があった。

 フロアにはテーブルが何脚かあって、何も置かれていないというデッドスペース感は否めないが、見た限りでは楽器屋にしか思えない。しかし、せいらさんの言葉を信じるなら俺はあのとき、本当に間違えて入ってしまったらしい。

 カウンターにあの白髪のご老人店主はおらず、ほっと胸を撫で下ろすと——


「こりゃああああ‼︎」


 という怒号とともに、窓一面にそのご老人店主の顔が怒髪を伴い出現した!


「きゃああああ——‼︎」


 突然の対面に俺は、思わず月宮マナめいた甲高い悲鳴を上げてしまった。それに気圧されたのか、老人店主は怒気を、ドキッに変えたように仰け反る。

 両者の雄叫びと叫びで、その周囲の路傍人たちは呆然として、珍事を眺めるようにこちらに視線を集める。それを受けると陽菜は堪ったものではない。手をサングラスの所在にやり今一度確認すると、正体がバレないよう衆目に背を向けた。

 いわば、その周辺は珍事に沈黙している。

 面食らい、唖然とする俺と老人店主。陽菜は正体がバレぬよう無言に徹しているし、路傍人は、ひそひそとこの珍事を面白がっている節があるが、概ね沈黙状態は保たれている。

 そんな中、


「おじいちゃんっ!」


 あらゆる意味で相応しくないような声が響いた。

 この状況で、響くことが奇跡のようなトーン。何より、明るく弾むようなその声音が、せいらさんのものだったからだ。

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