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その後、レングストン家の大会の高校生の部と一般の部が、規模は小さくともそれなりの盛況の内に終わると、いよいよララメンテ家の大会が幕を開ける。
まず最初の小学生の部では、データ分析主義に真っ向から異を唱えたパティと、そのデータ分析主義の教祖たるコルティナの指導を受けたララメンテ家の道場生達との対決構図に、世間の関心が集まった。
「先の二大会でパティのデータも大分揃った事だし、ララメンテ家の選手は自分の所の大会では皆強くなるからな。案外、早い段階でパティの敗退もあり得るかもしれない」
「いや、あの何をやらかすか分からん大道芸人パティの事だ。まだまだ隠しているデータがあるんじゃないか。事前にデータがなけりゃ、ララメンテ家の防衛は総崩れだろう」
もっとも実際の所は、データを分析すれば勝てるという単純な問題でもなく、パティとコルティナがお互いの家の興行利益の為に、世間の関心を集めようと単純な対決構図を捏造していた節もある。人は物事を単純に分かり易く理解しようとするのが好きなのである。
この他の分かり易い関心事と言えば、
「パティは今回一刀流と二刀流のどちらで来るか」
も話題となり、
「一刀流、二刀流、と来たら、次は一刀流だろ。順番からいって」
「そんな単純なやり方を、あの大道芸人がすると思うか? ここはもう一度二刀流にして、一刀流を予期していたララメンテ家の選手の裏をかくんじゃないのか?」
と、ほとんど丁半バクチのノリで、中には本当にそれだけを賭けの対象にする人達まで現れる始末。
そして大会当日、パティが一刀流で試合に臨む事が判明すると、二刀流に賭けていた人は、
「あーあ、やっぱり一刀流で来たか。本当は分かってたんだけどなぁ……畜生!」
と嘆いたが、もちろん本当は何も分かっちゃいない。
自分で自分を欺く様になったら賭け事のやめ時なのだが、そこですっぱりやめられる人は少なく、「よし、次こそは勝つ!」、とますますのめり込む傾向があるので注意。




