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バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
深山那月編
22/64

四章 one weak friend(4)

 夕食で猫も杓子しやくしも、一階ダイニングに集まっている。

 旦那さまと拓篤は今ごろディナーに舌鼓を打っているだろうし、執事さんとガースさんは給仕にてんてこ舞いだろう。俺たち使用人の仕事は、まだまだ続くのだ。

 俺は旦那さまの申しつけ通り、拓篤の部屋に来ていた。そして、あまりの散らかりように言葉を失っている。

 入り口付近には脱いだ衣類が累々として散らかっており、奥に進んでいくと開梱されていないダンボール箱がいくつも積み重なっていた。おそらくは引っ越してきたばかりだからだろう。寝具だけが辛うじてその機能を保っていて、後は野となれ山となれ状態だった。

 凄絶な光景だが、途方に暮れている暇はない。

 拓篤が夕食を終えてここに戻ってくるまでには、掃除を終えてこの部屋からく立ち去りたいのだ。

 まずは保健室の大掃除でもそうだったように、窓をあけて換気をする。窓際にたどり着くだけで四苦八苦しながら、どうにかこうにか窓の鍵を解錠してからりと開いた。

 外気に手を伸ばすと、四月の風がやんわりと腕に絡みつき、ふっと凪いだ。ほどよい春の気候。

 保健室では続いて、大きな荷物や邪魔になる荷物を廊下に出していったような気がするが、ここでは廊下を汚すわけにもいかなさそうだ。さてどうしたものかと考える。

 部屋がこれだけ広いのなら、フロアを二等分して掃除していくのが定石だろうか。

 俺は、夕食の配膳の折に厨房から持ってきたごみ袋を適当な所に置いておく。ただ普通に置いただけでは袋は重力に屈して潰れてしまうので、いくつか重なった段ボール箱にもたせ掛けるようにして設置する。

 そして、ようやっと掃除らしい掃除がはじまる。

 あきらかに必要ないであろう書類やゴミなどをまとめてゴミ袋に放り込んでいく。それだけでごみ袋の一つが満杯になった。

 拓篤は昔から不要な物をいつまでも溜めておく癖があった。どうやらそれは健在らしかった。

 開梱した段ボール箱から出てきた、去年の修学旅行の参加申し込み用紙、進路希望表、成績表、埃のかぶった雑誌の山などを、容赦なくすべて裁断してから資源ごみとしてまとめて紐で括る。えっちぃ本については、見なかったことにしてダンボールの底にしまっておいた。胸の大きな女性が好みなのだという拓篤の性癖は、俺のこの大きな胸にしまっておこう。俺って、大きな人間。

 切りのいいところで段ボール箱のほうは一時中断して、今度は入り口の衣類を処していくことにする。

 拓篤は、およそオシャレとは縁のないタイプの人間だ。散乱した、衣類の殆どがTシャツとジーンズだった。Tシャツの色も無地の白とか黒とか、当たり障りのない物ばかり。ちょっとオシャレに気を使えば、かなりモテると思うんだが。

 まあ、俺もつい最近まではファッションには全く関心がなかったが。

 しかし、今は違う。頭には亜麻色のふんわりヘアーと可愛らしいリボン、胸には扇情的なブラ、脚にはキュートさと艶めかしさが混在したベージュのストッキング、全身を彩るは水色と白のメイド服——もはや倒錯したファッションセンスを身につけている。

 そんな倒錯した格好で、散らかったTシャツを一枚一枚丁寧に畳んでいく。皺が目立つ物は洗濯カゴへとまとめておく。

 ジーンズには皺はないように思う。もとより生地の厚い服だし、よほどのことがなければ洗わなくても大丈夫だろう。というか、ジーンズは洗濯してはいけないという風聞をどこかで耳にしたことがあるような。

 しかし、いずれも大きめのサイズだな。俺が履いたら知らず知らずのうちに脱げてしまいそうな大きさだ。拓篤のガタイの良さが窺える。

 入り口付がすっきりしたところで、段ボール箱の開梱作業に戻ることにした。

 ごみ袋がだいぶ草臥くたびれてきたので形を直してやる。本当に、誰かが付いててやらないと生きていてないやつである。つまり、俺である。俺ゴミである。

 二つ目の段ボール箱を開けると、その一番上には写真立てがあった。それは背中を向けており、写真の内容はまだ分からない。

 印象としては、拓篤と写真がイマイチ結びつかないというのが率直なところだった。

 それに今は、携帯電話というものがあるし、デジカメばりに写真機能が充実しているとも聞く。

 まぁ俺は携帯でそんな使い方をしたことないし、そもそも使う機会なんてないから今回だって家に置いてきたわけだけど。

 拓篤ともなれば、携帯を大いに活用しているだろうに、そんな拓篤が時代に逆行してこんな写真を残しておく理由は一体何なのか。

 ふと手にとって、くるりと返してみる。


「あ……」


 懐かしい情景。かれこれ五年以上も前の、俺と拓篤が仲良く肩を組んで並んでいるところを写真に収めたものだった。ふたりとも顔面を泥んこまみれにしながら、屈託のない笑顔をこちらに向けている。

 今にしてみれば信じられない表情を、こいつらはしているのだ。

 この懐かしい写真も、光景も、関係も、俺はもうとっくに無くしてしまった。

 俺にとって、写真なんてのは当時の思い出を懐かしむものではなく、過ぎ去ったものや失ったものを後悔するだけの物でしかない。

 俺はそれを、まだ開梱されていない段ボール箱の上に置く。美化された思い出を飾るためにはまず、この場の美化に努めなければならない。

 心はまだ、あの日から帰ってこないけど、手だけは機械的に動かして着々と掃除を進めていく。心が現実に戻ってくる契機となったのは、突然開かれたドアの乱暴な音によってだった。


「ひゃい——⁉︎」


 突然のことに俺は動転してバランスを崩して、さきほどの段ボール箱に身体をぶつけて転倒してしまった。写真立てが落下するのが、残像として脳裏に深く残った。

 気づけば地面を抱いていて、肌の接地面がひりひりと痛みを発していた。衝撃の瞬間は意識がどこかに飛んでしまったようで、そのあたりの記憶がない。

 顔だけでも入り口のほうに向けると、気遣わしげに俺を見つめる拓篤の姿があった。


「大丈夫か、月宮?」


 俺は文字通りの苦笑をしてみせる。身体は依然として動かず、さきほどにも増して心と体がちぐはぐになってしまったような感覚だ。

 拓篤が俺のもとに歩み寄り、本日二度目のお姫様抱っこをもってベッドまで運んでくれる。ありがとうと言いたくても、言葉が口を抜けていかない。ものの見事に気が動転、身体もひっくり返って転倒してしまったというわけだ。

 ベッドの上に座って、しばし身体の回復を待つ。

 すると隣に座っていた拓篤が口を開いた。


「こんな所で何してたんだよ……」


 自ら「こんな所」と言うのだから、ここが掃き溜めだという自覚はあるのだろう。


「え……と、お掃除に」


 答えると、「まぁ、そうだろうな」と言って拓篤が納得する。拓篤が辺りを大づかみに見渡しているので、俺もつられて概観する。

 中途半端に片づいた衣類、中途半端に荒らされた段ボール箱、中途半端に部屋を出入りする夜風、何もかもが中途半端だった。

 のみならず、さきほど、転んだせいで余計に散らかってしまったような気さえする。


「なんかすまねぇな、こんなんで」


 こんな部屋のことを指して、拓篤が素直に頭を下げた。慌てて俺はフォローを入れる。


「いえいえ、私の仕事ですから!」


 俺が雑念に囚われていたことがそもそもの起因なのだ。主人や、それに類する者に気をつかわせてしまった時点で使用人の落ち度である。

 身体の調子がそろそろ戻ってきたところでベッドを立ち、掃除に戻ることを拓篤に伝える。


「拓篤さまはどうぞ、こちらでお寛ぎください」


 すると拓篤も立ち上がり、俺の頭をおさえる。俺よりもはるかに大きな背丈が羨ましかった。

 その巨躯に恐怖でなく、頼もしさを覚えたのはいつぶりだろうか。


「そんなこと言ってんなよ。俺はお前のこと、使用人だなんて思ってねえんだから」


 そう言って倒れた段ボール箱のもとに進み出て行き、それを立て直していく。

 確かにそうだ。さっきの狂言告白一つとってみても俺たちは、ただの主従関係ではないのかもしれない。

 遅ればせながら俺も部屋の片付けを再開することにした。

 拓篤を、衣類の周辺に呼び寄せ、助力を請う。


「服を箪笥にしまいたいんですけどひとりでは重くて……」


 Tシャツであれデニムであれシーツであれ布類というのはかさなれば、そのぶんおもくなるものだ。


「おう、わかった」


 拓篤は快く引き受けてくれた。こんなにもいそいそと精勤する拓篤を、俺は久々に見た気がする。まるでさっき見た写真の続きを見ているような、そんな感じ。

 そういえば写真はどこに落ちたんだろう? 段ボール周辺を見渡してみるが見当たらなかった。

 とりあえず、二人で手を取り合って衣服を整理していく。人ひとり増えるだけでこうも容易く片付いていってしまうのだから不思議だ。いや、都合二倍だから不思議でもなんでもないんだけど。

 拓篤が衣類を俺の所まで運んできて俺がそれをクローゼットの中に綺麗に整頓する。体力があるけど要領がない奴と、要領があるけど体力がない奴とのコンビネーションである。

 衣類の片づけをつつがなく終えて、続いてはダンボールの開梱、および内容物の処理だ。どうにか今日中には、あらまし部屋を綺麗にしてしまいたい。


「しっかしよくもまぁ、あんなにも溜まったもんだな」

「そ、そうですね」


 俺の独断と偏見によって、満たされたごみ袋を遠目に見ながら拓篤がため息を漏らした。それは呆れから来るものなのか、一種の感心から来るものなのか、その違いによって拓篤の今後をたやすく占うことができる。

 後者なら、拓篤は将来立派なごみ屋敷を建てることができるだろう。建築家志望だけに。ちなみにまったくもって建設的ではない。


「一応中の確認だけお願いしますね」


 俺は拓篤に、ごみ袋の中身の検閲をまかせる。もし、重要なものをそうと知らずに捨てしまったとなれば大変なことになってしまうかもしれないからだ。とはいえ明らかに必要なさそうな物を選りすぐったので、恐らく文句はないとは思う。


「よしきた」


 拓篤がごみ袋のもとに近づき中身を検める。俺はその様子を傍らで静かに見守ることにした。

 そして拓篤の顔がゴミ袋の口を覗いた。かと思えばその表情が一瞬固まり、みるみる険しくなっていく。何かまずいものでも入れてしまったのではないかと思い、俺も拓篤の視線を追う。だが、袋の透けが甘くこちらからは中身を見ることはできない。


「おい」


 たったの二文字だった。その短い一言で俺の背筋が凍った。

 開け放たれた窓から、春にしては寒々しい風が吹きこんでくる。それは場の空気を冷やさんとして、部屋の中を行きめぐる。

 拓篤の視線の先、拓篤が袋から取りだしたそれを見て、俺は呆然とする。


「なんだこれ」


 絶対零度の詰問が俺の胸を抉る。

 最後に息を吸ったのは、いつだったか。もう長いこと溜まった息を吐き出せずにいる。すると脳に酸素が行き渡らず、思考も鈍重になり文字通り悪循環に陥っていく。


「写真立て……」


 拓篤が示すもの、俺が呆然として答えるそれは、さっきまでダンボールの上に置いておいたはずだった。床に置いておいたら、埃にまみれてしまうだろうし、あるいは踏んづけて壊してしまうかもしれないと思ったからだ。

 俺がダンボールにぶつかり転んでしまう際に、それが落下するのを確認した。だから床のどこかに落ちているのだろうと思った。どこにも見当たらず、不思議には思ったが。

 だが、あろうことかごみ袋の中に入ってしまうとは、考えもしなかった。

 拓篤は、汚れに汚れた写真を右手に持ったままこちらに近づいてくる。その目には先ほどまでの生気はなく、どろんと据わっていた。

 違うんです。そんなつもりはなかったんです。その言葉が、出てこない。

 俺は蛇に見込まれた蛙のように微動だにできない。恐怖に足がすくんでしまっていたのだ。

 そりゃそうだ、恐怖の権化を前に、声なんて出せようはずもない。そもそも、呼吸すらできないのだから。

 ぬっと拓篤が眼前に立ちはだかると、俺の全身が慄然として震えた。

 そして、俺の言外の釈明を聞き届けることなく拓篤は、問答無用で俺の頬に平手を打った。


「っ……!」


 遠い記憶を——決別の痛みを、呼び覚ますような平手打ちだった。打たれたのは頰なのに、痛むのは膝。いや、そのどちらもか。裂けるような鋭い痛みにしたたか苦悶し、後ろに大きく後退してしまう。それは少しでも衝撃を緩和しようという、生命本能だったのかもしれない。


「最低だよ。お前」


 違うんです、それは捨てようとしたのではなくて、むしろ大切に保護しようとしていたのです。さっき、転んだ拍子でゴミ袋に入ってしまっただけなのです。決して、捨てるつもりはなかったのです。

 そんな簡単な言葉が、出てこない。

 五年前もそうです。あなたを、見捨てようとしたのではなくて。むしろそれまでの思い出を、大切に保護しようとしていたのです。俺が口下手だったばかりにあんな辛辣な言い振りになってしまったけれど、決して、見捨てるつもりはなかったのです。

 そんな簡単な言葉が、あの時出てこなかった。

 度重なる誤解が最早、運命付けられているような気さえして、それを今さら正そうとすることが馬鹿らしく思えた。この裂ける痛みの前に、この裂けた関係性を前に、どうでもいい。

 なのに心根は、なんとか事情をわかってもらおうとして、双眸から涙を流す。


「ごめんなさい」


 その声は嗚咽に震え、口惜しさを湛えていた。でも、どうともならない。どうともならないのなら、泣き顔を晒すこともない。でも止められなくて。

 視界が涙でぐにゃりと歪んでいる。

 俺は、右手でぞんざいに涙を拭うと、拓篤の方を見ずに、彼の脇をすり抜けてごみ袋をひっつかみ、その場から逃げるようにして部屋を飛び出す。

 無作為にドアを閉め、涙に煙る廊下を駆け抜けた。まるで息を切らしたように、えっく……えっく……と不随意に嗚咽が漏れる。

 階段に差し掛かると、ちょうど階段を昇り終えたらしい金髪の青年と出くわした。


「——うお⁉︎」


 まぬけな声をあげて、俺の登場に驚いたのはガースさんだった。勢い、半ば抱きつくようにしてガースさんとぶつかってしまう。うほ、という桃色めいた呟きを漏らして俺を抱き留めるガースさんが気色悪かった。

 だが、不本意ではあるが認めざるを得ない。外国人男性の包容力には、目を見張るものがある。

 ガースさんがやさしく俺の背中をさすりながら、温和に訊ねてきた。


「どうした? どうして泣いているんだ?」


 そのやさしい言葉が錠剤よろしく心に溶けて、奥底の傷ついたところにまで優しく染み渡る。まさに癒しの囁きだった。それでも、溢れる涙はとまらない。俺は、ガースさんの引き締まった胸板に顔を埋めてしゃくりあげる。ガースさんがおろおろと慌てふためく声が聞こえた。


「すぐそこに使用人の部屋がある。ひとまずそこへ行こう!」


 ガースさんは俺から無理くりに答えを引き出そうとはせずにそう提案した。

 俺たちは連れ立って、拓篤の部屋とは相対した位置にある部屋へと入っていった。


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