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バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
深山那月編
20/64

四章 one weak friend(2)

 駐車場は、思った以上に広い。

 いつぞやの保健室の大掃除とは比較にならないほどに骨が折れる。骨が折れたら、手当とかあったりするのかなと心配になってしまう。

 だだっ広い駐車場を、箒を用いて何往復もしていく。どうにかこうにかして塵などを集めても、ときおり地上からくる風にそれはいともたやすく吹き散らされてしまう。賽の河原に俺はいるのかもしれない。

 時刻はじきに正午になろうとしていた。学生は、あと少しで昼休みに入る頃だろう。陽菜は一人で大丈夫だろうか、などと気を配っている暇もない。

 ここが終わったら次は、酒蔵にてワインセラーなどの掃除が待っているし、昼飯の分の仕事だって残っている。

 陽菜は、転校初日に優しくされたようだし、問題ないだろう。そう納得をつけて俺は仕事に意識を集中することにした。

 六十坪程はあろう空間に俺たちが乗ってきた、ブルーバードが一台だけ。あともう一台、仕事に出掛けた旦那さまの車があるのだろうが、それを考慮してもまだ手広い。

 俺だったらこのデッドスペースに、楽器や機材を詰めてガレージバンドにでも興じる。デッドスペースなのに音はものすごくライブな感じになりそうだ。まぁ友達いないから、絵に描いた餅だけど。

 ぱしん、とみずからの頬を打って雑念をうち払う。

 なるべく風当たりの少ない所に塵を集め、こまめに塵取りで処理。それを何回も繰り返して、駐車場を綺麗にしていった。

 ようやく駐車場の掃除が終わると、駐車場の入り口から男の声がした。張りのある若い声に一瞬ドキッとする。


「やや! 塵溜めに鶴とはよく言ったものだな」


 そちらを振り返ると、コックコートを着た異国人風の青年がこちらに笑みを向けていた。流暢な日本語を操っており、そのギャップにもまた驚く。

 見たことない顔だった。この人がもう一人の使用人、なのだろうか?

 男は、軽快な足取りでこちらに近づいてくる。そして、あれよあれよという間に俺の腰に手を回され、密着されてしまった。なんてこった、軽快ではなく軽薄だった!


「……え……え……?」


 言葉の代わりに、ありったけの戸惑いの声が俺の口から漏れる。拒絶反応として皮膚が粟立った。

 あらん限りの力で男から離れようと拒んでみるがびくともしない。かろうじて顔だけを動かすと、視界に男の顔が飛びこんできた。


「Sembra buona!」


 なんか異国語を言っている。全くもって理解不能。

 ——それにしても、端正な顔だち。和の趣をどこかに持ちつつも、生っ粋の日本人とはあきらかに違う、西洋辺りとのハーフを思わせる。シャープな鼻すじがすっと伸び、きりっとした太めの眉に分かれ、その下には彫りの深い目元。瞳は大きく、その色は紺碧。深く被ったコック帽で髪の全容はわからないものの、金髪の短髪であることがわかる。

 なかんずく唇がヤバイ。何がヤバイって、その肉厚さ。繊細そうな見た目からは想像もつかないような雄々しさがあった。


「ひ——」


 その、男の唇が俺の頬を捉えて離さない。

 得体の知れない感覚が胸を突き上げると、俺の脳はそれを恐怖と認識したようで、それに相応しい声を上げるために口を開いた。


「ひゃあああああああああ————‼︎」


 俺の断末魔の叫びに男は少なからず驚いたらしく、ようやく魔の口付けから解放した。そして男は、おどけたように肩を竦めて見せた。

 俺はその場にしゃがみこんで頬をかばい、ひたすら後悔の念を起こす。もう無理、起きあがれない。


「おいおい、こんなの挨拶みたいなものだろう。そんなに照れるな」


 そんな気休めには耳を貸さない。ていうか気休めでもないし。ただの勘違い野郎だ。


「……なんなんですか」


 切実なことを俺がたずねると、男は首を傾げる。否、すっとぼける。


「なんなんだって、なんのことだ?」


 これである。こういう野放図な人間が現れると秩序が破壊され、会話は堂々めぐりをする他ないのである。俺はだんまりを決め込むことにした。

 訊きたいことは多々ある。まずもってこの男が何者なのか。どうしてここへ来たのか。俺を見るなり駆け寄ってきて、変態行為に及んだ理由は? あと「Sembra buona!」の意味がよくわからないので解説してほしい。それが一番気になる。

 と思考をめぐらせていると、沈黙に耐えかねたのか男は一方的にまくし立てた。


「おっと、自己紹介が遅れてしまったな。俺はガース。とはいっても、気体のほうじゃなくて人名のほうな。ニッポンとイタリアのハーフなんだ。ちなみに苗字は荒木だからよろしく。色々あってここの専属コックとして働いてて、これから酒蔵に秘蔵の料理酒を取りに行こうとしてたんだけど、君みたいなカワイイ子を見つけてしまって酒なんてもうどうでもよくなってしまったよ、君に心酔さハハハ」


 図らずも俺の疑問の大体を、ガースさん自らが話してくれた。「Sembra buona!」の件なんて、もうどうでもよくなってしまったよハハハ。

 しかしこれは、渡りに船を得たことにはならないだろうか。指針も無しにどうやって酒蔵の掃除に対処していこうかと、ほとほと困っていたところでもある。

 ガースさんに対して徐々に心安きを覚えてきたが、それを表には出さない。また馴れ馴れしくされるのは御免だった。あくまで他人行儀に、俺は言う。


「私今日初めてここに来たんですけど、まだよくわからなくて。ワインセラーのこととか、教えていただけませんか?」

 するとガースさんは二つ返事で引き受けてくれた。

「任せろ、手取り足取り教えてやろう」


 ということで、ついでにガースさんに後始末を手伝ってもらい、ふたりで駐車場を後にする。女の子がこんなものを持ってはいけないとのことでゴミ袋はガースさんが持ってくれたのだが、それってつまり俺のことを——女の子として見てくれてるってことよね。……もうどうでもよくなっちゃった、ウフフ……。そうよ、アタシは完璧美少女メイド、月宮マナ。ヒナち(今考えた)と一緒に特訓したじゃないの!

 ゴミ袋などの処理を終えると、アタシたちは酒蔵の前まで来ていたの。といっても、酒蔵も駐車場とフロアを同じくするわけだから大した移動はしていないわ。

 酒蔵が地下にあるというのは案外珍しいことらしいの。気候の影響をあまり受けないだろうから、結構多いと思ってたんだけど。

 酒蔵のセキュリティは簡素な南京錠と、備え付けのボロっちい扉によってのみ管理されているわ。これじゃあ外から酒泥棒に入られ放題ね、と思ったんだけど、そもそも駐車場のシャッターが厳重だから問題ないみたい。安心ね。

 それに、こんな森奥の屋敷まで泥棒さんが辿り着けるかがまず疑問よね。どうかすると途中遭難しちゃうかも。心配ね。

 ガースさんが丁重に扉を開くと、軋んだ音と共に、アルコールの強烈な臭いが蔵から漏れてきたの。思わず鼻をつまんじゃった。


「さぁ、行くぞー」


 ガースさんに手を引かれて、中に入っていくわ。でも心は、アルコールに対してもガースさんに対しても斥力を働かせているの。盤石なセキュリティーでね☆

 狭い入り口を抜けると、焼酎のコマーシャルなんかでよく見かける光景が目の前に広がったの。

 五十坪ほどのフロア一帯に大小さまざまな樽が置かれていたわ。きっと、ぜんぶお酒なのね。樽は大きいものだと、人ひとりくらいなら難なく入ることができそうな物もあるわ。

 で、これらの酒の品質を維持するために、一定の温度や湿度を保つため絶えず空調が稼働しているってコト。アタシ的には、加えて空気清浄機も導入してほしいトコだけど。

 フロアの真ん中には螺旋階段があって、本来は一階へと続いているみたいなんだけどその階段、コンクリートでちょっと強引に塞がれちゃってたの。アルコールの臭気が原因だってコトは言うに及ばずだったわね。

 充満したアルコール臭にアタシが苦々しく顔を歪めてると、ガースさんが心配そうに声をかけてきたの。


「もしかして君、いけない口なのか? というか君、いくつなんだ?」

「……飲めないんですの。まだ十六歳なのですわ」


 あふれんばかりの不快感を呑み込んでから、やっとのことでアタシは答えたわ。数ヶ月後の誕生日を迎えても、なお成人は遠いわね。はやく大人になりたいっ。


「ガースさんは、いかにも得意そうな感じですわよねー」


 アタシが見たまんまの感想を言うと、ガースさんは得意げな顔をして、手近にあった柄杓をもって樽から琥珀色の液体を掬うと一息に飲み干したわ。

 そういえばガースさんっていくつなのかしら。西洋の人はとかく年齢と見た目が一致しないというのが、アタシの印象なんだけど。


「失礼ですけど、年齢を伺ってもよろしいかしら?」


 外見の上ではアタシと大差ないような気もするケド、まさか未成年じゃないわよね?


「ん、俺か? 大丈夫だ、君の四つか五つ上だから」


 大丈夫、とか言っちゃってるけどこの人、その僅かな違いでアウトかセーフかがハッキリ分かれているのよ。この人未成年ね、賭けてもいいわ。

 あらゆる意味で臭い思いをしながら、アタシはここの掃除の概要を頭に詰め込んでいったわ。いざ聞いてみれば何のことはないじゃない、駐車場掃除での箒がモップに変わっただけのことよ。モップに水を含んで、床についた酒粕とか汚れなどを洗い落とすというのだわ。

 アタシは、バケツを持って奥の水道へ行って、容積の半分ほど注水して戻ってきたわ。ただそれだけの用件だもの、過失なんてどこにも見当たらないわ。なのに、ぐすん、ガースさんってばお気に召さなかったみたいなの……。


「駄目だ駄目だ! 全然なってない! どうしてそこでうっかり転んで、『てへ☆』と舌を出さない!」


 そんなことだろうと思ったのだわ。


「もう、だいたい分かったので帰ってくださるかしら!」


 アタシの叱責にも、ガースさんは悪びれもしないで柄杓に酒を追加しているわ。勤務中じゃなかったのかしらこの人……。

 それを尻目にアタシは掃除を続けたわ。酒樽の汚れには雑巾を使って、十数荷はあるかしら、すべての樽を懇切丁寧に磨き上げるの。なのに、またしても鬼が所業があったのだわ。


「ちょっとガースさん! 掃除の邪魔しないでくださいますかしら⁉︎」


 どうにかこうにかして一荷を拭き終えたのに、ガースさんが横合いから柄杓で酒をかっさらっていく際に樽を汚してしまうの。賽の河原にアタシはいるのかもしれないわね。


「いやあ、すまんね」


 一応は謝ってるみたいだけどまるで誠実さを欠いていたわ。顔は陽気に紅くて、目はとろんと虚ろで、いくらか酔いがまわっているのが明白だったの。この人、本当に何しに来たのかしら。

 陽気なガースさんとは対照的に、アタシは陰気に掃除に従事していったわ。

 すこし喉が渇いてきたんだケド、樽の中には目もくれないわ。この琥珀色の液体は、遭難でたゆたう舟にとっての海水に等しいんだもの。飲んでも乾きは満たされない上、取り返しのつかないことになるのが明々白々だったのだわ。

 ぜんぶの樽を拭き終えると時刻は十五時を回っていたの。ちなみにガースさんも酒が十二分に回ってて、すっかりヘベレケになっているわ。ていうか、酒弱いのねこの人。

 そして迎える最終ステージ、ワインセラーよ。

 要はワインを保管するためだけの貯蔵庫みたいで、見た感じは冷蔵庫と大差ないみたい。

 できれば、ガースさんが正体を保っているうちにこれの扱い方を聞いておきたかったわね。ガースさんがこの体たらくだと、アタシひとりでこなすしかないワケなんだけど。

 とりあえず、貯蔵されたワインを一旦外に出していったわ。ワインの質が損なわれちゃわないか心配だったんだけど、外の空調もしっかりしているみたいだから大丈夫よね?

 慣れないうちはワインの掴み所がわからなくて何度も取り落としそうになったけど、徐々にコツを掴んでいって、後半は本職さながらの手際でワインを掴み取れるようになったの。ツカミって大切よね、何事も。

 空っぽになったワインセラーに手を突っ込んでみたけど、外気との違いはイマイチよくわからなかったわ。素人にはわからないほどの絶妙な調整がなされているのね。そんなことを考えながら、ワインセラーの棚の一段一段をよく洗った雑巾で拭いていくわ。よく洗ったとはいっても、使い古しの薄汚れた雑巾はさすがにダメなんじゃないかしらという気もしなくはないけど、それを咎める人は、今ごろ夢寐むびの中にいる——はずなんだけど……。

 一等下の段に差し掛かった折、後ろから急にダレかに抱きつかれたの。アタシの口からは「きゃ」っていう素っ頓狂な声が飛び出して、手に持っていた雑巾が宙を舞ったわ。

 背中越しに酒気を帯びた荒い息づかいが聞こえてきたの。ガースさんが酔いまぎれに、という格好みたいね。


「……思った通り、乳デカイな。良いカルーアミルクが出来そうだ……ハハ」


 そして、彼の両手がアタシの胸元に集中し、いやらしく撫でるように揉んだの。彼の指を受け入れるように、むにゅっと指の動きのままに形を変容させる胸。意思に反して、まるでアタシのカラダじゃないみたい。

 それはもっともなところだったし、つまり完全なる贋作なので自覚も感覚もないし、ガースさんの言う、ミルクも出ないわ。でもね、変態に抱きつかれたという事実は、看過にあたわぬものがあるのよね。実際これは犯罪裁判死刑判決レベルの所業だから。

 これは、月に代わって何とやらよ!

 アタシは自らの腕を前方にテイクバック、距離と威力をじゅうぶんに確保し、ガースさんの脇腹あたりへ抉るように、渾身の肘鉄を食らわせてやったわ。

 ぐえ、と呻きを残してガースさんが沈黙する。


「……阿保くさ」

 そして、俺は最後の棚をとりわけ丁寧に拭いて、酒蔵の清掃に有終の美を飾った。

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