◆321◆
いずれマントノン本家に引き取る為の前準備として、幼いヴォルフは親元から離れて一人で屋敷に預けられる事に慣らされていた。
「じゃ、いい子にしてるんだぞ、ヴォルフ」
「はい、おとうさま」
なので、歴代当主会談を終えた父スピエレが自分を残して自宅に帰っても、特に寂しがる様子はない。むしろ、我が子の頭を撫でながらしばしの別れを告げるお父さんの方が寂しそう。
置いて行かれたヴォルフは寂しがるどころか、暇を持て余したおじいちゃまとおばあちゃまは言うに及ばず、三人の姉にこれでもかとばかりに可愛がられるのに大忙し。
「ヴォルフ、今晩は私と一緒に寝よ?」
その日も、稽古を終えて帰宅したパティが抱きつきながら誘って来た。
「今日は一人で寝なさい。いいですね、ヴォルフ」
「はい、シェルシェおねえさま」
が、またも真の飼い主、もとい当主の命令に阻まれ、
「お姉様、たまには姉弟水入らずのコミュニケーションも必要ではないかと」
パティは必死に抗議するも、
「小さい子供には十分な睡眠が必要なのです。あなたは『一晩中ヴォルフの側にいて、なおかつ指一本触れずにいられる』、と誓えますか?」
「チカエマス」
「嘘ですね。ヴォルフを離しなさい、パティ」
いとも容易く却下され、泣く泣くヴォルフを解放し、そのまま両手両膝を床に突いて落胆する。
ヴォルフはそんな情けない姉の姿を哀れに思ったか、小さなお手々でパティの頭をよしよしと撫でて慰めた。
「げんきだしてください、パティおねえさま」
「ヴォルフー!」
上体を起こして優しい弟に抱きつこうとするパティだったが、シェルシェの一睨みで動けなくなってしまい、「しまった余計な事はせずそのままの姿勢でもっと撫でられておくべきだった」、と後悔しても後の祭り。
しかしそんな事位で懲りる様子もなく、その日の午後十時頃、興奮収まらぬパティが静まり返った廊下をヴォルフの部屋へ抜き足差し足で向かっていると、
「どこへ行くのですか、パティ?」
ホラー映画の殺人鬼よろしく人の気配を全く感じさせずにいつの間にか背後に忍び寄っていたシェルシェお姉様に耳元で囁かれ、
「ひぃっ!」
と短い悲鳴を上げる羽目になった。
映画なら、絶対この後すぐに殺されている。