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等価交換銀行

作者: 彦根祖一

奇妙なATMがあるという噂を聞いた。

僕の住む街で、しかも小中学生ではなく大人の間で広がった噂なのだという。

噂。嫌な言葉だ。それが正しいのか正しくないのか、自己で判断がつかないというのに、それをあたかも真実のように他人へと伝えてしまう。他人へ伝達しなければならない義務でもあるのだろうか。そんなものはない。あるはずがない。しかも大抵の噂話は魑魅魍魎の類や、空想的な代物ときている。だからきっと誰もが信用しているわけではない、と僕は思っている。既に周囲の大人で、その噂を知っている人にさりげなく聞いてみたのだ。

「あなたはそれ、信じてるんですか?」

と。勿論僕も身の程を知らずに全員にこんな軽薄な口調で話したわけではない。そしてその答えは千差万別。自分で利用してそうだったという人もいるし、銀行の罠だと頑なに対応する人もいれば、どうでもいい別に興味ない、という人までいた。その中には信用していない人もちゃんといたから、それを聞いたとき僕は少々安心したものだ。ああ、さすがは大人だ。ちゃんと現実を見ている、と。

 そんな風に言えば、まるでそのATMで現実から乖離した怪奇現象が起こったみたいな言い方になってしまうが、それは少々趣旨を異なる。現実から乖離した現象など、小説やライトノベルの中だけで十分だ。

 それを体験した人の一人は、こう語る。

「銀行に私はお金を下ろしにいったんですよ。まあ、ある程度の額を。

「○○銀行の、一番左側のATMだったのですがね。

「機械はごくごく普通の、どの銀行にも流通しているものでした。

「だから操作は簡単でした。

「そしてお金を取り出そうとしたら、本来あるべき紙幣が無かったんですよね

「おかしいなと思ってもう一度下ろしたら、今度は記載した通りの額が出てきたんです。

「その時は機械の故障かなと思っていましたよ。

「その次の日に、私、少々交通事故に巻き込まれてしまいまして

「ええ、二台のトラックに押しつぶされるような形で、娘と妻と乗っていた自家用車が潰れまして…

「しかし奇跡的に、娘と妻と、そして私は生きていたんです。

「そして私は見つけました。

「自分の預金通帳から、きっちりと最初の額が値引かれていたことに」


さて、これだけの話を聞くと、ただの偶然のように思える。まさか、それが百件以上連続して、そのATMを使用した人間が等価交換のように命の危機を奇跡的に脱している、なんて思いもよらないだろう。僕もそう思っていた。いや、今でもそう思っている。これは偶然であり、超自然的な何かなど決して関与しているはずがない、と。

 僕が駄々をこねる餓鬼に見えるだろうか。周囲の眼を払いのけて、超自然の力を信用させようとしているように見えるだろうか。

百件以上。これは驚異的な数字だ。百以上の人間があのATMを利用し、そしてその以後に起きた事故を、あるいは事件を、または困難を、奇跡的にクリアしているらしい。

その事件というのは先ほどの例のように交通事故であったり。

はたまた列車事故であったり

火事などの自然災害。

転倒。

骨折。

出血。

落下。

貫通。

家族関係。

人間関係。

資格。

締め切り。

提出物。

発表。

そして窃盗、強姦など、世の中から悪行と称されるものですら、銀行から下ろせなかった直後の事柄は、百パーセント上手くいっている。それが、そのATMが伝説とされるゆえんだった。しかしこの真実を知る人は数少なく、近くの団地の母親グループの間でひそかに話されていることであり、逆に言えばそのグループの人々くらいしか知らないのだ。金額の指定はなし。ただし下ろせるのは千円単位だから最低でも千円以上であることに変わりはない。

 僕にも正義感が無い、というわけではないから、窃盗などの反吐が出るような真似ですら成功すると聞いたときは、何だかショックだった。失敗や人生の終わりを長める、超能力のような神秘的なもの、とそれまで感じていたが、悪意まで成功してどうするんだ。善も悪もなく、ただ平等に、神のようにうまくいくというATM。

 僕にはそれが恐ろしくもあり、また憧れていた。恐ろしい、と憧れる、はまったく違った感情だが…どう例えればいいものか。例えば、超人的な力を持つヒーローがいたとする。そのヒーローに対して格好いい、凄いという感想を抱く半面、もし彼が自分達を裏切ったらどうしよう。とか、そんなものか。

 憧れる。中学生男子が誰でも経験するような、自分に超人的な力があると錯覚するもの。それとは程遠いけれども、科学的には解明できないであろうこの事実に、心が躍らなかったといえば、それはきっと嘘になるのだろう。

 残念ながら、僕は自分を犠牲にして周りが助かる、なんていう自己犠牲の精神を持ち合わせていない。

 とりあえず自分が生きていればそれで重畳。満足だ。

 前向きに堅実に人生を歩み、人格者を装いながらも、きっとどこかで他人を足蹴にしている。

 きっとそれに罪悪感を覚える人も中にはいるのだろうが、ほとんどの人間は、そんな僕の独白にこう答えるだろう。

「だからどうした。それが何だ。そんなのは当然じゃないか。いちいち一人一人のことなんて考えている暇ないんだよ馬鹿。」

 最後の馬鹿は余計だったかもしれない。ただ、やっぱり大多数の人間は、どこかで人を犠牲にして生きている。呼吸するごとに誰かが誰かの犠牲になっている。そしてそれと同時に誰かが誰かの迷惑をこうむり、人生を損している。それを不公平と物申したのが夜神月やがみライトだったが…今の僕に彼ほどの信念はない。

 そんなことを思いながら僕はそのATMの前に来ていた。

 営業外の時間でのみその等価交換とやらは行われるようなので、両親にはちょっと走ってくる、と言って家から抜け出してきた。周囲には誰もいない。まるでこれから悪魔との契約が始まるかのように静かである。

 これか。

 ○○銀行の入り口から一番左のATM。見た目は聞いた通り、一般的なの形状をしている。噂に準ずるように、通帳を差し込み、暗証番号を入力、そして料金を下ろすボタンを押す。どうしてか、おそるおそる、手が震えながらになってしまう。呼吸を落ち着かせる。

 そして、液晶のスイッチが僕の体温を認識しようという、まさにその刹那、僕の手を何者かが掴んだ。その手には脅迫じみた力は一切感じられず、駄々をこねる子どもを慰めるかのような、そっとした手だった。振り返ってみると、

「やあ。君を待っていたよ」

歪笑を浮かべた、二十代くらいの青年が、黒く黒く存在していた。



「君はこの辺に住んでいるんだろう。

「そうだろうそうだろう。

「こんな時間に夜にでて平気なのかい?ん?両親には走っているっていってあるのかい?それで信用しちゃう両親も両親だよねえ、まったく放任主義もいいところだよ

「君もそうは思わないかい?応島順軌おうじまじゅんきくん。

「ん。なんだか猜疑的な顔をしているねぇ。

「俺が君の名前を知っていることがそんなに不思議かな。

「塾の勧誘通知で、喋ったことの無い自分の住所が割れていた、だなんてことよくあるだろう。

「それと同じようなことだよ。

「個人情報を守ろうとか言っときながら、結局全然守れてないってのが現状でね。

「人間なんてそんなもんさ。

「有言実行?いやいや有言不動だよ

「言っておいて終わり、なわけが無いのにねぇ。

「さて。

「まあ、さっきよりは警戒は解いてもらったと俺は勝手に判断したから、本題に入らせてもらうよ。

「君は今日、営業外の時間にこの銀行に来て、しかも一番左側のATMでお金を下ろそうとしている。

「もし俺の誤解だったなら、俺はここで一生分の恥を負って、ここで首を切り取るよ。

「でもその可能性は無いようだね、重畳重畳。

「君はあれだろう?

「噂を調べにきたんだろう?

「噂の真相を知りにきたんだろう?

「教えてあげるさ。

「教えてあげるともさ。

「最初に言っておくけれど、これは超自然的な能力とか、神の思し召しとかじゃないから。

「勿論君は信じていないだろうけど…っておいおい。

「その反応、まさか信じていたのか。

「面白いねえ、わくわくしてきた。

「どうして君は僕の都合通りに動いてくれるんだろうねぇ、神山くん。

「それとも幼馴染の弓張壬三子ゆみばりみさこちゃんのように、順くん、と呼ぼうか?

「おやおや、そんな怖い顔をするんじゃないよ。

「幸せが逃げていくぜ?

「安心していいよ。

「君の大事な彼女には一切合財手を出さないと誓うから、さ。

「で、まあ話を戻すとさ。

「この噂、実は全部嘘なんだよねぇ。


男はそう言って、僕の顔をまるで観察するかのように見る。

嘘?嘘だって?まさか、冗談だろ。

だって…だって…

「だってそんな百件以上、直後に物事が上手くいくわけないじゃん、かい?」

そうだ。偶然にも、どうにしろ百件以上、その直後に全ての事柄が上手くいっている以上、これが偶然なんて可能性は…

「可能性って言葉、かなり暴力的だと思わない?」

男は、そんな僕の思考を天から静観するかのようにして言った。

「だって、他人への勝手な期待なんて、暴力以外のなんでもないじゃん。」


「俺のしたことは…まあ、実験みたいなものだ。

「街一つ使ってね。

「虚実の噂を流して、それがある範囲の人にしか伝わらないようにした。

「そこまでは簡単だ、誰にでもできる。

「母親同士のグループっていうのは中学校の女の子レヴェルで情報が回っているからね。

「周囲に出づらいのに、広がりやすい。

「さらに俺は畳みかけたわけだよ。

「君という、応島順軌という人間に頼ることによってね。

「勿論君の母親、応島千秋おうじまちあきさんにもこの噂は回ってきた。

「そこで、俺は君のお母さんを通じて君に虚実の情報を流し続けた。

「近所の者を名乗れば普通に話してくれたよ、結構長い期間だったけれど。

「その間に、君の色々な情報が聞けたよ。

「小説家を目指しているんだって?凄いねえ、頑張ってね。

「そして現実主義だってことも聞いた。

「その瞬間俺は思ったわけだよ。

「この状況を彼に小説化してもらおう、ってね。

「小説家志望で現実主義、この二項目だけでもう最高さ。

「いずれは誰かにやってもらおうと思ってたんだけど、丁度いいところに君が現れたから、ちょっと計画が変更してしまったけれど、まあいいよね。

「その現実主義の君にこの怪奇現象を信じこませ、そしてその上で、俺が、それを実行しようとした君に事の真相を暴いて、君がそれを知って小説化する。

「簡単な話だろう。

「噂の広め方?

「ああ、そんなどうでもいいこと聞くなよ。

「お金を払ってそういう風だったと言わせただけさ。

「がっかりしたかい?ははは、愉快だねえ。

「でも、君はこれを小説化せざるを得ないんだぜ。

「最近スランプで何にも書けてないんだろう?

「だから格好のネタになったんじゃないかな?

「俺の名前は適当でいいよ、ああ、わざと作中では言及しないってのもいいな。

「ん?どうしてそんなことするのか?

「やってみたかったからに決まっているじゃないか。

「自分で設定した世界を他人に小説化させる。

「つまり自分の世界観を他人に押し付けられるんだ。

「最高じゃないか、自分の手のひらで人がクルクルとメビウスの輪を周回しているんだから、って言っても君には分からないか。

「俺がしたかったことは、堂島静軒どうじませいけん西東天さいとうたかし、あるいは折原臨也おりはらいざやのように『天から静観して臨んでみたかった』ってことだよ。

「不快かい?

「それでもきっと君は今週中くらいには小説を書くことになるだろうと思うよ。

「そうだな…『小説家になろう』っていう素人小説を集めている廃人集団のサイトがあるからそこにでも投稿してみたらどうだい?

「それを機に君が小説家になっちゃったりなんかしたら?

「それこそ俺の望んだ展開だ。

「さあ、早く帰って書きはじめろよ。

「タイトルは…『等価交換銀行』なんてどうだ。」

ごめんなさい。

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