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バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
深山那月編
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四章 one weak friend(7)

 旦那さまと拓篤のお見送りが終わると、ようやっと俺たちは朝食にありつける。腹の虫が慎ましやかに喜びの声をあげた。

 俺たち使用人ごときがダイニングのテーブルを汚すのは恐れ多いとのことで、朝食は厨房にて済ませる。調理台に料理皿とバスケットを並べて、椅子を持ってきて適宜着席。

 どうぞ、と俺の分のお皿が手渡される。お腹の音を聞かれていたのか執事さんは優先的に俺に分配してくれた。


「ありがとうございます」


 朝食の内容については旦那さまや拓篤のものと同じ。盛りが少ないということもない。使用人のものだから、というさもしい概念はないらしい。

 執事さんが疾事らしく手早く体裁を整えると、俺たちは頂きますをして朝食に食らいついた。


「おいしいです」


 俺は自ら感想を述べることは少ないが、あふれる感想が自然と口を衝いて出た。


「それはよかった」


 あごが落ちる、とはまさにこのことだろう。

 さして高級な物ではないが、押しも押されもせぬ滋味でもって富家にも見事に溶け込む、卵。しかもこの屋敷で使っている卵は、一個500円もする高級品。美味しくないはずがない。

 そして、単体でも美味しくいただける卵に花を添えるのがこの、ベーコンだ。溢れる肉汁が舌にレッドカーペットを敷くが如く、その上を堂々たる肉が闊歩する。

 合間にパンを含んで食感を楽しみ、スープで喉を潤し、存分に朝食を味わった。

 でも、ガースさんは、朝食抜きなのだ。今ごろ必死こいてサドルを漕いで、市街へとチャリを走らせている頃だろうか。


「……」

 彼の身から出た錆なのだろう。

 だがまかり間違えば、俺もああなっていたかもしれないのだ。旦那さまの恩情に感謝すると同じく、ガースさんに申し訳なく思った。

 俺たち使用人の食事は、三回に分けて行われる。

 一つは今まさに取り掛かっている、主人たちの朝食の後に。一つは今からおよそ三時間後に。そして主人たちの夕食後に。

 俺は右も左もわからない初日に夕食抜きを経験しているので、その辛さは充分理解しているつもりだ。

 ガースさんは、下手したら今日の食事をことごとく返上して仕事をしなければならないかもしれない。おまけに森の中の悪路を行き帰りしたり、長い距離をひたすら自転車で駆け抜けなければならない重労働だ。

 俺ならそのまま家に帰る。無理。


「そろそろ片づけて仕事に戻りましょう」


 執事さんの呼びかけで我に帰る。

 食事とは元来食べるための用事であって、物思いに耽るための時間ではない。

 黙って胃袋を満たしたら、即仕事に励むことが使用人たる本分であると言わんばかりだった。


「は、はい」


 とはいえ俺の場合は、仕事に戻るのとは少し違う。早朝の執務をサボり、これから仕事に取り掛かるわけだから。

 最後にパンをひとつ含んで席を立つ。

 今日が最後の奉公となっている。

 明日も仕事はあるには、あるのだが、それは午前までのこと。昼過ぎにはここを発つことになっている。だから実質、終日仕事するのは今日までなのだ。

 今日の作業シフトはこうだ。


 朝食準備——午前五時三十分、朝食準備(ガースさん)※不履行

 午前作業——庭掃除(共同)

 午食準備——午前十時(俺)

 午後作業——一階。台所、水回り清掃、洗濯(執事さん)

       二階。各部屋清掃(俺)

       地下。駐車場、酒蔵清掃(ガースさん)

 夕食準備——午後十八時(執事さん)※改訂済


  ◇◆◇


 時計がもうすぐ七時を差す頃、俺と執事さんは庭掃除へと赴いた。

 庭掃除は単純な作業が多い。唯一気を使いそうな庭木の手入れは執事さんが担当するので、俺はゴミを拾ったり雑草を毟ったりと退屈なものだ。

 小綺麗な倉庫から軍手や枝切り鋏、鉈などの用具を取り出す。執事さんに枝切り鋏と軍手を預け、俺はとりあえず軍手のみを装備して作業に臨んだ。

 手を形式的に動かして草を引っこ抜いていき、頭は所在なく思考をくり返していた。

 この屋敷での仕事のシフトは、ローテーションで組まれているわけではない。現に、初日以降で俺が二階における作業を担当することはなかったのだから。つまり、俺と拓篤の事情を理解しているという可能性。

 二日目以降のシフトには、誰かの意思が働いていたと考えるのが妥当か。しからずんば五日間も、俺が二階の作業に割り振られなかったことが不自然だ。

 となると心当たりがあるとすれば、旦那さまか、ガースさんだろう。ただ、旦那さまは違うと思う。自分のことすら儘ならない故に使用人というものを雇っているのに、その使用人の仕事にわざわざ与るとは考え難いからだ。

 それに、ガースさんの意思によって俺の割り当てが操作されていたとすれば、彼が関与し得ない今日のシフトで俺が二階の掃除に割り当てられたことにも合点がいく。

 おそらく、ガースさんは俺に気を回してくれていたのだろう。あのとき、やはり看破されていたが故に。

 だが今日は、俺が二階を担当することになっている。つまり、拓篤を顔を合わせる可能性が高まるに同じこと。こんなことになるなら俺も潔く怒られて、町に繰り出せばよかったという後悔があった。

 拓篤とは、仲直りしたいのに、その過程を通りたくはない。矛盾というか、我が儘というか、つくづく自分が嫌になってしまう。


「……くっ!」


 手を付けた雑草が、強く根を張っていて間引くのに四苦八苦する。

 俺がこんなにも逃げ腰なのは、未だ拓磨と仲直りする手掛かりが掴めていないからに他ならない。

 この雑草のように、過去に張った良からぬ根が肥大化していて、根っからの臆病を育てて、取っかかりの手を搦めとってしまうのだ。

 庭には、やわらかな風がひっきりなしに吹いている。

 ゴミの処理も作業には含まれているが、まぁゴミなんて滅多に出てきやしない。毎日清掃しているうえに、ここは私有林に囲まれた屋敷だ。ゴミに足でも付いていない限り、庭の清潔は保たれることになる。

 だが、その可能性はゼロとは言えない。風はいろんなものを運んでくる。花弁だったり、ゴミだったり、臆病さだったり、様々だ。

 臆病風に吹かれて、俺こそが吹き溜まりに行こうとしているのかもしれない。そして、悔恨の念に死ぬまで苛まれるのだろうか。上手いことは言っていない、それはとてもマズいことだ。

 とおりいっぺんに草を毟り終えると、純白だったの軍手は気づけば真っ黒に汚れていた。善行の裏には人知れぬけがれがあると、軍手自らが表わしているようだった。


「草毟り、終わりました」


 執事さんのもとへ報告に行くと、そちらの作業もそろそろ一段落するようで、仕上げに枝切り鋏で最後の枝をすぱっと切り落としたところだった。それは、一角ひとかどの庭師の仕事なのではないかと感心せずにはいられないほど堂に入った所作だった。


「お疲れ様でした。そろそろお昼にいたしましょう、ここの後始末は私がしておきます」


 執事さんが腕に巻いたお高そうな腕時計を見せてくれる。九時半を少し過ぎた頃。作業を始めてから二時間余りが経過したところだった。

 そろそろ、昼食の準備をはじめたほうが良さそうだ。


「ありがとうございます。ではお先に失礼します」


 執事さんに会釈して、備え付けの水道でよく手を洗って、俺は庭を後にする。

 そして、厨房にて。


「ええっと、材料は——」


 冷蔵庫内の食材を確認しながら俺は、昼食のメニューを如何にせんと考える。

 昼食は、三食の中でもエネルギーが多めになるようメニューを立てるのがセオリーだ。でないと夜まで体力が持たなくなってしまう。それがこの五日間における統計的データによるところだった。

 定番をいくならやはり、豚の生姜焼きだろうか。手軽に作れるし材料も有り合わせの物で大丈夫だし。なにより、生姜が体を元気にしてくれることだろう。

 この後、手早く十分内外で豚の生姜焼きを完成させて、ゆっくりとしたランチタイムを過ごした。


  ◇◆◇


 食休みが終わると俺たちは、たちどころに忙しさを取り戻していく。

 掃除用具を手に俺は階段を駆け上がる。スパイラルな階段で平衡感覚を試されつつ、メイド服のスカートのひらひらふりふりに煩わしさを覚えながら、すたんと二階にたどり着いた。

 そして、脇目も振らずに拓篤の部屋を目指す。無論、作業中に拓篤とかち合うことがないよう、真っ先に片付けてしまおうということだ。初日は後回しにして、見事バッティングした。そろそろ学習しないと。

 しかし、いざ拓篤の部屋を前に立つと同時に足が竦みだした。頰がひりひりし、膝がずきずきする。


「……う」


 恐怖は学習しようがない。それに慣れてしまったなら、人は人たり得ないのだから。

 敷居が高い、とは本来こういう場合に、使う言葉らしい。

 扉がいやに大きくみえる。それとも俺が矮小になっただけなのか。ひどく不安に満ちた感情だ。

 ひりつくように頰が疼いた。心的外傷トラウマというものが小さく騒ぎ出したのだ。

 拓篤はちゃんと学校行ったよな?

 早退とかしたりしてないよな?

 仮病で、実は部屋にいたりしないよな?

 たわいない疑念が流れ星のように、間断なく頭を流れる。

 頭の周りを星が回っていないだけで、それは気絶していることに相違ない。どちらも静止の時間だからだ。


「……馬鹿か」


 思わず自身の感情に吐き捨てる。

 ここへきて何を躊躇っているのか。未来の秘密道具ではあるまいし扉が大きくなるわけがないし、俺が小さくなるわけがない。

 想像上の事物を持ちだすということは、即ち、俺のこの恐怖だって想像や空想の出来事に過ぎないのだ。


「……っ」


 ドアノブを捻るのにちょっぴり勇気を要したけれど、後はすんなりだった。

 部屋の視界が開けると、先日よりもすっきりと片づいた様子があった。ベッドはもとよりクローゼットや机など、しっかり管理が行き届いている。

 もちろん、室内には拓篤の姿はない。当然のことだった。

 入り口付近の壁には畳まれた段ボール箱が立てかけてあり、それだけがこの部屋の美観を損なっているようだ。裏返せば、俺のやるべきことはそれぐらいしか見当たらない。

 勉強机には、簡素な本棚が設置されており参考書が整然と並んでいる。どれも難しい内容のもので、俺みたいな馬鹿が手を付けるのも馬鹿らしい。なんだこの、「管工事施工管理技士実地試験対策集」とかいう難解な文字列は?

 本棚の隣に視線を移すと、例の写真が綺麗に飾ってある。もう見たくもないであろう人間が一緒に写っている写真を、よくもまあ飾れるものだ。

 ともかく、ここに掃除すべき目立った汚れは見当たらない。故に掃除する理由がない。あるいは、ふかふかのソファもない。俺がここに長居する意味はない。そうだ、旦那さまの部屋に行こう。

 畳まれた段ボール箱を片手にまとめて持つと部屋を出る。とりあえず段ボールは階段の脇に立て掛けておいて、他のゴミと一緒に後で一階に下ろすことにしよう。

 そして、まんまと欲望に負けて旦那さまの部屋に来てしまった。


「失礼しまーす」


 主のいない部屋にわざわざ挨拶をもって入室する。

 ちなみにこの「失礼しまーす」という言葉は、これからソファに寝そべるという失礼をやらかしまーすという意味だ。

 念のため入り口に鍵を掛けて、申し訳程度に部屋を見渡す。これまた綺麗に整頓された部屋で、掃除する意味なんて本当にあるのかすら疑わしい。

 むしろ、これから俺が汚してしまうのではないだろうか?


「問題ない」


 他の誰でもない、俺が許可を下した。

 ソファの前に立ち、そしてダイブするようにソファに倒れこんだ。低反発の素材がやさしく身体を受けとめて、ふわりと包み込んでくれる。


「うにゃー……」


 猫の気持ちがすこしわかった気がする。

 こんなふわふわなもの——つまり、毛皮にずっと包まれていれば、猫みたいな表情や声音にもなるのも道理だった。甘い声が抑えられない。

 今日でこのソファともお別れなのだ。最後にぎゅっと風合い抱きしめるようにうずくまって、名残惜しくもソファから身を起こす。夢のような時間は、いつも儚い。

 現実に追い出された俺は、ソファの周りを重点的に掃き掃除をして、終わると部屋を後にする。愛しのソファに後ろ髪を引かれる思いで、泣く泣く掃除に戻るのだった。

 その隣の書斎も、特に手を付けるべきところはなく、気持ち程度に掃き掃除をして早々に撤収。廊下の段ボールや不要類を処分し、廊下の掃除を終えて、午後の十四時に差し掛かった頃、俺は二階における最後の部屋を前にしていた。ここは多分、荒れているだろう、そんな予感があった。

 寝坊したガースさんが寝起きで盛大に部屋を荒らしたろうから、性根を据えて掛からねばなるまい。

 意を決して、捻ったドアノブに力を込める。


「……何だこれ」


 そして扉を押して開けるや、絶句した。

 まずもって目に飛び込んできたのは散乱した布団、統制もクソもなくいびつに並んだベッド、乱雑に掛けられたベッドカバー。

 細かく見ていくと、めいめいの私物(ほとんどガースさんの物だ)が床のそちこちに転がっている。俺の私物といえば、メイク道具のケースくらいだろうか、カバンの脇にちょこんと置かれていて、決して部屋を汚していることにはならない。


「はぁ……」


 重たい溜め息が出た。出ないわけがないのだ、この惨状を見て。

 拓篤や旦那さまの部屋、そして書斎は俺が手をつけるまでもなく、清潔さが高い水準を維持していたのに、何なんだこの有りさまは……。主人あるじの部屋よりも使用人げぼくの部屋が汚ないとは、紺屋の白袴とはまさにこのことなり。

 しかし、こうして手をこまねいているだけでは何も始まらない。

 小一時間ほどかけてごみ袋を二つ満杯にして、夕刻の支度までの時間で出来るだけの努力はしたつもりだ。

 清掃の状況報告書のチェック欄には、自信なさげな丸印を付けておいた。

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