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エピソード3

 レイくんが入院しているのは、この辺りで一番大きなS大学付属病院。学校からは電車で一駅の距離にある。病院や病室に関する詳しい事は、担任に聞いたらすぐ教えてくれた。ニイナがクラス委員長をしているので


「クラスの仲間として、青山くんのお見舞いに行きたいんです!」

 と言ったら、予想の30倍くらいの速さで担任は情報を提供してくれた。K教諭はどうも私たちの行動に感動したらしい。

「そうだよなぁ! やっぱり仲間っていいよなぁ!」

 と、力を込めて言っていた。否定はしないでおいた。なかまってすてきですよね。


 そして翌日の放課後。花束を準備し、パパの運転手をしている紫村さんに送ってもらった私達は、薬品とコンクリートの匂いが充満した病院に踏み込んだ。S大学付属病院はこれまで一度も来たこと無かったけど、結構綺麗な病院だった。お見舞いの手続きを終わらせ、私とニイナが向かった病室は『503号室』。個室だった。部屋の前で『青山礼』のネームプレートを確認して、行くぞ! ……と思ったとき。


「あら……もしかして、礼のお友達?」

 女の人の声が聞こえた。振り返ると、長い髪を後ろで結った優しそうなおばさんが、ボストンバッグを手に立っている。何となく面差しが似ていて、レイくんのお母さんだと一目でわかった。全体に細くて、タイトスカートが似合っている。でも目の下に、ちょっと疲れた影があった。私もニイナも学校の制服を着ていたので、向こうもそれとわかったんだと思う。


「あ、こんにちは! あの、青山君のクラスの友達で、クラス委員長の緑原と申します。はじめまして!」

 ニイナが無敵の外面の良さを発揮しつつ、笑顔で挨拶する。どう見ても清く正しく美しいクラス委員長だよ。こいつが普段ゲヒャゲヒャ笑ってるとは到底思えないよ。こういうのやらせたら最強なんだわこの子。私も挨拶してお辞儀すると、レイくんのお母さんは頷いて微笑んだ。


「あのぉ、お見舞いに伺ったんですけど、青山君て今、面会出来ますか……?」

 ニイナが尋ねる。

「ああ、ごめんなさいね。今ちょっと検査中なのよ。その間にと思って、私も着替えとか家に取りに戻っていたところだったんだけど、まだしばらくかかるみたいで……」

 廊下の向こうを眺めて、お母さんはそう言った。でもすぐ笑顔になり


「どうぞ、入ってちょうだい」

 ドアを開け、私たちを室内へ入れてくれる。導かれるまま部屋に入った私は、何はともあれ

「これ、お見舞いに……」

「まぁ綺麗ね。どうもありがとう」

 お花を渡すと、受け取ったお母さんはにっこり笑って喜んでくれた。病室の中には白いベッドとサイドテーブルと、同じく白い簡素な棚とテレビ。小さな洗面所。ベッドは整ってはいなくて、ついさっきまでそこに人が居た気配が残っていた。枕元には数冊の漫画雑誌が無造作に置かれている。


「椅子あるから、そこ座ってね。お見舞いで頂いたお菓子もいっぱいあるの。良ければ食べて。私たちだけじゃ食べきれないのよ」

 洗面所で花を入れる花瓶を用意しながら、お母さんが言う。


「あ、ありがとうございます」

「いただきます」

 手持ち無沙汰の私とニイナは椅子に座ると、一先ずお言葉に甘えてサイドテーブルの上にあったクッキーを一つずつ手に取った。私は世間知らずの金持ちと違って社会経験豊富だから、こういうチープなお菓子の食べ方も慣れているのよ、ふふん。カサコソ音を立てながら包装を破いていた私たちに


「あなた、赤羽根さんでしょう?」

 花瓶に水を注ぐ音に混じって、お母さんが声をかけてくる。つい「え」と声が出て、クッキー持った私の手が止まった。洗面所で振り向いたお母さんの顔が笑う。


「この前、K先生が面会に来て下さった時、礼に見せるためにクラスの集合写真も持っていらしてね。私も見せてもらったのよ。その中に物凄く綺麗な女の子がいるじゃない? びっくりしてね。そうしたら先生も、『ああ、この子は赤羽根と言いましてねぇ』って。写真でも綺麗だったけど、本当にお綺麗ねぇ。お母さまも、きっととっても綺麗な方なんでしょう? さっき廊下で遠目に見たときも、ちょっと雰囲気の違う子がいるなぁと思ったのよ」


 お母さんは花を生けながら喋っている。それを聞き、妙に気が抜けてしまった。何だ。レイくんが私のことを覚えていたとか、お母さんに伝えていたわけじゃないんだ。とりあえず彼ママに褒められてるわけだけど、これって喜ぶトコ?


「ごめんなさいね、一人でやたら喋っちゃって」

「あ、いえ! 全然!」

 謝るお母さんに慌てて首を振り、ちょっと笑い返した。

「それにしても、礼にこんな可愛いお友達が二人もいたなんて知らなかったわ。あの子、学校の事は家で話さなかったから……」

 そんなお母さんの話しをホケーっと聞いている私に、クッキーを頬張っているニイナが目配せした。わかってるってば。


「青山君て、具合……どうなんですか?」

 今一番の疑問について、私はダイレクトに切り出した。お母さんは白い花瓶の肌についた水をタオルで拭き、白い棚の上にそれを置いて振り向くと穏やかに微笑む。


「身体の方はね、お陰さまでだいぶ元気になったのよ」

「わあ、良かった! ね! イチカ!」

「うん」

 ニイナに言われ、私も笑って頷いた。既にK教諭の話しでそれを知っていたのは伏せて、初めて聞く話しとして合わせておいた。


「でもまだ記憶の方がちょっとねぇ……記憶障害の一種らしいんだけど。小康状態っていうか、お医者さんにも、この先のことは『まだ何とも言えません』て言われてて」

 パイプ椅子に腰掛け、お母さんはそう続ける。言いながら、目の下の影が濃くなった。


「あの、青山君、学校の事とか全然覚えてないって先生から聞いたんですけど、ホントに覚えてないんですか……?」

 ニイナの質問に、お母さんは困り顔で口元だけ微笑む。


「昔の写真やビデオを見せても、不思議そうな顔するだけなのよ。教えれば納得はするんだけど。他人事みたいな顔しててね。クラスの集合写真や学校行事の写真や映像を見ても、結局一人もわからないって……好きな漫画の内容は覚えているのに、まったく……」

 枕元に置きっぱなしになっている息子の愛読書を見下ろすお母さんの表情は、怒るに怒れないといった感じだった。


「私のこともね、最初お医者さんに『この人誰かわかる?』って訊かれて、『わかりません』て答えられたときは、もう涙も出ないっていうか。あの時はこっちもビックリして、呆然としちゃってね。これまで育ててきた時間は一体何だったのかなんて、思っちゃったりして」


 事故から間もない当時について、溢れるように語るお母さんは若干涙ぐんでいた。重い。重すぎる。家族だしお母さんだし、これくらいヘビーになるのも仕方ないのかもしれない、でも重い。私もニイナも頷くでもなく相槌打つでもなく、ひたすら椅子の上で固まるしかなかった。


「だけどこれから先、一番大変なのはあの子なんだし。記憶が無くなっている以外は、特に身体に後遺症も残らなかったんだから、運が良かったと思わなきゃね。命が助かっただけ幸せよねぇ。事故で亡くなる方もいるんだもの」

 そう言ってお母さんは顔を上げると

「親としては、もう一度育て直すと思って、ね」

 笑ってみせた。その顔は幾分明るくなっていた。見ているこっちもホッとする。


「じゃあ、まだ学校に戻るのはちょっと、難しいんですか」

 これまでの話の概要から判断して向けた私の問いかけに、お母さんは小さく頷いた。


「そうねぇ……もう少しかかるかな。でもあの子、高校で使ってた教科書を見せれば、習った数学の高次方程式の問題は普通に解けるのよ。漢字も書けるし読めるし」

「そ、そこは覚えてるんですかぁ?」

「いっそ忘れたいよね、数学の方程式なんてさ……」

 ニイナと私の言葉に続き、


「ホントねぇ。私もそう思うわ。そういえば、食べ物の好みが変わっちゃったのよ。前はピーマンなんて匂いも嫌がって、絶対食べなかったの。それが『おいしい』って言って、パクパク食べるようになったのよ。人が変わったみたいっていうのは言い過ぎかもしれないけど……人間て不思議なもんねぇ!」

 お母さんはそう言って笑った。この時だけは心から笑ってる感じだった。おかげで私も手に持ちっぱなしだったクッキーを、やっと口へ入れる事が出来た。


「お医者さんにも、出来るだけ早く通常の生活に戻る方が良いって言われているから。礼が学校に戻れたら、その時はまた仲良くしてやってね」

 私たちを交互に見て、お母さんは言う。「はい」と答えてニイナと顔を見合わせた。そんな私たちの後ろにある時計をふと見上げ


「それにしても遅いわねぇ。まだしばらくかかるのかしら?」

 お母さんが少し心配そうに呟く。レイくんが戻ってこないってことは、検査はまだ終わらないんだろう。検査がいつまでかかるかわからない上、これ以上お邪魔するのも居心地が悪い。面会時間もそろそろ終わりじゃなかったっけ。


「あ、あの! じゃあ私たち、今日はこれで失礼します。青山君も検査で疲れてるだろうし」

「そうだね! また来ます!」

 椅子から立ち上がった私に続いて、ニイナも立ち上がった。

「ごめんなさいね、せっかく来てくれたのに」

 お母さんは申し訳無さそうに言って頭を下げてくれる。

「いえいえ!」

「こちらこそ、お菓子ご馳走様でした!」

 なんて謙虚なこと言いながら、私が部屋のドアに手をかけた時だった。


「学校のお友達の事も、いつか思い出してくれればいいんだけど。何せガールフレンドのことまで忘れちゃってるから……」

「え?」

 非常に引っ掛かる言葉を、お母さんがぽろっと零した。同時に振り返った私たちの様子を見て


「あら……私、余計な事言っちゃったかしら」

 余計な事言った自覚が無かったお母さんは、手で口元を押さえている。……落ち着け落ち着け、落ち着くのだイチカ。


「あの、えと、青山君の彼女ってことですよね?」

 ドアから手を離し、向き直って尋ねた私に

「そうなの。あの子ったらいつの間にか彼女なんて作ってたのよ。そんな素振り、少しも無かったくせに」

 もう開き直ったんだろう。お母さんは笑って言った。


 待って。

 レイくんは自分の生活史全部忘れてるんだよね? お母さんの顔を忘れるレベルで忘れてるんだよね? そして彼が私と『付き合った』日数は、僅か1日。じゃあ何で彼女がいた事を、お母さんが知ってるの? え? あれ? 何か変だぞ? ……と思いつつ横を見ると、隣のニイナの顔が変なことになっている。やめて! 笑いそうになるわ!すると


「だ、だだだだだだ誰ですか?! 誰ですか?! 絶対誰にも言わないんで! お願いします!」

 何故か私より狼狽しまくっているニイナが、お母さんに詰め寄った。かなり吃驚した様子のお母さんだったけど


「昨日お見舞いに来てくれて、それで私も知ったのよ。同じクラスの『黄ノ下ミサミ』ちゃんていう子。知ってる?」

 柔らかに微笑みつつ、爆弾発言をしてくれた。ニイナも私も、文字通りの絶句状態。


 知ってますよ黄ノ下ミサミ……つーか、何それ?!

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