◆17◆
兄スピエレが帰った後で、エフォールは、何日もの間ずっと閉めきっていた書斎の窓を開け放った。
爽やかな風を頬に感じつつ、見上げればどこまでも澄み切った青い空。暗い部屋に慣れていた目には、午後の陽光が痛い程まぶしい。
開けたままの窓に背を向け、松葉杖を突きつつ書斎から出ると、居間にいた妻レジュルタに向かい、
「お前にも随分心配を掛けたな。本当にすまなかった」
と謝った。
両手が松葉杖で塞がっているので、胸にすがりついて泣く妻を、抱きしめる事が出来ないのがもどかしい。
その後病院と連絡を取り、義足を使いこなす為のリハビリが再開される。
最初は基本動作さえままならず、肉体的な辛さもさる事ながら、
「たとえ、リハビリを続けたとしても、これまでに会得した剣の技は二度と使えない」
という精神的な辛さが大きかった事で、一度は挫折してしまったエフォールだったが、今回は、
「たとえ、以前の状態まで戻れなくとも、やれる所までやってやる」
と、ままならぬ運命を、ままならぬまま受け入れるだけの覚悟が出来ていた。
指導に従ってリハビリを続け、中々思う様に行かない事も多かったが、焦らずにその時その時での最善を尽くす事を心掛け、ひたすら根気よく努力を重ねた結果、一年後には、義足の使い勝手にもかなり慣れ、
「うむ、土台は出来た。そろそろ剣の方も再開しよう」
エフォールは、マントノン家の剣術道場の障害者向けの部で、一道場生として稽古をやり直す事を決意する。
そこには自分より重い障害を持つ人達が、逆境に挫ける事なく、それぞれに合った方法で剣術に励んでおり、
「『マントノン家を代表する剣術家』と言われて、いい気になっていた自分が恥ずかしい。ままならぬ現実に立ち向かう心の強さなくして、何が武芸者か」
と、エフォールは己を戒めた。
義足を装着した状態の剣術に慣れた後、今度は一般の部に混じって稽古に励む様になり、エフォールの剣はかつての冴えを急速に取り戻して行く。
いくつかの公式大会にも出場し、最高で準優勝という好成績を残した後、エフォールは再び最高師範の一人として復帰を果たした。
内戦によって右足の膝から下を失い、一時はその不運に打ちのめされたものの、不屈の精神で這い上がり、奇跡の復活を遂げたこのエフォールという剣術家を、マントノン家のみならず、他流派でも尊敬する者は多い。
こうして弟が大々的に賞賛される一方、兄のスピエレは相変わらずボンクラ当主と酷評されていたが、エフォールは、姪に当たる幼いシェルシェ、ミノン、パティに対し、
「世間では君達のお父さんを色々悪く言うが、気にしちゃいけない。あの人の本当のすごさは、普通の人には分からないんだ」
と、優しく諭した。
「いつだって、あの人はままならぬ現実に立ち向かい続けているんだ。それでいて、何かを恨んだり、自棄になったりはしない。大した人だよ」
屋敷に戻ったシェルシェが、叔父のこの言葉を伝えると、父スピエレは、
「何か、回りくどく『ボンクラ』って言ってないか、それ」
と言って、苦笑するのだった。