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バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
深山那月編
27/64

四章 one weak friend(9)

 視界が真っ暗だ。

 人は本来、夜に眠る生き物であるという。

 古代において、視界が真っ暗になって行動が困難になった際は、暫し眠って朝を待った。

 二十一世紀の現代においてお先が真っ暗になったならば、永久とこしえの眠りに就かんとするだろう。

 視界が真っ暗だ。否、この場合はお先が真っ暗と言うべきか。

 例え空が、明々と晴れ渡っていようとも、俺が認めなければそれは冥々たる夜だ。即ち暗闇だ。

 俺は夜が、というか暗闇が嫌いではない。

 視界の一切を遮断され、見ることも見られることも叶わない。

 自分のこの女々しい姿を見なくて済む、見られなくて済む。

 自分のこの境遇を認めたくないからだ、認められたくないからだ。

 そういった負の願望が、黒い渦にも似た、不気味な希望となって俺をさらに深い眠りへといざなう。その先の超えてはならない一線を踏み越えて——つまりは、死を受け入れたなら。

 俺は両親に会えるのだろうか。

 どうせ寝ても覚めても、常夜の人生だ。

 人は夜に眠る生き物だ。もうずっと眠り続けているようなものだ。つまりはもう、死んでいることにも等しい。

 何の希望もない生よりも、両親に会えるかもしれない希望のある死のほうがいい。

 両親に会いたい。

 この世界に繋がれた錆びついた鎖を断ち切って、それでもって自らをわなく。わななくこともなく。そして、両親に会うんだ。

 足は次第に、そちらへ向かっていた。死の道だ。なのに足取りが軽い。

 行く先がほんのり明るく、心がほっとする。明るく、明るい、死の道だ。

 そして気づく。俺はやはり、暗闇よりも——

 そのとき、後ろから微かに誰かの声が聞こえてきた。

 聞き覚えのない声。そして、柔らかなシルクのような心地よさはない。

 振り返るとそれは、光だった。しかも俺が目指す先の、朧げな明かりとは比べ物にならないほど鮮烈だ。

 それはあたかも、俺の行くべきところはそっちではないと、諭すようだった。

 声が聞こえる。

 音像はぼやけており、まともな言語を成していないが、「こっちへおいで」と言っているように聞こえる。

 その声は有無を言わさず、俺の意識を引っ張っていった——


  ◇◆◇


 視界が明るい。

 朝になったのかと、辺りを見渡していると、どうやらまだ夜らしい。思い出したように雨音が聴覚に浮かぶと、さして時間は経っていないという結論に至った。

 ではこの、視界にある明るさとはなんなのか。

 それは一点の光芒で、俺がさっきまで見、失った光によく似ている。懐中電灯の光だ。

 そして、風に乗り、雨音に混ざり、音が聞こえる。


「——」


 それは、光の方からのものだった。


「——、——!」


 聞き覚えのある声。そして、柔らかなシルクのような心地よさはない。


「——月宮! 月宮ァ!」


 絶対零度の、氷の声なのだ。

 なのにそれは、何故か暖かく、温もりをもって心に染み入る。

 巧まざる悪魔。でも今は、今だけは、天使にも思えた。

 暗闇の中に浮かぶ、光の点が徐々に大きくなり、それは光の面となった。その周囲にあって雨滴が、輝きもって浮かび上がる。夜雨が織りなす、プリズムスペクトル。

 光の行方にあっては、闇に身を潜めていた木々が、仮初めの色を取り戻した。懐中電灯のおぼろげな明かりがこうも心強く感じるのか。

 徐々に近づくそれを目で追い、もうじき俺のことも発見してくれるだろうと安心したのも束の間、俺は自らの現状を思い出してひどく焦燥した。

 落ちたウィッグ、落ちたメイク、堕ちた姿。それを見た拓篤は、何を思うだろうか。

 光がこちらに迫ると俺はたまらず拒絶の声を上げた。


「来ないでください!」


 雨にも負けず風にも負けず、それは拓篤の耳に届いたようだった。

 拓篤は足を止め、こちらの様子を窺うようにしてライトを彷徨わせた。そして再び、こちらに呼びかけてくる。


「月宮、いるのか⁉︎ どこにいるんだよ!」

「来ないでください!」


 俺は、この姿を見られまいと、泣く泣く拓篤の呼びかけを否定するが、その否定の声こそが俺の所在を示していることに気づく頃には、拓篤はこちらの位置をあやまたずに捉えていた。

 暗闇で拓篤の姿はよく見えないが、存在感はひしひしと伝わってくる。

 俺は光を避けるようにして、木陰に身を隠した。後を追うように拓篤が疑問を投げかけてくる。


「なんで逃げるんだよ! なんでそんな所にいるんだよ、月宮!」

「そんなの、」


 俺だって逃げたくはない。

 でも人には、見られたくないものってのがあるし、それを隠そうとする。

 お前が照らす光の先には、お前のみとむない現実がある。


「拓篤さんに合わせる顔なんて、わたしには無いからです!」


 実際に即した言い訳を捻出すると、拓篤は言葉通りに受け取って、宥恕ゆうじよの声を張り上げた。


「俺はもう怒ってねぇよ! だから、早く出てきて一緒に帰ろうぜ月宮!」


 拓篤がすぐそこまで迫り、そして手に持ったライトが、無慈悲にも俺の姿を照らし出した。

 すると、しばらくの無音があった。

 それはそうだ。月宮マナを探しにここまで来たのに、追いかけて来たのに、その探し人はいなかったのだから。

 ややあって。

 ……は? と呟いて、拓篤は、手から懐中電灯をごとりと落とした。懐中電灯の光が的外れの方向を照らす。的外れ、とは言い得て妙だった。

 誰何もない、特段驚く様子もなかった。

 ここには、目当ての月宮マナはいないのだ。だから拓篤は、踵を返して帰るべきなのだ。だが、そうしなかった理由は。

 拓篤は、落ちた懐中電灯を拾おうともせずに俺に近づき。


「うぐ……」


 いつも俺にそうするように、胸ぐらを掴み、脅迫めいた言を発する。


「テメエ、何しに来やがった」


 ウイッグもメイクも落ちて、落ちぶれた俺のことを、ちゃんと深山那月として捉えたらしい。

 背中を巨木に押し付けられてじりじりする。

 息が苦しいはずなのに、何故か嬉しかった。誰も、俺の存在を認めてくれなかった。クラスメイトも、水木先生も、真島さんも、流星や陽菜だって、ちゃんと俺のことを見てはくれなかった。

 でも拓篤は、いつも俺にそうするように胸ぐらを掴むが故に、俺の存在をちゃんと認めてくれている。それが嬉しかったのだ。

 確かに息は苦しい。これは胸ぐらを掴む、というよりは首を絞める格好だ。満身創痍、疲労困ぱい、それに加えて、首絞めで意識は朦朧としている。

 だがそれは、俺が望んだことでもある。

 夢にまで見た、俺の願望だ。


「……して」


 両親に会えるかもしれない。


「あ? 何だって?」


 どうせ寝ても覚めても、常世の人生だ。


「…ろして」

「聞こえねえよ! もっとハッキリ喋れ」


 この世界に繋がれたしがらみを断ち切って、この逞しい腕でもって。


「殺して」

「……‼︎」


 何の希望もない生よりも、両親に会えるかもしれない希望のある死の方がいい。

 だが俺の願望を聞いて、拓篤はわなくことなく、その手が戦慄わななく。首を絞める力がふっと弱くなった。


「ふざ、けんなよ」


 訥々と拓篤は言う。

 それはこちらの台詞だ。どうして力を弱める、そんな力じゃ俺は殺せない。もっと、もっと強く、絞め殺しやがれ。


「早く、殺して」


 弱々しく俺の首を覆う拓篤の両手を、俺の両手が包み込むようにして支え、そして力を込める。受動的に拓篤の手が首絞めを再開した。


「や、やめろ、ふざけんな」


 心なしか声まで弱々しい。その声すらも戦慄いていた。


「どうして?」


 俺の声音には、もとより力はない。抑揚なく訊ねた。でも、故に実感が大いに篭った物言いとなる。死んだ方がましに思える、怪我、疲労もある。

 首絞めなんかなくとも、立っているだけでやっとの有様だった。ぶらんと俺の腕が脱力して、その腕の重みで重心が不安定になって倒れそうになる。


「ざっけんな」


 拓篤は首を絞めるのでなく、俺の胴を、支えるようにして抱き締めた。


「……拓篤?」


 俺が体勢を立て直した後も、拓篤は、抱き締めを解放しようとしない。胸元に顔を埋め、男らしく泣き顔を晒さずに嗚咽を漏らしていた。辺りは暗く、懐中電灯はあらぬ方向を照らしているのだからその必要はないのに。


「お前がそうなっちまったのは、俺のせいなのか?」


 嗚咽に紛れて拓篤が問うた。


「何のことかわかんない」

「お前が、人と関わるのやめたことだよ」


 それはつまり、こう問うているのだ。俺が拓篤を見捨てたのは、拓篤自身に原因があるのかと。


「違うよ」


 それだけは言える。陽菜がいなくなったから、次々にみんないなくなったから、何より俺自身が弱かったから。それに他ならない。


「そうか。だがな、俺がこうなったのは那月、お前のせいだからな」

「うん」


 知っている。知っていた。

 元来優しい性格の拓篤は柄に合わない不良を演じることでしか、俺の足に残した暴行を清算できなかった。

 俺は拓篤との関係を否定することでしか、自分が保てなかった。そのために、拓篤を犠牲にした。

 そして拓篤は、俺を絞殺することでしかさっきの行為を清算できない。それを利用して、俺は自らの願望を叶えようとした。そのために、拓篤を犠牲にしようとした。

 俺の都合で不良になった拓篤を、今度は殺人者にしようとしているのだ。


「俺に、お前を殺せってのか?」


 俺は静かに頷く。


「大好きで、一生離れたくねえと思ってたやつと、今生別れなきゃなんねえのかよ畜生が」

「じゃあ、なんで施設出たんだよ」

「そうさせたのはお前だろうが」

「そう、だね」


 だが、覆水は盆に返らない。行為に対にしては責任が必要だ。

 拓篤が首を絞めた以上、それに対する結果が必要となる。

 結果とはすなわち、死だ。


「拓篤」


 恐怖ゆえか、拓篤のその思い故にか、俺の目元は涙で溢れた。だが、そぼ降る雨が涙を誤魔化す。うわべだけ誤魔化して、でも嗚咽が絡んでいることが丸わかりな声音で、俺は言うのだ。


「もっと強く抱きしめて……。そんで、嘘吐きな俺の弱さを殺してほしい……」

「……え?」


 それは短い呟きだったが、その想いは伝わってきた。

 つまり、お前のこと、殺さなくても良いのか? という問いなのだ。

 無言——いや涙交じりに、拓篤は腕の力をを強めた。だがそれは、優しく支える強さだ。強さを与える強さだ。

 ぎゅっと、強さを授かって。俺は——


「拓篤。あの時、必要ないなんて言って、ごめんなさい」


 行為に対しては責任が必要だ。その責任を、俺は長いこと怠ってきた。

 それが今、ようやく果たされた。

 そして、この涙にも理由が必要となる。

 恐怖だの、そういう誤魔化しはもはや不要。


「拓篤と、一緒にいたいよ。帰ってきてほしいよ……」


 悲しいからでなく、辛いからでなく

 この、流れる涙のみなもとは——

 拓篤のことが、大好きだから。


「……もう裏切ったり……しねぇよな?」


 拓篤の涙に震えた、くぐもった声が、俺の胸の中から聞こえた。


「約束」


 拓篤はしばし、俺の胸の中でむせび泣いた。

 雨が降っている。暗闇の中、雨音が、この場を取り繕っているようだった。


「ところでいつまでそうしてんの、それおっぱいなんだけど。拓篤のえっち」

「う、うるへー」


 拓篤がかわいらしく反抗した。しかし恥ずかしかったのか、拓篤はふと胸から顔を離した。


「ま、拓篤が巨乳好きのおっぱい星人だってのは、ダンボールの底のエロ本で把握済みだけど」

「てめ、コロス!」

「あー、そういうこと言っちゃう」

「うるへー!」


 雨が降っている。それに紛れる涙が蒸発するほど熱く、しばし俺たちは肉弾戦に興ずるのだった。まぁ、俺が負けるんだけど。

 しかし、拓篤を迎えに屋敷に来たつもりが、逆に拓篤にここまで迎えに来てもらうことになるとは思いもしなかった。

 遠くなった心が久々に、近くに感じられる。

 陽菜がいなくなった翌年には絶縁状態だったから、実に四年ぶりか。

 その歳月は決して短くはない。オリンピックは周期を経てまた開催されるし、先のドラミンピックも、今年また開かれる。

 真冬のような関係が氷解し、雨はまだそぼ降っているけど、心は晴れ晴れとしていた。

 ちなみに月宮マナの声色はとうに捨てている。ウィッグやメイクが落ち、拓篤に正体を明かしてしまったからには、もう月宮マナの声を保つ理由がないからだ。

 月宮マナは概ね有能だ。会う殆どの人がその存在を好いてくれるし、それが自信に繋がるという事もあった。でも、万能ではない。

 俺のこの気持ちは月宮マナとしてでは、拓篤には伝わらなかったと思う。

 いつの間にか叢雲は、どこかへ散じていた。

 そして月明かりが、俺たち照らしている。

 月の前の灯とはよく言ったもので、懐中電灯のちっぽけな光はその圧倒的な月光を前に、微々たる光を遊ばせるのみ。

 今日、この時をもって俺と拓篤は仲直りし、拓篤は不良を引退した。たくさん泣いて、仲直りした。

 雨降って地固まる、とはこのことだった。

 明日はきっと、晴れるだろう。


  ◇◆◇


 俺と拓篤は、月明かりを頼りに俺の失せ物を探していた。拓篤が迎えに来たからといって、ウィッグがなければ屋敷には戻れないからだ。

 互いの表情を確認できるくらいには、月光は明るいが、探し物となれば話は別だ。

 俺が一人でそうしていたように今度は二人で、地を這うようにして探し物をする。

 二人となると、というか拓篤が加わると物事に拍車がかかり、ほどなくして失せ物は全て見つかった。さすが喧嘩において、一人当千と謳われるだけある。

 達成感からのハイタッチのため、お互いの顔を見合わせると、どちらともなく吹き出した。


「ぷく」

「ぷはっ、お前」


 拓篤の顔が泥んこ塗れだったのだ。そして、それは俺も同じなのだという。もっとも俺は、もとより汚れまみれだったが。

 このくだらない出来事が、あの写真とオーバーラップする。

 あれだけ待たされて、ようやく念願が成就して。これだけ満たされて。

 もう頑張ることなんて、ないんだと悟って。足元から頽れた。


「……那月!」


 拓篤が駆け寄り、倒れる俺の身体をすっと支えた。シルクのような風合いはないけれど、逞しくて、優しい。

 そんな、拓篤の腕が俺を包み込む。

 怪我と疲労でもう歩けない。それを目配せで伝えると、拓篤は恐る恐る耳打ちする。


「抱っこ、するか?」


 その声は恥ずかしさを湛え、妙に上ずっていた。初日、あれだけナチュラルにしてきたくせに。それに今だって、


「もうしてるじゃん?」


 こうして俺を支える様相も解釈の仕方によっては、立派な抱っこだ。


「それもそうか」


 吹っ切れたのか、拓篤は表情を清々しいものに変え、再三となるお姫様だっこをする。

 おんぶを提案しなかった理由は、このメイド服の構造上、股を開くおんぶの格好はいささか無理があったからだろう。まぁどちらにせよ、おんぶに抱っこなのだから大して変わらない。

 拓篤の腕に揺られて、屋敷に着くと、玄関先で執事さんが俺たちを手厚く迎えてくれた。その傍らには旦那さまもいる。


「ご両人は、お風呂にて身体を温めてください」


 とのことだった。

 メイクのないすっぴんの俺を、男だと怪しむ者は誰もいなかった。良かったような、そうでないような複雑な心境だった。

新しく「バンドル⚔クエスト」というお話を書き始めました(まだあらすじしか投稿してない)。

そちらの方もよろしくお願いします。

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