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無重力空間での動きを補助する重要なリングを無意味に失ってしまったエーレマークⅡを何とか操縦しようと必死なエーレ。例えるなら、山の急な下り坂でブレーキが利かなくなった車を必死に運転するドライバー。
そんな必死なエーレが全速力で飛ばしているエーレマークⅡのすぐ足下から、時折ガチッ、ガチッ、とトラバサミの様な咬みつき攻撃を仕掛けて来る巨大な竜の生首こと頭部三号。例えるなら車間距離を全く取らずに後ろから煽りまくって来る迷惑車。
二重のピンチに追い込まれて一杯一杯なエーレに対し、モニターの隅の通信用ウインドウから、
「ピンチの時こそ落ち着くのだ、エーレ」
と他人事の様に落ち着き払っているムート。元はと言えばこの男の提案した作戦が原因でピンチに陥っているのである。
「気が散るから話しかけないでください、お父様!」
つい父に怒鳴り返してしまうエーレ。
「こういう時は、プールで巨大な人食い鮫に追いかけられて必死に泳ぐ幼女をイメージしろ」
「そのイメージだと全く勝ち目が無いじゃない! って言うか、鮫がいるプールで子供を泳がせるなあっ!」
律義に突っ込みを入れつつ、頭部三号の執拗な咬みつき攻撃をかわし続け、
「そもそも私は鮫から逃げ惑う幼女なんかじゃありません! イメージならむしろ、人に害為す凶暴なドラゴンに――」
エーレマークⅡを大きく旋回させると、
「――全力で立ち向かう剣士です!」
その先で機能を停止して漂っていた巨大な頭部一号のすぐ横をすり抜けた。
当然、ちっちゃなエーレマークⅡの後にぴったりくっついていた巨大な頭部三号はこの巨大な頭部一号と大衝突。例えるなら、前を走る車が避けた路上の障害物にそのまま突っ込んでしまった間抜けな後続車。十分な車間距離を取らないからそうなるのである。
衝突の反動でスピードダウンを余儀なくされた頭部三号を大きく引き離してから、エーレはエーレマークⅡをくるっと反転させた。
「必殺、『はじけるキャンディ』!」
エーレマークⅡは右の短剣を前に突き出し、光の刃を消した左の長剣の柄を大きく振りかぶって、頭部三号へ突撃する。
頭部三号はこれを一呑みにせんと、エーレマークⅡに向かって大きく口を開いて待ち受ける。
ギリギリまで近づいた所で、エーレマークⅡは長剣の柄を頭部三号の口の中に投げ入れ、自身は相手の右横へ素早く回り込み、そのまま後方へとすり抜ける。
獲物を捕え損ねた巨大な口が無駄に力強く閉じられた次の瞬間、口の中に投げ込まれた長剣の柄から光の刃が復活し、頭部三号の右目をザクッと貫いて外に突き出した。
断末魔の様にもう一度口を大きく開いて数秒間痙攣した後、その身を包んでいた青白い炎が消え、ピクリとも動かなくなる頭部三号。
「ドラゴン退治、完了!」
息絶えた巨大な竜の生首が宇宙の彼方へ吸い込まれる様に消えて行くシュールな映像をモニターで見ながら、勝利の雄たけびを上げるエーレ。
「これより地球に帰還します。ですが、現在輸送機側の通信機能が故障しており、こちらも猫耳、もとい超高性能エーレニウム粒子探知装置を破壊されたので、互いの位置関係が把握出来ません。地上から観測した情報をこちらに送ってください」
早速、帰還に必要な情報をムートに要求するエーレマークⅡ。
しかしムートからの返事が来ない。豆粒サイズにしていた通信用ウインドウを拡大しても、そこには真っ暗な画面しか映っていなかった。
「こっちも通信機能が故障したの、マークⅡ?」
「そうらしいわ。補助リングが無くなって、システム全体に想定以上の負荷が掛かったのが原因みたい」
「つまり、全部お父様が悪いのね。じゃ、輸送機へはどうやって戻るの?」
「輸送機は地球の周りを回ってるだけだから、大体の位置を予測して、画像を解析すれば――」
その時、遥か彼方で赤く光った物体に気付き、
「来るわ、エーレ!」
モニターにその拡大画像を送るエーレマークⅡ。
そこには顔に三つの大きな傷を負った挙句、右目を内側から貫かれ、文字通りズタズタになった頭部三号が、赤い炎に包まれながら、こちらを睨んでいる様子が映っていた。
「あいつ、まだ生きてたの!?」
半ば呆れつつ驚くエーレ。
「急所を外した様ね。死ぬに死にきれず、手負いにされた獣みたいに怒り狂ってるわ」
不具合の残る右手で持っていた短剣を左手に持ち変え、頭部三号の怒りの突撃に備えるエーレマークⅡ。
と、その時、突然頭部三号が急加速し、エーレマークⅡの左横を凄まじい速度ですり抜ける。
その際、頭部三号はエーレマークⅡの左腕を肩からざっくりと食いちぎっていた。