◆85◆
思えば皮肉なものである。
後継ぎの男の子を切望していた前妻のユティルが、三回挑戦しても女の子しか出来ず、後継ぎ争いに関わらない女の子を切望していた後妻のビーネに、あっさり最初から男の子が出来てしまうのだから。
検診を終えて家に戻って来たビーネは、電話で実家の父クぺにエコー検査の結果を喜々として報告する夫スピエレを見ながら、そんな不条理について考えていた。
「親父はすごく喜んでるよ。何しろ初の男の孫だからなあ。ま、女の子なら女の子で喜ぶんだろうけどね。それから、君にお祝いの言葉を言いたいそうだ」
そう言って、スピエレは携帯を妻に手渡す。
「お電話代わりました、ビーネです」
「おお、ビーネさんか。クぺだ。この度は本当におめでとう。私も初めての男の孫が、今から待ち遠しくて仕方がない」
その孫を殺そうとしていたのはどこのどいつじゃボケ、などとビーネは怒ったりはしない。
三年もマントノン家に仕えていて、その内部事情をよく知っており、スピエレと自分を引き離そうとしたのも、クぺにとって苦渋に満ちた決断だった事は、夫以上に理解している。むしろビーネは、夫とマントノン家の為に、自分から身を退く事さえ考えていた位である。
「ありがとうございます、お義父様。経過も順調で、今の所、何も問題ありません」
済んだ事は済んだ事。恨みの感情など何一つない穏やかな口調で、ビーネはクぺに返答する。
「それはよかった。しかし、くれぐれも体調管理には気を付けておくれ。絶対に無理はしない様に。何かあれば、こちらですぐサポートするから、遠慮なく言って欲しい」
そう、息子の嫁に対するこの優しい気遣いこそが、クペ本来の温かい性格なのだ。
義父に重ねて礼を言い、夫に携帯を返した後、ビーネはふと考えてしまう。
お家の為ならば、名家の人間はどこまでも冷酷になれる。いや、なれなければならない。
今現在の、スピエレと自分との幸福な結婚生活をお膳立てしてくれたのはシェルシェだが、そのシェルシェとて、マントノン家の平和を揺るがしかねない腹違いの弟が出来てしまった事に対し、私情とは関係なく、どんな冷酷な処置に出ないとも限らない。
「この子は当主の後継者としての権利を全て放棄します」、と誓約書の一枚でも書かされて済めばよし。
物心つかぬ内にどこか別の家に養子に出され、親子離れ離れの憂き目にでもあったら、などと、ビーネの想像は悪い方へ悪い方へと疾走してしまう。
一人で不安を抱え込んでいると、突然、当のシェルシェ本人がマントノン家の自家用ヘリで、ビーネにお祝いを述べにやって来た。
白いバラを中心に青や紫系の様々な花を添えた大きな花束を抱えたシェルシェは、出迎えてくれたビーネに駆け寄り、興奮冷めやらぬ様子で、
「お義母様、本当にありがとうございます! 男の子が産まれればマントノン家の未来も安泰です! 亡きユティルお母様もさぞや喜んでくださる事でしょう!」
と言って、いつもの仮面の様な微笑みでなく、心の底から湧き上がって来た満面の笑みと共に、その花束を手渡した。
正直、こんな嬉しそうなシェルシェお嬢様見た事ない。
今までずっと抱え込んでいた不安を忘れ、ただただ呆気に取られるビーネだった。