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バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
木戸せいら編
36/64

一章 輪をかけて(3)

「せいらちゃんの今日の課題は、ここでバイオリンの試奏をしてもらうことです」


 ギターの試奏の騒音、来客の喧騒とに混じって、陽菜が宣言した。


「は、は……い?」


 おそらく事前に聞かされてはいなかったのだろう、せいらさんは素っ頓狂な声をあげた。その目が気遣わしげに陽菜と俺を交互に見る。だが俺を見たところで、俺は困った顔を返すだけしかできない。俺とて寝耳にウォーターだからだ。

 とは言えせいらさんは戸惑ったまま微動だにできずにいるので、俺が代わりに陽菜を応対する。


「どゆこと?」

「そのまんまの意味よ。せいらちゃんが、ここでバイオリンの試奏をするの」

「まさか買わせる気?」


 俺は先ほどのB系服の押し売りを思い出し、それだけは止めさせねばと陽菜を問いただした。


「まさか。せいらちゃんは、こんな有象無象バイオリンよりも、すんごいお高いやつを持ってるんでしょう?」

「そういう話だけど」


 だとしたら、余計に陽菜の意図が判らない。すると陽菜は、俺の耳元でそっと囁いた。


「これはせいらちゃんのための、訓練なの。試奏をするためには、まず何をしなくちゃいけない?」


 試奏するため、しなければならないこと。

 適当に思いつくことを陽菜に言ってみる。


「楽器を選ぶ」

「そう。で?」


 違ったらしい。


「楽器を見定める」

「で?」


 これも違うらしい。心なしか陽菜の採点の声が冷たくなったような気がする。


「神経を研ぎ澄まして楽器を見——いや、むしろ楽器は見ないで、心の声で楽器と対話を……」

「馬鹿なの?」


 ついには、罵倒の声を浴びせられた。


「違うの?」


 問うと、陽菜の呆れ返ったような半眼がグラサン越しに俺をねめつける。


「なんで選んでから先に進まないのよ。まるであんたの人生みたいね」

「よくわからんけど、酷いこと言われた⁉︎」


 よくわからんけどその通りな気がするのが恐ろしかった。

 せいらさんは、二人で喧嘩でもおっぱじめたとでも思っているのか、びくびくオドオドとその場に立ち尽くしている。例によって、ブレザーの裾からちょこんとはみ出した細い指先が守ってあげなくては、という使命感を煽る。


「あ、わかった、指の手入れだ。楽器を試す上では自身のコンディションも万全じゃないとね!」

「違うわよ‼︎ 店員さんに試奏を願い出る、でしょうどう考えても‼︎」


 俺の神から授かった閃きの回答を、その怒声でもって否定する陽菜。控えめに言って怖かったので思わず構えてしまった。

 せいらさんも同じ気持ちだったのか、俺の同じタイミング、同じ挙動————物理攻撃ではないのに何故か、顔面を両腕で庇うような格闘技における受け身の体制をとった。

 何、ここって楽器屋だと思ってたんだけど違うの、道場か何かなの?

 先ほど訓練よ、と言った陽菜。……なるほど、ならば道場はせいらさんのオドオドしがちなその惰弱極まった精神を鍛え直すには相応しい場ではある。


「で、解答は?」


 その怒気にばかり意識が奪われてしまった故に、イマイチ内容が頭に入ってこなかったので俺はもう一度、陽菜に問い返した。すると陽菜でなく、せいらさんが耳打ちして教えてくれた。


「店員さんに試奏を願い出る、です、先輩」


 ——先輩。その、とっても新鮮な呼称に俺はその前のせいらさんの解説を忘れてしまった。


「え? いま、何て?」


 せいらさんに耳打ちして返すと、それを見ていた陽菜が、いやが上にも不機嫌な態度で俺を見る。


「那月。今日はデートしにきたわけじゃないのよ。それに恋愛禁止の掟を立てたのも那月なのよ忘れてないわよね?」


 壁に展示されたギターを、一切合切ぶん投げてきそうだったので、急いでせいらさんとの距離を開ける。

 だが、その距離を詰めて、せいらさんがまたも耳打ちした。


「店員さんに試奏を願い出る、です」


 内容は理解した。そして今度は、陽菜が俺を詰めるターンだ……。


「反省がみえないわね那月。そんなに仲良くしたいなら、二人仲良く訓練しなさい、いいわね?」


 怒髪の陽菜が眼前に迫る。何だ、嫉妬なのか。なら安心してほしい、間近で見てどちらがドキドキするかと訊かれれば、陽菜一択なのだから。ただしハラハラ、というオマケも付く。


「俺も、訓練?」

「そうよ。どうせあんたも人見知り、改善してないんでしょ?」

「ま、まぁ……」


 そもそもまず人見知りなんて、改善できるのかどうかが怪しい。女らしく生まれたこの容姿のように変えることなんて出来ないのではないだろうか。


「じゃあ気を取り直して、今日の課題を説明するわね。せいらちゃんと那月には、それぞれ楽器の試奏をしてもらいます。ただし店のルール上、試奏するためには店員に一声かけなくてはいけません。その意味が分かりますよね?」


 講師めかして講釈垂れる陽菜だがその、目を覆うグラサンが色々と台無しにしている感は否めない。


「……そ、そんな……」


 せいらさんが有り得ない、といったテンションで呟いた。さんざっぱら俺にその内容を耳打ちしておきながら、せいらさん自身はその意味を理解していなかったらしい。

 陽菜の言うミッションは、つまりはこういうことだ。

 俺とせいらさんは、それぞれ自分の得意とする楽器の試奏をする。だが、試奏するためには店員さんにそれを願い出なくてはならない。試奏を経験したことがある人なら共感してもらえると思うが、試奏の申し出というのは、思いのほか気まずいものだったりする。買うつもりが無かったり、対象の商品が高額だったりすると一入だ。

 第一関門、店員さんへの申し出をクリアしたとて油断は出来ない。試奏をしていると十中八九、店員はその楽器の感想を訊ねてくる。

 それはそうだ、店はプロモーションの一環として試奏を許可しているのだ。売り込むための努力は、してくるはずなのだ。

 そして最後の関門、楽器を店員にお返しするのが、おそらく最もハードルが高い。

 楽器を返すとは、つまり購入はしないという意思表示なのであり、購入を渋る態度、その理由に甚だ気を使うところである。

 それらが上手く発揮されないと、B系ブティックの時の二の舞いになる可能性が高い。ある意味、最もコミュ力が問われるところなのかもしれない。

 その、友人と一緒だとしても気まずかろうイベントを、一人でこなせというのだから、せいらさんが愕然としてしまうのも無理はない。


「とはいえ今日は初めてだからね、試奏をお願いするところまでは一緒に行動してもいいわ。ただし、あまり近づきすぎるな」


 監督……もとい師範の陽菜がただし、の部分を強調して言った。俺とせいらさんが馴れ馴れしくするのはあまり思わしくないらしい。さては陽菜のやつ、可愛い後輩を取られるのが悔しいのか。

 陽菜の采配のもと、俺たちはまずそれぞれの楽器をチョイスする。レディーファーストということで、まずはバイオリン売り場へ。

 せいらさんによるとバイオリンよりか弓を試したいとのこと。

 弓にも様々な種類、素材があり弓の選定こそが、上達の近道だったりするらしい。故に、物によっては百万円クラスの物も存在するようだ。


「これ、馬のしっぽなんだ?」

「あ、えっと、はい」


 興味津々の俺に、せいらさんはぎこちなく返した。


「クジラの髭を使ってるって有名だよね。ここには、無いみたいだけど」

「あ、えっとそれは、嘘なんです……」

「ちょ、なして謝るの……!」


 嘘をついたのはせいらさんではなかろうに、申し訳なさそうにせいらさんが頭を下げた。こんなところを陽菜に見られたらまたとんでもない勘違いをされてしまいそうだ。

 横目でちろりと陽菜の方を見ると、陽菜は楽譜コーナーで分厚い楽譜を読み耽っていた。よかった見られていない。


「今日は、これを……試します」


 長い熟考を経てせいらさんは、ガラスケース越しに一本の弓を指差した。


「そんなに高くないやつ、だね」

「そ、そうかも……です」


 この店に置いてある、弓の中でも安い部類に入る。せいらさんのバイオリンの一万分の一ぐらいの価格、とでも言えば、どれほど安価か理解できるだろうか。

 せいらさんの用件が終わり、次は俺の用件を済ませに打楽器コーナーへ。ドラマーの調度品とも言える、打面に張る皮の新作を一通りチェックし、足は自然と電子ドラムのスペースに来ていた。試打となると生楽器は店員にいい顔されないという嫌いがあり、ドラムなどといった打楽器はそれが顕著だ。


「叩かせてください」


 などと言おうものなら、店員にあからさまに渋面を向けられ、

「叩かせてください、アンタの顔」と言い足したくもなるものだ。


「電子ドラムだったらこれからの練習に、あってもいい物だと思うの」


 楽譜コーナーから戻ってきた陽菜が、電子ドラムの値札と睨めっこしながら言った。

 これからの練習というのは、アイドル・バンド「たまごどん」の練習のことだろう。音楽室が開放されたのだから、そこまで必要性はないと思うのだが。

 とは言え、最近の電子ドラムのクオリティには瞠目するに吝かではない。何しろ本物を叩いたときの音がそのまま再現されるレベルまでにそのテクノロジーを高めたのだから。

 生ドラムにおける最大の難点である騒音問題がほぼ改善され、エレドラの難点といえばあとは高額の二文字のみに絞られた。いや、こっちが最大の難点か……。

 まぁ今回は買うことが目的ではなく、常人的コミュニケーション能力をるための訓練がその目的だから、値段は度外視して最高級モデルを試させてもらうことにする。あんまり高けりゃ、店側だってそこまで必死に売り込もうとはしないはずだ。どうせ高校生相手だし。


「じゃ、行ってくる」


 俺とせいらさんは、意を決して店内カウンターに近づいていく。

 各楽器コーナーに配備された専門スタッフは他の客の接待に忙しく、カウンターの裏で暇そうに携帯をつついている青年男性店員くらいしか手の空いている者はいない。他のスタッフが慌ただしく動き回るこの繁忙状況にあって、携帯のアプリゲームに耽るこの男性店員は、楽器にはさほど興味無いのか。あるいはよほど使えない店員なのか。

 俺は対男性用の必殺応対——つまり月宮マナの時の物腰をまとって、その店員の前に立った。女装はしていないものの、マナの立ち居振る舞いをすることで、自分が人見知りであることを忘れるのだ。


「あ、い、いらっしゃいませ……」


 照れたような、粗忽な笑みを浮かべながら慌ただしく携帯電話をエプロンポケットにしまい込む男性店員。慌ただしくするところ、間違えてませんかねぇ。


「あ、あの、ええと……」


 マナ然としてみたが、いざ実践となると緊張というものは避けられないようで、口火を切るのにいくらか時間を要した。


「ど、どうかされましたか?」


 男性店員の挙動も落ち着きを欠いていた。サボりを目撃されたことに動じているのか、あるいは——。

 俺の後ろでもじもじと、自分の言うセリフを復習っているせいらさん。彼女にこの露払いをさせるわけにはいかない。

 今一度意を決して、俺は店員に用件を伝える。


「あの……叩いて、いいですか?」


 言うと、男性店員はしばし、ぽかーんと俺の顔を眺めた。ややあって、せいらさんよろしくもじもじと、体をくねらせる。その頰は嫌な予感がするほど、赤い。

 そして口を開くと。


「あ、もしかして、さっきの見られちゃいした?」


 さっきの、とは携帯アプリゲームでサボっていたことだろうか?


「いやぁ、違うんすよ。あれは女の子の頬っぺたを叩くっていうSゲームなんすけど、俺実際超ドMなんで、むしろ叩かれ専っていう?」


 聞いてもいないのに自ら性癖を晒す馬鹿が、ここにいた。思考が突飛すぎて、口を挟めない。


「なもんで、はい」


 どうなってこうなったのか、男性店員は、頰を赤らめながらこちらに、キスをねだる痴女のごとく顔を差し出した。ビンタを、期待しているのだと思う。


「いや、ドラム叩いていいですか、って言おうとしたんですけど……」

「え?」


 俺が正すと、ふと我に返るように、みずからの恥部を今さら恥じ入るように、冷や汗をどっと流しながら男性店員はその場に硬直する。

 そこへだった。

 ようやく覚悟が決まったように男性店員の前に出でて、申し訳なさそうにせいらさんが言った。


「あ、あの……すみません……が、ひ、弾いてもよろしいですか……‼︎」


 きっと男性店員は、こう捉えたのだろう。ドン引きしてもよろしいですか、と。


「も、もうやめてぇえええ————っ‼︎」


 女々しい、というより、情けない悲鳴を残すと、その男性店員はすんごい勢いで店を出て行ってしまった。

 その日付けで、やめてしまったのはその男性店員だった。

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