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「下準備は終わりました。これからしばらくは、時々味をみながら、じっくり時間をかけてとろ火でコトコト煮込む期間に入ります」
マントノン家の書斎で、現当主にして孫娘のシェルシェが、前々当主にして祖父のクぺにそう報告し、
「急いては事を仕損じる、か。時間をかけた分、美味いシチューが出来上がればいいな」
孫娘の料理の腕前を知るクぺは、特に意見する事なく、そう答えるに留めた。
もちろんこれは、本物のシチューのレシピの話ではなく、シチューに例えた「全国格闘大会推進委員会(仮)」の進捗についての話である。
「ふふふ、『魔女の大鍋』にならなければいいのですけれど」
「『大混乱』か。お前が制御出来ない程の混乱を、彼らが起こせれば大したものだ。私には、最後にきちんとスープ皿に入れられた美味そうなシチューが、お前に給仕される様子が目に浮かぶよ」
「私は格闘界を食いものにするつもりはありませんよ。あの方達とはウィンウィンの関係でありたいものです」
「彼らにとってのウィンは無論、エディリア格闘界の再興で、お前にとってのウィンはエディリア剣術界のさらなる発展という訳だな」
「ええ。まず格闘界をまとめる事で道筋を作り、次にその道筋に沿って剣術界をまとめるのが狙いです。具体的には、『複数の流派で集まって公式団体を結成し、政府や各種財団の協力を取り付けつつ運営を行い、統一ルールを制定して流派を超えた全国大会を実現する』為の道筋ですが」
「小規模な前例を作っておけば、その前例に従って大規模なプロジェクトをスムーズに進められる訳だ。素手か剣かの違いで、格闘界も剣術界もやっている事はほぼ同じだし、当然公式な手続きの手順も同じものになる。前例があれば、要所要所での審議も通り易い」
「格闘界の皆さんに地ならしをして頂いた後、私達剣術界はその平らな道をスイスイと進んで行けばいいのです」
「その為の先行投資だと思えば」
「安いものです」
「何にせよ、道路工事はまだ始まったばかりだ。それに、エディリア剣術界をまとめるという難題が残っている」
「ええ、それこそが最大の難題ですが」
シェルシェは笑みを口元に浮かべつつ、
「格闘界をまとめ上げて全国大会を実現させれば、その実績によって、剣術界の他流派の説得も多少は楽になるのではないかと思っています」
いつもの様に、一つの手から何十手も先を読んでいた。