表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
深山那月編
29/64

四章 one weak friend(11)

 最終日の午前は矢のように過ぎていった。

 朝早く、拓篤と旦那さまは連れ立って離縁の手続き、退学届の取り消しの手続きに向かって行った。

 俺はメイドとして、残された仕事をこなした。とはいえ掃除づくしだったれども。

 立つ鳥跡を濁さず、というやつだ。

 そういえば、帰りもブルーバードなのかな……。お尻、大丈夫かな……。

 ここでの最後の昼食を、手を付けずにぼうっと眺めながら、そんなことを考えていた。


「お加減でも優れないのですか?」


 すると執事さんに心配されてしまった。


「いえ、ごめんなさい。考え事をしてて」


 これ以上心配をかけまいと、ミネストローネ風のスープを一息に飲み下す。決して熱くはなかったが、一気飲みが祟ってむせてしまった。結果、余計に心配をかけさせてしまったわけだ。

 執事さんはそんな俺を、実に心配そうに見ていた。

 その横でガースさんが無我夢中でパンを頬張っている。昨日の分を取り戻すようだった。

 ガースさんのそのまぬけな姿を見ていると若干ばかり平心が戻ってきた。さっきよりはゆったりとした心持ちで昼食を食べ進める。

 このあと俺は午後の作業に戻ることなく、諸事から戻ってきた拓篤と一緒に施設に帰ることになっている。つまり、晴れて自由の身になる。

 それが故だろうか、今日の俺はいつになく浮ついている。あるいは久々に着たアリスの衣装、このスカートの短さに心が騒いでいるのか。

 まぁ、この服が一番着慣れているわけではあるのだが。


「それから、拓篤さまと月宮さんのお見送りなのですが、私はこの後も仕事で持ち場を離れることができません」


 執事さんが申し訳なさそうに言った。


「そうなんですか。わかりました」


 と俺も残念そうな声音を発しているが、心の中は安堵していた。それはつまり、ブルーバードに乗らなくて済むということなのだから。

 帰りはゆっくりゆったりと、バスに揺られるとでもしますか。この格好で公共の乗り物というのもそれはそれでハートがもたないかもしれないが。


「安心しろ、マナ。俺が代わりに送ってやることになっているのだからな!」


 と代行を名乗り出たのは、ガースさんだった。

 どうせ冗談だろうと思い、執事さんに目を向けるが、執事さんも首肯しているではないか。思わず断りの文句が口をついて出る。


「け、結構ですわ!」


 ガースさんの運転は見たことないが、どうせろくなものではないだろう。

 然るにこの小一時間後、俺と拓篤は、ガースさんの運転に命を預けることになる。


  ◇◆◇


 車庫にて。


「わぁ、ブルーバード……」


 浪漫の皮をかぶった老体に、のっぺりとした調子で賞賛を送る。

 あの、お尻の鈍痛がぶり返してきた。う……。


「詳しいな。結構マニアックな車なのに」


「いえ、それほどでは」


 ガースさんが感心したように呟いた。

 そう、自慢じゃないが俺は、この車の全てを知っている。どれだけお尻が痛むのかとか。

 能うならば、この車には乗りたくない。執事さんには申し訳ないが。

 でも、せっかくの申し出を断るのもどうかという話になり、文字通り苦肉の策だったのだ。


「おまえは来るときに一回乗ってるんだっけか?」


 拓篤の問いかけに、俺は絶望的に頷いた。

 俺はもう見るのも躊躇ってしまうほどのトラウマを植え付けられているが、拓篤にとっては違うようで、食い入るように車体の細部を眺めている。

 拓篤は、旦那さまの車にしか乗ったことがないようだった。

 今生の別れと思い俺も、一頻りブルーバードを矯めつ眇めつして、いざ車に乗り込もうとすると思わぬ悶着が起こった。


「マナは助手席だろう」

「アホか。後ろの席が空いてんのにわざわざ、助手席に座る馬鹿がどこにいんだよ。こいつは俺と同じく、後部座席だ」


 こんな具合に俺を巡って拓篤とガースさんの口論が勃発してしまったのだ。俺、モテモテだった。両手に火花、である。


「何を言っている。これはタクシーではないぞ。頭だけでなく視力まで悪いとは、致命的だな」

「あ? 殺すぞ」


 バチバチである。

 そして拓篤の言う「殺すぞ」が、本当に怖い。かつて俺に向けられていた殺人眼が、今度はガースさんへと向けられている。しかし、ガースさんもまったく退かない。一触即発の様相だった。

 とはいえ恐らく、この件のイニシアチブは俺にあるので、ここは早急な解決が求められるところだった。


「二人ともストーップ!」


 決死の覚悟で間に割って入ると、二人はようやく啖呵を飲み込んだ。しかし、視線のうえでは未だ争いが絶えない。

 俺は拓篤を正面に見据え、やんわりと口を挟む。甲斐甲斐しい妹っぽく。


「拓篤お兄ちゃん。家に着くまで私は、ここのメイドなんだから、助手席に座ってドライバーの道案内に務めるのは当然のことでしょ? あと送ってくれる人に、そんな口を利いちゃだーめ」


 拓篤の口に人差し指を当ててめっ、と諌める。我が口調ながらマジでキモいと思った。


「ぐ……、わかったよ」


 拓篤は俺のキモさに大いに毒気を抜かれたのか、気まずげに顔を逸らした。ガースさんへの睨みも引っ込める。俺も自分を貶めた甲斐はあったというものだ。

 ガースさんが勝ち誇った表情で拓篤を見ているので、彼にも釘を刺しておく。


「ガースさん、調子に乗らないでください。あなたは拓篤お兄ちゃんの使用人なんですから、立場をわきまえてください」

「……おや? この扱いの差はなんだ? 俺には妹口調で諌めてくれないのか?」


 ガースさんの異議申し立てを俺はひと睨みのもとに蹴散らし、車の鍵を開けるよう顎で命令した。ガースには悪いが、このぐらい強引にいかないと収集がつかなかっただろう。


「よし、出発だ!」


 全員が乗り込むと、ガースさんの合図で車が軽やかに発進する。

 駐車場を出ると眩い太陽が、青い鳥を、照らした。

 この昼下がりに今さらだが、長い夜は、ようやく終わりを告げたのだ。

 自らの手で、俺は帳を打ち払ったのだ。光を見出したのだ。

 屋敷の門前には執事さんが立っている。車の存在に気づき、執事らしいスマートなお辞儀をこちらに向けてきた。俺と拓篤が窓越しに頭を下げる。旦那さまは仕事で、ちゃんとお別れができなかったのが少し残念だ。まぁ近いうち、また会うことになるだろう。

 車が屋敷を出るとその皮切りに車体が大きく揺れ、獣道に入っていく。


「……ん!」


 お尻を突き上げる痛みに俺は思わず呻いてしまった。

 拓篤も苦悶しているだろうと思いバックミラーを覗きこんで見ると、なんともまぁ、蛙の面に水だった。運転席のガースさんに目を転じてみても同様……ではなかった。

 その手に包まれたチェンジバーよろしくガースさんの股間にも、女の子に包まれたがるモノがぴんと立っていた。


「マナが、そんな色っぽい声だすから腫れてしまった、いや惚れてしまった」


 大きめの走行音に紛れ、ガースさんがとんでもない一言を放った。

 俺は口元を抑え、施設に着くまでの一時間弱、苦悶と闘って過ごした。


  ◇◆◇


「お疲れさん」


 ガースさんの呼びかけで、俺は我が家に帰ってきたことを知る。

 そして、両眼からは滂沱と涙。もう無理、動けない……。

 拓篤は、着くやいち早く車を降り、後ろのトランクで荷下ろしをしている。机やベッドなどの大荷物は郵送となっているらしく、おそらく一両日中には届くだろうとのことだった。

 俺はひたすらお尻をさすって回復を待つ。その、横からガースさんが話を切り出してきた。


「いやぁ、これでお別れだな」

「そう……ですね」


 正直それどころではない。早くお尻の痛みとお別れしたいのだ。


「では、お別れの挨拶だ」

「……え?」


 と、聞き返す隙すらなかった。

 お別れを告げる彼の唇が、またしても俺の頬に吸い付き、新たなトラウマを上塗りする。

 今度は悲鳴も出ない。その代わりに後ろのフロントガラスに、拳を打ち付けるような音があった。

 驚いてバックミラー越しにそちらを見ると、悪魔も裸足で逃げ出すような形相が、こちらの様子を覗き込んでいた。拓篤だった。

 それを認めると、ガースさんは平常ならざる口調で、俺に下車を促した。


「マナ、早く降りるんだ」

「え?」


 訳もわからぬままガースさんの指示通りに車を降りる。俺がドアを閉めるが早いか、ガースさんは全力でアクセルを踏み込み、あっという間に車を駆って行った。逃げた。

 立つ鳥、跡を濁して行きやがった!

 俺があっけにとられたように立ち尽くしていると、後ろから砂利を踏み鳴らす音が聞こえてきた。心臓を蹴っ飛ばされたような気分だ。


「月宮。さっき、あいつと何してやがった」


 後ろからの声は、もはや狂気と言わず、殺気と言う。

 きっと変態だと思われてる。


「が、ガースさんにとってはあれは、あ、挨拶みたいなものみたいで」


 俺は迫り来るプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、這々言い訳を連ねていく。その声はひどく乾ききっていた。

 後ろの威圧感が凄すぎて、振り返れない。

 なので俺は、荷物とか一切を放棄して玄関へ逃げ込むことにした。走り、手早く鍵をあけて中へ駆け込むと、こんなときに限って家には誰もいやしない。

 小学校も中学校も、まだ就業時間だから当然なのだが、黒先院長までもが不在というのは、駆け込んだ意味がないというものだ。


「お前、俺の方が好きって言っておきながら、あんな粕男とキスしやがって……裏切りじゃねぇか、浮気じゃねえか……!」


 その追跡の声に心底びびって、ハイヒールを脱ぐのに手間取り、やっとこさ廊下を踏むも、俺は拓篤に背後から捕捉されてしまった。そして、手もなく廊下に組み伏せられてしまう。

 身体は仰向け、両腕をバンザイの体で留め置かれ、太ももあたりには拓篤の総身が馬乗りよろしく鎮座する。負荷をかけて俺を苦しめることが目的ではなく、単に俺の身動きを封じることが目的のようだった。

 すると強いられる、いやらしい姿勢。注がれるいやらしい視線。


「離して! ガースさんとは何もないから! 痛い!」


 体勢の苦しさに喘ぎながら、涙ながら懇願するが拓篤は聞く耳を持たない。元来優しい性格の拓篤なら、こんなことはしないはずだ。


「お前女装してでも、俺を連れ戻したかったんだろ? 女装してでも、俺と一緒にいたかったんだろ?」


 拓篤の姿をした誰かが、不意に、俺のこの格好のルーツを掘り下げる。それは昨日、俺が言った本心だ。友愛の告白だ。

 ということは目の前の誰かは、やはり拓篤なのか……。

 だかその愛を確認する彼の目に理性はなく、超常的エロスを宿していた。俺が答えられずに、苦しんでいると。


「つまりよ。それってよ、俺と一緒にいるためだったら女になってもいいってことだろ?」


 危ない曲解を、目の当たりにしてしまった。


「……え、いま……なんて?」


 苦しくて喋れないほどなのに、思わず聞き返してしまう。


「ならいっそ俺と、一緒になろうぜ……!」


 そう言って拓篤は荒々しく呼吸を繰り返している。俺の頬に、雫が滴り、ひやりとした不気味な感覚に見舞われる。思わず彼を見ると、それは拓篤の流した鼻血だった。

 ——既視感だった。

 狼男と化した流星のような、あのときにも似た異常さが目の前にはあった。

 ひょっとして昨夜の雨にあてられて、熱でも出しているのだろうか? それを裏づけするように拓篤の頬はひどく紅潮している。いや、拓篤は、風邪を引くような惰弱な奴ではないか。


「離して!」


 俺の口からはもはや拒絶の言葉しか飛び出さない。こんなの拓篤じゃない。流星だ。

 なんなの……女装男を見て野獣になるのが、最近流行ってるんですか?


「先週、俺に言ったじゃねぇか。一週間のうちに、告白の返事を下さいみたいなこと。今からその返事をしてやる……」


 確かにちょうど一週間前に、そんなことを言った覚えがある。物の弾みで言ってしまった、狂言告白だ。


「でもそれって、もう無効じゃないの⁉︎ 無効でしょう、どう考えても!」


 拓篤が俺の両腕を解放する。だが視線は、身動きしたら殺すと言わんばかりに俺を押さえつけている。

 そして彼の空いた両手は、俺の胸元へ。


「ちょ……! だめ……!」


 拓篤は、ある日の流星のように欲望にただ忠実に、猛り狂う野獣に成り果てていた。さっきのキスが原因か、風邪が原因か、それはわからないが。

 俺の下半身は、拓篤に馬乗りされてしまっていて身動きが取れない。両手はかろうじて、動かせる状況にあるのだが、悲しいかな手の届く範囲には現状を打ち破る術はない。

 拓篤の両手は俺の胸の感触がメイド服越しにも心地よいのか、一向に離したがらない。

 馬乗りの圧がとにかく苦しくて、荒い吐息の合間に女々しい喘ぎが口から漏れてしまう。その声を聞くと拓篤の手つきが輪をかけていやらしくなった。

 大きくて逞しくて、いやらしい手のひらが胸を覆い尽くしたかと思うと、それぞれの指先が撫でるようにして胸の頂点を目指す。そして頂点にたどり着くと、粘土遊びのように先を摘んでそれを捏ねはじめた。偽物の胸故、その部分は無いけれど、確かな嫌悪感があった。

 もっとも、俺が女でこの乳が本物だったなら、俺はさらなる喘ぎを引き出されていたかもしれない。


「……へへ……へへ。俺の手でも覆い尽くせねぇぜ……へへ」


 ルナティックなケダモノは、恐ろしいことをぶつぶつと呟いている。

 その口はキスをせがむような感じで、今にも迫ってきそうだった。恐ろしさが高じて俺は声も出ない。

 乳ならまだ我慢できる。嫌悪感はあるが、偽物だから。

 でも、唇同士はマズすぎる。ガースさんだって、それはさすがに遠慮していたのだから。

 だが拓篤のあの唇は、明らかにマウストゥーマウスを期待していた。

 もし、陽菜がいれば。

 あるいは、未来のネコ型ロボット調の色合いをしたこのメイド服のポケットから、現状を打破する秘密道具か何かが、取り出せれば……。

 と、そこで思い出す。

 このメイド服のエプロンのポケットには、この現状を打破するにあつらえ向きの品が入っていることを。

 いらないと言って、一度はそれを拒んだけども。今は心底、陽菜に感謝する。

 拓篤が胸の感触に夢中になっている隙に俺はエプロン部分のポケットに手を忍ばせ、素早くそれを取り出した。

 一見それは、リップグロスに見える。

 けれどもこれは、れっきとしたスタンガンなのだ。

 拓篤の重心があと少しでも前方にあったならば、エプロンが塞がれてしまい、これを出すことはできなかったかもしれない。

 ——流星の場合は自身に勝る脅威、つまり拓篤という存在によって正気に戻った。

 ならば拓篤の場合、拓篤に勝る脅威といったら、もうスタンガンしかないだろう。

 と、それを素直にリップグロスと解釈してか、拓篤が下卑た笑みをこちらに向けた。キス前の身だしなみ、とでも思っているのだろうか?

 野獣の恐怖に晒されながら、堂々とリップグロス風のスタンガンのキャップを外し、まずは自分の唇に軽くあてがいリップを塗る振りをする。強く押し当てることで、放電されるので、力を加えないよう心する。

 陽菜曰く、防水性とのことだが本当に大丈夫だろうか。何度となく洗濯に出してしまっているが。

 偽りの所作を終えると、準備が整ったと思ってか、拓篤が徐々に顔をこちらに近づけてくる。

 強面ながらも、求心力を兼ね備えたその相好。肉厚な唇が俺の唇に迫る。

 俺は両手を拓篤の後ろに回すと、手に持つスタンガンが拓篤の首筋に迫る。


「好きだぜ」


 その拓篤の告白に、応えるように。


「ごめんね」


 俺が言って、拓篤が儚げに笑むのと、ほぼ同時。スタンガンが、光を迸らせる。

 その光よりもはやく、俺は理解した。

 俺の先の一言で、拓篤は正気に戻っていたことを。そして、拓篤にとって何よりショックなその一言の後、次なるショックが物理的に拓篤の全身をめぐる。

 ——バリバリバリバリバリ。

 綺麗なのはその光だけだった。地震のような、雷のような、俺が想像していたよりもはるかに凶悪な音が響くと、瞬く間に拓篤は気を失なった。明らかに違法レベルだった。

 拓篤の身体が力なく、こちらに倒れ込んでくる。

 昨日のお返しとばかりに拓篤を支えようとして、でも支えきれなくて、一緒に倒れこむ。


「ごめんね」


 腕の中で眠る拓篤に、もう一度謝る。「好きなのは本当だから」と、拓篤には聞こえないだろうけど口にするのが面映ゆくて、心の中でそう続けた。

 そして、俺もスタンガンのとばっちりを受けてしまったのか、あるは夜更かしが祟ったのか、徐々に意識が遠のいていく。

 数刻後、俺が目を覚ますと信じがたい事実を告げられることになった。


 ——拓篤の直近一週間の、記憶が消えてしまったというのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ