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「心にもない事を言うものではありませんよ、エーレ。ここで婚約を解消してしまったら、何の為に今まで映画のお仕事を頑張って来たのですか」
「そもそもエーレが『劇場版エーレマークⅡ』を成功させようと一生懸命頑張ったのはー、それがお仕事だからっていうよりもー、愛しのエーヴィヒさんの為だもんねー。泣ける夫婦愛だなー」
容赦なくエーレを追い詰めるシェルシェとコルティナに対し、
「あなた達がヘンにからかうからでしょ! 二人共忙しい中をわざわざ来てくれたのは、私をからかい倒して困らせる為なの!?」
それを受け流しきれないエーレが、しつこく構われ過ぎてうんざりした子犬の様に吠える。
「もちろん、お祝いする為に来たのですよ。まだ諸々の事情によって世間に婚約を公表する事が出来ない以上、せめて事情を知る私達だけでもと」
「正式に婚約を公表したら、その時はもっと大っぴらにお祝いしてあげるよー。でも今はまだ誰にも見られない様にひっそりと、外部に情報が漏れない様にー」
「私は潜伏中の逃亡犯か」
「とりあえずお祝いの品は、後に証拠として残らないモノがいいと思って、特注のケーキを用意しました」
そう言って、ソファーの脇のサイドテーブルに置いてあった紙の箱を手に取るシェルシェ。
「そ、それは、ありがと。シェルシェの言い方だと、何か犯罪っぽく聞こえるけど」
「ただのケーキだと寂しいからー、アトレビド社の業務用フードプリンターを使わせてもらって、食べられる写真を添えてみたよー」
そう言いながら、テーブルの上を片付けて箱を置くスペースを確保するコルティナ。
「食べられる写真?」
「写真が印刷されてるケーキって見た事ないー? アレは食べられる紙に着色料を使って印刷したものを、ケーキの上に乗せてるんだよー」
「見た事ないけど、面白そうね。で、どんな写真?」
「もちろん婚約祝いだから、エーレとエーヴィヒさんのツーショットー」
「ああああ」
頭を抱えるエーレ。
「ふふふ、恥ずかしがる事はありません、エーレ。むしろ、婚約祝いの品として、それ以上にどんな写真が相応しいと言うのです?」
箱をテーブルの上に置き、ぽん、と軽く叩くシェルシェ。
「そーそー。人払いして私一人で印刷してケーキに乗っけたから誰にも見られてないしー、この場で食べちゃえばそれっきりなんだしー」
ワゴンから三人分の皿とフォークを取ってテーブルに置いた後、取り分け用のケーキサーバーを手にするコルティナ。
「スパイが読んだ後に飲み込む指令書か」
そんなエーレのボヤキじみたツッコミを無視してシェルシェが箱の蓋を開ける。
そこには、嬉しそうにエーヴィヒに飛びついて頬にキスするエーレの写真が印刷されたケーキが入っていた。写真の下の方には、『ご主人様、スキスキ大スキー!!』と書かれている。
無言でフォークを手に取って頭上に振りかぶり、アイスピックで氷を突く要領で写真をズタズタに粉砕しようとするエーレ。
「いけませんよ、エーレ。コルティナが心を込めて作った作品なのですから」
素早くケーキの箱を取り上げ、それを回避するシェルシェ。
「捏造写真じゃない! 名誉棄損よ!」
フォークの先で箱を指し示しつつ、真っ赤になって抗議するエーレ。
「せっかく用意したケーキですが、エーレのお気に召さないというのであれば」
「このままエーヴィヒさんに送っちゃおうかー。すっごく喜んでくれると思うよー」
「やめて! 普通にちゃんと食べるから!」
この二人なら本当にやりかねないと思い、泣く泣くフォークを下ろし、恥ずかしい姿と恥ずかしい台詞が入っている部分を取り分けられるや否や、お腹を空かせた子犬の様にガツガツと平らげ始めるエーレ。
「ゆっくり味わって食べないと、もったいないですよ」
「やかましい!」
「そこがエーレの可愛い所だけどねー」
「やかましい!」
だがエーレは知らない。
これと全く同じケーキが、既にアウフヴェルツ家のエーヴィヒの元に届けられていた事を。




