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「エディリア警察で採用されている本物の手錠です。これをパティはヘアピン一本で三秒もかけずに外しました」
マントノン家の現当主シェルシェは淡々とした口調でそう言うと、由緒ある名家の屋敷の書斎に似つかわしくない、禍々しい銀色に輝く手錠を机の上に置いた。
「警察に忠告した方がいいな。『もっといい手錠を使え』と」
机の向こう側で椅子に座っている前々当主にして祖父のクペは、重々しいため息をつく。
「近い将来、パティが本来の使用目的でこの手錠のお世話にならなければいいのですが」
「縁起でもない事を言わんでくれ。だが、今日の所は何事もなく済んだのだろう?」
「ええ。私の監視下から脱走してエーレに痴漢行為に及ぶ寸前に、少々手荒な方法でミノンが捕獲に成功しました。すぐにここまで連行して、いつもの様に地下室で反省させています」
「未遂に終わったのなら、多少は手心を加えてもいいと思うが」
「その辺りを考慮して、今日は地下室の扉に鍵は掛けていません。『十分反省したならば出ても良い』、と申し渡してあります」
「監禁から軟禁に軽減してやったのだな」
「その代わり、十種類の難易度の高い手錠を使ってパティの手足を地下倉庫内の配管と連結しておきました。武士の情けでヘアピン一本は与えましたが、真っ暗な中、手足の自由が利かない状況ではかなり手こずる事でしょう」
聖母の様な微笑みを浮かべて鬼の様な事を言うシェルシェ。
「お前は妹に『脱出王』の称号を付け加えるつもりか」
目の前でパティにまんまと逃げられたシェルシェの怒りは海より深いらしい、と察するおじいちゃま。
「ふふふ。あの子がよく出演しているバラエティー番組での演目が一つ増えますよ」
「やめてくれ。警察からマントノン家にクレームが来る」
「冗談です。いかにあの子といえども、そう簡単に外れる手錠では――」
その時、書斎のドアが開き、
「シェルシェお姉様、今回の脱走の件は深く反省しました。どうかお許しください」
真っ暗な中、手足の自由が利かない状況の下、ヘアピン一本で十種類の難易度の高い手錠を全て外し、地下倉庫から奇跡の脱出を果たしたパティが姿を現し、深々と頭を下げた。最悪のタイミングで。
シェルシェは振り向いてにっこりと微笑み、
「それは私への挑戦と受け取って構わないのですね、パティ?」
パティを今度は鉄の箱に詰めて上から鎖でぐるぐる巻きにした後にプールの底へ沈める事を提案したが、
「やめてくれ。ウチはマジシャンの養成所じゃない」
おじいちゃまの必死の取りなしがなければ、本当に実現していたかもしれなかった。




