◆542◆
シェルシェが声を当てているアナウンサーによる臨時ニュースから、場面はいよいよ映画の主人公エーレが登場するレングストン家の本部道場へと切り替わる。
あちこちでえらい事になっているにも拘わらず、道場の稽古場では防具を着けたエーレが、同じく防具を着けた多くの道場生達に剣術の稽古を付けている真っ最中だった。
「ここは、『まだ大多数の一般市民はこの非常事態が実感出来ていない』、という含みを持たせた描写でもあります。実際、十七年前の内戦の時も最初はこんな感じで、あまり緊迫感はありませんでした」
このシーンに関して当時を振り返るランゲ監督。ちなみに本物のエーレはその時まだ三歳なので、うっすらとしか記憶がない。
ここで、臨時ニュースを見たと思しきエーレの父にしてレングストン家の当主であるムートが、息せき切って稽古場に現れ、
「皆、聞いてくれ! たった今、この首都エディロは悪の組織が操るロボットによって占領された!」
こんなトンデモ台詞を大真面目な顔で言ってのけた。
普通なら道場生から、「は? んな訳あるか」、「お前は何を言ってるんだ」、「脳の病院に行け」と総ツッコミを受ける事間違いなしだが、
「ええっ!」
「それは大変だ!」
「一体どうすればいいんでしょう!?」
なぜか誰も疑問を持たずに、このムートの突拍子もない言葉を信じて動揺し始める。
現実にこんな事があれば真っ先に父にツッコんでいるはずのエーレも防護マスクを外し、
「今日の稽古はこれで終了します。皆さんは安全に帰宅する事が出来る様になるまで、ここで待機してください!」
このツッコミどころ満載な状況にすんなり順応し、真剣な表情で道場生達に指示を言い渡した。
「エーレ、私はこれから大統領官邸に行って来る。隙を見て大統領を救出するつもりだ」
そんなエーレに、さらなるトンデモ行動に出る事を表明する父ムート。
「危険過ぎます、お父様!」
正論でツッコミを入れるエーレ。
「レングストン家の当主として、国家の非常時には身命を擲って正義を行わなければならぬ。お前はここに残って、道場生達を守るんだ、いいな?」
ポン、とちっちゃな娘の肩に手を置いて、
「大丈夫。必ず大統領はこの手で救い出してみせる」
優しい笑みを浮かべてそう言い残し、踵を返して颯爽とその場を去って行く父ムート。
「お父様、ご武運を!」
武芸者の娘らしく、凛とした口調でその背中に声を掛けるエーレ。
それから約一時間、エーレは稽古場に運び込まれた大型テレビの画面を他の道場生達と共に食い入るように見ていたが、どの局も同じニュースを繰り返し流すだけで、得られる情報に変化はない。
と、突然画像が切り替わり、どこかのパーティーにでも出席していたかの様な黒いタキシード姿の悪の首領が登場。
年の頃は二十代後半位。目元と鼻が銀色の仮面で隠れ、散髪をしばらくサボった様なウェーブのかかった長めの金髪に、形の良い薄い唇と華奢なアゴを持ったその男は、大統領官邸の執務室の椅子に座り、なぜかワイングラスを片手に、
「親愛なるエディリア国民の諸君。私が今からこの国の新たな大統領だ!」
ムートに負けず劣らず頭のおかしい事を言い放った。
しかしそれを見ていた道場生達はこの仮面の変態、もとい自称大統領の外見や言動に誰もツッコまず、固唾を呑んで次の言葉を待っている。ちょっとシュール。
「『元』大統領は既にその任を解かれた。その証拠をご覧に入れよう!」
カメラが向きを変えて映像が斜め下に移動すると、そこには一時間前に、「一体警視庁は何をしているんだ!」、と文句を垂れていた大統領が、ロープで縛られて猿轡を咬まされた情けない状態で床に転がっていた。
それを見てどよめく道場生達。この安っぽいコントの様な間抜けな光景を見て、誰も笑わないのが不思議である。
「親愛なるエディリア国民の諸君。くれぐれも、この私に逆らおう、などというおかしな気を起こさぬ様に。さもなくば『元』大統領を奪回しようとしたこの男の様になる」
カメラがもう少し移動し、大統領の横にもう一人の男が同じ様に縛られて猿轡を咬まされた状態で倒れているのが映る。
それは一時間前に、「大丈夫。必ず大統領を救い出してみせる」、と宣言したムートだった。
「お父様ァァァ!!」
思わずテレビ画面に向かって絶叫するエーレ。
「この一連のボケ倒しが続くシーンについては、本物のムートさんに許可を頂きました。やはり、バカ映画ファンにとってレングストン家のムートさんと言えば、何と言っても『天然ボケ』ですから!」
ムートがその手の映画に出演していて有名なのは純然たる事実とはいえ、結構失礼な事をその実の娘エーレの前でのたまうランゲ監督。
これについて本物のちっちゃなエーレは、
「父なら本当に悪の組織につかまりかねません」
と冷静にコメントし、その場にいたスタッフと声優一同大爆笑。
皆は場を和ませる為の冗談だと思ったのだが、当のエーレは割と本気だった。