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エーレがエーヴィヒ絡みでシェルシェに散々揺さぶりを掛けられた翌日、よりによってそのエーヴィヒ本人が、
「唐突な話で申し訳ありませんが、現在のキャンペーンを終了した後、次期からはエーレさんに代わって、映画でエーレさんの役を演じた声優さんをCMに起用する事が決まりました」
アウフヴェルツ社のCMの路線変更について報告する為、レングストン家を訪れた。
「特に異論はありません。私の様な素人がずっとCMに出ていた事の方が不自然だと思いますし」
自身のCM降板に関しては既に情報をフライングゲットしていた事もあり別に驚きもしなかったが、それより目の前にいるエーヴィヒの存在自体が過剰に意識されてどうしようもないエーレ。
それでも表面上はビジネスライクなお澄まし顔の仮面をかぶっていたのだが、
「本音を言えば、もっとエーレさんが出演するCMを見たかったのですが、コルティナさんからこうした方が良いとのアドバイスを頂きまして」
「なぜアウフヴェルツ社は関係ない部外者のアドバイスを容易く受け入れてしまうのですか?」
自分の運命を面白半分に左右しようとする不埒な部外者の名前を出された途端、つい仮面が取れて非難めいた口調になってしまうエーレ。
「もちろん、その方が我が社の利益になるからです。今や広告業界でもコルティナさんの分析能力は高く評価されています」
まったく悪びれず、にっこり微笑んで答えるエーヴィヒ。
エーレはため息を一つついて、落ち着く為に紅茶を一口啜り、
「確かに利益は大事ですね」
もう一度仮面をかぶってから、どうにかしてコルティナのやりたい放題を止める事が出来ないものかと考えを巡らすも、
「それと、エーレさんをCM契約から解放する為でもあります」
不穏なワードがエーヴィヒの口から出て、考えがまとまらなくなってしまうエーレ。CM契約からの解放は結婚に続く道への第一歩である。
「お、お気遣いありがとうございます」
「そして、ここからが大切なお話なのですが」
さらに不穏なワードを口にするエーヴィヒ。
「な、何でしょうか」
お澄ましの仮面をかぶりつつも、心拍数が上がりまくるエーレ。
エーヴィヒはそんなエーレを見透かす様に微笑んで、
「たとえCM契約が終了しても、アウフヴェルツにとってエーレさんは非常に重要な存在です」
「こちらこそ、剣術のデータ分析に関してアウフヴェルツ社には多大なお世話になっています。今後も引き続きご協力の程、よろしくお願いします」
「はい、それもありますが、それ以上に」
意味ありげに言葉を切って、一拍間を置いてから、
「エーレさんは私にとって何よりも重要な存在なのです」
直球ストレートをブチ込んで来た。
この真っ向勝負に対し、内心パニックを起こしつつ言葉を探しまくるエーレ。その末に出て来たのが、
「あ、ありがとうございます」
のただ一言。それが精一杯。
「まだもう少し先の話になってしまいますが、次期のCMキャンペーンが軌道に乗った頃合いを見計らって、私と結婚して頂けませんか?」
続けてさらなる剛速球を全力でブチ込んで来たエーヴィヒ。
これに対してほとんど反射的に、
「はい」
と一言であっさり承諾してしまうエーレ。かろうじてお澄まし顔の仮面をかぶってはいるものの、顔は真っ赤に染まり、胸の鼓動は痛い程波打ち、口元は自然ににやけてしまうのを抑えられない。
これがエーヴィヒと初めて出会った四年前なら、顔色一つ変えずに、
「嫌です」
とキッパリ突っぱねたであろう。
しかし、ストーカーだのロリコンだの危険な変態だのと最悪な第一印象を持たれつつも、今日に至るまでエーヴィヒが積み重ねて来た並々ならぬ努力と愛が、ついにツンなエーレをここまでデレさせる事に成功したのである。
「ありがとうございます! では、結婚を承諾して頂いた記念に一つお願いしたい事があるのですが」
「何でしょう」
「頭を撫でさせてもらえませんか?」
満面の笑みでお願いするエーヴィヒに対し、
「嫌です!」
いきなり正気に戻ってキッパリ突っぱねるエーレ。やはりツンとデレはメビウスの輪のごとく表裏一体なのである。