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もっと早期にガンが発見出来ていたら、ユティルの生存確率はもっと高かったかもしれない。
しかし、定期健診の合間を狙い澄ましたかの様に発症し、急速にここまで進行してしまった以上、もはや手術による病状改善は望めず、却って患者の健康を損なうとの判断を踏まえ、ユティルは根治ではなく緩和ケア寄りの治療を受ける事を決意した。
ままならぬ運命をままならぬまま受け入れ、残された貴重な時間を大切に過ごす事を選んだのである。
「いずれ医学が進歩すれば、この様な難しい病気も治せる様になるでしょうね。いえ、そうなって欲しいものです」
ユティルは、夫スピエレに寂しげに微笑んで見せた。
「ああ、人間の設計図が解明される時代なんだから、そんな日が来るのもそう遠くはないさ。娘達が私達位の年齢になる頃にはきっと、いや、あるいは、一ヶ月後にそういう新薬が開発されたっておかしくはない」
スピエレは妻を励ます様に言う。
「ふふふ、だといいですね。でも、覚悟はしてください。私があなたの前からいなくなってしまう事を」
「そんな覚悟はしたくないんだが、しなければ怒るんだろうね、君は」
「怒りませんよ。覚悟してくださるまでひたすら泣いて訴えるだけです」
「怒られた方がマシだな」
「ふふふ、名門の当主の妻にあるまじき醜態ですが、夫を諌めるのも妻の大事な役目ですから、有効な手段は遠慮なく使わせてもらいます」
「覚悟するから、そんなひどい手段に訴えるのはやめてくれ。それよりもっと有意義な事をしよう。君が元気な内に家族で旅行に行くとか」
「いいですね。貴重な時間を泣き暮らして浪費するよりはずっと」
こうしてユティルは治療の合間に、夫と娘達と国内外にあるマントノン家のいくつかの別荘に出掛け、そこで悲しくも楽しい有意義な時間を過ごした後、
「思い残す事はない、と言えば嘘になりますが、ここまでしてもらえれば、まず不満はありません。あなた達には本当に感謝しています」
と言って、いよいよ不調がひどくなって来た体をホスピスに預ける事となる。
そこでユティルは手厚いケアを受けながら病と対峙し、余命宣告された分からさらに一ヶ月程延命した後、最期の試練である壮絶な苦しみと闘い抜き、愛する家族に見守られながらその生涯を終えたのだった。
「覚悟する」と約束したはずのスピエレは、妻の亡骸にすがって泣き崩れ、ちっとも覚悟が出来ていなかった事をその身を以て証明する。
しかし、そんなスピエレを誰が責められよう。
むしろスピエレが人から責められる様な事をしでかすのは、この後しばらく経ってからなのである。




