彼氏キット
柔らかな日差しが部屋に入り込む。
清々しく感じるがいつもと何ら変わらないつまらない朝の始まり。
...ただひとつ違うのはこの、私の横にいる"彼氏"だけ。
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この道をあと何回歩けばよいのだろう。これまで2年間通った通学路を歩きながら今日もため息をつく。
「おはよう」
後ろから走って追いかけてきたであろう友人のカオリの息は少しあがっていた。
「あぁ、おはよう」
そこまでして挨拶しに来なくてもいいのに、と思いながらも一応挨拶を交わす。
「モモカは今日も相変わらず元気がないね~」
そんな私の気持ちを読み取ったのか彼女は言葉を重ねてきた。
今日から3年生。親から"高校は――に行くべきだ"などの話をされるようになり煩わしくなっていた今日この頃、思春期だというのに彼氏もいないしおまけに帰宅部。元気が無いのも当然だろう、と心の中でつぶやく。
「ねぇねぇ。"彼氏キット"って知ってる?」
「えーなにそれ」
後ろを歩く女子生徒たちがそんな会話をしているのが耳に入る。
「噂だけどね、○○町にある古い植木屋さんにそんな名前の植木が売ってるんだって」
「そうなんだ。でも彼氏なのに植木ってどういう意味なんだろうね」
「さぁ。あ、そうそう!今日の数学の宿題やってきた?」
植木の彼氏――。それなら喧嘩もせずに円満にやれそうだな。などと適当な感想を抱きながら歩いているうちに学校へ着いた。
今日は6限までか...。長い一日をどうやって過ごすか考えながら私は窓際にある自分の席へカバンを置いた。
私がこんな偏屈な性格になってしまったのはいつからだろう。幼少期は両親からもちやほやされていて毎日を楽しく過ごしていたように思う。両親が私に無関心になったのは弟が生まれてからだろうか――。
そんなことを考えながらうとうとしているうちに6限目終了のチャイムが鳴った。
さて、さっさと帰ろう。何も実りのない一日だったことを消し去るかのごとくスタスタと帰り道を歩く。
少しお腹が空いたな――。どこかのコンビニに寄って食べ物を買おうと思い辺りを見渡す。
そういえば朝の女子生徒たちが言っていた、なんて名前だったか。彼氏...キット。あの噂話であがっていた植木屋ってこの辺りだったはず。以前近所を散歩したときにふと古ぼけた植木屋を見かけたのを思い出していた。
ついでだしちょっと寄ってみようかな。
別に彼氏が欲しいわけではない。ただ単にあんなバカらしい噂話の真相を解明し一笑に付したいと思ったからだ。
心の中でそのような言い訳をつくりつつ、私の足は例の植木屋へ向かっていた。
農村にある古い民家――。そんな表現が似合うその店は今にも崩れそうな状態にありながらなんとか形状を保っていた。
こんなところに彼氏キットとかいう俗っぽいものが売っているはずがない。
無駄足だったか。そう思って帰ろうとしたとき店の中から声が聞こえた。
「学生さん?あら珍しいお客さんだこと」
帰るタイミングを逃した私はその言葉のするほうへ振り返った。
「お母さんから買い物でも頼まれたのかしら?」
店主であろうその老婆はにこにこしながら私の欲しいものを聞き出そうとしてくる。
「あ、実は噂で聞いたんですけどなんか面白い植木があるって聞いて...」
彼氏キットという固有名詞を出すのが恥ずかしかった私は言葉をはぐらかしながらもその存在があるかどうかを聞いた。
「あぁもしかしたらあれかしらね?うちみたいな古い植木屋だとこれくらいしか変わったものは無いかしらね」
そう言って奥のほうから持ってきた植木鉢には"彼氏キット"と書いてあった。
まさか実在するとは。女子生徒たちの噂話もたまには真実があるんだななどと感心しつつも、これをどうするか悩むことになる。
「ちなみにこれおいくらですか?」
これでは私がこの植木鉢を買いたいみたいではないか。しかしそんなことは些細なことでしかなかった。今はこれを自分のものにしたい欲求のほうが強かった。
「そうねぇ。ずっと前からこの1個だけ売れ残ってて買う人もいなかったし...タダであげるわ」
「え、で、でも」
「そのかわり。最後まできちんと世話をしてあげてね。そうすればきっとあなたの為にもあるはずよ」
私の為...?いまいち意味がわからなかったが老婆が折角親切にもタダでくれるというのだ、機嫌を損ねるような反応はしないように笑顔を貫いた。
ただいま――。
返事が返ってくることに期待などしていないが毎日の日課だと自分に言い聞かせる。
さて。手に入れた植木鉢を自室のテーブルに置いて一息つく。
まずは水をあげればいいんだったか。老婆から育成説明書をもらっていたことを思い出し見てみる。
《彼氏キットの育てかた》
・球根に水をあげましょう
・理想の彼氏像を想像しながら一晩寝ましょう
・翌朝になると彼氏ができあがります
・毎日お風呂に入れて水分補給をさせてあげてください
...
思いのほか説明が多くて途中で読むのをやめる。なるほど、とりあえず水をあげればいいのね。
結構簡単に育成できることに安堵しながら台所へ水を汲みに行く。
「宿題はもう終わったの?モモカ」
またこれだ。最近では親に声をかけられることと言ったら勉強の催促くらいしかない。
「もう終わったよ。心配しなくても3者面談で恥をかかせるような成績はとらないから安心してよね」
親が勉強の催促をするのは自分の保身の為なのだ。それに気づいてからは私はますます親が嫌いになった。
そんな無機質な会話をしながらも水を汲み終え、自室に戻る。
文句も言わない優しい彼氏が欲しいな。今の会話があったせいか、そのようなことをふと思う。
水もあげ終わり特にやることも残っていなかったのでベッドに横になることにした。
もし本当に彼氏ができたら...。そんな有りもしないことを想像しながら目を閉じた。
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誰かに追いかけられている。相手の顔はよくわからないが薄ら笑みを浮かべているようにも見える。
このままでは――。そう思った瞬間、視界が明るくなった。あぁまた悪夢か。幾度となく見るこのような夢に最近では慣れたように思う。
また今日もつまらない一日の始まりか。そう思って横を向くと、いつもと違うものがひとつだけ"いた"。
「...誰?」
そこに存在する人間の姿をしたモノに問いかけてみる。
「...」
その表情は端正でありながらも一向に微動だにしようとはせず、どことなく寂しそうに見えた。
ふと説明書に目をやる。"彼氏ができあがったらまずは言葉を教えてあげましょう"。なるほど、教育をしていくのか。
「あなたは彼氏キットなの?」
一番の疑問をぶつけてみる。そもそもこいつはただの不法侵入者かもしれない。そこをはっきりさせないと気が気ではないのだ。
「は...い」
「名前はなんていうの?」
「な...まえ?」
「名前っていうのは自分を呼ぶときに使う...そうね、合言葉みたいなものかしら」
「なまえ...ないです」
「それじゃああなたのこと呼べないじゃない。仕方ない私がつけてあげるわ。そうね...ユウなんてどう?」
「ユウ...」
「そう。あなたは今日からユウね。」
「わたしのなまえ...ユウ。あなたは?」
「わたしはモモカ。よろしくね」
「モモカ...さん。よろしく」
そう言った彼の口元は少し微笑んでいたように見えた。