一章 輪をかけて(2)
装いも新たに、ラッパー・スタイルのファッションを身につけた俺は、陽菜とせいらさんと連れ立ってアーケードの帰り道を練り歩く。このファッションを基礎とする人々がするような目や肩を怒らせて歩くスタイルではなく、目を伏せて肩を縮こませて、もじもじと歩いていくスタイル。人々の視線をかっさらっていくファッションをした人が、人々の視線を避けるような態度を見せるとはこれ如何に。
わかるだろうか。気弱な性格のやつが一念発起、高校デビューを志してヤンキー的な着こなしをしてみたはいいものの、いざその格好で街に繰り出してみると慣れてなさすぎて気後れ感が浮き彫りになってしまうあの感じによく似ている。というかまんまそれだ。
これならメイド服を着た方がよっぽど気が楽かもしれない。
「那月さっきからどうしたのよ?」
陽菜が心配そうに訊ねてきた。
「あのさ、今さらだけどこの格好、すごく恥ずかしい。どっかで着替えてきていい?」
着替えなら買い物袋の中にある。公衆トイレあたりで、着替えられたらいいのだが。ついでに、この服返品できたらいいのだが――。
ラッパー然としたパーカーがいけないのか、そのピンクという色がいけないのか。あるいは、野球選手然としたこのキャップがいけないのかもしれない、野球選手の夢なんて持ったこともない人間が、こんなキャップを被ってはいけないのかもしれない。
「まぁ、さすがにそのグラサンはナンセンスよね。ぜんぜん似合ってない」
陽菜のその一言でこのグラサンの存在を思い出した。おれの めのまえが まっくらに なっていたのは単にグラサンのせいだったのか。陽菜のその感想には辛辣なものがあるが、否定はしない。
俺はこれらの服飾品を、欲しくて買ったのではなく、買わないと今度はヤバめの薬を押し売られそうな気配があったから仕方なく買っただけなのだ。
「じゃあ陽菜、このグラサン要る? 有名人なんだから変装くらいはしないと」
レンズが大きめのそのパーリーピーポー・グラサンを陽菜に差し出した。
陽菜が辺りを見渡す。声こそ掛けてこないが、元人気アイドルの宇佐美陽菜の存在に気づいた人々は、複数人ならひそひそと陰口を叩き、個人ならば携帯に向き合い――おそらくSNSにて陽菜を叩いているのだろう。時たま、クスクスという嗤いに紛れてパシャリとシャッター音があった。
それを事も無げに見過ごし、俺の心配をする余裕すら感じさせる陽菜は一体、いま何を思っているのだろう。
「んじゃまぁ、お言葉に甘えて」
陽菜は、不評極まるグラサンを受け取って自慢のご尊顔を、憂わしげなその大きな瞳を覆い隠す。それが、陽菜の本音だ。色眼鏡を防ぐための道具が、グラサンというのが何だか皮肉だった。
「おー、似合ってる」
陽菜の場合その派手な色の髪もあって、さほど違和感はない。セレカジ系の服装もそのグラサンとマッチしている。ツインテールを解けばさらに似合うことだろう。
せいらさんもおー、と驚嘆の声を上げた。俺がそのグラサン掛けたら、じりじりと後退したせいらさんがである。彼女は、休日でも制服姿で、グラサンを掛けたらある意味問題になりそうだ。
「じゃ、早いとこ那月も着替えてきちゃいなさいよ」
「ほーい」
二人とは、後で落ち合う約束を交わし、俺は更衣に適した場所を探すのだった。
◇◆◇
落ち合いの場、本日のお出かけの大本命――市内でもっとも規模の大きい楽器店『ビレッジ・アイランド』に到着。
大型ショッピングモールの十階の一画に位置し、同階には『ビレッジ・アイランド』が経営するリハーサル・スタジオもある。
市内でもっとも規模の大きな楽器店とあり、フロアを占めるバンドマン人口が濃厚であることが予想される。
「もそっと待って」
同階の休憩所で、俺の到着を持ってる間にアイスを買って食べていた陽菜は、ようやく半分まで減らしたアイス棒にしゃぶりつき、その冷たさにブルブルと体を震わせた。
「ゆっくり食べなよ」
陽菜がすまん、と言わんばかりに、片手を顔の前に持っていくと指をぴんと伸ばして顔の正中線に沿わせた。
せいらさんは食べなかったのかと、思ったが、きっともう食べ終わっているだけなのだろう。その女の子らしい手に握られたアイスの棒には「当たり」と印字されており、俺は口に出さずにおめでとう、と祝福しておいた。
食べ終わり、陽菜とせいらさんがアイスの残骸をゴミ場にポイして、『ビレッジ・アイランド』に入店。当たり棒、捨てちゃうのかい。
「いらっしゃいませ!」
非常に元気良い挨拶に迎えられた。先の鄙びたおんぼろ楽器屋とは雲泥の差だな。
店員のみならず、店内が活気に富んでいた。
楽器屋に、BGMといったものは必要ない。ギターから、アンプから流れる、客の演奏こそがアンビエント・ミュージックであり、それが犇めくギタリストたちの購買意欲を刺激するのだ。
それぞれ大きな夢を掲げたバンドマンたちが、試奏に名を借り楽器を借りて、自らの実力を誇示したりするのが、楽器屋の醍醐味であるという。まさに、win-winの関係だ。
そして楽器屋にあるのは、ギターやベースやドラムだけではない。キーボードはもちろん、管弦楽器や、DTM環境、DJのシステムも販売されていた。DJならば、さっきの俺の服装にも正当性が出てくるだろうか。
「せいらちゃんはバイオリンやってるんだっけ?」
陽菜がそう問うとせいらさんは気まずげに頷いた。
バイオリンなどのクラシック楽器は、ガラスケースの中に飾られている。値段云々ではなく、湿度の影響を受けやすい楽器故の処置なのだろう。
「せいらちゃんは、どれ使ってるの?」
何挺か並んだバイオリンを指して陽菜が問うと、せいらさんは、ガラスケース越しにバイオリンとにらめっこする。
しかしバイオリンってのは、どれもこれも高額なのだな。安くても十万以上、この中だと最高で二十万オーバーのものも存在する。
「この中には、無いです……」
「そうなんだ?」
せいらさんの報告に優しく頷く陽菜。まるでお姉さんのようだ。
「いやいや陽菜、ここにあるのは安くて十数万の高級品ですよ? 一介の学生に手が出せる金額じゃないって」
俺が正論を言うと、せいらさんは心底意外そうな顔をした。
「あの……これより安いバイオリンが、あるんですか……?」
「え、知りませんけど」
ニワカの俺が無責任にもそう言うと、“木戸”せいらさんは衝撃の一言を放った。
「私のバイオリンは、一応……五千万円ですけど、バイオリンってこんなに安いもの……だったのですね……!」
「え」
ここまで人を黙らせることができるなんて、お金ってすごいなと思いました。木戸財閥ってすごいなと思いました。
「五千万って、あたしの今の貯金と一緒じゃないの」
「え」
同じ金額に、同じリアクションでもって俺は驚く。
こんなに小さな女の子がそんなに稼いでいたなんて、アイドルって、すごいなと思いました。アイドルってお金なんだな、と思いました。




