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「本音を言うと、私も来年で引退したくないんだがなあ。他流派の指導者クラスとガチで戦える機会などそうあるものじゃないし。もちろん、わがままなのは百も承知だ」
特訓を終え、しばし稽古場に留まってパティと技術的な検証をしている最中、ふとミノンがそんな愚痴をこぼす。
「仕方ないわ。その手の試合の勝敗は道場の格付けと直結するから、そもそも軽々しく興行のネタに使っていいものじゃなかったのよ」
特訓に付き合わされている内に正気を取り戻したのか、多少まともな意見が言える様になったパティ。
「でもお前だって、商売の事など考えずがむしゃらに戦いたい、っていう気持ちはあるだろう」
「ええ、色々なタイプの可愛い子を抱きし、もとい強敵と戦いたいという気持ちはあるけど」
なお、まだ正気を完全には取り戻しきれていなかった模様。
「そうだよなあ。それが武芸者の心意気ってもんだ」
ミノンはミノンで妹の返答の問題部分を都合良くカットして納得している。
「私はそこまで純粋じゃないわね。戦いに求道的なものだけでなく、現世利益を求めてしまう方だから」
「『商売としての武芸』か。剣術道場の娘としてはその方が正しいんだろうなあ」
「戦う事で、自分やマントノン家に何らかの利益がもたらされるなら良し。不利益がもたらされるなら、それに逆らってまでがむしゃらに戦いたいとは思わない」
「要するに、エディリア剣術界が盛り上がったままヴォルフにバトンを繋げられるなら、お前は引退するのに何の未練もないって事か」
「そう。良く言えば物分かりがいい、悪く言えば計算高い」
「大人だなあ」
「でも本音を言えば、『いつまでも無邪気な子供でいたい』し、『いつまでも無邪気に子供と戯れていたい』と思ってるわ」
「はは、大人ぶっててもまだまだ子供か。それを聞いて、ちょっと安心した」
自分の事で一杯一杯な余り、妹の発言に潜む不穏な可能性を見落としたまま、朗らかに笑ってみせるミノン。
「子供っていいわよね。ちっちゃくて可愛くて!」
正気を投げ捨てて不穏な可能性の獣と化すパティ。




