◆503◆
幼稚園がお休みの日に弟ヴォルフをマントノン本家の屋敷に呼び寄せ、一緒に遊びたがっている他の家族達に当主権限で一時お預けを食わせておいてから、自分達は二人きりで執務室のソファーに並んで座り、
「マントノン家の幸せこそが私の幸せなのですよ、ヴォルフ。当主の人生はマントノン家の為にのみあるのです」
弟の洗脳、もとい当主教育に余念のないシェルシェ。
幼稚園では決して聞く事のない、むしろこんな事を聞かされたら保護者からクレームがつくであろうその発言に、
「はい、シェルシェお姉さま」
元気よくハキハキと返事をする幼い弟ヴォルフ。よく訓練されている。
「ですが、ミノン、パティ、エーレ、コルティナ達の様に、当主という立場に縛られる事なく一人の選手として大会に出場してみたかった、というわがままな願いを心の片隅に抱いていたのも事実なのです」
「剣士ならば、とうぜんです」
「もし仮に私が当主でなかったら、そんなわがままな願いも叶っていたかもしれません」
「ぜったいにかなっています」
「さらにこの身が女でなく男であったなら、周期的な体調の変化や結婚生活の影響が女より少ない分、当主を継ぐまでの間はひたすら剣術に専念出来た事でしょう」
「ぜったいにせんねんできています」
ワンマン社長を前にした取り巻き社員のごとく、いささか訓練され過ぎているきらいのある相槌を打つヴォルフを見つめて、シェルシェはにっこりと微笑み、
「幸いな事に、あなたはれっきとした男の子で、当主を継ぐまでまだ猶予期間があります。成人するまでの間、私の代わりにこのわがままな願いを存分に叶えるのですよ」
この幼稚園児の小さな肩に大きな期待を託した。
「はい、シェルシェお姉さま」
その期待の大きさを知ってか知らずか、元気よくハキハキと返事をするヴォルフ。
「大会は単に多くの剣士達と戦える場というだけでなく、ワクワクする期待、ヒリヒリとした緊張、観衆からの熱い声援、晴れ舞台に立つ高揚、勝利の栄誉と敗北の無念、仲間達と分かち合う喜びや悲しみ、試合の後の心地よい虚脱、それらの特別な感覚を一度に味わえるお祭りの場でもあるのです」
「すばらしいことですね」
「ええ。そんな素晴らしい場所へあなたも六年後に参加出来るのです。その日が来るまで、しっかりと剣術に励みなさい」
「はい、シェルシェお姉さま」
そこで一旦シェルシェは当主教育を中断し、この訓練された幼い弟を、ミノンとパティが待つ稽古場へと連れて行く事にした。
「ふふふ、六年後のエディリア剣術界はどんな風になっているでしょうね」
近い未来に思いを馳せつつ、弟ヴォルフの手を引くシェルシェ。
流石のシェルシェも、この時点で五年後に起きる大事件までは予測出来ていなかったが、それはまた別の話。




