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バンドルの箱  作者: 篝レオ aka 篝レイ
深山那月編
12/64

二章 月天(完)

 道々、耐えがたい飢えと渇きに襲われていた。そういえば夕飯は結局食いっぱぐれたんだっけ。早く帰って夜食をいただこう、と思ったが、よく考えたら家にはまともな食材がない。

 ちと値は張るがコンビニ弁当に甘んじることにした。

 幸いなことに道中、行きつけのコンビニがある。無論、普段はミルクティーを買うために訪れているだけだし、深夜に行くのは初めてのことだった。

 コンビニを目指してひたすら歩みを速める。

 四月になって間もないというのに、この通りは、まるで春の趣を感じさせない。一刻千金いつこくせんきんとは、今の時分に宛てた言葉なのだろうが、この空間だけが地球の摂理から切り離されているような感じだ。木々は虚しく花はすでに散った後だった。

 月だけが、夜空に物悲しげに咲いている。

 無粋な叢雲もなく絶好の花天月地かてんげつち日和だというのに、桜の木はそれに応えようとはしない。まるで、俺と陽奈のような関係性だ。

 ほど近くに人工的な明かりがぽつり、と一帯を照らしていた。コンビニの気配を感じるとお腹が喜びの悲鳴をあげた。

 ラスト数メートルは駆け足で、そして、ついにその光の中に足を踏み入れた——

 ——が、すぐに暗闇に身を戻す。

 角の塀に身を潜めてその原因をこっそりと窺う。

 良い子はベッドに身を預けて、黒甜郷に夢を遊ばせる時間にもかかわらずコンビニの前には、四人の高校生がいたのである。


「Hey yo!!」


 理解出来ない言葉が、俺の心を騒がせる。その、呼びかけにも似た掛け声が俺に発せられているのかと思い、心臓が止まるかと思った。しかし、どうやら違ったようだ。

 おそるおそる覗き込むと、その制服から俺と同じ高校だということがわかった。皆ブレザーの下にカラフルで派手なパーカーを着込んでおり、「俺たちBboyですyo」と身なりと身振りがそう主張している。

 そして、カラフルなのはパーカーだけではない。彼らの髪色も赤、青、黄色、緑色と、虹色めいている。

 虹色と聞くとファンシーだったりメルヘンだったり、とかくそんな印象を抱きがちではあるが、彼らに関してはその限りではない。顔が怖いし、髪型はぐりんぐりんのパーマだし、首や腕にはブリンブリンだし。それに、下手な暴走族よりも危ない存在だという見解もある。

 その根拠として、クスリだったり草だったり、大麻だったりとドープな噂が絶えない人種だからだ。まぁパンクバンドとかにも同じような噂はたくさん転がっているけど。

 と、そのうち何人か見知った顔ぶれもある。確か拓篤の取り巻き、だったような。

 正直、今すぐにでも引き返したかった。根源的には音楽を嗜む者同士であるものの、尊厳的には相容れない気がする。どうして入り口付近にたむろしてるの、他のお客さんに迷惑でしょう! まず、人間的に交われない存在だった。

 しかし目下のところ、そういった負の感情よりも食欲のほうがはるかに勝っている。

 俺はエプロンのポケットに忍ばせたリップグロスの所在を今一度確認すると、なるべくそちらに視線を向けないようにして店に近づいていった。

 入り口まで五メートルといったところまで迫ると、彼らのリズミカルなライミングのバックで薄く音楽が流れていることに気づく。近づかなければ気づかないほどの音量のそれは、彼らの持っているスマートフォンから流れているものらしい。流れる音楽に合わせて流暢に言葉を並べる彼らは素人目に見ると圧巻だったが、関わりたいとは露ほども思わない。

 一番派手な黄色髪のDKラッパーが俺の存在に気づき、音楽に合わせて口笛を吹いた。それを合図に全員の視線が俺に突き刺さる。


「夜のコンビニに迷い込むぜ天使」

「優しく導く俺らペテン師」

「ちょっと、自虐はやめにしません?」

「てかナンパ行くなら早めにしません?」


 韻はちょいちょい踏んできたけど、俺のパーソナルスペースには踏み込んでこない。それが救いだった。

 そして事なくして、店内にたどり着いた。とりあえず一安心。


「いらっしゃいませー」


 まるで覇気のない声音でもって店員さんの挨拶が俺を迎え入れた。俺は食欲の赴くままにコンビニ内を見て回ることにする。

 まず最初に向かったのは店内奥、ドリンクの棚。

 たくさんの種類のジュース群の中から比較的シンプル、かつ伝統的なパッケージの商品をつかみ取る。言わずもがなミルクティーである。

 そして次に向かったのが、入り口とは反対側にある棚、お弁当類の陳列棚だ。大きく分けてご飯類、パン類、麺類の仕切りがある。ご飯類の棚に何気なく置かれたカレーが目に留まると、胃のあたりから不快感がのぼってきた。

 それを誤魔化すようにパンのコーナーに目を転じる。……ふむ、気分的にはサンドイッチか。あるいは、温めておいしいブリトーか。

 どちらもカゴに入れた。お腹がそれを望んでいた。

 最後に、デザートとお菓子のコーナーを覗いてみたが、めぼしい物はなかったので何も手に取らずにレジへ向かった。


「お預かりしまーす」


 まるで覇気のないその声には覚えがあった。発声主の顔を見て驚愕する。


「大島さん⁉︎」


 思わず大声になってしまった。店内には俺らの他に誰もいなかったのが幸いだった。

 目の前には、今朝保健室で会った少女がレジに立っていた。コンビニの制服に身を包み、緩くアルバイトに勤しんでいるようだった。

 大島さんが胡乱げな眼差しで俺を見る。


「あたし、真島ですげど。真島あずさ」


 俺は、はっとして口を抑える。しかし出てしまった言葉は戻らないわけで……。


「……もしかして、なちゅ?」


 それが原因なのか、面が割れてしまった。真島さんは勝手に納得して、話を続ける。


「えー、超かわいいねー。どしたのー? コスプレー?」


 可愛らしく飾られた瞳が、俺の全身をあますところなく眺めている。へー、ふぅん、といった感嘆を漏らしながら。

 俺は先んじて真島さんに釘を刺しておくことにした。


「誰にも言わないでください……、お願いします……!」

「わかってるわかってる。あたしとなちゅの仲じゃん?」


 ……信じてもいいんだろうな、この人? どうにも手放しには信用できない口振りだった。


「その代わり——」


 と、真島さんが見返りとして条件を提示する。


「あたしがココでバイトしてんの、学校には内緒にね。もちろんセンセーにも」


 あー、なるほど。確かに、銀ノ河高校ではバイトは禁止とされているし、ましてや勤務時間が深夜というのは言語道断だろう。これで同程度の交換条件が成り立つわけだ。


「わかりました。じゃあそれで」


 レジスター越しにお互いの小指を交わし合う。それは、客と店員との関係を越える何かがあった。そう、彼女はもう盟友である。

 しかる後、真島さんが商品をレジに通していった。


「ブリトー、温めますかー?」


 訊かれたので頷いておく。すると真島さんはそのパッケージに切り込みを入れ、密閉を解いてから電子レンジに入れ、加熱のスイッチを押下。ブォーンという駆動音が響いた。

 アルバイトとはいえ、その流れるような動きには感心するところがあり、我知らず俺は感嘆の声を漏らしていた。保健室でのゆるゆるとした真島さんとはまるで別人だ。


「なちゅはバイトしてないのー?」


 真島さんは照れ隠しするように、残りの商品のバーコードを機器に通しがてら言った。俺は当時を懐かしみながら、その質問に答える。


「今はしてないですけど、昔はバーで」

「バー? そういう格好とかして?」

「ち、違いますよ! バーで演奏してたんです、ハコバンって言って——」


 ウチの施設に物資を寄付してくださる方々の中にバーを営むご婦人がいて、その人の計らいで定期的に演奏会に呼ばれていたのだ。客人がメインディッシュを召し上がっている最中に、ちんどんと叩きちらし、終わるとすぐに捌けていく故、客とのコミュニケーションは不要。給与の他、別途チップが重なることもある。割りのいい仕事だった。最近は、呼ばれてないなぁ……。


「ふーん」


 真島さんは思っていたものと違っていたのか、相づちのトーンが少々下がっていたが、最後まで話を逸らさずに聞いてくれた。どことなく雰囲気が陽菜に似ている気がする。

 会計を終えて袋を受け取り、踵を返して出口を目指すと真島さんが俺を呼び止めた。


「あ。外の人たち、だいぶヤバイから気をつけて帰ってねー」

「……あ」


 忘れてた。

 真島さんに目礼して、俺はそろそろと店を出る。カラーギャングならぬカラーラッパーたちは、依然として入り口付近でたむろしていた。休憩中なのか音楽もライミングもなく、水を飲みながら談笑に耽っているようだった。

 言葉巧みな彼らにあって話題には事欠かないようで、たわいない話でひっきりなしに盛り上がっている。

 その狂騒に紛れ、俺は気づかれないように、ゴミなどを処理することにした。ブリトーの袋を開封して、歩きながらでも食べられるようお膳立てをする。

 そんな中、拓篤の取り巻き、青髮がはたと発言する。


「そーいや、そろそろ拓篤さんに別れの挨拶しねぇとな」


 なにやら不穏な単語に、俺の耳がぴんと立つのがわかった。お別れ? 一体何のことだろうか?

 心臓が脈打つのを感じながら、アンテナさながらに彼らの会話に聞き耳を立てる。


「ああ。あの人は気にしてねぇらしいけど、それじゃ俺らの気が済まねぇしな」


 緑髪が同調した。

 俺は今、物々しさあふれる密議に期せずして立ち会ってしまったのではないだろうか。聞いたところ拓篤にお礼参りをする、といったようなニュアンスの会話だ。全容は掴めていないけれど、聞いた限りではそんな内容。

 詳細を知るため、気どられない程度にさらに近づいて話を盗み聞くことにする。

 風が吹けば、手元のビニールがしばしば音を立てて俺の聴力を妨げた。風よ止めと願いながら、聴覚に全神経を集中させる。

 そして、これらの話の真意が俺の耳に届いた。


「すげえよな。幼稚園組だっけか?」

「ちげえよ、養子縁組だ。あの人は養子に行くんだよ」


 手元のビニール袋が地面に落ちた。ぐちゃりと音を立ててブリトーが変形する。不良たちの視線がこちらに集中する。

 あれだけ怖かったのに。近寄りたくもなかったのに。

 それなのに、俺は自ら彼らのところに進みでて、手近にいた青髪の男子のブレザーの袖を掴んでいた。怖かったから、親指と人差し指だけでそっと。

 青髪男子が何事かと目を白黒とさせ、頰を赤くしている。


「あの。養子縁組って、どういうことですか」


 俺の問いに誰も応えない。袖を摘まれた青髪男子は、何が何やらといった感じだ。


「どういうことですか」


 もう一度、今度は語勢を強くすると、青髪男子はびくりと肩を震わせて拍子に俺の手を振り払おうとする。だが俺の掴んだ手はそれを許さない。振り払われないよう、青髪男子のもう片方の掌をぎゅっと握り込んだ。

 彼の指間に俺の指を絡めて、図らずも一触即発の様相を成す。

 すると怒りでカッとなったのか、青髮男子の顔が真っ赤になって頭から煙を噴き出し、見かねた黄色髮男子が前に出てきて、後ろから俺の双肩に手を置いた。そのまま殴られるかと思った。あるいは嬲られるかと思った。だが、そんなことはなかった。


「ごめんな? 手、離してもらえるかな? そいつ、君みたいな可愛い子に掴まれて興奮しちゃったみたいなんだわ」


 反射的に掴んだ手を離した。青髮男子がたたらを踏んで、コミカルにずっこけた。後ろからささやかな笑い声が上がる。そして、今さら申し訳なくなる俺。

 黄色髮男子は俺の肩から手を離さずに、後ろから優しく諭すように話しかけてくる。


「ええーっと、拓篤の知り合いか何か? ひょっとして彼女とか? 拓篤なら、さっきまでいたんだけど」


 俺は力なく首を振る。俺をまったくの無関係者であると認識した上で、黄色髮男子が事情を説明をしてくれる。案外優しい人たちなのかもしれない。でもこの人、肩の手をどけてくれない。


「近頃アイツ、養子の話が来ててさ。あ。アイツが孤児ってのは知ってる?」


 俺が頷くと青髪男子が「幼稚園組じゃねえぞ。養子縁組だ」と言い、「それ間違えたのお前だろ」と緑髪男子がツッコミを入れるという芸を披露した。

 悪い人ではないんだろうけど、悲しいかな全然面白くない。けど一応、追従笑いということで優しい笑みを返しておいた。すると青髪男子の顔がまたも赤くなった。怒ったのでなく、恥ずかしかったらしい。

 本題に戻すように黄色髮が話を続ける。


「で、担任といろいろ相談してたみたくってな。最近になって、ようやく決意が固まったみたいなんだわ」


 それが養子に行く、という答えらしい。


「アイツいま施設に住んでっから、今日にでもそこの人間と話するんじゃねぇかな?」


 今しがたのことを思い出す。確かに、拓篤は黒先院長の所在を気にしていた風だった。この人たちの言うことを信じるなら、なるほど辻褄は合う。

 しばらく、言葉が出てこない。

 拓篤が養子に行くということは、つまり拓篤は『希望の箱庭』を去るということだ——俺の元からいなくなる、ということだ。それを俺は何年も前から予見し覚悟し良しとしたばかりか、俺の方から縁を切ったのではないか。

 どうして、何を悲しくなるものか。

 父さん母さんがいなくなって、陽菜や拓人がいなくなって、そして拓篤がいなくなる。もう何度も、経験してきたことじゃないか。

 なのに、何故悲しくなるのか。何故、涙が止まらなくなるのか。


「お、おい、君、泣くなよ。俺たち困っちゃうから!」


 この涙の源を、このラッパーたちは知らない。俺だって知らないのだから。

 ふとラッパーたちがあたふたしだした。俺は見も知らぬ男たちに囲まれて、ただ涙に暮れた。


  ◇◆◇


 俺が落ち着きを取り戻した頃を見計らって黄色髮男子が訊ねてきた。


「で。君、名前は?」


 言いながら彼は、俺が落としたビニールを拾いあげ、ブリトーに付いた汚れを手で払い落としている。俺は涙を拭いながら、自己紹介をする。


「深や……、月宮マナ、です」


 さっき陽菜が名付けたものだが急場しのぎに使わせてもらう。

 すると黄色髮男子は、手に持つブリトーを俺の目の前に掲げて言った。


「じゃあ、マナちゃん。これはさっきの情報料な?」


 そしてブリトーに食らいつく。うまかっ、と方便めかして言って笑みをこぼした。俺も自然と笑みを返す。

 それからしばらく、彼らの中に混じって談話に興じた。このラッパー四名は、皆拓篤の友人で、うち二人は俺と同級生で、拓篤の舎弟のような身分らしい。あとの二人は拓馬の同輩、つまり三年生だ。

 そして、皆さんマジで強面。ドープな感じがする。

 不意に青髪男子と緑髪男子が質問とばかりに挙手をする。


「マナちゃんは彼氏いますか?」


 彼氏なんているわけないだろう。


「作りません」

「おっぱいのサイズはいくつですか?」


 言われてみれば身体測定では測っていなかったな。この偽物も含めるなら、80の後半はありそうだった。


「えっと、わかんないです」

「触ってみてもいいですか?」


 まぁ、触るくらいなら問題ないか。陽菜曰く本物同然らしいし。

 幼稚園組云々との情報料ならこれくらいが妥当だろう。青髮君の幼稚な願望を、叶えてあげよう。


「ん……どうぞ」


 と質問者である青髮男子の方に胸を、突き出すと。

 ごくりと生唾を揉み込み、おそるおそる両手を胸の膨らみに近づけてゆき、真っ赤な顔を——急に真っ青にしたかと思えば。


「って嘘嘘嘘! すんません! 嘘です! 拓篤さんに殺される!」


 青髮男子は助平な手を勢いよく引っ込め、どっと笑いに包まれた。

 まぁその反応は予想できていた。俺に袖をちょこんと触れられただけであの狼狽ぶりを晒したのだ、据え膳食えない人なんだろうとは推して知るべしだ。でなければ、俺もこんな大胆なことはできない。

 そのとき、皆の笑い声に紛れて俺のお腹がぐーっ、と唸った。

 そういえばブリトーは情報料に食べられてしまったのだ。

 袋にはあとサンドイッチとミルクティーが入っているはず。


「あの、俺……いや、わたしのサンドイッチ、知りませ……」


 と見ると、青髪男子と緑髪男子がサンドイッチとミルクティーをちゃんぽんに飲み食いしながら質問を続けようとしていた……もうさすがに怒ったぞ。


「マナちゃんの好きなタイプは何ですか!」

「私のサンドイッチを勝手に食べない人です」


 緑髪男子がサンドイッチを喉に詰まらせて昏倒した。


「じゃあ嫌いなタイプは何ですか!」

「私のミルクティーを勝手に飲んじゃう人です」


 青髪男子がミルクティーを気管支に入れて噎せ返った。

 という茶番劇を見て上級生ふたりが馬鹿笑いした。そして、赤髪男子が口を開く。


「にしてもホント可愛いな。どこ校?」


 言おうか迷ったが、まぁ学校名くらいなら明かしても大丈夫かな。あと可愛いとか言うな。


「銀ノ河高校です」

「おう、俺らと同じか」


 言った後で後悔した。こう答えれば、必然的に学年からクラスにいたるまで遠慮なく、訊かれるだろうに。


「てことは、俺らとタメか?」


 と黄色髮男子。彼は三年生だ。


「いえ。二年生です」


 ここまで素性を明かしてしまったのなら食い違いを避けるため、なるべく正直に話した方が良いとの判断だ。いざとなれば不登校とでも言って、誤魔化せばいい。

 俺が二年生であると知り、青髪男子と緑髪男子がにわしく騒ぎ出した。


「俺二年だけど、こんな可愛い子、見たことねぇよ!」

「俺もだ俺も!」

「ええと……」


 俺は見事に、返答に窮してしまう。

 こう星夜と星斗を図体だけデカくしたような、脳みそウロ状態のふたりには、何を言えば誤魔化せるのかがわからない。


「ほ、ほら……私、地味なので、皆さんが気づいてなかっただけかも……」


 兎にも角にも言い訳を捻出すると、場に静寂が流れた。あれ? 何か言葉を誤った?


「地味……」


 俺の前言を、繰り言のように呟きながらラッパー四人が俺のことをじーっと見つめてくる。ラッパーならもっと多彩な語彙を披露してほしい、と思ってしまう程度には居心地が悪い。


「地味の、逆だよな」

「アイドルとかその辺のオーラ」

「違いねぇです」

「おっぱい」


 そして内輪で談義をはじめた。待て、おっぱい星人がいたぞ。

 しかし、男たちを、ここまで騙せるなんて。ひょっとして、本当にスゴイのではないだろうか陽菜のメイク術。

 少なくとも俺のことを女装男と思っている節は、どこにもないと見える。

 とは言っても所属クラスまで言及されるとさすがに後々面倒なので、そろそろ話題を変えておいたほうがいいかもしれない。


「そ、それより! 大事なことを聞き忘れてたんですけど」


 ラッパー一同がこちらを振り向く。まるで自分が、このクルーの一員になったような気分だ。さっきまで毛嫌いしていたのに。ちなみにクルーとは、ラッパーのチームのことを指す。


「拓篤……クンって、いつ頃施設を出て行くんでしょうか」


 話題転換が急だったのか皆、一瞬ぽかんとしていたが、やがて黄色髪の彼がこちらに進み出て俺の耳元でそれを口にした。

 次の瞬間。

 漆黒の街道より紅の光が瞬き、けたたましいサイレン音を伴ってこちらに向かってくるものがあった。なんのことはない、ただのパトカーだった。

 国の安全を守る頼れる大組織だが。自らをレペゼン・アンダーグラウンドと名乗る、ラッパーたちにとっては、敵にも等しいらしい。

 カラフル・ラッパーたちは手早く荷物をまとめ終えると、ダッシュ。コンビニ裏のフェンスを飛び越えて、雲をかすみと逃げていった。フェンス越しに奇声が聞こえてくる。


「またな、マナちゃん!」「また会おうぜ! おっぱい!」


 俺はフェンスの先の暗闇に向かって手を振り、振り返りざまにコンビニの窓から、真島さんがグッと親指を突き立ててウインクしているのを視認した。きっと真島さんが通報してくれたのだろう。まあ言うほど危険ではなかったが、そろそろ頃合いとは思っていたので結果オーライだ。

 真島さんに会釈すると、突然、後ろから何者かに声をかけられた。


「大丈夫ですか?」


 通報により馳せ参じたお巡りさんだった。若い、新米の風体をしたお巡りさん。


「はい」


 立ち話程度の事情聴取を受けて、時間も遅いということで家まで送ってもらうことになった。身分証の提示を求められなかったのでほっとする。

 すると、ほっとしたついでにお腹がぐーっと鳴った。今日一番の鳴りだった。

 当然ながら恥ずかしさがこみ上げてくるわけで、俺は魔化すようにお巡りさんに告げた。


「わ、わたしちょっと、お腹すいてるのでコンビニ行ってきますね‼︎」

「え? ちょ、ちょっと⁉︎」


 後ろのお巡りさんの静止を無視して俺はコンビニに駆け込む。そして、さっき買ったのと同じものを選んでレジカウンターに置いた。真島さんに先ほどのお礼と同じものを買う理由を告げて、会計を終えると一散にお巡りさんのもとへ戻って行った。


  ◇◆◇


 飲食はパトカーの中で済ませた。手元には、ゴミの入ったコンビニ袋だけが残っている。

 パトカーが自宅に到着すると、お巡りさんは意外そうな顔をした。

 児童養護施設『希望の箱庭』の看板をまじまじと見ている。


「ありがとうございました」


 俺はお礼を言って、パトカーを降りる。お巡りさんは何か言いたげだったが、生憎とそれに耳を貸すつもりはない。同情ならばもう聞き飽きている。

 だが、あまりすげなくするのも気がひけるので、門の前でパトカーを見送るくらいの儀礼は通す。語らず笑わず、たたじっと発車するのを無表情で眺める。パトカーがそろそろと発進してから、申し訳程度に頭を下げた。

 ライトを消灯したパトカーは、すぐに夜の街に溶けていった。俺は姿勢を戻し、何の気なしに自分の家の看板を睨みつける。

 希望の箱庭。

 けれどもこの看板がもたらすものは、同情や憐れみなど、希望とは縁遠いものばかりでしかない。憐れまれることで、自分の置かれている環境が他よりも劣っていると改めて思い知らされる、ただそれだけの意味。

 施設の看板上に取り付けられた大時計をめて視ると、時刻はすでに、深夜の一時。見事に午前様とあいなった。

 各部屋の殆どが消灯している中、一箇所だけ、光が灯っていた。彼の部屋だった。


「……拓篤」


 口数の少ない俺が洩らした、初めての独り言。

 来月の初めには、養子に行ってしまう俺の義兄弟。

 あの日、仲違いしたままの俺の天敵。

 五月の月が昇る頃にはもう拓篤は、ここにはいない。


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