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「さ、どうぞ、入ってください、エーレさん。熱過ぎずぬる過ぎず、いい湯加減になってますから!」
女性スタッフの一人が、撮影スタジオの真ん中に設置されたバスルームのセット内の、バスタブに張った湯の温度を自分の手で確かめた後、ノリノリな口調でエーレに促した。
「どうして……こうなった?」
肩紐が無いタイプの白いビキニを着てスタンバイしていたエーレが、まだ自分の置かれている状況をよく把握出来ていないかの様な、うつろな表情でそうつぶやく。
先日、レングストン家に遊びに来ていたコルティナが冗談で言ったCM案が、なぜか今、現実の物となってしまっているのである。
本来、今回のアウフヴェルツ社のCM出演については、
「エーレさんのご要望通り、剣士としての要素を取り入れた冒険活劇風にしましょう」
と、今やすっかりエーレとの交渉係ことエーヴィヒが、前々から提案しくれていた事もあり、割とエーレも乗り気だったのだが、
「実は最近、エーレさんのご親友のコルティナさんからこんな封書を頂きまして」
撮影直前になってアウフヴェルツ社に届いたコルティナの要望書が、どういう訳か広報部と撮影スタッフの心を揺さぶり、急遽CMの内容を、「お風呂に肩まで浸かって百まで数える幼女」、へ変更する運びとなったのである。
いきなり変更を言い渡された幼女役のエーレは、
「私はもう高校三年生なんですが」
子供の様に喚き立てたりはせず、あくまでも大人の対応を心掛けてやんわり断ろうとしたものの、
「大丈夫です。エーレさんは、まだまだお若く見えます」
爽やかに微笑みながら、小粋なユーモアとも壮大な天然ボケともつかぬ返しをするエーヴィヒに心底イラッとさせられ、
「この年で肩までお湯に浸かって百まで数えさせられるのは、屈辱です!」
つい声を荒げてしまう。
「そんな事ありませんよ。きっとエディリアのテレビCMの歴史に残る、最高に可愛らしい映像が出来上がります」
「肩までお湯に浸かって百数える映像で、歴史に残っても嬉しくありません。むしろ末代までの恥です」
その後エーヴィヒになだめすかされ、いずれまた「剣士としての要素を取り入れた冒険活劇風のCM」を撮る事を約束してもらった上で、この案に渋々承諾したものの、
「もちろん、撮影は裸でなく、ちゃんと水着着用の上で行いますから」
「もし裸でやれと言われたら、レングストン家の名誉にかけてエーヴィヒさんを撮影用のバスタブに沈めます」
「私も一緒に湯に浸かれ、とのご用命でしたら、喜んで」
「そういう意味じゃない!」
「一緒に声を合わせて百数えましょう」
「人の話を聞け!」
そんなしょうもない言い争いを続けて無駄に精神力を消耗し、もう何もかもどうでもよくなったエーレが、今、撮影用のバスタブに浸かっている。
「では、リラックスして、可愛らしく数えてくださーい!」
そんな撮影スタッフの要望に応えて、
「いーち、にーい、さーん、しーい」
開き直ったエーレの可愛らしい声が、撮影現場にほのぼのと響き渡った。