四章 one weak friend(1)
※基本的に、(改)が付く理由としては、誤字脱字や句読点の整理不行き届きによるものです。ですので今後見かけたら「あ、こいつバカなんだな」と笑っていただければ幸いです。
てか、こんな一笑に供するところのない物語ですからせめてそこで笑ってくださいおねがいします
一週間でできること。例えば。
喜びをもって、ワイワイ楽しく過ごすこと。
怒りをもって、ぷりぷりプンプン過ごすこと。
哀しみをもって、おいおい泣いて過ごすこと。
楽に緩く無為に過ごすこと。これらは、人間誰しもが実現し得ることだ。
一週間でできること。
例えば、金稼ぎ。引っ越し屋、警備員、派遣バイトあたりが時給も高くて割りがいいか。欲しいものが、すぐに買えるぞ。
正社員や公務員などの高給取りならば、さらに上の金額が望めるのだろうが期間が一週間に限定されるので勘定されていない。日雇いや週払いが利いたりと、給与体系がフレキシブルな業種の利点であるとも言える。このように、ただ素質があればすべてを享受できるというものでもないのだ、社会というのは。
一週間でできること。
例えば、新しく何かを始めてみるのも一興だ。野球、サッカー、ゴルフ、音楽、などなど。
ここでは、音楽バンドを例にとって考えてみる。
メンバーが皆初心者であっても練習内容や選曲如何では、一週間でライブ出演に漕ぎ付けることだって不可能ではない。まぁ俺の場合は、腕には覚えがありまくるけど如何せんメンバーが集まらない。このように、ただ素質があればすべてを享受できるというものでもないのだ、音楽というのは。
そして最後に、出会い。……と思ったのだが、俺は友人の数なんて五指にも満たないし、付き合いの長さも小指以下のものかもしれない……。
とそこで、結わえた小指の感覚を思い出す。
いつかの夜半、コンビニで真島さんと約束を交わした時のものだ。彼女は、友人といってもよいのだろうか?
となると俺はひとりの友達を作るのに、一昼夜も掛からなかったということになる。つまり、一週間もあれば、七人と友達になれるという計算だ。
だから一週間もあれば、拓篤と和解し再び心を通わせることだって、きっとできるはず。
心配なのはその後、次週の月曜日には前の週の記憶が消えてしまわないか、ということだけだった。
◇◆◇
大きな道を、ブルーバードが走っている。
そろそろ国道を外れて入り組んだ細道に入る頃だ。そして小さな道を紆余曲折すると、いつの間にか市は天ノ河に変わっている。
レトロな車だから乗り心地は乙なものになるだろうと思っていたが、お世辞にも心地よいとは言えない。まず革張りの椅子が硬質すぎる。それがサスペンションの甘さと相まって、段差にさしかかるとその衝撃がダイレクトにお尻を突き上げるのだ。
昨今、道路に段差なんてそうそう無いし、あっても最新技術のタイヤなどでカバーするのだが、この車の部品はそのことごとくがレトロな特注品、タイヤ一つとってみても年代物である。雪道とか絶対に走れないタイプの車種だ。
タイヤが小石を踏みつけると車はひときわ大きく揺れた。
「……ん!」
ムエタイ選手のキックをお尻に食らったような衝撃に、我知らず喘いでしまった。風景が緑めくにつれいよいよ道路の造りが荒くなっていくような感じだ。
ふと運転席のミラー越しに執事さんと目が合った。さきほどの情けない呻きを聞かれたと思うと急に恥ずかしくなって、俺は逃げるように視線を外してしまった。
女性は言う。オシャレとはすなわち、我慢であると。
寒い時期に薄着をしたり、暑い時期に厚着をしたり。背伸びしたくて、ハイヒールを履いてみたはいいが慣れてなくて妙に浮き足立っていたり。
華やかな見た目の裏には人知れぬ苦労があるのだろう。
それは、車マニアにも通ずる話でもある。このような風情のある車を乗るためには、高い部品や不条理な高燃費とうまく付き合っていかなければならないわけで。塩を踏む思いというか、砂利を踏む思いを覚悟しなければならない。
執事さんは、この車をもう何十年も乗り続けているのだろう。そしてこのお尻の痛みとも、何十年と付き合い続けているのだろう。
運転手の執事さんだって、さぞかし座りの悪い思いをして——いなかった。見ると運転席にのみ、ふかふかそうなクッションが敷かれていた。俺が恨めしそうにそれを凝視していると、執事さんはそれに気づいて釈明をはじめた。
「いえいえ。お恥ずかしながらわたくし、重度の痔核でして」
「……ふぇ? ご、ごめんさない……!」
そのクッションは痔の痛みを和らげるためのものだったようだ。恨めしさが申し訳なさに変わるとき、人は今の俺みたいな表情をする。
「このような仕事を長く続けておりますと、職柄さまざまな所が痛んできましてな。いやはや、痔というのは恐ろしいものでして痛みだすと歩くことすらままならない」
「で、ですよね〜」
こんな車に長いこと乗っていれば、そりゃ痔になってもおかしくはないだろう。
ブルーバードに乗車して約三十分、ようやく後半に差し掛かったようだった。じきに林道に入るのだという。
そのまま真っ直ぐ屋敷まで向かうと思っていたのだが、車は道路沿いのコンビニへと入っていく。綺麗にバック駐車すると、執事さんは助手席のダッシュボードから財布を取り出した。
「お昼にいたしましょう。会計はわたくしが持ちます」
午前の十時を少しばかり過ぎた頃、お昼には少々早いのではなかろうか。
執事さんの言辞には、引っかかるところがあったが、まぁ従っておく。向こう一週間、この人は俺の上司にあたるのだから。粗相でもあれば、拓篤どころの話ではないのである。
俺が車を降りると執事さんは運転席のドアに鍵を差し込んで施錠する。
考えてみれば、この車は旧式の物なのでリモコン式のキーではなない。全員が降りるまで、鍵の持ち主はその場を離れることができないのだ。もはやしち面倒な車だな。
先を行く執事さんの数歩後ろを歩いて、コンビニへと入る。店内を見て回り目ぼしい物を手に取ってはみるのだが、どうにも気が進まない。恐らく奢られることに慣れていないからだろう。
執事さんは次から次へと思いのままに商品をカゴに詰めている。小粒チョコの袋詰め、缶コーヒーの加糖が数缶、バニラ味のアイスクリームが数個。どれも痔核の症状を助長するものだった。
俺はマストとしてミルクティー、申しわけ程度にサンドイッチを手に取り、以上とした。するとすかさす執事さんの訓示があった。
「いけませんな、もっと熱量の高いものを食べておかないと」
そんなこと言われても、とかくカロリーは値段に比例する。奢られる分際で高いものを選ぶのは、どうにも意に染まないのだ。
と俺がまごついていると、意図を汲みとったのか執事さんがこう提案してくる。
「ではこうしましょう、わたくしが本日の午食を賄う代わりに月宮さんには午後、わたくしの仕事をひとつ請け負っていただくということで」
ようはメシ奢ってやるから仕事増やすよ、ということらしい。
「わかりました。ではそれで」
幾分かわだかまりが解消されて、俺は意のままに手を伸ばして商品をつかみ取っていった。
レジに着くなり店員が目を丸くした。まぁ、燕尾服にメイド服という異な格好の人間が一時に現れたとなれば、無理もないか。
執事さんが、支払いにブラックなカードを差し出す。それを見てただのコスプレ愛好家ではないと察したのか、店員の眼が変人を見るそれからキリッとしたものに変わった。恭しくそれを受け取ると丁寧にレジ処理をしていった。
「ありがとうございました。お気をつけて」
コンビニ店員にしては珍しい挨拶を背に受けてコンビニを後にする。
車の乗り込む際、執事さんは、いぼ痔用のイスに慎重に腰をおろした。うーん、とても辛そうだ。
屋敷に向かって車を走らせながら、それぞれ昼食をいただく。
俺はミルクティーを一口ふくんで喉を潤してから、ピザパンにかぶりついた。まかり間違っても食べ物を車中にこぼしてはならないと思うと気が気でなく、美味しく味わって食べることはできそうにない。
と俺が懸念に悩むその一方で執事さんは、右手でハンドルを操作しながらもう片方の手で助手席に置かれた菓子袋から無造作にチョコレートを数個掴み取って口に押し込んでいく。そのうち何個か、口からあふれて足元に落ちた。
見なかったことにすべきか、拾ってやるべきか。もしかすると、痔がつらくて姿勢が崩せないのかもしれない。
俺はふっと腰を上げて、硬いシートから尻を浮かせる。前席の背もたれにしがみ付くようにして身体を支えながら、執事さんの足下に上半身を沈ませるようにして前部座席に入り込んだ。俺の無駄に大きな胸が、狭い席間を闊歩し、執事さんの左肩から腕にかけてをむぎゅっと圧迫する。
「な……!」
と、あっけにとられたように呻きを漏らす執事さん。しかし、口いっぱいのチョコが彼の発言を曖昧にする。もごもごと言っているだけで用件がまったく伝わってこない。
俺は首をかしげながら、腕をめいっぱい伸ばして執事さんの足もとに転がったチョコを拾いあげる。俺のその意図を理解すると執事さんははたと平静に戻った。だがチョコの食べ過ぎか、鼻血が一筋伝っていた。
いま気づいたが、お互いの顔が近い。
これが恋人同士だったら車の揺れに乗じてさらに距離を埋めようとするところだが、悲しいかな相手は普通のおっさんである。いや、執事は普通ではないかもしれないが、痔と鼻血の執事さんである。『じ、ぢ』の三段活用である。
俺はあわてて自席に戻り、気まずさに顔をうつむけた。そして黙々と自分の昼食を腹に詰め込んだ。
「……この車ですが」
執事さんが他愛ない会話を仕掛けてくれる。彼の人柄の良さがうかがえる。
「実はわたくし個人のものでして」
「そ、そうなんですか?」
てっきり主人の物だと思っていた。
だって、こんなレトロな車だもの。金持ちは、こういうのに乗るんでしょう? こんな利便性の欠片もないけどマニア心をくすぐるものをコレクションして前世紀と心をコネクトするんでしょう?
「父の形見でして、いまだに現役です」
執事さんの手が撫ぜるようにシフトレバーを包みこむ。それはさながら、父上殿と手を繋いでいるような印象を受ける。利便性の欠片もないけれど、過去の欠片と心をコネクトしているのかもしれない。
「そうなんですか。なんか、いいですね」
昔、夕陽の照らす帰り道を父と手を繋いで歩いた思い出が俺にもあったっけ。
執事さんは、視線を前方から逸らさない。前を見て車を走らせている。
でも彼の意識は、俺と同じように、思い出色の風景を見ているのだろう。
「旦那さまのお車は現在、拓篤さまを乗せて銀ノ河高校へ向かっております」
「……拓篤」
その耳慣れた名をなんの気なしに呟くと、即座に執事さんに窘められた。
「月宮さん、主人の名前には『さま』をつけなくてはなりません。以後お気をつけください」
「す、すみません」
執事さんは俺と拓篤の関係をもちろん知らないし、知られてはいけない。これからは気をつけないと。月宮マナという少女は、この世には存在しないのだから。身分も、経歴も、存在も、すべてでっち上げて俺はここにいるのだから。そうしてでも、拓篤を連れ戻しにきたのだから。
「旦那さまは拓篤さまを学校に送り届けた後、そのまま職場に向かわれます」
そして、本格的に俺たちの仕事が始まるというわけか。などと胸積りを立てていると、執事さんは、俺の役割やこれからの時間割りなどをかいつまんで説明してくれる。
「まず、屋敷に着きましたらすぐに掃除にあたっていただきます」
屋敷は、二階戸建て、広さは約三百坪の豪邸。また地下には駐車場と酒蔵があるようで、実質三階造りともいえるようだ。
使用人は俺を含めて三名。まだ見ぬ一人はすでに執務を始めているという。
「月宮さんには、地下のフロアを担当していただきます」
「わかりました」
地下というと、駐車場と酒蔵に該当するフロアだったか。どちらも年齢的にまだ縁のないものなので、勝手に若干の不安がある。バーで働いたことがあるとはいえそれは演奏目的なのだから。
車が舗装された道を外れて、森の中に入っていく。どうやら森のただ中に、その屋敷はあるらしい。凸凹道のせいでいやがうえにも衝撃がお尻に響く。そういったリスクを払って、得られるメリットはどんなものなのか? 土地が安いのか。あるいは、風光明媚な緑に囲まれた屋敷がそんなに魅力的なのだろうか?
そもそも、建築士ってそんなに儲かるものなのかが疑問だった。下世話にもそれを訊ねてみると、執事さんは遠慮もなげに言った。
「旦那さまは特別です、年商二億は下らないでしょう。等し並みの建築士では、わたくしどもを雇うこともできますまい」
「そうなんですか」
二億、完全に理解の外だ。一千万単位でも判然としなかったんだからまぁ当然か。
森の中に入ってもうじき三十分が経過しようとしていた。
いつまでこの不安定な道のりが続くのかと、お尻が音をあげそうだ。と、字面が下品に見えてしまうのは俺だけだろうか? と現実逃避するくらいにはそろそろ限界。
そして苦痛が高じて涙があふれそうになった、そのとき。
長らく続いた衝撃はぱたりと止んだ。
視界が開け、先ほどまであった鬱蒼とした獣道はいつの間にか、整備された道に変わっていたのだ。
そして、車の向かう先には一件の建物。言われるまでもなくそこが目的地の屋敷であることがわかる。車がスムーズに敷地内に入っていった。
屋敷の前で俺を車から降ろすと、執事さん一人を乗せた車は地下に位置する駐車場へと消えた。
改めて屋敷を見てみる。正直、思ったほどの豪邸ではなかった。このくらいの建物なら街を歩いていて、間々見かけることもある。
だが、さすがは建築士の家。地下に駐車場や酒蔵を設けるなど、建物の造りには無駄がない。
なにより、森閑とそびえるその佇まいがとても情緒に富んでいる。
などと雅な雰囲気に浸る間もなく、戻ってきた執事さんの声によって俺は現実に引き戻された。
執事さんの仕事はいちいち速すぎて、疾事と書いたほうがしっくりくるのではないだろうか。
「では、早速作業に取り掛かりましょう。あちらに倉庫がありますので中から清掃用具を取り出してください」
執事さんが示すところ——庭の一角には、大きな物置きがあった。俺はそちらに駆け足で向かい、見た目よりも軽めのシャッターを持ち上げる。
倉庫と聞いて大抵の人が思い浮かべるような、小汚さはそこにはなく、さまざまな用具が端然と並べられていた。手早く箒や塵取り、バケツ、雑巾、モップなどを引っ張り出して、すぐさま倉庫を締める。
執事さんのそばに戻り、指示を待つ。
「月宮さんは、これとこれを持って地下に行ってください。あなたの裁量で掃除を進めてしまって結構です」
「わかりました」
執事さんから箒と塵取り、酒蔵の鍵を受け取り、俺は屋敷の中へ入っていった。