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応接間に案内されたシェルシェは、テーブルを挟んでビーネとスピエレと向かい合ってソファーに座ったが、お茶を持って来たメイドが部屋を出るとすぐに、真顔になって姿勢を正し、
「産まれて来る子供について、私はマントノン家当主として、お義母様にお願いしなければならない事があります」
重々しい口調で話を切り出した。
「な、何でしょうか?」
それを聞いて、思わず背筋がゾッとするビーネ。
「娘として、女として、この様なお願いをするのは、本当に心苦しく申し訳ない気持ちで一杯なのですが」
シェルシェがそこで本当に申し訳なさそうな表情になったのを見て、産まれて来る子供と引き離されるかもしれないという恐怖が蘇り、ビーネの顔から、さーっと血の気が引く。
マントノン家の為とは言え、どうか、どうか、それだけは許してください。
我が子を守る様にお腹に両手を添え、ビーネがそう強く念じていると、
「弟が産まれたら、DNA鑑定を受けさせてください。その子が確実にマントノン家の血を引いている事を証明したいのです。どうかお願いします」
シェルシェはそう言って、深々と頭を下げた。
「え? 別に構いませんが、それだけですか?」
お腹の中の子供の父親に関して、何一つやましい事などないビーネは、拍子抜けした口調であっさり承諾する。
「ありがとうございます。この様な無礼極まるお願いをしてしまい、本当に申し訳ありません」
シェルシェが頭を上げて、少し安心した様に言った。
「おいおい、シェルシェ。まさかビーネを疑っているんじゃないだろうね」
スピエレがわざと冗談めかして横から口を挟むと、シェルシェは普段の仮面の様な微笑みに戻り、
「逆です、お父様。お義母様を全く疑っていないからこそ、この様なお願いをするのです。『産まれた男の子は、前当主の血を引く者である』、という確実な証拠を提示する事によって、いつかその子がマントノン家の当主を継ぐ時に、何も問題が出ない様にする為に」
気の長い謀略の一端を述べた。
「ですが、次期当主はシェルシェお嬢さ、じゃなくてシェルシェの子供が継ぐ事になっているのでは?」
ビーネが問うと、
「ふふふ、お父様の実の息子が次期当主となる事に、何の不思議がありましょう。元々、女子である私が当主となったのは、あくまでも特殊な状況下における、臨時的な措置に過ぎません。弟が成人した暁には、私は当主の座を何の未練もなく譲るつもりです」
「それでは、亡くなったユティル様に申し訳ありません。やはりユティル様の血を引く者こそ、次期当主に相応しいのではないかと」
「お義母様は勘違いをなさっています。ユティルお母様が第一に考えていたのは、いつもマントノン家の事でした。生前、男の子を望んでいたのも、自分の血を残したかったからではなく、マントノン家の正式な後継者を残したかったからに他なりません。それを果たせぬまま亡くなってしまったユティルお母様の悲願を、お義母様はこうして叶えてくださったのです」
シェルシェは身を乗り出して、ビーネの手を取り、
「安心してください、お義母様。私が必ずや、弟をマントノン家歴代最高の当主に育て上げて見せます」
我が子と引き離されるという最悪の事態にならないと分かってほっとしつつも、いずれこの義理の娘に我が子が籠絡されてしまうのではないかという新たな懸念が、ビーネの心の中に残った。




