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バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
深山那月編
31/64

エピローグ バンドルの箱

 さてもその後、拓篤とは一週間にして一瞬の、和解をすることができた。

 一週間の収穫を、あの一瞬に凝縮したのかと思うと少し得した気分だ。いや、実際は一週間の無駄だったわけだが、まぁ良しとしよう。

 これにて万事つつがなく終わり、向こうしばらくは快適な保健室スクールライフを送れる……とは残念ながらならなかった。


 俺は、目の前に差し出された請求書のゼロの数を何度も数える。


「一、十、百、千、万、十万、百万、……」


 だが、何度数えてもそれは一千万であることに変わりない。

 ——朝の爽やかな保健室。

 水木先生がお出でになり、ホームルームが始まるかと思いきや水木先生は開口一番に言った。君たちに、請求書が届いていると。

 差し出された書状には多少なりとも覚えがあった。検めて見てみると、確かな心当たりと共に後悔の念が湧いてきた。

 旧音楽室の入り口扉にはめ込まれたパンドラのガラス絵の弁償代金、一千万円のことである。

 一千万とか全然リアリティーないわー、とか思ってたけど、こうして具体的に請求書として提示されるととみに現実味を帯びてくるのだな。


「宇佐美には既に話してあることだが、これは本校のパトロンたる木戸氏から、直々に渡されたものだ」


 ——木戸氏。

 本校の生徒とて、知っている人は限られているほど知名度は低いが、俺のように別口でもお世話になっている人間にとっては馴染み深い名前だ。ただし、木戸財閥となってくると知名度は跳ね上がる。

 ここ最近、陽菜が水木先生に呼ばれていた理由はそれだったのか。


「先生、俺たちにこんな金額、払えると思いますか?」


 まぁ当然だが、そう言うほかない。だって払えないんだもの。


「だろうな」


 水木先生もそれは重々承知のようで、さして問題にしない。しれっと話を続ける。


「だろうから木戸氏に、別の条件を取り付けておいたのだよ」

「別の条件……?」


 言うと、水木先生は浅く頷いた。

 陽菜はあらかじめ聞かされているのか、さきほどから黙に徹している。自らは知っているうえで俺の反応を待っているような感じだ。何かリアクションなりしてくれないと、俺一人尋問されてるみたいなんですけど。

 まるで俺一人を責め立てるように水木先生が俺に告げる。


「学内外問わず氏の娘の面倒を見る、というものだ」

「どゆこと?」


 俺が間抜けっぽく問うと、水木先生はその答え代わりに、廊下側に呼びかけた。ちなみに扉は、すでに開いている。


「よし、入っていいぞ」

「……は……はい……」


 ぎこちない返事が廊下から小さく響いたかと思うと、一人の少女が扉の陰から恐る恐る顔を覗かせた。ちらと見えた制服のリボンから、一年生であることがわかった。

 艶やかな黒髪をポニーテールに結わえた、やや小柄な少女だった。背格好は、陽菜より若干大きく、俺より若干小さい程度か。

 特筆すべきはその、和の美しさを体現したような黒髪だろう。水木先生の黒髪も素晴らしいとは思うけれど、やはり生まれ持ったナチュラルブラックには及ばないものだなと、この子を見ているとそう実感する。小動物のようにちょこちょこと、小走りで水木先生のもとへ駆け寄った。


「彼女が氏の娘、木戸せいらだ」


 どう見ても引っ込み思案な彼女の代わりに水木先生が紹介をする。

 ぺこりと木戸さんが頭を下げると、付随的にポニーテールもぺこりとお辞儀するから女の子の髪型ってのは面白い。


「見て判るとおり、木戸は深窓に育ったが故に、極度の対人恐怖症だ」

「でしょうね」


 水木先生が説明すると、それを全肯定するように水木先生の後ろに隠れてしまう木戸さん。純真無垢を絵に描いたような子、というのが接してみての第一印象だ。

 穢れに免疫がないから、女装という穢れにまみれた俺の邪悪さに過剰に反応してしまう。そんなところだろう。それはそれで、見ていて愛らしいではないか。

 その愛すべき光景を、微笑ましく眺めていると、陽菜が横から口を挟んだ。


「……那月。恋愛禁止」


 事実だが、棘のある言い振りだった。


「そんなん違うっすよ……」


 陽菜に射すくめられ中途半端な敬語になってしまった。陽菜の目力の強くて怖いこと。魅力的だけど、高圧的な眼をお持ちでいらっしゃる。

 そんな陽菜のことを、木戸のお嬢さんは水木先生の陰から憧れの眼でじーっと見つめていた。そして俺の視線に気づくと、短い悲鳴を残して再び水木先生の影に隠れてしまう。

 なるほど、対人恐怖症というよりは、極度の人見知りといったほうが適切か。俺のような人種なのだろう。俺、純真無垢との説が上がる。


「条件とはつまり、木戸せいらの人見知りの改善、というわけだな」


 水木先生は木戸さんを背に庇い、概要を告げた。

 と言われても、俺とて抗弁がある。


「そういったものは、それこそ学校で、先生をして育まれるべきものだと思うんですが?」


 俺のその意見は我ながら当を得ている。だって教育って、そういうものでしょう?


「それを君たちが請け負うことで、一千万円の弁償金を帳消しにするという条件が成立するのだろう?」

「う……、そうでした」


 人ひとりに要する教育費が約一千万だという事実が、皮肉だった。

 そして木戸さんの人見知りが治るまでの間、あの旧音楽室は自由に出入りしてもよいのだという。


「君たちに償却の由がないからには、この条件を無下にはできないと思うのだが?」


 水木先生の強請ゆすりに一言もない俺と、黙ってそれを見守る陽菜。

 それだけでは俺たちに負担が掛かり過ぎると思ってか水木先生は、この件におけるメリットをしっかり提示してきた。


「それに君たちはまた、バンドを始めるのだろう? この木戸せいらは、バイオリンに堪能でな。新たなメンバーとして適役だと思うよ。ほら、ベースとバイオリンって似てるし」


 さすがは素人の水木先生、何もわかっていない。

 木戸さんは、再び自分のことが話題に上ると小さな肩をびくっと震わせて、顔を赤くしてその場に立ち尽くす。セーターの裾からちょこんと見える手が、緊張なのか、きゅっと握り締められている。その可愛らしい手は、バイオリンを嗜むのか。

 とはいえ、ベースとバイオリンが似たもの同士であるとの同調はしかねる。そもそもベースとバイオリンの共通点は、弦の本数くらいしかない。むしろチューニングや奏法の観点からすれば、正反対の楽器とすら言える。

 例え木戸さんが、人見知りを改善したとしても、染み付いたバイオリンの手癖が無くなるとは限らないし、無くなってよいものでもないだろう。

 水木先生には申し訳ないが、その意見には無理がある。

 だが「たまごどん」というバンドが掲げるコンセプト、親がいなくても立派になる、という理念には皮肉にも合致していると言えるだろうか。親の笠がなくとも、人並みのコミュニケーションを取ることができるようにする、それが木戸せいらさんの、課題なのだから。

 それをわかっているのだろう。陽菜が、こちらに満面のドヤ顔を披露している。


「どう? あんたが否定したバンド名、それに適した人材がすぐに現れたわよ?」


 陽菜のドヤ顔が、そう言っている。

 ……いや、「たまごどん」というバンド名がダサいことには変わりないぞ。ドヤ顔できるような名前ではないぞ。

 まあバンドのこと云々はさて置いて、俺にこの条件を断れるだけの、財力がないのは事実。


「ああ、もう! わかりましたよ! やりますよ!」


 俺は降参にも似たニュアンスで、その申し出を受けることにした。


 かの有名な神話、パンドラの箱——

 開ければ、世界が厄災で溢れるとされる呪われた箱。

 本当は箱ではなかったとの説があるが、その通りだと思う。そのマクガフィンは、ここでの場合ガラス絵の形を取っているし、

 箱を開けるのでなく、ガラス絵を割ってしまったことで災いが出現した。つまり、俺たちのそれは、まだ始まったばかりなのだ。

 俺がいま願うことはひとつ。

 最後に残るのがどうか希望であってほしいと、ただそれだけを願うのだった。


  ◇◆◇


 放課後になると俺たちは、音楽室を訪れていた。

 パトロンから正式に使用許可を得て、煩わしい条件は拭えないが、懸案だった一千万の重荷も無くなった。あとは、隣を歩く陽菜の後ろをちょこちょこと小動物のように歩く少女、木戸せいらさんをどうにかすれば解決だ。その鍵となるのが、この音楽室らしい。

 扉の鍵は解錠してあった。音楽室の重たい扉を開くと、入り口付近の最後部の席でステージを見下ろすようにして座っている男の姿があった。こちらに気づき、よう、と言って手振りで挨拶するのは、亀井拓篤。児童養護施設『希望の箱庭』の最年長者で、俺の親友だ。


「おまたせ」


 拓篤と同じように手を振り返して俺がそう告げると、拓篤は席を立ち、傍らに立てかけられた黒い細長い物体を肩に掛けると先んじて階段を降りていく。それを追うようにして俺、陽菜、木戸さんが後に続いた。

 拓篤が肩から提げた黒い長細い物体は革のケースで、どうかするとライフルを提げているようにも見えるが、そういった物騒な類のものではない。

 階段を降り、ステージへたどり着くと誰とはなしに準備をはじめる。

 木戸さんは、陽菜によって客席の一番前、かぶりつきでの見学を仰せつかった。おどおどと、物珍しそうに俺たちのことを眺めている。

 拓篤はアンプや必要機材を運び終えると、自分の荷物である革のケースから、懐かしいベース・ギターを取り出した。かつて、青く照り輝いていたボディーは今や色褪せて、そこかしこに擦り傷が目立つ。

 ちゃんと管理をしていなかったのか、弦も錆び放題で、あれではまともな音が出ないであろうことが容易に想像できる。手入れを怠っていたということは、とりもなおさず練習も怠っていたということなので、おそらくは技術の方も青く、褪せてしまっていることだろう。

 だが、それでもいいのだ。俺たちが今日、音楽をやる理由は、一緒に音を楽しむことにあるのだから。

 拓篤がそのベースで、サウンドチェックし、ゴムの弾いたようなお粗末な音を引き出している間に、俺も着々とドラムを組み立てて、完成させると————拓篤の方からバチン、という破裂音が響いた。


「なにごと⁉︎」


 と、それに続いて、これまた破裂したような甲高い叫び声が響く。

 拓篤がベースの弦をブチ切り、陽菜がそれに驚いたという格好だ。俺は唖然とし、客席に座っていた木戸さんは世界の終わりのように縮こまっている。

 元凶たる拓篤は、弦が切れたことも気にせず、切れた4弦の代わりに3弦を強烈に爪弾いている。気にせず代用している、というよりは弦が切れたという事にも気づかず、自分が4弦を弾いているのか3弦を弾いているのかすら把握していないようだった。


「拓篤」


 演奏、というか弦への暴力を中断させ4弦を指し示すと、


「あああぁぁああ‼︎ 俺の1弦があぁぁ‼︎」


 と拓篤が絶叫した。それ4弦な。

 しかし、一番細い1弦ですらギターのそれと比べると太めだというのに、一番太めの4弦を切ってしまうとは。錆びなどの経年劣化によるところもあるだろうが、拓篤の馬鹿力には驚いてしまう。


「これじゃあ俺の天才テクニックが台無しじゃねぇかよ」


 耳を塞ぎたくなるような演奏した人が、耳を塞ぎたくなるようなことを言って喚いている。

 とはいえ、ベースにおいて最も重要な、4弦を失ってしまったのは痛い。他の弦ならば容易にオクターブ調整も出来ようものなのに。何より奏者のモチベーションがガタ落ちだろう。


「はぁ……」


 と、虚ろな目で亡き4弦を見下ろす拓篤。

 そんな悲しそうな拓篤を見ていると、


「ちょっと倉庫の中、見てくる」


 身につまされて、奔走する自分がいた。

 埃で溢れかえる倉庫の中、埃に塗れながらベースの替え弦を探す。棚上の埃を顔面に浴びながら、膝で床の埃を集めながら。隅々を余すところなく。


「もういいって。俺のことは気にせんで、お前らだけでやれよ」


 後ろから、拓篤のそんな諦念の声がかかる。


「だめだよ」

「え」


 珍しい俺の抗弁に、拓篤が面食らったような声を漏らした。


「絶対拓篤のこと見捨てないって、約束したから」


 言って、俺は弦探しを続行する。拓篤は一切の言葉を失ってしまったのか、無言で俺のこの無様な姿を見下ろしていたが、圧倒的な埃を前に膝をつく俺を見かねてか、嘆息、咳払い、ったくしゃあねぇな、の三拍子を挟んでから、加勢に入ってくれた。

 二人で埃まみれになりながら、確かな絆を確認しながら、俺は、屋敷での出来事を思い出していた。

 泥んこまみれで、俺の落し物を探してくれた拓篤。今度は俺が、その役目を果たせているかな。

 そして、その絆をこの先も、繋げていくことができるのかな?

 理想と夢想をごっちゃにした手を、棚奥に伸ばすと、埃の先に硬く、糸のような長い感触がある。

 それを手繰り寄せると、拓篤の口から感嘆の声が上がった。

 果たして、それはベースの弦だった。それも、一番太い4弦で、まるで俺たちの絆の強固さを確かめるようだった。

 達成感に拓篤とハイタッチをする。するとパシャりと、その光景を永遠に保存する音があった。

 陽菜が俺たちの姿を携帯越しに眺め、愛おしそうに微笑む。お前はオカンか。


 ベースの弦の交換方法は俺が何となく知っていたので、途中まではつつがなく進めるのだが、チューニングの段階で停滞する。


「あれ? 4弦って、どの音だっけ?」


 ファジーな音階しか操れない、ドラマーの悩めるところだった。


「俺も知らねえ」


 と拓篤もぼそりと呟く。忘れたのでなく知らない、というところに不安を覚える……。

 そのとき、

 靄がかったような頭の中に冴え渡るような、一条の光の如く音が入ってくる。それは、陽菜の奏でるピアノだった。ガラスのような透明な音には曇りなど皆無で、ミの音を鮮明に示す。

 そして、過たずにチューニングを完成させた。

 十全なるベースを拓篤に託す。

 これが俺たち兄弟が、再び作る土台ベース。もう壊れない、壊さない——絆の証。

 それを、麗しげに見つめるのは木戸さん。いつしか自分も、こんな風に変われるのだろうかと、そんな憧れの眼差しがあった。

 すべてのセットアップが終わり、それぞれが自らの楽器に向き合う。

 俺は指揮者めかして、スティック同士を打ち鳴らす。等間隔に、四つ。

 五年振りのセッションが、再開される。

 技術的に見れば最低レベルの演奏だ。全然音符が噛み合ってないし、息も合っていない。

 拓篤はGとCのコードを行き来する程度だし、俺と陽菜だって必要最低限のメロディでしか遊べない。

 でも心は、プロのミュージシャンでも叶わないほど、通っている。


「楽しいな」

 拓篤が、心からの笑顔で言う。


「うん」

 俺が、心からの笑顔で返す。


「余所見なんてしてんじゃないわよ。もっと遊ぶわよ」

 陽菜が、心からの笑顔で俺らを導く。


 そう、稚拙な音の中に、みんなの声が聞こえる。


 プロからしてみりゃ笑ってしまうほどお粗末な演奏だが、

 俺らは、笑ってしまうほど楽しいのだから。



(深山那月編、終)

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