三章 メイド・イン・冥土(2)
身体測定は、お昼のチャイムがなる頃にようやく終わり、自習すがらに音楽を聴いて過ごしていた俺たちはそのままお昼にすることになった。
俺は寝坊をやらかしたので、弁当を持たない。
そんなときは黒先院長が代わりに弁当を用意しておいてくれるのだが、今日は所用らしく不在だった。というか彼がいれば、そもそも寝坊なんてしなかった。
我が家において弁当を必要としているのは二人、俺と拓篤だ。基本的に拓篤は俺の作ったものには、手もつけない。だから自然と、俺は自分の分だけを拵えるようになった。
つまり俺が弁当を作らなくとも、困る人間は俺一人だけに留まるということ。
「俺弁当買ってくるから」
教室後ろのロッカーから大きなクーラーボックスを取りだす陽菜に俺は外出を告げる。
しかし、陽菜が返した言葉は、俺を送り出すものではなく押しとどめるものだった。
「待ちなさい」
俺が足を止めてそちらを振り返ると陽菜は手招きしていた。傍らのクーラーボックスが何やら怪しい雰囲気を放っている。
「なんだよ」
怪訝に思いながらも陽菜のもとに近づく。
「那月の分も用意したわ」
そう言って陽菜が得意げにクーラーボックスを開けると、中には確かにたくさんの食材があった。食材が。
「なにこれ?」
問うと陽菜は、いけしゃあしゃあと講釈する。
「材料よ。ひさびさに那月の料理が食べたくなってね。で、那月の得意料理っていったらアレじゃない」
クーラーボックスには、二人前のご飯(市販のもの)、パックの卵(四個入り)、玉ねぎ、醤油、顆粒の出汁、みりん、砂糖がそれぞれ入っている。おまけに鍋まで用意してあった。
「たまご丼をご所望ですか?」
俺が回答をもって質問すると、陽菜は得たりと頷いた。
「ご名答」
たまご丼。
ともすると親子丼の未完成として認知されがちだが俺たち孤児にとっては、特別なメニューだ。親がいなくても美味しい、親がいなくても一人前になれる、という思いの籠もった料理として俺の住まう施設では月に一度、みんなで作って食べることになっている。
俺たち『希望の箱庭』の一員はその慣例に則って毎月食してしるが、陽菜にとっては五年ぶりになるのかもしれない。まあ月に二回の時があっても、たまには良いかな。
俺と陽菜は、ここ理科室と隣り合った教室、家庭科室に場所を移す。
理科室でも実験器具を駆使したりすれば、出来ないことはないのだろうが、あいにく俺たちの科学の成績は壊滅的。俺たちが至らないばかりに特別教室棟を爆破壊滅させるわけにもいかないのだ。
家庭科室という名のキッチンがすぐ隣にあるのだから利用しない手はないだろう。手を洗って、準備をしてから料理に取りかかる。
鍋に水を入れ、火にかける。鶏肉は入れないので水の分量は玉ねぎが浸る程度でいい。そして矢継ぎ早に玉ねぎを若干厚めに切って、沸騰を待たずに鍋の中へ。出汁もこのタイミングで入れて、蓋をして沸騰を待つ。
その間、インスタントのご飯『加藤のご飯(加藤だけど柔らかいよ!)』を電子レンジにかけておく。よくよく考えてみればご飯を解凍しなければならないので、結局家庭科室を使うことにはなっていたか。
「やっぱ手慣れたものね」
陽菜が感心したように呟いた。
そう言う陽菜は椅子を前後逆にして跨るように座り、俺の馳走ぶりをぼんやりと眺めているだけだ。俺は鍋から目と手を離さずに声だけで応対する。
「まぁ、数こなしてるからな」
「もうすぐできるの?」
「実を言うと材料が不足してて……」
俺が不安げに言うと陽菜は小首を傾げ、材料を指折り数えはじめた。終わるや俺に抗議の声をあげる。
「不足なんてないじゃない!」
「陽菜は知らないかもだけど、実は新たにアレンジが加わったんだよ」
俺が不安げな表情を得たり顔に変えると、陽菜はさぞかし不満げに先を促した。
「……ん、何よ」
勿体ぶって陽菜の悔しそうな表情を存分に愉しんでから、キメ顔で俺は宣言する。
「天が味方についてくれる! ってことで、天かすです!」
バカ受けするはずだった。それを目算した。
もうすぐ熱々のご飯が出来上がるだろうから、この場も温めておこうと思ったが故の諧謔だった。
「あたし、食器とか準備しておくわ」
陽菜がニヒルに顔を逸らした。で、椅子から立ち上がると、ぷいと食器棚のほうへ行ってしまう。ご飯の解凍はそろそろだが、どうやら解凍しなければならないものが余計に増えてしまったらしい……。
鍋の水分や調味料を玉ねぎが吸い旨味を宿す。それは、卵を溶いて投入する潮時だった。潮時だけど塩は入れない、とか口にすれば更に空気が凍るのだろう。
仕上げに溶き卵を入れると、鍋の中にス○イドラゴンがとぐろを巻いた。壮観であった。
しかして俺の菜箸が天を裂き、竜を斬るのだ。ちなみに今日は天かすがないので、天は裂けない。
ス◯イドラゴンを切り刻んで倒すと得難い経験値と、そして『たまご丼』を手に入れた!
その感動的瞬間を過ぎた頃、陽菜が食器を持ってこちらに戻ってきた。その手つきはおぼつかなく、ろくすっぽ自炊していないのが丸わかりだった。
レンジで保温していたご飯を丼に移してその上から具をとろりと掛けると、昼餉の体裁が整った。天かすがないのがちょっと残念だが、まあ良しとしよう。
二人で席につくと、どちらともなく「いただきます」をして食べはじめる。
「美味しっ」
陽菜の感想を聞いてから、俺も陽菜に倣ってパクり。上手い。
「むむ、これはなかなか」
玉ねぎの甘みがあますところなく、笑みに昇華する。美味い。
たまご丼は、亡き母さんの得意料理だった。
未だに当時の味は再現できないけど、天かすを付け足すことによりマイルドさが増し、少しはあの味に近づいたと思う。まだまだ、研究し甲斐はありそうだ。
「やっぱ那月ね、料理は」
「そ、そうかな」
今回は天かすを使っていないが食べていると、母の味、当時の記憶が蘇ってくるのはどうしてだろうか。
そのとき、陽菜がにわしく立ち上がり言った。
「これよ!」
何が? という話である。それはそのまま言葉となって俺の口から飛び出した。
まだわからないの? といった風に陽菜が俺を見る。そして俺の目の前に丼を突き出してきた。空っぽだった。
「おか……わり?」
俺がおそるおそる問うと、いよいよ呆れた表情を返されてしまった。
「あたしたちのアイドルグループ名よ」
……先週末のことを思い出す。そういえば、断り文句を考えるのをすっかり忘れていた。
「俺やるなんて一言も言ってないし、そもそも女装なんてもうしないし」
俺が即席に断り文句を並べていると、陽菜は携帯を取りだして画面上をつうと操作したかと思えば、何やら画像が表示されたディスプレイを「ふん!」と仰々しくこちらに見せつけてきた。それを見て俺は、ご飯を吹き出してしまう。
「なんだこれ⁉︎」
忌まわしき女装野郎。そいつはメイド服を着て、カメラを向けられていることにも気づかずに姿見の前でポージングを決めていた。いや、ポージングを決めていたつもりはないんだけど、そういう構図に見えなくもないということだ。
「断るっていうなら、これを拓篤に送りつけるわ。題名はそうね、『愛する拓篤お兄ちゃんのために私、一肌脱ぎます。by那月』なんてどうかしら?」
ほとんど脅迫じゃないかそれ。
その画像を見て、拓篤は何を思うだろうか。陽菜が期待するようなリアクションは、拓篤からは得られないような気がする。あんなもので狂喜乱舞するのは流星くらいのものだろう。
拓篤は俺のことを嫌っているはずだし、嫌い続けるしかないのだ。それが俺の身体に残した傷に対する、彼の報いなのだ。
「そういえば」
俺が話を逸らさんとすると陽菜は一瞬睨みを効かせたが、俺に茶化す気がないことを察してか、静かに続きを待つ。
俺は心に詰まったそれを、不器用に掻き出すように話し出した。
「拓篤、来月の頭に養子に行くんだって」
おそらく、陽菜も知らなかったのだろう。予想したほどではないにしろ驚いているようだ。
「そう……。じゃあ走行会でも、開いてあげなくちゃあね」
「え……」
でも、俺とはいくらか、感情を異にしていた。
俺は拓篤の門出に対して、少なからず消極的だ。関わりたくないくせに、敬遠されているくせに、遠くに行って欲しくないと心のどこかで願っている。矛盾しないと、この感情とはうまく付き合っていけない。
方や陽菜は違う。あくまで個々の人生に焦点を置いている。拓篤の今後の人生のためにも、養子に行くことを肯定している。その故、己が人生のため、黙って俺のもとを去った?
人それぞれなのだ、物の捉え方なんてのは。
チャイムが鳴る。
俺は丼の残りをかっこむと、後片づけもそこそこに陽菜と連れ立って保健室に駆けて行った。飲み込みきれずに口に残っているご飯のように、割りきれない思いが、心のどこかにわだかまっている。