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からかって反応を楽しむ為だけに不安を煽る様な電話を掛けて来た愉快犯コルティナに対し、通話中は何とか平静を装って持ちこたえていたエーレも、時間が経つにつれじわじわと心配になって来たらしく、その数日後にエーヴィヒがレングストン家を訪れた際には、
「今更ですが、『劇場版エーレマークⅡ』の製作に出資してアウフヴェルツ社は大丈夫なんですか? もし映画がヒットしなかった場合、深刻な経営危機に陥ったりしませんか?」
と確認せずにはいられなくなっていた。
「ない、とは言えません。映画が不振に終わって製作費を回収出来なくなれば、そのまま多額の損失となりますから」
いつもの爽やかな笑顔のままシビアな現実を提示するエーヴィヒ。コルティナ同様、このちっちゃい子を怖がらせて反応を楽しもうとしているのが見え見えである。
「だったら、どうしてそんなリスクの大きい賭けに出たんです」
目論見通り、心配そうな目でエーヴィヒを見つめるエーレ。
「リスクを恐れていては商売は出来ませんよ」
そんな不安でたまらないエーレへ、愛しい我が子を優しく教え諭す母親の様に答えるエーヴィヒ。
「確かにその通りですが、家電製品と違って映画興行は水物です。言わば分の悪いギャンブルというか」
「心配してくださってありがとうございます、エーレさん。ですが、ご安心を。この手のアニメ映画では『グッズ商法』もあります。今までのエーレさんの関連グッズの人気を考えれば、かなりの売上げが見込まれるでしょう。上手く行けば、それだけで製作費が回収出来るかもしれません」
「どんどん売っちゃってください。それで経営危機が回避出来るのなら」
いつもはこの手の話にあまり乗り気でないエーレも積極的にならざるを得ない。金は人を狂わせる。
「はい、頑張らせて頂きます。その他にもDVD・BDの販売や、テレビの放映権等の収入もありますし」
「純粋な興行収入の他に、色々と保険が掛けてあるのですね」
ようやくほっとするエーレ。
「もちろん油断は出来ません。一番怖いのは、製作費が当初の予定を超えて大幅に膨れ上がる事です」
「出資する額は固定されているんじゃないんですか?」
「この映画がアウフヴェルツ社の宣伝も兼ねている以上、製作サイドの窮状に知らんぷりは出来ません。完成を前にして予算が尽きればそこで全ての努力が無駄になりますし、予算が足りないからといい加減な物を作られてしまっても困ります」
「まあ、確かに色の付いてないラフな線画で上映する訳にも行きませんね。漫画だと下描きのまま雑誌に乗せて許されている作品もありますが」
「製作費が膨れ上がる主な要因は製作期間の長期化です。長引けば長引く程資金が必要になって、あっという間に当初の倍以上になる事も映画では珍しくありません」
「まるで闇金融ですね」
「実際、一本の映画に製作費が掛かり過ぎて、元が取れずに潰れた映画会社もありますよ」
「今回の映画がそうならないよう切に祈っています。私も悪質な特典商法に加担したくはないので」
「コルティナさんが提案された『半券五十枚でエーレさんとの握手会』ですか。私なら喜んで五十回映画館に通いますが」
「私の手を握った所で大して面白くもないと思いますよ。剣術に打ち込んでいる人の手は硬くて豆だらけですから」
そう言って、ちっちゃな右の手のひらをエーヴィヒに見せるエーレ。
それを、スッ、と両手で包むように優しく握りしめ、
「一つの道に打ち込んでいる人の手ですね。私は好きです」
臆面もなく言ってのけるエーヴィヒ。
「なっ……!」
自分から差し出した手前、振り払う事も出来ず、手を握られたまま真っ赤になるエーレ。
「普段外を出歩いてる猫の肉球って硬くなりますよね」
「誰が外猫だ!」
エーヴィヒの余計な一言で我に返り、ようやく手を振りほどく事が出来たエーレ。




