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バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
深山那月編
16/64

三章 メイド・イン・冥土(4)

 保健室に着くと水木先生がお茶を用意して待っていた。黒髪で。


「先生! その黒髪!」


 折りよく風が吹き、水木先生のつややかな黒髪がふわりとなびいた。

 水木先生があっけらかんとして言う。


「なんだ、いまさら気づいたのか」


 そのとおり、いまさらのことだった。


「ついにお沙汰が下りましたか……」


 俺が同情混じりに訊くと、水木先生はなんのこっちゃと首を振った。


「いやいや。春だからな、イメージチェンジというやつだよ」


 ご自慢の長髪を風に従え、悠然と振るまう水木先生。思えば去年、初めて会ったときもこんな感じの黒髪だったような気がする。でもってその夏は金髪、秋は茶髪、そして冬には銀髪と、四季折々に髪色変化を見せてくれたっけ。


「まあ、やっぱ黒髪が一番、それっぽいですよね」

「確かにな。長髪の美しさを最も引き立てる色でもあるしな」


 そういう美的価値観は解さない俺なので、軽々しく同調はすまい。

 美的センスに堪能であるべき陽菜は、すでに自席にて紅茶と茶請けを堪能している。花より団子というよりは、単に疲れているだけだろうが。

 俺と水木先生も席に着くとティーカップに手を掛ける。淹れたばかりらしく、容器はまだ充分な熱を持っていた。

 ダージリンのきめ細かな薫りが心地よい。

 ミルクティーが好きなので、どちらかと言えばアッサムのほうが好みだが、存外これも悪くない。雰囲気を楽しむ大人の嗜好物、といった部類か。なんだか大人になった気分。明日になったら身長が十センチくらい伸びてる……、といいな。

 そして、茶請けには定番のバームクーヘン。上品な甘さが、上品な苦味をもつダージリンと調和し、上質なハーモニーを奏でる。

 などと、上流階級者然として振るまってみたり、放課後のチャイムが鳴るまでの時間をみやびやかに過ごしていく。

 陽菜が上品に口元をハンカチーフで拭い、早くも放課前ティータイムを終えた。

 わけだが、俺の残りのバームクーヘンに目を落として垂涎している。俺が慈悲をもってそれを与えると、陽菜は目を輝かせた。


「いいの?」


 と確認を取りながらも、既に陽菜のフォークは獲物を突き、これから口に運ばれるところだった。ぱくりと口に入れ、もぐもぐ咀嚼、胃袋に収めてから「いただきます」という声があった。言語障害発症レベルの滋味らしい。

 水木先生がバームクーヘンの最後の一口をとりわけ上品に食べ終え、フォークを皿に音を立てずに置いたところで、ちょうど放課後のチャイムが鳴り響いた。


「では今日は解散。明日から平日授業が待っているので、忘れないようにな」


 水木先生は俺の心をしっかり絶望に突き落としてから、保健室を後にした。

 いや、ちょっと待て。これから部活等々が盛んに行われる時間になるのだから、あなたはここに詰めているべきでしょう。そういった釈然としない眼で水木先生を見送る。


「那月」

 陽菜が荷物を抱えて俺のもとへ近づいてきた。右肩にクーラーボックスを提げ左肩にエナメルバッグを提げ、右手は学生鞄という女子高生らしからぬ重装備だ。


「じゃあ、行こうか」


 俺は陽菜を先導して一階フロアを目指す。途中料理研究部とおぼしき割烹着姿の生徒とすれ違い、はんなりとした笑顔でもって会釈された。つられて俺と陽菜も挨拶を返す。料理研究部というよりも和食研究会という字面のほうが相応しい感じだ。そんなことを考えていると目的地に到着した。

 一階北の最奥にあるその部屋を前に、陽菜は訝しさを露わにした。


「音楽室……?」

「もう使ってないらしいけどね」


 俺が解説すると、陽菜はドアにはめられたガラス絵に注目する。


「綺麗。さぞかし高いんでしょうね」


 そして、奇しくも俺と同じ感想を漏らした。俺は思わず吹き出してしまう。


「陽菜はここで待ってて。俺、職員室で鍵借りてくるから」


 陽菜を音楽室の入り口付近に残して、俺は職員室を目指す。この棟を出て、渡り廊下を通じて昇降口へ。特別教室棟とは逆方向の通路を進んで行けば学年棟、職員室はすぐだ。

 さっき水木先生が保健室を出ていく時に了解を得ておけばよかった、と今さらながら後悔した。

 昇降口を一息に突っきって、やや駆け足で学年棟の扉をくぐる。

 と、そこへ俺の行く手を阻むものがあった。俺の走行線上に男子生徒の影が忽然と現れたのだ。勢いあまって衝突し、例によって俺は後ろに倒れてしまう。


っつー。超痛いわー。気ぃつけろやー」


 ぶつかった相手を認識するやいなや、相手方から口汚い文句を浴びせられた。

 だが、その声には聞き覚えがあった。見ると拓篤の取り巻きラッパーの一人、青髮くんではないか。

 ――先週の金曜日の深夜、コンビニの入り口付近にて俺にセクハラまがいの質問と去り際に愛の告白をした奴だ。

 そして彼の背後から、その相棒である緑髪くんがぬっと姿を現した。ふたりは先日の卑しい目ではなく、卑しいものを見るような目で俺を見下ろしている。だが、かといってどうともしない。


「いねーわな。早くしねーとあの子、帰っちまうかも」

「ある」


 二人で故ありげな会話を交わし、俺のことなど屁とも思わずにその場を立ち去ってしまった。何この肩透かし感、この虚脱感。

 地べたにへたり込みながら彼らの姿が消えるのを待った。金曜の深夜とはえらく対応が違いますね。


「だ、大丈夫かい?」


 突然、後ろから声がかかる。びくっと過剰反応して、ぎこちなくと振り返ると、知らない男子生徒がこちらに手を差し伸べていた。

 はっとして辺りを見渡してみると、その場に居合わせた殆どの人の注目を集めてしまっているではないか。俺は伸べられた手を借りずに自力で立ち上がり、逃げるようにして職員室へ駆け込んだ。……可憐だ、と言う男生の卑しい呟きを置き去りにして。

 職員室に入るが早いか、水木先生の姿はすぐに見つけられた。足早にそちらへ近づいていく。


「深山クン、どうしたね?」


 俺の存在に気づいた水木先生がデスクから小さく手を振った。俺は頷き程度に小さく会釈を返し、水木先生に近づいて耳打ちする。


「その、ですね。よろしければ旧音楽室の鍵をお借りしたいんですが……」

「ふむ、ちょっと待ってろ」


 と、水木先生は机の引き出しの一等上を鍵で開くと中から、ひょいと鍵束を拾い上げた。音楽室の鍵を知恵の輪よろしく外して、水木先生はこっそりと俺の袖の下に鍵を忍ばせる。そして、俺の耳元でぼそりと、注意を促した。


「他の先生には見せないように。それから、使うところを見られないように気をつけろ」


 水木先生の言いつけに俺は神妙に頷いて、いそいそと職員室を出るのだった。

 昇降口はさきほどとは打って変わり、人気ひとけが無くなっていた。

 のんびりと自分のペースで靴に履き替える人たちが疎らにいる程度で、そこには会話もない。閑散とした昇降口をそろりと通り過ぎていく。

 そして中庭に差し掛かると、穏やかな風が頬をなでた。なれども人の往還はそこそこあって、あまり居心地がいいとは言えない。

 風のまにまに、人の会話がこちらにも聞こえてくる。中庭で会話に耽る女生徒たちのものだった。


「さっきの、何だったんだろ?」

「わかんない。でも、不良やだよね」

「てか、髪青とかキモい」

「髮緑とか、見ててマジ萎える」


 察するに、さきほどの取り巻き二人のことだろう。誰にとっても、あまり思わしい存在ではないようだ。そして、本人不在をいいことに好き放題な物言いであった。


「なんか、人探してたっぽいよ?」

「探されてる人、可哀想」


 そう言えば、誰かを探している風ではあったな。キモいとか萎えるとか言われてる人、なんだか可哀想に思えてくるな。まぁ、かといってどうもしないけど。

 女生徒の会話をよそに、俺はようやく特別教室棟に戻ってくる。鍵を受け取りに行くだけの簡単な仕事だったはずなのに酷く精神を削られた感があった。

 旧音楽室の前には、陽菜が荷物も降ろさずに待っていた。


「ごめん、遅くなった」

「え、別に待ってないけど?」


 陽菜は大して待ってないと言うが、俺にはとても長い時間に思えた。ラッパー二人に、見下されたときとか特に。

 とりあえずそれは置いておいて、俺は預かった鍵を取りだして鍵穴にさしこむ。ごと、と重々しい音を立てて扉が解錠された。


「さ、どうぞ」

 扉を開いて、自分の家にでも招き入れるように俺は陽菜に入室を促す。

 一瞬不審がりながらも陽菜は、大きな扉をくぐって、そしてひらける光景に目を見開いた。興奮からか口角がくいっとつり上がっている。目鼻立ちが整っているからこそ、その表情は顕著に見て取れた。


「どうして学校に、こんなところがあるのよ」


 声が浮ついていた。だが無理もないことだった。

 薄明かりに照らされた構内。一見すると文化会館のホールにも思えるその様相。

 無論、陽菜はこれ以上の規模のステージで、数え切れないほどのコンサートをこなしているはずだ。しかし、だからこそ理解できるのかもしれない。この規模のハコに必要な財力がどれほどのものかを。


「これ、校長が設えたの?」

「えっと確か、ここのパトロンの木戸さん。娘さんのために作らせたらしいけど」

「なるほどね、それでこんな規格外の」


 陽菜が膝を打った。天下の木戸の名前が出れば、陽菜とて納得する他ないらしい。

 娘のため。

 俺の、一つ下だっただろうか。ということは今年から、ここの一年生ということになる。


「で、こんな所にあたしを連れてきて那月はいったいどういう了見なのかしら?」


 陽菜に問われ、俺はいかにせんと考える。

 ものの弾みでこんな所に連れ出してしまったが、特に具体的な目的は考えていなかった。

 この時間帯は、生徒の目がどこにあるかわかったものではない。それはいつ、どこで、心を傷つけられるか分からないことに等しい。だからすぐには帰宅せず、生徒たちが居なくなる遅い時間まで、どこかで待避するのがベターなのだ。

 ただそれを言ったところで陽菜は強がりを見せて、傷つけられることを選ぶのだろう。陽菜は、他人の意思で動くことを嫌う。それは俺の言うことであっても例外ではない。

 ならば能動的に俺の思惑に乗ってくれるよう、彼女を誘導すればよいのだという考えに至った。

 ここなら陽菜の食指を動かすものがたくさんある。つまり、居残る理由がある。

 存在自体が非日常。ここでDVDを観たら映画館そこのけの満足感が得られるだろう。楽器だってあるし音響設備も充実している。

 あの、バンドに打ち込んだ日々の続きを再開することだってきっと。


「ステージ裏に楽器があるんだ」


 俺は得意げに、陽菜をステージ裏へ案内する。

 ステージの袖から納戸に入ると、大道具や楽器よりもまず埃が目立った。長居はしたくないほど酷い。

 陽菜は口もとを手で押さえながら室内を物色し、棚に立てかけられた長方形のケースを見つけて声をあげた。塞がれた手で声が篭っていた。


「これキーボードかしら?」

「たぶん」


 陽菜がケースを開いて中身を確認すると、果たしてそれはキーボードだった。それも、うちの養護施設にあるものと同じメーカーで同じ型番のものだった。そのすぐ傍らにはキーボードのスタンドもある。

 陽菜はそれらを持って外へ避難した。俺も急いでドラムの準備に取り掛かることにする。

 先日と同じようにステージと納戸を往来して、少しずつドラムを組み上げていく。早くもキーボードの準備を終えた陽菜はマイクやマイクスタンド、ケーブル類などの準備にあたっていた。

 このくらいの規模のハコとなると、並のアンプに直接つなぐセッティングでは、どうかすると出力が不足になりがちだ。故にこそステージ脇の大きなスピーカーを用いるわけだが、このセッティングが晦渋かいじゆうを極める。

 それを手もなくやってのける陽菜は、もはや何者だかわからない。

 もっとも、今回は両脇の巨大スピーカーは使わない。ステージ前方に転がったスピーカーだけで事足りるのだ。

 俺がようやくドラムのセッティングを終えると、待っていたかのように陽菜が指図を送ってくる。


「那月、ちょっと転がしの前に立って」


 陽菜は、ステージ袖のミキサー・ボードの前にいた。よく分からないメーターやらを弄っては、うんうんと唸っている。

 俺は言われた通り、ステージ前方に三つ並んだスピーカーの方へ近づく。

 転がしとは、ウェッジと呼ばれる返しのスピーカーの通称で、ステージに転がっているような外観からそう呼ばれている。ボーカリストがいきがって、頻りに片足を乗せたりしているのがそれだ。ちなみに音屋さん的には残念な行為らしい。


「その、真ん中のマイクで喋ってちょうだい」


 陽菜の追加注文を受け、俺は転がしの手前に置かれたマイクスタンドを手もとに寄せるとマイクをひっ掴んだ。そして騙し騙しにマイクに向かって話しかける。ろっけんろーるだぜー、と叫びたい衝動を抑えながら。


「チェック、チェック、ワンツー、チェック」


 よく耳にするあれだ。マイクのテスト中、みたいなものだ。

 俺の発声をもとに、音量レベル、ディレイ、リバーブ、ゲートなど、音質をいみじくも調整していく陽菜。ヘッドホンを装着して卓上を取り仕切るその姿は、もはや堂に入っていた。何、最近のアイドルはエンジニアの課程でもあるの?

 その調子でキーボードのサウンドチェックもつつがなく終えて、陽菜がこちらに戻ってくる。ドラムに関してはマイクを通す必要はない、それくらい大きな音なのだ。

 陽菜がちょこんとキーボードの椅子に座り、華奢な指がキーボードの鍵盤に触れる。

 うちの施設の物と同じキーボードとは言ったが、全く同じかといえば語弊があるかもしれない。というのもウチの施設の物は、黒鍵部分が水色に塗り替えられているのである。それは俺たち遺児に対する配慮なのかもしれない。鯨幕くじらまくを彷彿とさせまいとする、寄付者側の。


「陽菜のピアノ、ひさびさに見るな」


 俺が素朴な感想を言うと、陽菜は照れたような笑みを一瞬こちら向けた後、キーボードに向き直る。

 鍵盤に指を置いたかと思えば、その指は、踊る。

 まるで蝶のようだと思った。

 蝶が、盤上を美しく舞うと、それに相応しい流麗なメロディーが流れる。その光景は情景を越えて、もはや、上質なストーリーを観ているようだった。

 ひさかたぶりの陽菜の演奏に感動しているのではなく、一人の音楽家として﨟ろうたけた陽菜の演奏に感動している。

 抑揚頓挫を知り尽くし、あらゆる心象にも適切な感動を与える。これは技術という陳腐な概念を大きく外れ、まさに天才と呼ぶべきものだと思った。神は、二物を与えたもうたほどに彼女を溺愛している。嫉妬すら起こらない。もう、笑うしかない。

 アイドルとして多忙な日々を送っていただろうから、ピアノの腕はどうせ鈍っているだろうと思っていた。

 五年である。一流ドライバーが、ペーパードライバーに堕するのに十分すぎる期間である。

 そんな世の理を物ともせず、陽菜の腕は、鈍るどころか鋭さを増していた。

 宇佐美陽菜は、ピアノの上でもアイドルなのだ。

 ピアノの音が止むと残響だけが耳に残り、俺の胸の中で不安感が騒ぎだす。宇佐美陽菜は、踊り続けていなければならない。そんな訴えが、胸の鼓動をもって溢れてくる。

 時空にたなびく朧げなメロディーを絶やさないように。心の不安を打ち払うように。俺はその音に、リズムを与えてやる。

 するとピアノの音は高らかに。呼応するように蝶が、羽ばたいた。

 陽菜の声は、風だ。

 風はこれをもって、人々に生をもたらし、水を大地を作物を、世界を癒しめる。

 陽菜の声が、世界を癒す。

 時にはジャズシンガーのように、旋風つむじかぜを遊ばせ。

 時にはブルース歌手のように、乾風からかぜを吹き込み。

 時には演歌歌手の如く、雨風に濡れ。

 ファンクシンガーのような気風きふうも受け入れ。

 かと思えば、楽しむ表情は今風いまふうで。その振る舞いは威風堂々。

 陽菜ほど音楽の神に愛された人間は、恐らくいない。

 このまま時間が止まってしまえばいいのに、それでは音楽までもが止まってしまう。音楽における幸せとは、このような矛盾の中にある。

 矛盾こそは、幸せの真理なのだ。

 五年の歳月を取り戻すように、俺たちはこの広い講堂いっぱいに、音符を並べていった。

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