◆313◆
「聞いたよ、エーレ。『私から一本取ったら、結婚してあげる』と、エーヴィヒに言ったそうだね」
ある晩、レングストン家の当主ムートが、執務室に愛娘を呼び出して微笑みながらこう言うと、
「私はそんな世迷い言を吐いた覚えなど一瞬たりともないのですが、お父様」
エーレは親の仇を見る様な目を実の父親に向けながら、それを否定した。
「別に咎めようというのではないから、安心しなさい、エーレ。エーヴィヒは実にいい青年だ」
「むしろ不安材料しかないあの変態について言いたい事は山程ありますが、まず私の話を聞いてください」
「照れなくてもいい」
「人の話を聞け!」
相変わらず天然な父ムートに、堪忍袋の緒を引きちぎるエーレ。
「結婚の約束はともかく、エーヴィヒを本部道場に招待して、直接稽古を付けたのは事実なんだろう?」
「ええ、なぜかあのロリコンには私が小さな幼女に見えるらしいので、そのイメージを矯正する為にも、この際一度シめておこうと思いまして」
「ははは、エーレが小さな幼女に見えるのは致し方ないさ」
「失礼な!」
「そう怒るな。お前も高校生になった訳だが、これから先、おそらく私にとってはいつまで経ってもちっちゃな頃のエーレのままなのだよ」
そう言って座っている椅子に深く背をもたせかけ、遠くを見る様な目になってため息をつくムート。
「いい話風に言ってもダメです、お父様。百歩譲って実の親が子供に対してその様なイメージを抱くのは仕方ないとしても、赤の他人に幼女扱いされるのは、我慢なりません」
「なるほど。お前もお年頃という訳だ」
「分かって頂けましたか」
「幼女ではなく、一人の女性として自分を見て欲しい、とこう言いたいのだね?」
「違う!」
エーレは目の前の机を両手で、バン、と叩き、
「とにかく! エーヴィヒは、剣術のデータ分析についてレングストン家に協力してくれている事は非常にありがたいのですが、私の結婚相手としては全く相応しくありません! 勘違いしないでください!」
「うむ、相変わらず見事なツンデレだ」
「誰がツンデレだっ!」
「そんな素直になれないお前を、私達は温かく見守っているよ」
「見守るなっ!」
「大丈夫、エーヴィヒもきっとお前のツンデレを理解しているはずだ」
「理解じゃなくて誤解だそれは!」
この後も、天然父とツンデレ娘による愉快な父娘漫才はしばらく続いたが、双方の認識が一致する事はついになかったという。